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「源氏物語」は伝え方が10割

「理系学生が読む古典和歌」
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(注33339):<桐壺更衣臨終>「限り」

2021-01-13 13:06:29 | <子を思う闇>

 

(注33339):<桐壺更衣臨終>「限り」

***<桐壺更衣臨終>「限り」「限り」「限り」「限り」「きし(来し)方行く末思し召されず」********
限りあれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。
いとにほひやかにうつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、<来し方行く末思し召されず>、よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かの気色にて臥したれば、いかさまにと思し召しまどはる。
輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。

「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを。さりとも、うち捨てては、え行きやらじ」
とのたまはするを、女もいといみじと、見たてまつりて、

(桐壺更衣1).限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

いとかく思ひたまへましかば」
と、息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむと思し召すに、
「今日始むべき祈りども、さるべき人びとうけたまはれる、今宵より」
と、聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。
御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。
御使の行き交ふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、
「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」
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(注88897):「女」「母」「海」「梅」

2021-01-13 00:26:02 | <子を思う闇>


(注88897):「女」「母」「海」「梅」


******「女」「母」「海」「梅」***********************
「母」の字のもとは、「女」だそうです。
それに乳首を表すふたつの点々を加えたのが「母」。
<子供に授乳する母親>の意味だそうです。
「母」に髪飾りを示す部首をつけて「毎」。
さらに水を表すさんずいへんをつけて「海」とのこと。(角川書店「新字源」)
太古の海で生命が誕生したという意味では、海は全ての生物の母ですが、そのイメージと重なりませんか。
「海」が、「潮」を通じて「月」の連想を誘うことも、<初潮><月経>と符合します。
ちなみに、新羅遠征の際、筑紫地方で神功皇后が第15代応神天皇を出産した場所の地名は、「うみ(宇美)」と名付けられました。

木へんを付けると「梅」ですが、「うめ」という音韻は、「産め」を連想させますね。

パンダの繁殖が難しいのは有名ですが、
和歌山のアドベンチャーワールドで「メイメイ(梅梅)」が繁殖に成功したのは、相当ラッキーなケースのようです。

「梅梅」(産め産め)という命名が、功を奏したのかも知れませんね。


****(注774636):パンダの繁殖の困難さ 参照


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「梅」の酸っぱさは、<つわり>をも連想させますね。


***「枕草子」第四二段 ************
老いたるものの「腹たかくて」<妊娠して>喘ぎありく。
また若き男もちたる、いと見ぐるしきに、他人の許に行くとて妬みたる。
老いたる男の寢惑ひたる。又さやうに髯がちなる男の椎つみたる。
齒もなき女の「梅」くひて酸がりたる。
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「おばちゃん、あなたのお父さんとお母さんが羨ましいわ」
「何でですか?」
「だって、あなたみたいな宝物を、この世に残せたんだもの」
(映画「海街diary」)
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映画「海街diary」は、四人の娘を残した父親の死で始まり、
一人も子を残せなかった女性(二宮さん)の死で幕を閉じました。


姉妹の間で、しばしば話題となった庭の「うめ(梅)」は、「うめ(産め)」を連想させます。
祖母の漬けた十年ものの梅酒が、同じく十年越しの、長姉の母親に対する心のわだかまりを氷解させたシーンは印象的です。

氷砂糖が、ゆっくりと時間をかけて、琥珀色の梅酒の中にようやく溶け込んでゆくように、
雪解けには時間がかかった、ということなのかも知れません。


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時間が必要だったんじゃない?
(映画「海街diary」)
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ラストシーンで、喪服を着た姉妹たちが歩いた「うみ(海)」は「うみ(産み)」をも連想させます。
ご存知の通り、連用形は転成名詞としても用いられますが、
「まち(街)」が「まち(待ち)」を連想させることも、興味を引きます。

 

「うみ(海)」は「うみ(倦み)」をも連想させますね。
「うみまち(海街)」は、「うみまち(倦み待ち)」を連想させます。

<うんざりするほど待ちくたびれても、やはりまだ諦め切れない>、
そんな女性の気持ちを連想してしまうのは、私だけでしょうか。
まあ、これは考え過ぎかも知れませんね。

 


