先日、なんでも仙人講演会にご参加いただいた方から、こんなご質問をいただきました。
「思考は現実化する」と、「宇宙の大きな意思に導かれる」の違いとは、なんなのでしょうか?
この二つは矛盾するように思うのですが・・・。
「思考は現実する」とは、自分の意思がはたらいているのに対し、
「宇宙の大きな意思に導かれる」は、まさに宇宙におまかせ状態。
自分の意思とは違う展開をしたりする時があります。これって、どうなんでしょうね?
深い質問ですね~。
こんな深い質問、わたしは問いかけたことないです。
なので答えられません。

教えてください。なんでも仙人~っ!



みなで『愛』について学んでいる。
どれだけ自分を許してあげられたか?
どれだけ相手を許してあげられたか?
これがみなで向かっているゴールなんじゃよ。」





思考が現実化したのか?
役割として導かれたのか?
どっちですか?」

『人を救いたい』『宇宙の真理を知りたい』というもの。
それを達成する手段として、本の出版や、講演・カウンセリング・光との対話などがある。
『人を救いたい』『宇宙の真理を知りたい』は、そち自身の課題でもあり、
宇宙全体が調和・統合に向かっていく、ひとつの流れでもある。
人は大きな宇宙の流れにのりながら、その者の課題を達成するために必要なものを、
思考をつかって引き寄せておるのじゃ。」

そういうものに執着があまりない場合では、
セレンディピティやシンクロニシティの起こり方が違うのでしょうか?」

魂の世界は思考の世界、想念の世界ゆえ、思ったことがすぐ目の前に現れる。
『あらゆるものとつながれる』という表現が近いか。
それに対し、執着がある者は、よりこの世的(三次元の世)で、
思ったことが実現するのに、時間がかかる。
なかには、自分の思考を実現させようと、余分な力が入ったり、
家族や、自分の体のバランスを崩してしまうこともある。
しかし、どちらがいいか?ということではない。
みなそれぞれの段階があり、自分に合った場で学んでおるのじゃ。」

イメージする時、どれくらい嬉しいと感じているか?どれくらいワクワクしているか?など。」

その時でてくる想いは、とても純粋で、具体的というより、抽象的なもの。
そちで言えば、「本が出版したい」を掘り下げると、
「多くの人を助けたい」と想っている魂の声がある。」

中継終わりま~す。」