ありえない連休(続き)

2010-05-29 21:42:21 | Weblog
(このページを書いてる今はバンコクが平常になった)

2週間前、私の国「タイ」では反政府デモがあって、
一般人の生活にかなり影響を与えた。
実は、デモが3月末から始まって、本番の衝突が起こされるまで
突然仕事を置いてすぐに帰ることなどよくあって、
困難に仕事をしていた状態はほぼ2ヶ月続いていた。

平和な町だったのに、赤組がメインビジネスセンター
(ラーチャプラーソング通り)に入ってきて、
この町は瞬時に変わった。あの通りには7ヵ所のデパートがあって、
すべては営業休止となった。私がいつも遊んだりした好きなデパートも
2ヶ月ほど閉めていたが・・・


5月13日になって、「午後6時、赤組の周りの通りを通ってはいけない」って
政府がバンコクの人・会社に通知をして、多くの人が慌てて早く家に帰った。
何もないかもしれないと思いきや、赤組みの一人メインメンバーが暗殺されたから、
火をつけられるように、バンコクは絶対混乱になると思った。


翌日(14日)「今日、休み」って会社からの連絡が届いた。
一方、私の友達の会社は通常に働かせた。危険な状態なのに、
スタッフの命より、会社の動きのほうが大切にして、最悪だと思った。
家にいた私はメールを通してずっと友達と連絡を取った。
彼女は会社にいたが、銃声がずっと聞こえて、集中をできなかった。
最初、あの銃声はまだ遠く聞こえたけど、だんだん迫ってきて、
会社の窓から外を見たら、向こう側には軍隊にいっぱ居たことを
見ながら、彼女の会社のビルの隣も赤組(一部)も居た。
当日午後2時から帰らせるという社内報告があったらしい。
けど、12時から事情はどんどん厳しくなって、すぐに帰らせることになった。

ずっとメールを連絡してるなのに、彼女のメールが突然消えて、
心配して電話してみた。私の電話を受けてくれたら、
「今、会社を出るところだよ」
「どう帰る?」ちょうどあの日彼女がスカイトレーンで行ったから、
その危険な状態では駅に歩けなかったりしたよね。
「まだ分かんない」って慌てて答えてくれた彼女の声を聞くと、
非常にパニックになったじゃないかなと思った。
「ちょっと落ち着いて!」って言って、気づいたら、
彼女の電波がなくなったらしかった。

10分過ぎると、携帯メッセージ(タイでは携帯メールがなく、携帯ショットメッセージ(SMS)
を送る国だ)を送ったら、彼女がすぐに電話を返してくれた。

「今、どこに?」
「同僚の車だ」
「あ、安全になってよかった」
「だけどさあ・・ずっと銃声が聞こえてるよ」
「まだ?」
「うん・・・」
「ひどいね。家に着いたら、メッセージをちょうだい」

彼女は家に着いたっていうメッセージを送って、
その夜MSNで話していたら、「今、泣いてるよ・・」って彼女が言った。
「何?」
「生まれてこんなひどい目とあったのは初めだったの。
すごく怖くて・・もし打たれたら、誰が責任を取ってくれるの?」
「今、ニュースを見てる?」
「見てる。なんで?」
「見てやめて。昼はひどく体験をしてその時からずっとショックをしてるでしょ。
安定になってない気持ちだから、テレビとか見れば見るほど、もっと悲しくなると思う」
「でも、やめられない」
「バカだろう。私が言った通りにして。小説とか読んで、
今より落ち着いてニュースとか見たら、どう?」
「うん、頑張ってみる・・・」

私は彼女のようにひどく体験をしてなかったけど、
普通O型の人が一瞬パニックになったら、パニックな気持ちを抑えがたいと
よく分かった。(私も友達もO型だから・・)。
さらに、友達が考えすぎたら、寝れなくなるタイプなので、
これ以上そういうことを思い出したくなかった。

15-16日は土日だったけど、16日(日)の夜は
「明日まだ危険だから、休む」ってメールが届いた。

私の地元はバンコクじゃないから、危険な気配は全然なかった。
一方、すごい危ないところに近く住んでる後輩によって、
「爆弾とか、銃声の音とかずっと聞こえたよ。昨日の夜も、
ここら辺の電気が切られて、すごい大変になった」って語ってくれた。
その後輩は金曜日までずっと爆弾の音+重税を聞こえたって。

ラーチャプラーソング通りに集めた多くの赤組は20日(木)に解散したが、
混乱の状態は22日(土)まで続いていて、24日にはバンコクにある会社は
再スタートした。本デモが始まってから終わたまで、ちょうど10日間の
スペシャル連休をもらった。

仕事上では、私より経理担当たちはかなり影響を与えられた。
商務省に提出するまで年次決算を作成したり確認したり、
2週間を残ったのに、10日間休んだせいで、1週間しか残ってなかった。

24日通常に働けていても、外出禁止令が実行されて、
遅く夜まで残業するつもりの子はいるはずだったけど、
実際にできないから、もっと大変になってる。

日本ではこういうデモがあったかどうか、外国人の私は分かりませんが、
どの国でもこういう危険な状態がないでほしいですね。
私は生まれてから今まで今回のデモは3回目だと思う。
1回目はこれ以上何倍よりひどかったけど、
今回は一番身近なことだから、怖くなってしょうがなかった。