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サチ:毛虫取ったり、消毒したり。生きてる物は、みんな手間がかかるの。
チカ:あ、それおばあちゃんの口癖。
(映画「海街diary」)
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(注88891):「月」「月経」「潮」<女性の生理>

2021-01-13 00:24:27 | <子を思う闇>

 


(注88891):「月」「月経」「潮」<女性の生理>


***「月」「月経」「潮」<女性の生理>***************
砂浜で手の平よりも小さい、赤ちゃんガメの死骸を見たことはありませんか。

亀は干満の差が大きい「大潮」にタイミングを合わせて産卵します。
満潮でも水がかからず、かつ波打ち際から遠すぎない場所を見極めて産む必要があるためです。
そうしないと、孵化したときに赤ちゃんガメが海にたどり着けません。

大潮の時は満月(十五夜)か新月(太陰暦の月初≒月末)です。
太陽と月がそれぞれ地球に及ぼす引力の方向が平行になるからです。

「潮汐(ちょうせき)」<潮の満ち干き>は月と関係します。
「月」や「潮」は、「月経」「初潮」など女性の生理現象を連想させます。
「月水(つきみづ)」とは<経血>のことです。
「月経」とは「排卵」です。
「経血」とは「卵」です。
「月」は「卵」です。
どちらも丸くて白いですよね。

月が丸いのも、卵が丸いのも、一定の表面積で最大の容積を持つのが球形だ、という幾何学の法則に由来します。
同じ細胞膜の面積(リソース)で、目一杯栄養を溜め込むには、球形が有利です。
また、月は地球から分離した微小な惑星のかけらが、互いに引力で引き合って凝集して出来たものですが、
重心から引かれた各部が、次第に重心に近づいていくと、最終的に球形となります。


ちなみに古代から「つわり」に効くとされてきたカキも、大潮にタイミングを合わせて産卵します。

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***「ちょうせき(潮汐)」と「ちょうせき(長石)」*****************
月が白いのは、表面が「長石(ちょうせき)」などの無色鉱物で出来ているからです。
一般に融液が冷え固まる時には、熱振動が鈍くなりやすい重い元素から固まり始めます。
そのため、マグマが固まる最終段階では、軽元素であるケイ素(Si)やアルミ(Al)の濃度が大きくなって、-Si-O-Al-O-…と繋がるアルミノケイ酸の鎖が、三次元的に連なります。
そのジャングルジムの隙間には、半径の大きいFeやMgのような有色元素が入り込めないため、長石や石英は色が白っぽくなります。
これが月が白く見える理由です。
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「ちょうせき(長石)」だけにね!


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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、この和歌の解釈をわざわざ付け足しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。


(注737341)b:<はかない契り>

2021-01-13 00:22:31 | <子を思う闇>


(注737341)b:<はかない契り>

*** <はかない契り> *******************

<はかない契り>とは何でしょう?
「一夜の契り」のことでしょうか。「気まぐれな、かりそめの逢瀬」でしょうか。
「はかなし」とは「果無し」と書きます。<効果が無い><結果が得られない>ということです。
「はか」とは、果実の「果」です。
「一夜の契り」でも子が得られたら、それは<はかない契り>ではありません。
何度夜をともにしようが、一生添い遂げようが、子が出来なければ、それは<はかない契り>です。

源氏が須磨に下向した三年足らずの間に、現地妻の明石上は子を身ごもりました。
源氏と生涯ともに過ごした紫上や花散里には、結局ひとりも子は出来ませんでした。


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「今はあながちに近やかなる御ありさまももてなしきこえたまはざりけり。」(源氏、初音)

源氏と花散里は、夜離れた関係になっていました。
「夜離れ(よがれ)」とは、<夫から妻への「夜の訪れ」がなくなること>です。
花散里も実子は出来ず、源氏の亡き正妻葵上の息子夕霧を、我が子のように面倒を見ました。
「花散里」の「里(さと)」は「里子(さとこ)」「里親(さとおや)」をも連想させます。
「里子(さとこ)」<養子>
「里親(さとおや)」<養父母>

