この万葉集の歌碑は、京都とは関係にない東京文京区の片隅にひょっこりと建てられていたのでした。
『万葉集9巻-1707』
「山背(やましろ)の久世(くぜ)の鷺坂(さぎさか) 神代より 春は張(萌)りつつ秋は散りけり」
〔意味〕
(山背(京都)久世の鷺坂は、神代からずっと春は芽をふいてきたし、秋は散ってきた。鷺坂の景色は昔から変わりなく続いているのです。)
場所:文京区小日向2丁目19の鷺坂中腹曲がり角
建立:昭和7年7月
揮毫:堀口九万一(久世山会)
(山城・山背・・・の歌碑部分) (万葉かな、山代久世・・・の側面と坂)
歌は京都市久世にある鷺坂を詠んだものである。歌碑は高さ1mほどの角柱で、正面に鷺坂、側面に万葉かなと現代語訳の歌をそれぞれ刻んである。
(文京区教育委員会の解説板)
碑の横にある案内板に
江戸時代、坂の台地上に老中職をつとめた、久世大和守の下屋敷があり、台地は久世山と呼ばれていた。明治以降住宅地となり詩人達(堀口大学・三好達治・佐藤春夫)が住むようになって、ここの久世山下の無名の坂に万葉集に結び付けて「久世の鷺坂」と名づけたとある。
善さんが4月まで、パート勤務で近くを通っていて聞き及んだもので(音羽通り・鳩山会館の近く)あり、ちょっとした掘り出し物でありました。(近くの大日坂記念碑)
明治時代この辺久世山の下は旧江戸川(現神田川)が流れ、見晴らしもよく桜の名所であったものと思われる。現在でも江戸川橋公園として桜の公園となっているが、川の真上には首都高速道路が走り昔の面影はない。
京都の鷺坂と異なり、東京の久世の鷺坂の景色は、わずか100年たたずに替わってしまったのです。
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