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いるま・風の善さん

中高年オジンの趣味と遊びの日記です。

ゴルフボランティアの前後に、歴史散歩・島田宿と蓬莱橋

2018年04月01日 | 文化財・史跡
 今年の静岡・ヤマハレディスのボランティアは都合により2日間のみ、今回の宿舎はゴルフ場から少し離れた島田市でした。
(ホテルからボラの駐車場まで34km、約40~50分かかりました)
大井川の川越し遺跡と木造橋としては世界一長いといわれている、蓬莱橋を見学しました。
 
 ここ島田宿は東海道53次の宿場町ですが、大井川の氾濫源『箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川』と歌われ川を渡るのに多くの人出と時間がかかりました。

 まず、JRの島田駅と博物館にお邪魔して情報を入手、

(JR島田駅前にはこの地にお茶を広めた栄西禅師の銅像があります)

(博物館にも寄ってきました)

大井川 川越遺跡(おおいがわ かわごしいせき)

江戸時代、旅人が大井川を渡るためには、人足に肩車をしてもらうか、輦台(れんだい)というみこしのような乗り物に乗り、担いでもらっていました。

その「川越し」の料金所(川会所)や、人足の待合所(番宿)などの風景を再現したのが、この遺跡です。

昭和41年8月1日に国指定史跡に指定されました。



(桜も満開デシタ
川越制度と川会所

江戸時代の初期に宿駅伝馬の制が定められ、街道整備が行われました。しかし、大きな河川には橋がほとんどかけられず、旅人は船か徒歩で渡るほかありませんでした。特に大井川は渡船も禁止され、流れも急なので不慣れな旅人が渡るには危険であったため、両岸では川越しの手助けを生業とする人々が現れました。そして、街道の通行量の増加とともに渡渉の方法や料金などを統一する必要が生じ、元禄9年(1696)に川越制度ができました。その管理のために川庄屋の役職と、業務の拠点となる川会所がおかれました。最初の川庄屋は、島田代官の野田三郎左衛門から任命された橋爪助左衛門と塚本孫兵衛(如舟)の二人でありました。

川会所には、川庄屋のもとに年行事、待川越、川越小頭などの役がおかれ、その日その日の水深を計り川越賃銭を定め、大名から庶民まですべての通行人に対する渡渉の割り振りや、諸荷物の配分など日々の運営をはかる仕事が行われました。文献には見当たりませんが、川会所は川庄屋がおかれた元禄9年に建てられたと推定されています。

川越しは明治維新まで続けられていましたが、明治3年(1870)に大井川の通船が許可されたことに伴い廃止されました。

現在の川会所の建物は安政3年(1856)に建てられたもので、川越し制度廃止後は大井川通船の事務所や学校の校舎など様々に利用されその位置も転々としていました。そして昭和41年(1966)8月に島田宿大井川川越遺跡が国の指定を受けたのに伴い、昭和45年(1970)8月、現在地に移築されました。


『大井川・島田の蓬莱橋』

(ギネス認定の碑)
明治12年(1879)牧の原開墾者たちにより誕生。農業用の歩道橋であるが、全長897,4mと世界一長い木造の橋として、ギネスブックに認定登録されている。

(897.4㍍の木造歩道橋)


(勝海舟も大井川の治水事業に貢献しました)

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