「花散里」<花が散る里><花が散っても種が無く、里子しかいない><花が散った里親>
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ところで、
「はかなくなる」「いふかひ(言ふ甲斐)なくなる」は<死ぬ>の隠語として常用されますが、
「はかなし」が「墓無し」を連想させるのも興味を引きます。

墓は普通、先祖代々から子々孫々まで、残していくものです。
子を残せなければ、墓の面倒を見る人もいなくなり、やがて「墓も無くなり」ます。

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人間が本当に死ぬのは、自分を思い出す人がいなくなった時だ。
(アニメ「ワン・ピース」)
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ちなみに、「かひ(甲斐)」は「かひ(卵)」の掛詞として常用されます。

子を残せれば、自分の遺伝子が残るわけですから、少なくとも自分の一部はこの世に生きているわけです。
つまり、「かひ(卵)」が残れば、自分も生き残っていることになります。

「かひ(卵)」<卵><受精卵>

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(蜻蛉日記152 道綱母).鶯も期(ご)もなきものや思ふらむ みなつきはてぬ音をぞ鳴くなる

2021-01-12 14:07:30 | <子を思う闇>

 


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(蜻蛉日記152 道綱母).鶯も期(ご)もなきものや思ふらむ みなつきはてぬ音をぞ鳴くなる


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(蜻蛉日記152 道綱母).鶯も期(ご)もなきものや思ふらむ みなつきはてぬ音をぞ鳴くなる7.txt


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要旨:

藤原氏による<他氏排斥の完成>と位置づけられる「安和の変」は、
まさに道綱母やその夫の藤原兼家の近辺で起こった。

左遷された源高明の妻の悲哀を歌った道綱母の長歌には、「鶯」の例えが見られる。

ウグイスは、托卵される鳥でもあるが、
「托卵」や「安和の変」への連想を背景として、
道綱母の和歌の解釈を試みた。

 

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目次:


(蜻蛉日記152 道綱母).鶯も期(ご)もなきものや思ふらむ みなつきはてぬ音をぞ鳴くなる


(蜻蛉日記277 道綱).飛びちがふ鳥の翼をいかなれば 巣立つ嘆きにかへさざるらむ


メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。

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(詞書):
春もとうに過ぎた六月(水無月)になっても鳴いている鶯の声を聞いて


(蜻蛉日記152 道綱母).鶯も期(ご)もなきものや思ふらむ みなつきはてぬ音をぞ鳴くなる


「期(ご)」<時期><適切な時期><季節><旬>

「音をなく」<声を立てて鳴く><鳴き声を上げる>

「みなつき(水無月)」<六月>

「果つ」<果てる><終わる><死ぬ>(補助動詞)<すっかり~する><完全に~し終える>

「果てぬ」= 下二段未然形 + 打消「ず」連体形
     = <果ての無い><終わりの無い>


@(蜻蛉日記152 道綱母)A.
鶯も(私と同じように)季節も無いものと思っているのだろうか。
水無月になっても果てしなく鳴き声を立てている。

 

 


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ところで、
一句内で文が切れる場合、これを「句割れ」と言います。

 

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(小田勝「古典文法総覧」p.679 21.10節「句割れ」)

をしや。割れも「あはれ」「かなし」のいくふしを、ひとつうらみのうちになしぬる。(光厳院御集)
思ふ人ありもこそすれ。忘れ草生ひけり。ゆかし猪名(ゐな)の中道 (能因集)
比べても知らじな。富士の夕煙なほ立ち上る思ひありとは (続拾遺集832)
きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか。声の遠ざかりゆく (新古今集472)
むせぶとも知らじな。心かはら屋に 我のみ消たぬ下のけぶりは (新古今集1324)
山里を訪へかし。人に哀れ見せむ。露敷く庭に澄める月影 (西行法師家集)
時鳥待つとばかりの短夜に寝なまし。月の影ぞ明けゆく (続拾遺集 152)
訪はるやと待たまし。いかにさびしからん。人目をいとふ奥山の庵 (風雅1764)
逢ふことを(七夕の)今日と頼めて待つだにも(その喜びは)いかばかりかはあるな。七夕 (いぬほし)
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語句がその句に収まり切らず、次の句にまで跨ぐことを「句跨ぎ」と呼びます。

 

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(小田勝「古典文法総覧」p.679 21.11節「句跨ぎ」)

