ホリコは今…

見たり、聞いたり、感じたり、そんなものを何かに綴って残したい、そう思うこの頃です。

ふるさと「三津浜」2014

2014-09-29 09:50:11 | 日記
2014年9月23日(火)

何年ぶりだりだろう‥‥帰ってきました「三津浜」に

松山市駅から伊予鉄の電車で約15分
レトロで風格のある小さな駅舎「三津浜駅」
かつての面影を残してはいるものの
すっかりおしゃれに建て替えられている!!!
(ただ…周囲とはちょっと…以前の方が良かったのに…)

駅前のタバコ屋さん
シンボルの藤棚はなくなったものの建物は当時のまま?
(残っていてくれてありがとう、帰ってきた気分になりました)

6年間、住んでいた祓川町の自宅へは駅から歩いて5分
自宅は…もちろん…ありません
知り合いのおばちゃんが移り住み、その後すっかり新しく建て替えられているのです。
でも、おばちゃんは健在
孝行息子と団らん中に 「ごめんくださ~い」
優しい笑顔は当時のまま
「毎年、手作りを送っていただいたお味噌、美味しかったです」
「今はもう作れんから」と、おばちゃん
ごめんなさい、催促したのではないのです
おばちゃんのお味噌がとても美味しかったから
だから今も我が家は“むぎ味噌”
そう伝えたかったのです。

隣に住んでいた音楽のK先生
今は誰も住んでいる気配はない
会えることを期待したが…金沢に住む娘さんの所へ行ったとのこと

   介護車で 伊予から加賀の 夏の空
    心身とも駄目になりました。
    お便りを頂いてもご返事を出すことが出来ませんがお許しください。
    長い間いろいろありがとうございました。
    皆さまに宜しくお伝えください。   KH

   同期会の案内状に、返信が届いていたのです。

駅前から港へ続く商店街は
かつての繁栄は全く無し、下りたシャッターはそのまま錆びつき
残る店の看板だけが古の繁栄を語っています。
かつては
夏の港祭り、浴衣姿も嬉しく、花火を見た後アイスを食べながら歩いた賑やかな商店街…
今は
何も無い…けど懐かしく、寂しい。


三津浜の最後はもちろん友人との再会!
小学校時代よく自宅に遊びに行ったMTさんは花作りと猫のお世話
中学からの友人TTさんは、自宅の庭に茶室まで作っての風流生活
それぞれに
自分の生活を満喫しているようで、素敵に輝いていました。

TTさん、お土産に頂いた“さつまあげ”とっても美味しかった!
また行きます(帰ります)ね。
その時は、
「お帰り!」と云ってくれますか?














「秋山好古」は母校の校長!

2014-09-26 09:39:56 | 日記
9月21日(日)

≪秋山兄弟生誕の地≫

司馬遼太郎の「坂の上の雲」
テレビ放映とともに一躍クローズアップされた秋山兄弟
兄は秋山好古、弟は秋山真之

秋山兄弟生誕の地(愛媛県松山市歩行町)
かつて住んでいた住居が復元されている

受付にいた女性
どこかで会った?(何故か 懐かしい…)
馬上の好古、そして真之の胸像へ向かったとき
後ろから声がかかった「もしかしてHさん?」
受付にいた女性・高校時代の同級生・TKさん!
ここ、生誕地でボランティアガイドをされているとのこと!

私は
松山北高等学校在学中
かつてこの学校で、秋山好古が校長として奉職していた?
もちろん、秋山好古なる人物がどんな人だった?
全く知らなかった‥‥‥
なぜ???
TKさんが答えてくれた
「あの時代、できなかったんですよ‥‥」
そうか…何となく分かった気がした

でも今
道後温泉に近いこの場所で
馬にまたがり、堂々と騎兵団を指揮する大将・秋山好古がいる
そして晩年、6年間奉職した“北豫中学”
校長時代の資料が展示されている

この生家から、一日も休まず精勤されたとのこと
終生、私利私欲なくただひたすら
己のやるべき道を誠実にやり遂げたのだろう

秋山好古という人物
急に身近に感じられ、同時に、尊敬の念が沸き起こる


市のメイン商店街・大街道には
「坂の上の雲 再放送」の大きな垂れ幕
10月からの再放送
今度はじっくり、見させていただきますね。

TKさん、ありがとうございました。






松山でも“古稀の会”

2014-09-24 21:40:51 | 日記
附中同窓会のご案内

大変暑い日が続いています。
今年は台風の影響から四国にもめずらしく豪雨が降っています。
皆様お元気でお過ごしのことと思います。
昭和35年に附属中学校を卒業して半世紀以上が過ぎました。
今年は附中ABC組・附小合同同窓会が古希の会として行われます。
楽しかった附小・附中時代を思い出して盛り上がりましょう!
是非出席してください。

