当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

恵林寺

2010年12月03日 | 日記
山梨の恵林寺へ、最後の紅葉見がてら信玄のお墓詣りに行ってきました

 
入口にはしっかり信玄の廟の碑が
黒門の横にはあんぽ柿のお店があって、すだれのように豪快な量の柿が屋上に乾されていて、目奪われてしまいました

恵林寺は夢窓国師によって開かれ、武田信玄が菩提寺に定めたお寺です。
武田氏滅亡後、六角義治を匿ったからと織田軍に焼き討ちにされたのですが、その際に信玄の葬儀を行った僧である快川紹喜が燃える山門の上で叫んだとされる言葉が、有名なあの言葉

『心頭滅却すれば火もまた涼し』

正確には「安禅不必須山水滅却心頭火自涼」。
禅の精神です。おおざっぱに言えば、雑念持たなきゃどんな場所でも修行はできる。心の持ち方ひとつで苦難はしのげるんだよって意味。

ちなみに焼き討ちされた門などは、信長の死後、家康によって再建されて今に至ります。


四脚門、赤門と言われています。家康が再建した門です。


これが三門。楼閣があるちょっと独特さがある桃山建築の門になります。


三門の先にある開山堂。

屋根の軒下の彫刻が見事でした
風神・雷神ですよ何気に上見上げて細かさにびっくり


これが本堂。この中は拝観料が必要となります

うぐいす張りの廊下を通り、明王殿に入ると武田不動尊があります。

さすがに携帯だと暗くて撮れなかったのでデジカメの写真でアップ
この像は、信玄が大僧正になった記念に自分をモチーフに不動明王像を造らせ、しかも自身の頭髪を焼いて塗らせたと言われていて、なかなかお顔も立派でした

本堂の裏手に回ると、信玄公の墓所があります。


その後ろには家臣団の供養塔があります。

この1塔だけじゃなく一面にあるんですが、配置図とかなかったんで、お参り行った時は全部とは思わなかったんですよねぇ

そしてその横には柳沢吉保夫婦の墓所が。

綱吉の側近の柳沢の墓がなぜここにあるかと言いますと、柳沢は武田家臣団の子孫なんですね~ちゃんと信玄の100回忌法要の際の参加名簿にも記帳されています。
甲府藩の藩主にもなっていて、地元では、称えられている人なんですね~
一般的に悪人イメージがある吉保ですが、『出来る人』だったのは事実なので、あまりの急激な出世ぶりに、周囲の嫉妬からそういうイメージをつけられたという感じがあります。
赤穂浪士のイメージもあるんでしょうね。人気の話なんで、赤穂の義を善にするには、吉良さんは悪だ。そして事件を防げなかった綱吉と吉保も悪だ…みたいなノリが定着したんじゃないかなって気がします

 
これは夢窓国師の庭。天龍寺とか西芳寺の庭を作る前にこの庭を作っています。
上段は枯山水、下段は心字池となっていて、なんというか…色々なしかけがある庭でしたね。
紅葉は終わりかけでしたが、池に映りこんでいるもみじが綺麗でしたよ

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