末の松山も霞の絶え間より花の波こす春は来にけり (続拾遺集101)
深く思ひ初めつと言ひしことの葉はいつか秋風吹きて散りぬる (後撰集953)
うしと思ふものから人の恋しきはいづこを偲ぶ心なるらん (拾遺集731)
音立てぬものから人に知らせばや絵にかく滝のわきかへるとも (新後撰集813)
あひみしは夢かとつねに嘆かれて人に語らまほしきころかな (続千載集1539)
白河の滝のいと見まほしけれど みだりに人は寄せじものをや (後撰集1086)
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「ご(期)」は「こ(児)」「こ(子)」をも連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「こ」と表記されました。


「みなつき」は「水無月」と「皆尽き」の掛詞です。

「果てぬ」= 下二段連用形 + 完了「ぬ」終止形
     = <果ててしまった>


「鶯」は<託卵される鳥>です。

託卵する鳥は、宿主の卵より先に孵化し、その雛が餌を独占するために、もともとの宿主の卵を巣からみな蹴落としてしまうこともあります。

自分が産んだ卵が巣の中に見当たらず、鶯は泣いているのでしょうか。

「らむ」<現在推量>の撥音便「らん」は、「らん(卵)」を連想させます。

「らん(卵)」<托卵>


「卵みな尽き果てぬ」<(鶯の)卵はみな(巣から蹴落とされて)尽きてしまった>

「音をぞなくなる」<蹴落とされた鶯の雛たちが(地面で)泣き声を上げている><母鶯が(巣の中で)泣き声を上げている>

 

    期           らむ 水無月       鳴く
  鶯もごもなきものや思ふ / らんみなつきはてぬ /  音をぞなくなる
   児           卵 皆 尽き果てぬ    泣く      
   子


(蜻蛉日記152 道綱母)B.
鶯も児がいないものと思っているのか。
「卵みな尽き果てぬ」<(鶯の)卵はみな(蹴落とされて)尽きてしまった>
(雛たちは落とされた地面で)、泣き声を上げている。


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「うぐひす(鶯)」は「うくひず(憂く干ず)」<つらくも(涙が)乾かない>の掛詞として常用されます。


***「うくひず(憂く干ず)」***********
心から花のしづくにそぼちつつ 憂く干ずとのみ鳥の鳴くらむ (藤原敏行)
自分から好んで、散る花の雫に濡れながら、<つらくも乾かない>と鳥は鳴いているのだろう。
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格助詞「を」は、自動詞・形容詞の主語を指すのにも用いられます。(旺文社「古語辞典」、大修館書店「古語林」)

***格助詞「を」<自動詞・形容詞の主語>**********
(小田勝「古典文法総覧」p.47)
自動詞・形容詞の主語を指すのに、格助詞「を」がしばしば用いられる。

暁の鴫の羽がきに目をさめて かくらん数に思ひこそやれ (赤染衛門集)
かぐや姫のやもめなるを嘆かしければ、、、 (竹取物語)
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すでに五人の子がいる時姫に対して、我が子は道綱ひとりきり。

<託卵される鳥>「鶯」は、やがて兼家が源兼忠の娘に産ませた子を引き取り養育する未来をも暗示しているようにも見えます。

あるいは、苦労して育てた子たちが人生半ばでみな散り散りに左遷されてしまった愛宮の嘆きを詠っているのでしょうか。

「ね(音)」が「ね(子)」「ね(根)」をも連想させることは興味を引きます。

「根」は<血縁><子孫><祖先>の例えとして、しばしば用いられます。

「ね(子)」の音は、もともと、<ネズミのように小さいもの>の意味から来ているのだそうです。

「なくなる(鳴くなる)」「なくなる(泣くなる)」が、
「なくなる(無くなる)」「なくなる(亡くなる)」を連想させることも興味を引きます。

 

 

    期           らむ 水無月         鳴く
  鶯もごもなきものや思ふ / らんみなつきはてぬ / 音をぞなくなる
   児           卵 皆 尽き果てぬ   子  泣く
   子                          無くなる
                              亡くなる

 

 

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冷泉帝の御世で、源高明が藤原氏の讒言によって配流された、と言われる「安和の変」(969年:安和二年)は、
<他氏排斥の完成>と一般に位置づけられます。


