今週の忙しさ

2009-02-27 10:40:18 | Weblog
自分が弱くなったな・・と気づいた原因は今週のスケジュールだった。
月曜日はまだまだ自分のペースで仕事をできたけど、
火曜日はだんだん忙しくなった。
特に昨日(木曜)はバカみたいに忙しかった。
午前中、お客さんの工場を訪ねて、
会社に戻ったら、私に電話がたくさん来た。
午後4時になると、めまいになって、
仕事を完成したまで我慢してしょうがなかった。
その時は「本当に弱くなったな」と思った。

実は、退院して3~4週間休まなきゃとお医者さんに言われたが、
休められなかったから、体調が悪くなった時もあった。

今、朝なのに、体はどうして本当に疲れたかな・・・
早く帰りたい(まだ朝9時なのに?笑)

明日の予定
再び血液検査する
そして、デザイン授業を勉強する
その後、後輩に日本語を教える

だが、体調が本当に悪くなったから、
病院で血液検査して終わったら、家にゆっくり休む。

先生、後輩たち
来週の土曜日会いましょう。T_T
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金曜日の夜

2009-02-23 15:10:15 | Weblog
先週の土日は葬式に行くべきでしたが、
土曜日、起きたら、手術された傷は痛くなりました。
さらに、最近の気温はだんだん暑くなって
力がどっかに消えたみたいでした。
それで、日曜日の式を欠席させてもらいました。

日曜日、ずっと家にいたのに、
日記を何か書けばいいかなと悩んでいました。
今、正直言って、頭があまり動いてないと思います。
もしかしたら、親友と外食した金曜日の夕方から
頭が動かなくなったかな・・・

彼女はちょうど地元に1週間帰ってきて
一緒に外食しようと思って、
先々週の日曜日から会おうと思いましたが、
私のおばあちゃんが急になくなったから、
会えなくなりました。
ハードスケジュールの中に最後のチャンスとして
金曜日の夕方ごろ、外食できました。
去年10月から全然会ってないわけで、
話が本当に長くて長くなりました。
会計の時、「まだ満足してないのに、解散しなきゃいけないか?」と
彼女が言いました。
別れの時も、駅の改札入り口の前にしばらく立って、
ほかの友達も私でも帰れるわけがありませんでした。
突然もう一人の子もこういいました。
「あんた帰らなかったら、こっちも帰れないよ」って。
そう言われたら、素直に帰ってくれました。

彼女は本当にさびしそうに見えました。
彼女の親友たちは一人一人帰国しました。
一緒に泣いたり笑ったりした仲間は
今ほとんどいなくなりました。
だから、寂しくなったと思います。
今年いっぱいまだ日本にいるといってくれましたが、
来年はどうするか、帰るかまだ迷っているみたい。
もし寂しさを耐えなかったら、帰国する可能性もあります。

こんな時・・・彼女のためできることはないな・・・と思います。
でも、私は頑張っています。
今度会いに行くよう頑張っています。

絶対できます。

神様、応援してください。
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ギン・レーウ・オーン

2009-02-20 13:34:12 | Weblog
「ギン・レーウ・オーン」という言葉は何だろう?
最初、社長さんに言われたら、不思議に顔をしました。
何の言葉か?タイ語?なんで意味が分からない気がしました。

「何ですか?」と社長さんに聞いてみました。
社長さんは「それ」を言いながら、
パソコンの隣置いたコップに指しました。
「ギン・レーウ・オーン・ナ」もう一度言われました。
とうとう理解できるようになりました。

社長さんは健康のことを大事したり、
食事生活も大切したりする人なんです。
甘いものを少ししか食べない人らしいです。

一方、私は食後に必ず甘い紅茶など飲まないと、
一日元気になれない人間です。

「毎日見たよ。なんちゃんは毎日・・朝も昼もよく飲むよね?
それは太い原因だよ」と説明してくれました。

「大丈夫です。今も太っています」と答えたら、
「今より太くなる」と言われました。

ギン・レーウ・オーンというのは
「よく食べたり飲んだりしたら、だんだん太くなる」という意味です。

私は最近ほとんどそういわれました。(苦笑)

