ホリコは今…

見たり、聞いたり、感じたり、そんなものを何かに綴って残したい、そう思うこの頃です。

恭子姉さん…ありがとう

2014-10-20 01:11:21 | 日記
10月15日(水)
午後1時49分

恭子姉さんが旅立ちました…

家族の皆に見守られながら
静かに穏やかに深い深い眠りにつきました…

この半年
痛かったでしょうに
苦しかったでしょうに
辛かったでしょうに
悔しかったでしょうに
‥‥‥
家の中はもちろん、身の回りの全てをきちんと整理して
凛とした姿勢を貫き通して
そして
静かに旅立っていきました

これは
姉さんの描いた筋書だったんですね

姉さんが慈しみ育てた娘と息子たち
家族の皆が
姉さんの想いをしっかりと受け止めて
皆が全力で、ここまでやれるか!と、誠心誠意尽くしていましたね~
それぞれの限界を超えた献身的な看病には頭が下がりましたよ、十二分に頑張りましたよ

姉さんにはそれが分かっていましたよね
すっかり安心して 皆に身体を委ねるように 休んでいましたね

そして
姉さんの描いた筋書通り 全てが終わったんですね‥‥‥

寂しいけど
悲しいけど
姉さんの生きざまに そして 人生の幕引きに 感服です

もっと会えば良かった…会いたかった…
もっと話がしたかった…
後悔ばかりが残ります

でも これだけは忘れません!
“恭子姉さん、ありがとう”


姉さんが
大事に持っていた子供の頃の日記を読ませていただきました
疎開して、そのまま数年過ごした福島県白河市白坂での生活
小学生時代の絵日記
少しだけ、そっと写してきましたが
今度、じっくりと読ませてくださいね

    1946年
     8月2日土曜日
     雨がふってゐる。
     かあちゃんにげたのををつくってもらってはいてそとにでた。
     そとは雨がふってゐた。
     雨のをとはさっきからざあざあといふ音をたててふってくる。
     私はそとの雨のふる中をかさをさしてあるいてみづたまりのところにきて
     じっとたってゐた。
     雨はまだふってゐる。

     8月3日日曜日
     今日 かあちゃんが畠へいったので
     私はなをこのおもりをしました。
     かあちゃんがはたけからきゅうりやお豆をとってかえってきました。
     きゅうりはおこうこにつけました。
     お豆はじゃがいもとにてたべました。
     ほんとうにおいしかった。

     ※8歳の姉さんにおもりをしてもらったのは 2歳の私
      おんぶしてもらって 世話をしてもらっていたのは私
      “恭子姉さん、ありがとう”


今の私に言えるのはこれだけ
 
“恭子姉さん、ありがとう”
“恭子姉さん、ありがとう”
 ‥‥‥‥




    





「八幡平」へ

2014-10-06 00:13:49 | 日記
10月2日
「八幡平(はちまんたい)」

大学時代の友人TKさん、WTさんと3名
上野、大宮、郡山、それぞれの駅から乗込み盛岡駅で合流
久々の対面に感激する間もなく大急ぎでバスに乗車

盛岡駅から八幡平頂上へ直行する「秋の八幡平自然散策バス」
終日曇り(ということは山では濃霧か雨?)の天気予報
が、
山頂に近づくにつれて晴れ間が見え、薄日が差し始め
どうやら中に“晴れ女”がいるらしい

頂上まで盛岡駅からたったの2時間
懐かしいがまったく思い出せません‥‥一緒に登ったWTさんも??
当たり前です、一緒に登ったのはおよそ50年前ですから

さあ、知識豊富なガイドさんとの山頂散策

山頂とはいえ平坦な高原が広がり大小の沼が点在する
だから名前は八幡平
紅葉は早いのか?遅いのか?
分からないがその中途半端の今が良いのかもしれない

目に入る山々
樹木や植物
ガイドさんは一つ一つ丁寧に説明してくれる
「今年は何故か、アオモリトドマツ(オオシラビソ)に松ぼっくりがほとんどつかない」
その貴重な松ぼっくりがあった!
たった一つ、青みがかった松ぼっくり、上を向いて凛としている

歩くにつれて
かつての“山女”の自分が蘇える

山へ登るのに理由はいらない
ただ登りたいから
そんな自分を思い出しました。