ちなみに、藤原兼家は摂政まで上り詰め、また、道長含む三人の息子が摂政関白となり、二人の娘が天皇に入内した、という権力の中枢にいましたが、
その第二夫人であった藤原道綱母は、「安和の変」に際して、「蜻蛉日記」に興味深い呟きを残しています。


***「蜻蛉日記」(72段)<高明配流><義憤>***********
身の上をのみする日記には入るまじきことなれども、「悲し」と思ひ入りしも、誰ならねば、記し置くなり。
<自分の身の上に関することだけを書く日記には入れるべきではないことではあるけれど、「悲しい」と身にしみて思ったのも、他ならぬ私なので、書き留めておくことにする。>
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道綱母も、藤原北家の出ですが、同じ体制(藤原氏)側の彼女から見てすら、「安和の変」<高明流罪>は、義憤を感ぜざるを得ないほど理不尽なものだった、ということなのでしょう。

 

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「安和の変」で高明を左遷し摂政になった実頼は兼家の伯父に当たります。恐らくは謀略に加担していたのでしょう。
そもそもこれほど兼家の足が遠のいたきっかけは、実頼が亡くなった時に、葬儀用の喪服の仕立ての依頼を蜻蛉夫人が突き返したのが原因です。
それは、いつもの単なる夫婦喧嘩とは、異なる意味合いを帯びていたのかも知れません。

愛宮とは、なんとも気の毒な方で、兄(高光)とも出家で離れ(「多武峰少将日記」)、ここに来てまた夫も流罪。さらに、子供たちまで巻き添えを食らってあちこちに左遷され、一家が散り散りの状態です。
ちなみに流罪の三日後に、高明の自邸は焼失しています。
そして、
「帥殿の北の方、尼になりたまひにけり」
と、愛宮自身も出家してしまいます。


この歌は高明流罪の翌年に詠まれ、また日記では服の仕立ての依頼を突き返した章段の直後に配置されています。
また、流罪の直後に愛宮に長歌を贈りました。
その長歌では具体的な人名が一切伏せられ、花鳥風月に例えられているのですが、そこで愛宮は鶯に例えられています。
それは、兼家の妻という立場上、あからさまな表現がはばかられたであろう、愛宮への同情を隠すためもあるのかもしれません。


ちなみに、「蜻蛉日記」は、道綱母が私歌集のために書き溜めた和歌を、後に再構成して世に出したものと言われています。
そのため、日記と言えど、時系列に齟齬が見られる箇所もあり、また、将来を暗示する伏線と思しき言葉も散見されます。

 


***「ぬ」<完了終止形><打消連体形>**************
(藤壺宮3).袖濡るる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬ大和撫子
(新古今1908).熊野川くだす早瀬のみなれ棹 さすが見馴れ「ぬ」波の通ひ路
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正反対の意味が一体化した「はてぬ」。
この「はてぬ」の二重性に道綱母が意識的でなかったとは、私には到底信じられません。
誤読の恐れがあると思ったら、表現を変えたのではないでしょうか。ほかならぬ和歌の名手として知られた道綱母なのですから。


定番の掛詞や縁語をこれでもかと詰め込んだ、世にあまたある和歌よりも、この歌は私にとって、はるかに興味を引きます。
その理由は、道綱母独自の巧みな創造を目の当たりにする思いがするとともに、日本語(古語)の特殊性を如実に示す一首でもあると感じるからです。そして、その特殊性とは、<外国語には無い>というだけでなく、今となっては<日本語にすら失われてしまった>特殊性です。この和歌は、古語には現代国語より重層的な表現があることの象徴といえば大げさでしょうか。

 

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上記の二重性を、あえて取り込んで、ためしに訳出してみましょう。

 

    期           らむ 水無月      音  鳴く
  鶯もごもなきものや思ふ / らんみなつきはてぬ / ねをぞなくなる
   児           卵 皆 尽き果てぬ   子  泣く
   子                       根  無くなる
                              亡くなる

 