だから、分からないように(密かに)飲むことにしたほうがいいと思う。

昨日、オフィスでつい飲んだから、「あれ!」を言いながら、
マイコップに指しました。
そうすると、見えないように体でコップを隠しました。(笑)
社長さんは微笑んだけど、「オーン」(太いだよ!)をまた言われました。

社長さんに心配かけるかもしれませんが、
食後甘い紅茶などの性格は直せにくいと思います。
そう言っても、少しずつ減らそうと思います。
(できるかどうか、別な話です)

太い話、以上でした。


ps、社長さんはタイに15年以上仕事している日本人です。
だから、たくさんタイ語ができます。
でも、太いという言葉を知らなかったら、良かったのに。

PS2、今週の土日はおばあちゃんの葬式だから、
日記を書けないと思います。
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はあ・・・

2009-02-17 19:45:04 | Weblog
最近、非常に忙しくなって日記を書けなくなるじゃないですが、
疲れすぎたから、書けなくなった。

その訳とは

私のおばあちゃんが突然なくなったから、
おじさんのところで葬式を行って
行かなければならないことです。

疲れたり、悲しかったり、情けなかったり
いろんな感情が浮かんできました。
おばあちゃんの体調が悪くなって
もう102歳になったから、なくなる可能性も高いと
ほとんどそう思いました。
だから、10年か15年か全然おばあちゃんを訪ねたことがない親戚でも
急に訪ねた。
なくならなかったら、来ないか?
なくなったら、涙を流すのか?
何のためなのか?本当に情けないと個人的に感じました。

母のお母さんだから、私の母は誰より泣きました。
やっぱり、親子の絆は深いだね、と思いました。

私の両親はまだ生きています。
でも、いつか望まない日も届いてくるでしょう。
みんなもいつかこの世を離れるじゃないですか。

私も両親も読んでいる方も
死なない人は一人もいない(と思う)
それで、生きている間に後悔しないよう
大事に生きましょう。
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年一度の私の日

2009-02-13 01:04:29 | Weblog
最後はやっと来た・・・

それは最終の29歳の日だった。

悲しいという気持ちはあったけど、

今もうなくなった。

29歳の時が始まって、いいことがありますように
自分が信じたが、いいことはなかなか届いてくれなかった。
なんで?そういう気持ちばっかりだね、08年の29歳だった。

09年は明けて焦った気持ちはそのままだから、
1日になると、もう我慢できなくなかった。
良いことよ、早く来てくれてねって空上げながら
よく言った。
バカみたいだけどね。へへ
29歳は本当につらかった。
だから、早く30歳になりたくなった。

で、今日は30代に入った。
変わったのはただ数字だけだよね。
つらいか、苦しいか、
幸せか・・・すべてはタイミングによって起こるものだと思う。

偉そうに見えるかもしないけど、
つらい時期があったからこそ、
幸せになると、本当に幸せになった。
例えば、2年くらいずっと引いた謎の痛みも治せた。
就職ができたこともひとつね。
その人は私の元居場所に来て、私がずっといた場所に来てもらったことが
分かると、なんで私はずっと微笑んだ???
幸せはこんな感じかとさちょちゃんに聞いて、
「うん、こんな感じ」と答えてくれた。
あ・・・こんな感じか・・・・
その後、なんでも楽しんでる。
本当に楽しんでるわ。
その時になったら、どうになるかな? とか
どうしようか?とか 
これを考えただけで、胸がわくわくしちゃった


もう30歳になって、どんなことをやるのかというと、
仕事のことはきちんとできる子になるつもり。
ぜっかく働かせていただいてるから、
能力以上に頑張らないとね。

彼のことは
できることもいつものようにやるから、
運命に任せてる。
そして、ご本人次第だね。
紹介して来てもらったことは私が書いたことに対して
信じてるじゃないか。
信頼をしてもらってそれは何より貴重なものだな。
彼の信頼だけじゃなくて、
みんなからの信頼も貴重なものだよ。
みんなの支えがあるからこそ、
今の私がいる。

両親
仲間
その人たち
そして、昔の私自身
つらい時でも幸せな時でも
全部忘れない私

全部あわせて
今の私を作ってもらった。、


じゃ、30歳の私は始めるよ!!!


