
向上とは、自分もまわりも楽に生きられる方法を知ることと申した。
ところがほとんどの者は、
『向上するとは、上へ上へと向かっていくことだ』と思っていよう?」
「はい、そう思ってます。」

しかし上へ上へと追い求め続けると、人はだんだん苦しくなってくるのじゃ。
まわりの者も苦しくなる。なぜか?
常に上へ上へと追い求め続ける者は、根底に
『今の自分ではダメなんだ。』
『今の自分では、何かが足りてない。』
という自己否定の感情をもっておるからなのじゃ。
この感情はやっかいでのぉ。ことあるごとに自分を痛めつける。
「上にはもっと上がいるぞ。」
「なのにおまえはなんだ、まだこのレベルか。」
「これではダメだ。」
「もっと上を目指さなければ・・。」
根底に自己否定の感情をもっていると、どこまでいっても自分を認めてあげることができない。
自分を認めてあげていないので、まわりの者も認めてあげることができぬのじゃ。
これは先ほど鏡の法則で申したとおり。」
そう言うと、なんでも仙人はめずらしく真面目な顔をした。

「はい。」
わたしは少し緊張しながら、この一風変わった師匠の言葉を待った。

むしろ自分の不完全さをどれだけ許してあげられたか?
相手の不完全さをどれだけ許してあげられたかにある
「えっ?!」
わたしは息をのんだ。
自分の不完全さをどれだけ許してあげられたか?
相手の不完全さをどれだけ許してあげられたか?
向上について、こんな言葉を言った人は今までいただろうか?
『向上とは常に自分を磨きつづけることだ』と私はずっと思ってきた。
そうじゃないのか?
なんでも仙人が言うように、不完全さは許されてもいいのだろうか?
なんでも仙人はそんな私の心の動きを見守るように、少し言葉をおいた。