ホリコは今…

見たり、聞いたり、感じたり、そんなものを何かに綴って残したい、そう思うこの頃です。

一葉コース「たけくらべ」ゆかりの地巡り

2014-11-30 01:38:28 | 日記
11月28日 晴れ

今日は少し嬉しいガイド
お客さまは練馬区立S中学校2年生
コースは「樋口一葉たけくらべゆかりの地巡り」

10:00 三ノ輪駅改札集合だが
20分も前に全員集合

まずはご挨拶
ところで
一葉さんについてどんなことを知ってる? との問いかけに
 ・5000円札の人
 ・「たけくらべ」を書いた
 ・23?24?25?歳、結核で亡くなった
 ・本名は奈津
そこまで答えられたら十分
それではスタートしましょう!

  三ノ輪駅
   ↓
  一葉記念館 (一葉の生涯、作品、熱心に見てましたね)
   ↓
  旧居跡   (ここで荒物駄菓子屋を営んでいました)
   ↓
  飛不動   (飛んできたお不動様?)
   ↓
  大黒屋   (美登利さんが住んでいたところ)
   ↓
  お歯黒どぶ跡(中学2年生には、ここからの説明はちょっと厳しいなあ~)
   ↓
  見返り柳  (廻れば大門の見返り柳いと長けれど…「たけくらべ」の冒頭)
   ↓
  吉原大門  (江戸の文化の発信地でもあった)
   ↓
  吉原神社  (新吉原300年の歴史を見てきたんですね…)
   ↓
  奥の宮   (関東大震災、花園池に飛び込んだ人たちは…)
   ↓
  鷲神社   (「この年三の酉までありて…」)
   ↓
  長国寺   (日本一の熊手!)
   ↓
  大音寺   (信如さんのモデル?)
   ↓
  千束稲荷神社 (「8月20日は千束神社の祭りとて…」)
   ↓
  バス停   (お疲れさまでした)


吉原の話は皆さんにはどうかなあ~と言うと
「大丈夫ですよ!」

最後に何か質問はありますか?と聞くと
「一葉のペンネームの意味は何ですか?」

「たけくらべ」ゆかりの地めぐりとして案内してきたが
その間 ずっと
“樋口一葉”という作家のことを思いめぐらせてきたのか?と、ちょっと感動


久し振りに
聡明で、爽やかな中学生たちに出会えました。
2時間のガイドでしたが
心地よい、充実感が残る案内となりました。

練馬区立S中学生の皆さん、ありがとうございました。








紅葉散策は「京都」!

2014-11-26 11:38:56 | 日記
11月17(月)~18(火) 晴れ→曇り?→晴れ 

高校時代(50年+αの昔)の友人たちとの一泊旅行

どこが良い?
温泉に入って、お喋りが出来たらどこでも良いよ。

“そうだ 京都 行こう”
ということで 京都に決定!
宿は 琵琶湖畔の「おごと温泉」

MYさんの待つ京都駅へ
東京組、松山組が5分の差で到着!(この時点で意気ピッタリ)
「久し振り~」
歳を忘れて華やぐ 古稀を迎えた初老の5人

第一の目的地は「東福寺」
 “名にしおう通天橋の紅葉。三ノ橋川の渓谷を開いて連なる大伽藍。
  わが国最古最大、中世から伝わる禅宗建築も。” パンフレットより

通天橋から眺める紅葉は絶景とのこと
半信半疑で人の群れに続いたが…

う~ん!!!
自然の織りなす 見事な色彩の彩に
ただただ感服…

「龍吟庵」「光明院」「泉湧寺」紅葉に枯山水の庭園などなど
混雑を避けた
静かで、しっとりとした古都巡り

二日目は「西教寺」
山門から続くこちらも紅葉は真っ盛り!

織田信長の比叡山焼き討ちの際、災禍を被った寺の復興に力をそそいだのが坂本城の城主となったのが明智光秀
境内には
明智光秀の妻・熙子さんの墓があり、その周りには光秀一族が祀られている。
信長との確執は如何に??
光秀の苦悩がちらりと頭を過る

旅の最後は京都市内に戻り
錦市場で
どっぷりと観光客
お土産買って旅が終わりました。

紅葉散策は大満足
温泉での美味しい料理と時を忘れてのお喋り‥‥楽しかったね!
今回も 良い旅でした。

高槻市在住のMYさんと旅の達人EHさん合作の企画
さすが!でした!
お世話になりました ありがとうございました。
ところで来年は
蟹を食べに行く企画ですよね?
よろしくお願いいたします。


追伸
フォトチャンネルを見てください!
自己満足の傑作写真(?)をアップしていますので。







「二度目の修学旅行」?

