当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

西教寺

2010年11月28日 | 日記
翌日は快晴

ずっと行きたかった…行かなきゃ思っていたお寺、西教寺にGO

なんで行きたかったかって、明智さまのお墓参りですよ
比叡山行った時もここまで足伸ばしてなかったからさ


門の前にはしっかり『明智光秀公と一族の菩提寺』の碑が
ちなみにこの総門、坂本城から移築した門になります

光秀が西教寺に縁が深いのは、信長の比叡山焼き討ちで焼失した西教寺の復興に貢献したからなんです。
この焼き討ちの後、大津の地を与えられた光秀が坂本城を建て、坂本の町の復興をするにあたり、西教寺の檀家となって信仰したんですね~
そんなわけで明智家の菩提寺とされているんです


門を覗くとそこにはもみじの通路が
 
もみじが青空に映えまくり
綺麗 キレイ きれい~

本堂の前には、明智家の供養塔・お墓があります。
 
1枚目の左にあるのが光秀の奥さん、熙子夫人のお墓。細川ガラシャのお母さんです。
2枚目が光秀の供養塔(真ん中の大きなやつ)であり、一族のお墓。

ちなみにここには芭蕉の俳句の碑もあります。
武将の歌をよく詠んでいる芭蕉の、唯一女性を詠んだ歌、それがこの熙子さんのことを詠ったやつなんです。

『月さびよ 明智が妻の 咄せむ』

越前丸岡で熙子さんの話をしたよってことらしいんですが…
この碑が個人的な妄想にツボりまして(笑)
坂本は明智の城下町。
そこにはなんと、光秀説とかあっちゃったりする、家康に仕えた南光坊天海に関係する寺社もあったりするんですが…(今回の行先目標にも含まれています)
そこに徳川の忍び、服部半蔵説がある芭蕉が光秀の奥さん詠った歌だぁ
この2つの説はかなり希望的楽しみがある説ですが、妄想派には楽しいツッコミポイントでした
だって楽しいじゃ~ん、この説が間違ってても、関連人物がすべて光秀に繋がっていくって。その流れがポイント(天海はまだしも、半蔵が芭蕉なら、さすがに家康の時の半蔵(正成)は無理な話ですんで


これが本堂からの琵琶湖の景色。
晴れてるとやっぱり綺麗だよね~

客殿は拝観料を払ってから拝観。
ここもまた、秀吉の伏見城から移築された旧殿。
狩野派の襖絵があったり、小堀遠州の庭があったりと、さりげなく豪華
襖絵は、部屋にガラスがはられていたので、ちよっぴり見ずらかったですが
天気良かった分、反射しちゃってね~
なんとか角度で格闘しながら見学しましたよ
あとは歴代の住職さんの掛け軸の展示がされていました。やっぱり違うもんですね~達筆の方のは本当に見事でしたよ。
一番新しいのが漢字ではなく、梵字だったのが衝撃でしたが

とりあえず、一番楽しみにしていたお寺が最高の状態で見れて満足でした


ちなみにこれも西教寺。道路渡って向かいにありますよ

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