(蜻蛉日記152 道綱母)C.
鶯も児がいないものと思っているのか。
「卵みな尽き果てぬ」<(鶯の)卵はみな(蹴落とされて)尽きてしまった>
「尽き果てぬ音をぞなくなる」<(母鶯は)果ての無い泣き声を上げている>

 

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(詞書):
たびたびの返りごとなかりければ、ほととぎすの形を作りて、、、

<(道綱が)何度手紙を出しても、想い人が返事をくれないので、ホトトギスの形の置物を作って、それに手紙を結びつけて、、、>


(蜻蛉日記277 道綱).飛びちがふ鳥の翼をいかなれば巣立つ嘆きにかへさざるらむ

 


これは、道綱が想い人に、何度手紙を書いても返事が来ない時に詠まれた歌です。
道綱母は、しばしば道綱の歌を代詠した、とされています。


よほど親しくならない限り、当時は男女が直接会うことはありませんでした。
<手紙をやり取りしている>ということは、<交際している>ということと、かなり近い意味合いを持っていました。

 

「飛びちがふ」<飛び交う>とは、その想い人が、様々な男性に手紙を出していることの例えのようです。

「かへす(返す)」<返事する><手紙の返事を返す>

「ほととぎす」<道綱の想い人>


「巣立つ」は、<恋文が道綱のもとから送られる>ことの比ゆなのでしょうか。

あるいは、<一人前の男性になる>という意味を響かせているのかも知れません。


「巣立つ嘆き」<巣立とうとしている雛の鳴き声>を、
<貴女のもとに飛んで行く恋の叫び>
<一人前になろうとしている道綱の声><思春期の求愛の声><あなたのところに飛んで行きたいという叫び>
とでもしてみましょう。


@(蜻蛉日記277 道綱)A.
あなたは、あちこちに手紙を出しているのに、なぜ恋に嘆く私の叫びには返事をくれないのだろう。

 

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「巣立つ嘆き」<巣立とうとしている雛の鳴き声>

「ほととぎす」は<託卵する鳥>です。

「かへす(孵す)」<(卵を)孵す><孵化させる>


(蜻蛉日記152 道綱母)の歌と同様に、
「らむ」<現在推量>の撥音便「らん」は、「らん(卵)」を連想させます。


「いか」は「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>を連想させます。

「いか」<おぎゃあ><赤子の泣き声><雛の鳴き声>

「なれば」は「なれば(鳴れば)」を連想させます。

「なれば(鳴れば)」<鳴れば><(雛の鳴き声が)鳴り響けば>

 

         如何
飛びちがふ鳥の翼をいかなれば巣立つ嘆きにかへさざるらむ
           鳴れば           らん
                         卵


(蜻蛉日記277 道綱)B.
ホトトギスは、あちこち巣を飛び交う翼があるのに、なぜ<巣立とうとして鳴いている雛>を(自分の羽で温め)孵そうとしないのだろう。

 

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兼家の正妻(第一夫人)は、容姿も才能も道綱母の足元にも及ばない時姫でした。
時姫には子が五人、三人の息子(道隆、道兼、道長)は、後にいずれも摂関になり、二人の娘(超子、詮子)はともに天皇に嫁ぎました。
それに引き換え、蜻蛉夫人(道綱母)の子は、心優しくも凡庸な道綱一人だけ。
ちなみに、「小右記」を書いた朝廷のご意見番、藤原実資は、後に「ムダ飯食いとはあれのこと」と道綱を評しています。
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ちなみに、道綱母は、「本朝三美人」の一人に数えられる程の美貌の持ち主で、
かつ、時の政府高官から、屏風歌の代詠を依頼されるほどの、和歌の名手でした。


人権意識が普及し、また女性の社会進出も当然となった現代に、
仮に蜻蛉夫人が生きていたら、恐らく自分自身が立派に活躍していたことでしょう。
しかし、当時は、ごくわずかな例外を除いて、そんなことは望むべくもなかった時代です。
自分自身の能力と現実の境遇の食い違いに、彼女はさぞかし心にわだかまりを抱えていたことでしょう。

 

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ところで、「巣守」とは、
<巣を守っている卵>、すなわち、
<他の卵が巣立ったのに、独りだけ孵化せずいつまでも巣に残る卵>
を指す言葉です。

 