ps、顔を若く見えたら、30代になっても、
全然平気だ(と思う)
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千差万別 (長)

2009-02-11 15:00:51 | Weblog
「病院物語2」を書いていますが、
なかなか進められないです。
なぜかというと、仕事は書く時間がないほど
ずっと入っているからです。
「へぇ~今書いてるじゃないの?」と思われる方が
いるかもしれませんが、
病院のことは専門用語をチェックしてから書けるから、
大変時間がかかります。
でも、思い出したこととか、
自分用語(新しい言葉かな?)だったら、
すぐに書けるですね。

私が「千差万別」について書いてる意味は
お客さんのことです。
まだ一ヶ月経てないのに、
たくさんお客さんと出会えました。
その中には本当に緊張感をつけられた人も
含めました。
その中には「人はただ肌を見るだけで、信頼できない」
という考えをもっと深く踏みしめた場合もあります。

Edit

(昨日、夜7時半くらい会社を出て、
8時半くらいやっと家に着きました。
また日記を書きたいなと思っていても、
疲れすぎたから、書けるわけがありませんでした。
続き・・・)

2件の例を挙げたいと思います。

「几帳面」のケース
私は時々几帳面だといわれました。
几帳面ということはいったいなんだろうかと
ずっと疑いましたが、
やっと分かりました。
ある会社の駐在事務所の方のことなんです。
その方のしゃべりは聞いたら、
う・・・ん凄く早い!!!と思いました。
私が外国人だからこそ、その感じたのは
当然ですが、日本人の間でも、
非常に早いと何回も言われるそうです。
私はコーディネーターですから、
税金支払い、公務資料などはまだ分かりませんでした。
(今、すこし理解しましたが・・・)
先輩の代わりに連絡などしたりした最初日には
「私は本当に忙しいですよ。理解してから連絡してもらいます?
そうしないと、時間は無駄です」といわれました。
その瞬間、エアコンをつけたのに、
冷たい事務なのに、おでこがたくさん汗をかきました。
そういわれたら、ぶちキレたまで感じましたが、
お客さんに対して何か言うのは失礼だから、
言いませんでした。
でも、「無駄」という言葉に対して悔しかったです。
大丈夫、今度絶対ない。文句など言われないよう
すると思って、頼まれたことをちゃんと理解して、
まず文章として説明しました。
メールを送って5分後、そちらの電話も鳴きました。
電話をうけた時、また文句かな・・・などに不安でしたが、
そうではありませんでした。
書いた詳細は理解してくれてよかったです。
社長さんこのことを話したら、
「xxさんは全部分からなかったら、不安になる。
だから、こんなに几帳面な人だと思われる」
不安だから几帳面?・・・
とじっくり考えてみたら、なんとなく理解できました。
その後、その方との連絡があるならば、
私はまず連絡話について明らかに理解してから、
メールや電話など連絡することです。
こういう方法を使ってみたら、
最適だと思います。
そっちも文句などないですけど、
別な話を依頼されました。(苦笑)
そして、依頼されたことに対して
ちゃんとありがとうなどを返事してくれました。
しかし、良い印象は少しずつ持ってるようになっています。

いい勉強させてもらって感謝しています。


「いい感じだったなのに、実は・・・」ケース

このケースは未だに解決できないですが、
私は担当者じゃないですし、1ヶ月経ってないで
働いていますから、直接に影響を与えられないです。
でも、一人の先輩は詳細に分かって、
「痛い通訳さん」のことを嫌いになりました。
あの通訳さんはコーディネーターの仕事も担当しているそうですが、
ちゃんと調べなくて勝手に決めた場合もありました。

VATという言葉は分からない方もいると思います。
日本語訳して「付加価値税」という意味ですが、
今からVATを書かせます。
VATの作成する時には会社登記の住所が必要です。
日本人上司だからこそ、タイ語の住所を覚えにくいですね。
それで、通訳さんは名刺くらいの住所カードを作って、
上司に渡しました。
全部の費用例えば、外食費などはお店からのVATを求める時、
住所カードを見せたら、作成できると聞きました。
だが、その会社の住所は長いところもあるから、
通訳さんなあのカードを作る前に必要がないと思い込んだところを
カットしようと「友達」に教えられて登記のものを無視したことも
会議室が分かりました。
その方の上司がこの話を知ると、怒ったと私も見ました。(当然?)
友達じゃなくて、公務員などに相談したら、
正しい情報が分かるはずなのに。