2014-11-09 22:32:04 | 日記
11月6日(木)

「二度目の修学旅行!」
北海道の岩内から来られた御一行様は友人SYさんのご主人のグループ

私の役目は、二日目の浅草観光のガイド役
待ち合わせは、浅草随一のビューポイント:浅草文化観光センター8階

ところが
グループの一人、J子さんは足を痛めて動けない…
SYさんが付き添うとのことで二人を残しての浅草ツアーとなりました。

熟年の皆さま方
かつての浅草には何度も来たという方
歴史にとても興味があるという方
何でもよく知っているのに、熱心に耳を傾けてくださる‥‥

ガイド役の私は、冷や汗をかきながら何とか終了

浅草寺病院で診てもらったJ子さんの元気な笑顔を迎え
ご一行様はタクシーで次の予定地・日の出桟橋へ行かれました。


  11月9日(日)SYさんからメールが届きました。

    「本当にありがとうございました」
     この言葉を残し・・・
     Tさん夫妻は京都へ・打撲症のJ子さんは娘のアパートに移って行きました。
     一生の思い出!忘れられない修学旅行!になりました。

     浅草では本当にお世話になりました。
     N子さん・観光センターの皆さん・浅草寺病院の先生・皆さんが優しくてアクシデントも
     笑いに替えて(と言うより笑いっぱなしの)3日間でした。

     日は早起きして築地場外でお寿司を食べようと向かったのですが、歌舞伎座前で転倒!
     (それも無駄な力が入らない万歳スタイルだったのが良かった)
     外を少し散策して、美味しいお寿司もたいらげた後から少し痛みが出てきたのです。
  
     其のあとはご存じのとうり
     先生の“打撲症ですね”から俄然元気になつたのです。

     でも浅草寺病院の先生には、Tさん夫妻や夫もびっくりしていました。
     あんなに謙虚で優しい先生はみんな初めてだそうです。

     病院に詳しいJ子さんは“北海道に連れて帰りたい”と何度も言っていました。
     旅先で受けた(台東区の皆さまの)ご親切はいつまでも心に残ると思います。
     ありがとうございました。

     あれから日の出桟橋に移動してシンフォニーでのフルコースも美味しく頂き・夜景も堪能しました。
     さあ~下船時刻となったら、もう足が上がらず歩けないのです。
     車椅子に移り男性4人がかりで下船したのです。
     食べるまでは元気だから、もう苦笑するしかないでしょう。(本人が一番笑っていましたが)

     ~~略~~


SYさん、メールをありがとうございました。

J子さんはその後如何ですか?
浅草散策のご案内が出来ず残念でしたが、
観光センターや浅草寺病院のお医者さんなど、暖かい心の方々に接することが出来たとのこと
自分が誉められたような嬉しさを感じます。

笑いあり 涙あり 豊富な知識あり 
それに何より 優しさと包容力ありの
素敵な素敵な熟年グループにお会いできたこと
私も、仲間入りをさせていただいたような楽しさを感じました。
皆さんとの出会いに感謝します。ありがとうございました。


追伸
お土産に頂いたチーズと雲丹
ビールのつまみに最高ですね!
こちらも、ありがとうございました。


妙亀塚まつり/おばけ地蔵ご縁日

2014-11-03 10:39:35 | 日記
11月2日(土)
妙亀塚まつり/おばけ地蔵ご縁日

浅草北部の「妙亀塚(東京都指定旧跡)」と「おばけ地蔵」

   「おばけ地蔵」   
     かつてはこの辺り
     室町時代以来、禅宗の名刹総泉寺の境内地
     門前一帯はかつて浅茅が原と呼ばれた原野で
     近くを奥州街道が通じていた

     やがて総泉寺は移転し
     入口に祀られていた「大地蔵」は残され
     いつしか「おばけ地蔵」と呼ばれるようになった

   「妙亀塚」
     『梅若伝説』にちなんだ名称
     平安時代、京都からさらわれた梅若丸の悲劇は
     謡曲『隅田川』に描かれている
     我が子を探し求めて浅茅が原まできた母は
     隅田川岸で梅若丸の死を知らされ
     悲嘆の涙に明け暮れ
     小さな庵を作り髪をおろし
     妙亀尼となって亡き子の菩提を弔い
     ‥‥‥‥


かつては“浅茅が原”の「妙亀塚」と「おばけ地蔵」
時代は流れて
今は浅草北部・下町の「妙亀塚」と「おばけ地蔵」

下町にしっかりと溶け込みなじみ
辺りの人たちと同じ生活空間の中で
ごく自然に鎮座している

そんな「妙亀塚」と「おばけ地蔵」が 年に一度のこの日は“主役”

地元町会による縁日が開かれ
たくさんの人が集まり賑わっている

やがて夕やみが迫る頃
「妙亀塚」の前には特設舞台が作られ
謡曲『隅田川』が演じられる
 
シテは 坂 真太郎(ばん しんたろう)さん
観世流の能楽師で区内在住の方

シテと地謡のかけあいが
静かに 力強く 
下町に流れる
能の幽玄な世界が広がる

一瞬 
ここは“浅茅が原”? 
そんな錯覚が頭を過った。