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京都散策---その1(三十三間堂・比叡山延暦寺)

2007-09-25 | お出かけ
 今年も京都に行ってみることにしました。去年は、清水寺--産寧坂--高台寺方面を散策してみましたが、今回はまず蓮華王院(通称 三十三間堂)に寄ってみました。
ここは七条通りの東端にあり、京都駅にも近く、すぐ北には「京都国立博物館」もあり大変人気のある寺院です。
駐車場もあり、朝10時に到着したので車はすぐに停めることができました。
創建は1164年に平清盛により造進されましたが、約80年後に焼失、1266年に再建されました。入母屋・本瓦葺き「総檜造り」で正面の柱間が三十三あるところから「三十三間堂」と呼ばれています。
まずは庭を見ながら外を一回りしてみました。その長さは120メートルもあり、この大規模な木造建築ですが700年以上もの間しっかりと管理されていて現在でもその威容を保っていることには驚きます。これだけの文化財を維持するのは大変なことだと思います。拝観料¥600です。
南には豊臣秀吉が1595年に築いた方広寺(現・国立博物館一帯)の「南大門」に続く塀の一部が残っていますが、瓦には「太閤桐」の文様を用いていることから「太閤塀」と呼ばれています。桃山時代の遺構として大切に保存されています。



建物を正面から写真に収めることはこのレンズでは無理ですので、南の端から写してみました。



東側の塀は鮮やかな朱塗りの柱に、緑の格子窓が美しく、印象的でした。



左右対称の美しい建築ですが、外部の柱は鉄板で覆われ、中の壁や屋根の下地には漆喰が塗られていて耐久性を考えた造りになっています。特に梁に工夫がされていて現在の免震工法の技術がすでに採用されていたのには驚きました。



中に入ると、まず中央の中尊を中心に安置された1001体の観音立像に圧倒されます。両端には「雷神・風神像」前列には「観音二十八部衆像」などの国宝が整然と並んでいる姿は圧巻です。
内部は当然撮影禁止となっていますので、(三十三間堂)のHPをご覧ください。
去年韓国ソウルに行ったときの様子をこのブログで紹介しましたが、そのときに行った「宗廟」のことを思い出しました。「宗廟」は色彩も鮮やかでまったく洋式は違いますが、感じは似ているようですね。しかしこの「三十三間堂」は日本独自の総檜造りで細工や仕上げの優秀さは、とても「宗廟」と比較することはできませんね。

さて次は「比叡山 延暦寺」に向かいます。初めてですので、どこから上がっていくのか調べてみると、京都市内からは銀閣寺方面(京都市内の北東)の田の谷峠から比叡山ドライブウェイを利用して行くのが近いようです。早速鴨川沿いを北進しましたが、連休とあって京都市内は渋滞していて思ったより時間がかかってしまいました。
PM11:50「東塔」地域にある駐車場に到着。



最初に階段を登っていくと、向かって左側には、この延暦寺の開祖「伝教大師最澄」の生い立ちを、絵と解説で紹介した案内板があり、右側にはここで修行した親鸞聖人、法然上人、日蓮上人などを紹介した案内板が並んでいます。

写真の案内板には「弁慶のひきずり鐘」の話が書かれています。弁慶もここの「西塔」にあった武蔵房で修行をしている時、対立していた比叡山の麓にある三井寺を襲い伽藍にあった名鐘を一人でひきずって持ち帰り「大講堂」に吊り下げたといわれています。
確か山陰島根半島にある鰐淵寺(島根県)に行ったときにも、大山寺(鳥取県)から一夜で鐘を持ち帰ったという話を読んだ記憶があります。
相当な怪力だったのでしょうね。



今から430年以上前の元亀2年(1571年)、織田信長は比叡山を焼き討ちしました。そのときに僧房500あまりを三日三晩で焼き尽くし、僧俗千余名も犠牲になりました。その被害は甚大でした。その後秀吉や家康の庇護を受けて復興されましたが、その傷跡は後世まで尾を引くことになりました。
最初に目に入ってきたのは「大講堂」です。



そこから少し階段を下りると左手に「国宝 総本堂根本中堂」が見えてきます。中には御本尊秘仏薬師如来をまつる宝前に1200年間守り継がれた「不滅の法灯」が光り輝いています。



延暦寺には、ここ「東塔」と並び「西塔」「横川」の寺域に分かれていてそれぞれ有名な僧侶が修行していた足跡が残されています。今回はすべてを訪ねることができませんでしたので、次回の楽しみに取っておきます。
比叡山山頂には「ガーデンミュージアム」もありロープウェイで八瀬方面からも上がって来ることができます。比叡山は標高848.3mですので気温24度前後で大変涼しく観光できました。
次回は大原方面に降りてみます。


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