さらに、うちの先輩が怒ったほど、
何回も同じことを聞く話も語ってくれました。
聞かれたら、何度も説明しましたが、
翌日などにまた聞かれるそうです。
しかも、うちは何も説明したりしてないことを第3者に
言いました。
(第3者はちょうどもともとこちらの社員みたいだったから、
言ってくれました)
先輩はその件でこういいました。
「最初、いい感じなのに、なんでこんなことになったか・・・」。

そうですね。人間というものは謎のようだと思います。
最初、(何の関係でも)付け合って悪くないね・・
あ、この人はいい・・とか思った時はあるではないですか。
しかし、時間が経って、なんでこんな性格を持ってるのか、
などなどの謎が出てきたら、「よく観察しないから、
つい信頼した。自分のミスだな」と思う人がいるかもしれないですね。

2のケースのポイトは最初の印象と今のものが逆さになったことです。
最初ちょっと悪かったな・・とかちょっと苦手な・・とか
思ったのに、見直すことのおかげで、理解できた。
最初いい感じだね・・とかこの人一緒だったら(仕事上など)
うまくいくな・・とか思ったのに、
結局のところはとんでもない人だと分かってて、
落ち込むんでしょうがないですね。

全部を読んでもらって、共感してないかもしれないですね。
やっぱり人間は千差万別からですね。


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能力アップ

2009-02-05 10:21:42 | Weblog
この会社で働いてアップできてるのは
聞き取りの能力かなと思います。

日本に何年か暮らしても、
日本人が早口で話したら全然分かりませんでした。
(今でも、笑)
しかし、この一週間しか働かなくて
なんで能力アップできてるだろうか?
私だって不思議に思います。

お客さんに来社された、
社長さんが仕事などを教えてくれたりする
そういう毎日だから、
日本人の早口がだんだん聞き取れるように
なってる気がします。
なぜ気づいたかというと、
嵐の宿題くんを見て、
普通だったら、全然聞き取れない時もありました。
でも、今少なくなっています。
これはいいでしょう。
(仕事に対していいじゃなく、嵐の番組に対していい
ということは変ですね。

それでは、お客さんに電話いたします

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病院物語1

2009-02-03 17:13:07 | Weblog
読む前
この話はちょっと長いですし、医学の専門用語は実に知らないですので、
秘書を引いて言葉を適当に使いました。それで、ヘンな言葉は全然
意味を理解できない場合はあると思います。先に申し訳ございません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は元々異が弱くて小さいころからずっと淡水飲み物が禁止だとお医者さんに言われました。
そういわれても、母が知らないように何十年コラーをよく飲みます。(苦笑)それで、
よく胃が痛かったり腸炎になったり病院に行きます。今度もそうでした。


去年、ずっと同じところに痛がったが、我慢して大丈夫だといつも自分に
いいました。日本語ができると言っても、医学の専門用語は難しいだと
思いましたから、そこの病院に行かないほうがいいと思いました。
いつも大丈夫だよと思う原因になったでしょう。国に帰ったら、病院へ普通に
行くことにしました。実は去年の年末から詳細に診断しようと何回も言われましたが、
血液検査用の針などが怖い私は絶対行かないよぅぅぅぅとずっと思いました。
しかし、自分は自分の中に異変が絶対あると分かりました。(変でしょ?)


前週の水曜日には変な夢を見ました。内容は全部覚えられませんでしたが、
一番残っているのは「5555」という数字でした。目が覚めたら、どうして
この数字しか覚えられないのか、自分でも不思議だと思いましたが、ただ夢だと
思って気にしませんでした。その日に普通に仕事して体調悪くなって(また)
病院に行きました。しかし、今回は本当に別の話になりました。