今、バンコクの平和が戻ってきたって言われたけど、
みんなの奥の心に同一の答えを持ってる。
これはデモが本当に終わっていないことなんだ。
お金の力は正義より強ければ、本当の平和がいつか戻れるだろうか。

「微笑みの国」というイメージはこれから本当に消えるかもしれないのかな。


体調回復中

2010-05-23 23:58:51 | Weblog
本デモが始まったと同時に、私の体調は崩れしてしまった。
最初、頭痛がして腰も非常に痛かった。結局、高熱が上がった。
解熱剤を飲んでいいと思って普通の解熱剤を飲んだけど、あまり効いてなかった。
翌日は生理があって「あ~普通の解熱剤はだめじゃん」と分かって、
(生理中の熱はどれだけ辛いなのか、女性の方がご存知ですね)
薬屋で専用薬を買って飲むことにした。でも、なかなか効いていなかった。
基本は、病院へあまり行きたくないから、我慢できる限り、
薬を飲んで寝る場合が多かったのに、今回もう耐えられないため、
病院に行ってみた。09年手術後、人間ドックもしなかったから、
超音波検査を受けた。すべてはセーブだった。
火曜日すいぶんよくなったと思い込んだから、
好きな冷たい飲み物を飲んじゃった。これは大きいミスだった。
実は、昼間は熱が下がって、夜は高熱が再び上がって、
体調がよくなったとはっきり言えない状態だったね。
ずっと吐き気をして、寝たり起きたりした木曜日の夜には
非常に苦しかった。やっと限界を超えて漢方薬で挑戦してみたくなった。
(母はよく漢方薬を飲むから、よく行く漢方薬お店を知っている)
お店から帰って、出来上がった漢方薬を飲む前にあれをじっと「見てた」
真っ黒のスープのようで、匂いも激しくて飲めるかとおぼつかない気持ちが
いっぱいあった。甘いのみものとかを準備しておいたほうがいいよ、
母にそういわれて、どれだけ悪い味をするかと思いながら、暖かい甘い飲み物を
準備しておいた。飲んだら・・・

「人生の中に一番苦い最悪の薬だな」と思った。

三日連続で朝・夕の毎飲まなきゃいけないから、
言葉が出れないくらいすごく大変になったが、
本当に効いてる!腰痛も消えて、熱も下がってる。
月曜日の夕方、あの先生に体調を再診てもらう・・・
けど、これ以上飲みたくはない。T_T

1週間弱ほど熱があがったのは初めだった。
一人暮らしだったら、おそらく死ぬかもしれないね。
食欲があったが、体が応じないことも辛かったね。
バンコクは反政府デモが終わっていない間に私の体もデモをやったみたい・・・
デモが終わったから、私の体調も早く良くなるように、願ってます~

「ありえない連休」は体調回復の後、書いて続けますので、
少々お待ちください。

ありえない連休

2010-05-15 13:56:01 | Weblog
13日の朝

いつものように会社に行っているところ、都内の雰囲気がなんとなく変だなって思った。
私が毎日通る道は軍隊がなかったのに、なんで今日ここまで入ってきたのか。

午後

インターネットニュースを読んで、
今日夕方6時からメイン通りが通れなくなるって書かれた。
副社長は4時半仕事を終わらせることを決めた。
私の帰り道は高速度尾路を通るから、問題がなく6時家に着いた。

19.50時に友達の電話を受けた。
「着いたばかり・・会社が4時弱終わったのに・・」
彼女の会社はビジネス通りにあるから、車が大変込んでた。

友達の電話と同時に、「赤組の一人メインメンバーは射撃された」というニュースも
流れた。金曜日には今よりひどくなると思った。
私の会社は休むかどうか、翌朝まで連絡を待ってしょうがなかった。


14日

6時ごろ起きて、携帯電話をチェックして何の連絡がまだ届かなかった。
シャワーを浴びて、化粧とかして始めたら、会社が休み件で連絡が届いた。
でも、別の会社で勤める友達は通常に働く。危ない事情なのに・・・・

会社が休んだ私と働いてる友達はメールで連絡してた。

「ここら辺はだんだん厳しくなってる・・・ 働きながら、銃声が聞こえてる。
もう帰りたい!」という彼女のメールが入ってきた。



(続けは後ほどです。私の体調が昨日の午後から悪くなって、
熱が出たから・・ちょっと休憩を取ります)



土曜日

2010-05-10 01:29:23 | Weblog
この間、なんとなくやる気がなかった
なんでだろう?って私がこの一週間ずっと思っていた。
話題がなくて書けないこともじゃない。
仕事の疲れ?・・・かもしれない。
最近、ペーパーワークよりお客さんとのミーティングのほうは、
かなりしんどいだ!
先々週のミーティングから本当に書きたい話があるけど、
やる気がなかったから、まだまとめてない・・

でも、明日か明後日か絶対書きます~~~

とりあえず、土曜日に元宮殿の前で写真を撮っていってきた。

5月5日には王様が即位した60周年になって、
ラーチャダムネーン通りで祝典を行われた。

人は本当に多かったし、気温もすごく暑かったし、
普通より大変になった。

じゃ、写真をご覧ください。


元宮殿の前で。詳細は後ほど。


King Rama the 5thの記念碑 (現代、King Rama the 9thの時代)


ハート形の花火


頭上のハート形の花火


最後の写真。ちょっと失敗の感じをした。


では・・明日のミーティングのため、
心を準備しよう。T_T

(書いている今は日曜日の夜です)