「巣立つ嘆き」<巣立とうとする雛の鳴き声><何時までも一人泣いている道綱>

「かへさざる卵」<孵すことが出来ない卵><卵の殻から外に抜け出せない雛><なかなか一人前の男にならない道綱>


兼家の正妻、時姫の子達が、みな出世していく傍らで、道綱はなかなか一人前の男になってくれない。
そんな不甲斐ない息子を苦い思いで見つめている母親の観点から、この歌を解釈してみましょう。


飛びちがふ 鳥の翼を /  いかなれば  巣立つ嘆きに  かへさざる卵


(蜻蛉日記277 道綱)C.
ホトトギス(時姫の五人の子たち)は、みな世に出て活躍しているよ。
(それなのに)、<おぎゃあ>という泣き声のする方を見てみると、
「巣立つ嘆き」<巣立とうとして、何時までも泣いている道綱の泣き声>が聞こえるが、
なかなか(卵の)殻から外に抜け出せないようだ。

 


マザコン息子のラブレターを代筆する母の歌そのものに、
不甲斐ない息子を苦々しく思いつつも、突き放し切れない、
<子離れできない母親><親離れできない息子>という、表裏一体の二重性がにじみ出ているとしたら、
これほど鮮やかな皮肉はありません。

 

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ちなみに、愛宮は、夫が流罪になったばかりか、子も散り散りに左遷されました。
そして、残されたのは幼子ひとりです。

道綱母の長歌の中で、愛宮らは<託卵される鳥>「鶯」に、
幼子は「巣守」<他の卵が巣立ったのに、独りだけ孵化せずいつまでも巣に残る卵>に例えられています。


***「巣守」「かひ(卵)」「らん(卵)」************
(蜻蛉日記136 道綱母 長歌).
あはれ今は かくいふかひも なけれども、、、
ふじのみやまの うぐひすは かぎりのこゑを ふりたてて、、、
山ほととぎす たちかはり きみをしのぶの こゑたえず、、、

あまたのたごは おのがよよ いかばかりかは そぼちけむ
よつにわかるる むらどりの おのがちりぢり すばなれて
わづかにとまる すもりにも なにかはかひの あるべきと
くだけてものを おもふらん
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この歌を、幼子以外は夫も息子たちも全て奪われ、ぽつんと京に取り残された愛宮の悲哀の<鎮魂>の観点から解釈してみましょう。


「飛びちがふ」<飛び交う>を、
<(他の子供たちが)散り散りに左遷されていった>
としてみましょう。


「なげき(嘆き)」連用形転成名詞<嘆くこと>

「巣立つ嘆き」を、
<(雛が)巣立ってしまって母鳥が寂しく嘆くこと>
<(他の子供たちが)散り散りに左遷されてしまって愛宮が嘆くこと>
としてみましょう。

「を」終助詞(間投助詞)<詠嘆>


ちなみに、
自動詞・形容詞の主語を指すのに、格助詞「を」が用いられることもあります。


***「を」格助詞<主格> *********************
(参考:「古典文法総覧」p.47)
自動詞・形容詞の主語を指すのに、格助詞「を」がしばしば用いられる。 (旺文社「古語辞典」、大修館書店「古語林」)

多くの年を積もれり (今昔4-29)
由良の門を渡る舟人梶を絶え 行方も知らぬ恋の道かな (百人一首46)
暁の鴫の羽がきに目をさめて かくらん数に思ひこそやれ (赤染衛門集)
うつろはむことだに惜しき秋萩を折れぬばかりも置ける露かな (拾遺集・秋、伊勢、伊勢集)
女郎花多かる野べに宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ (古今4、秋、上、229、小野美材)
かぐや姫のやもめなるを嘆かしければ (竹取物語)
***********************************


「已然形+ば」は<順接確定条件>の他、<単純接続>としても用いられます。

「已然形+ば」<単純接続><~したところ…><~してみると…>

 

飛びちがふ 鳥の翼を /  いかなれば  巣立つ嘆きに  かへさざる卵


(蜻蛉日記277 道綱)D.<鎮魂>
ホトトギス(愛宮の他の子たち)は、散り散りに巣立って行ったよ。
<おぎゃあ>という泣き声のする方を見てみると、
「巣立つ嘆き」
<(雛が)巣立ってしまった母鳥の寂しい嘆き>
<(他の子供たちが)散り散りに左遷されてしまった愛宮の嘆き>
のために、
(この子だけは巣立って欲しくない、渡したくないと思って)、
孵さない卵(だけが残っている)よ。