我々の体は左右があります。左のほうに痛みが起こったら、病気も一つ、
右の方に起こったら、別の病気になるということは不思議なことではないですが、
ずっと左のほうに痛かったのに、右のほうまで痛みが移動したなんて、
「なんで???」しか疑いませんでした。 お医者さんにお腹の右を押されると、
「いたいいいいい」と悲鳴をあげました。その様子はちょうど盲腸炎の痛みと似ている
から、入院してほしいと言われました。本音は一週間しか仕事を始めないから、
休暇をとることは失礼だと思って、あまり入院したくないですが、危ない状態なので、
入院することにしました。そういうふうに決めたら、普通に歩けても患者のようにされて、
車椅子で部屋まで連れられました。車椅子に座る時は正直な気持ちで恥ずかしかったです。
エレベーターに乗ってどの階にいるかと見たら、笑うしかありませんでした。
なぜならば、それは5階からです。さらに、部屋番号も512でした。
夢は現実になったのを発見した時、こんな感じかと思いました。その後、血液検査されて、
明日詳細に診断するため、飲食禁止になって薬用の塩水をあげられました。
今の時点は完全な患者になったなと思いました。


その夜、また一人のお医者に体調を診てもらいました。盲腸炎ではないと
思われました。ズボンを抜いて後ろを向いてと言われて、素直にしましたが、
なんでズボンを抜くか???と疑ったとたん、肛門の方に子宮を診断されました。
痛いですか、お医者さんに聞かれましたが、痛いなんかないよ、恥ずかしいのよ!!!
なんで急にこんなされた・・・ありえない・・・などなど思っても、「痛くないです」
しか答えられませんでした。「子宮頸も大丈夫そうだけど、子宮や卵巣などがちょっと
心配してる」とお医者さんが言いました。その言葉を聞いてもさっきのことで
恥ずかしかったから、頭の回転はしばらく止まりました。


翌朝、産婦人科に連れられて、超音波診断を受けて本当の病気がやっと分かりました。

それは卵巣水泡です。

男性は卵巣がないため、ちょっと説明したいと思います。
女性の体なの中は子宮以外、二つの卵巣という部分も大切です。
もしひとつの卵巣を切っても妊娠ができますが、全然卵巣がなければ、
妊娠できないと考えられます。私の場合は左の卵巣に大きさ7Cmくらいの水泡が
でてきました。その大きさで、よくお腹が痛くて、背中のある部分まで
影響を与えたのを説明してもらいました。さらに、このくらいの大きさは
手術以外に他の方法はないと考えられます。でも、血液診断の結果を見たら、
一般の人の濃厚数字は40点くらいはずですが、私の方は26点しかありません。
(原因は3ヶ月後また診断しなければならないですって)だから、手術前に
一般の人の程度くらい血液の濃厚を増やすように輸血されました。(私の血液型はOです。
へへへ 関係ないですね)


初手術なので、どんな気持ちなのかも分かりませんし、
どれだけ痛いのかも知りませんし。明日手術するなんてウソだろうか、手術が
怖くないけど、麻酔をかけられて感覚がなくて寝ればかまわないけど、
もし麻酔は無効だったら?????などなど考えました。
(バカな思いですね、爆笑)
母は怖くないでと言ってくれましたが、私は本当に怖くないから、
普通に母の言葉を聞きました。まぁ、母だからこそ、心配して当然ですね。
朝9時になると、手術室に連れられてそこの雰囲気はさすが手術室で、
(灯りじゃなく)暗くて苦しかったです。お医者さんは入ったら、
輸血してからの結果のチェックして37点を言ってくれました。(大成功!)
その後、麻酔をかけられて急に眠くなって見てる天井はあっという間に曇らせて、
あぁ、麻酔をかけられたらこんな感じだということは手術前の最後記憶になりました。
(最後の最後までユーモアがあるなと今気づきました)


続き・・・・
(私は本当にドラマみたいにしますね)
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退院

2009-02-02 14:50:00 | Weblog
前週の水曜日にいきなり入院しました。
実は、腸炎だとずっと思いましたが、
そうではありませんでした。
病名は難しいですから、
ちゃんと秘書を引いてから
またアプしようと思います。
少し説明したら、子宮のとなりの部分に
ヘンなやつが起こったことです。
でも、ガンじゃないです。
手術はこの人生のはじめだから、
本当に痛くて痛いです。
今、痛みはまだまだ残ってますけど
だいぶ良くなりました。

話をまとめてから詳しく書きます。


今、休憩します


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