日時 平成26年9月21日(日)18:30
場所 国際ホテル松山


案内状が届きました
「もちろん出席します」

大好きな学校でした
小学1年生から中学3年生までの9年間
   塾に通うこともなく(当時、塾はあった?)
   勉強に追われることもなく
   受験に悩むこともなく 
   体験学習や行事がとにかく多かった
   毎日が楽しくおもしろかった
そこで私たちは
さまざまな体験を通して、いつのまにか勉強をさせられていました
(勉強したという記憶はほとんどないのです…)

≪理想的な教育≫が行われていたと、今でもそう思っています。


恩師のK先生が出席されていた
英語の先生です
苦手な科目だったのでこの歳になっても声をかけるのに躊躇…
(50数年経ったのに、70歳にもなったのにです)
でも声をかけました…
「憶えていますよ~貴方は運動が得意だったね~」
 (やはり、英語ではなく運動…)


「先生は何人も卒業生を出しているのに、よく憶えていますね」
よくそう言われます。
でもね、先生って生徒のことは結構憶えているものなんですよ。
「勉強ができるできない」子供の時には重大問題でしたね
でも、勉強ができるって何? 
そんなことは全く無関係!
“勉強”ではないんですよ!!
   何かに向かって輝いている
   何かを求めて頑張ろうとしている
そんな教え子はいつまでも心に残っているものなんですよ。


そして
古希を迎えた今、大切なことってなんだろう?
《好奇心》と《行動力》
それが元気で生きる原動力かな?


したまち灯りのアート「浅草燈籠会」

2014-09-18 10:03:22 | 日記
9月13日(土)~9月27日(土)

秋の気配が漂い始めた今日この頃
浅草寺境内の西側一帯が幻想的な雰囲気につつまれている

日中の賑わいは何処へ?
ここが浅草?浅草寺?

浅草寺本堂の西側、影向堂付近は
素敵な灯りのアートの世界

『皆様に愛され育てて頂きました「浅草燈籠会」をお陰様で今年も開催する運びとなりました。
今年は「彩る」をテーマに浅草寺境内周辺を会場に彩りと活気溢れる開催を目指します。
ライトアップされた現代的なスカイツリーとほんのりとした古典的な燈籠会で秋の夜景をお楽しみください。浅草燈籠会実行委員会』


一年365日
毎日がお祭りのように賑わっている浅草
しかし
日中のとばりが下りるのを待っていたかのように人波は去り
静かな浅草が訪れる

仲見世シャッターの「浅草大絵巻」
本堂・宝蔵門・二天門・五重塔のライトアップ
そして伝法院通りの「江戸の町並み」

そんな浅草をブラブラ歩くのが楽しい
それに今は「燈籠」が趣を加えているからもっと楽しい

皆さん~
夜の浅草、素敵ですよ~
(ただ、商店はほとんど閉まっていますが…)




今日のガイドは「上野戦争に関わる史跡」

2014-09-15 10:09:46 | 日記
9月13日(土)

爽やかな初秋の一日
久々の「上野コース」ガイド
お客さまは春日部市の「ふれあい歴史塾」の皆さん
テーマは「彰義隊の上野戦争に関わる史跡」

いつものように西郷隆盛像の前でご対面
お客さまは同年代(?)にホッ…

まずは「西郷隆盛造」と「彰義隊の墓」
・もっとも激戦区となった黒門口攻撃の薩摩隊の隊長として指揮を執った「西郷隆盛像」
・彰義隊戦死者266人が荼毘にふされた「彰義隊の墓」

南向きに堂々と立つ「西郷象」
その後方、木陰にひっそりと「彰義隊の墓」
まさに“勝てば官軍、負ければ‥‥”の世界ですね~
お客さまもシンミリ‥‥

次は「清水観音堂」
ポイントは上野戦争の絵馬と砲弾の実物
その前に
再現された「月の松」に感嘆の声!
当然ながら記念撮影

せっかく上野へ来られたのだから「上野東照宮」も如何ですか?
上野に東照宮があることを知らなかったとの方も
大修理が終わった総金箔の「唐門」立ち並ぶ「銅・石の灯篭」に凄いね~
そして
皆さんのしばらくの話題は
「石造り明神鳥居」“石がどうやって岡山から運ばれたのか???”

最後は輪王寺に移築された「寛永寺旧本堂表門」
大きく開いた砲弾の跡…
“こんなのがバンバン飛んできたら一溜りもないね~”


~~上野のガイドはここで終わり~~

お客さまは昼食後、寛永寺の特別参拝へ
そこでじっくりと「東叡山寛永寺」のお勉強

ところで
毎年5月15日、「彰義隊の墓」墓前で行われている慰霊祭
「円通寺(荒川区)」に移築されている「黒門」と彰義隊士の墓
これらの写真はフォトチャンネルに掲載しました。
興味があったらご覧ください。