 

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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。


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「期(ご)」<時期><適切な時期><季節><旬>

「音をなく」<声を立てて鳴く><鳴き声を上げる>

「みなつき(水無月)」<六月>

「果つ」<果てる><終わる><死ぬ>(補助動詞)<すっかり~する><完全に~し終える>

「果てぬ」= 下二段未然形 + 打消「ず」連体形
     = <果ての無い><終わりの無い>


「ご(期)」「こ(児)」「こ(子)」


「みなつき」「水無月」「皆尽き」

「果てぬ」= 下二段連用形 + 完了「ぬ」終止形
     = <果ててしまった>


「鶯」<託卵される鳥>

「らむ」<現在推量>の撥音便「らん」「らん(卵)」

「らん(卵)」<托卵>


「卵みな尽き果てぬ」<(鶯の)卵はみな(巣から蹴落とされて)尽きてしまった>

「音をぞなくなる」<蹴落とされた鶯の雛たちが(地面で)泣き声を上げている><母鶯が(巣の中で)泣き声を上げている>

「ね(音)」「ね(子)」

「ね(子)」<ネズミのように小さいもの>

「なくなる(鳴くなる)」
「なくなる(泣くなる)」
「なくなる(無くなる)」
「なくなる(亡くなる)」


「飛びちがふ」<飛び交う><様々な相手に手紙を出している>

「かへす(返す)」<返事する><手紙の返事を返す>

「ほととぎす」<道綱の想い人>


「巣立つ」<恋文が道綱のもとから送られる><一人前の男性になる>


「巣立つ嘆き」
<巣立とうとしている雛の鳴き声>
<貴女のもとに飛んで行く恋の叫び>
<一人前になろうとしている道綱の声><思春期の求愛の声><あなたのところに飛んで行きたいという叫び>


「ほととぎす」<託卵する鳥>

「かへす(孵す)」<(卵を)孵す><孵化させる>

 

「いか」「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>

「いか」<おぎゃあ><赤子の泣き声><雛の鳴き声>

「なれば」「なれば(鳴れば)」

「なれば(鳴れば)」<鳴れば><(雛の鳴き声が)鳴り響けば>


「巣守」
<巣を守っている卵>
<他の卵が巣立ったのに、独りだけ孵化せずいつまでも巣に残る卵>


「巣立つ嘆き」<巣立とうとする雛の鳴き声><何時までも一人泣いている道綱>

「かへさざる卵」<孵すことが出来ない卵><卵の殻から外に抜け出せない雛><なかなか一人前の男にならない道綱>


「飛びちがふ」<飛び交う><(他の子供たちが)散り散りに左遷されていった>


「なげき(嘆き)」連用形転成名詞<嘆くこと>

「巣立つ嘆き」
<(雛が)巣立ってしまって母鳥が寂しく嘆くこと>
<(他の子供たちが)散り散りに左遷されてしまって愛宮が嘆くこと>


「を」終助詞(間投助詞)<詠嘆>


自動詞・形容詞の主語を指すのに、格助詞「を」が用いられることもあります。


***「を」格助詞<主格> *********************
(参考:「古典文法総覧」p.47)
自動詞・形容詞の主語を指すのに、格助詞「を」がしばしば用いられる。 (旺文社「古語辞典」、大修館書店「古語林」)

多くの年を積もれり (今昔4-29)
由良の門を渡る舟人梶を絶え 行方も知らぬ恋の道かな (百人一首46)
暁の鴫の羽がきに目をさめて かくらん数に思ひこそやれ (赤染衛門集)
うつろはむことだに惜しき秋萩を折れぬばかりも置ける露かな (拾遺集・秋、伊勢、伊勢集)
女郎花多かる野べに宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ (古今4、秋、上、229、小野美材)
かぐや姫のやもめなるを嘆かしければ (竹取物語)
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「已然形+ば」は<順接確定条件>の他、<単純接続>としても用いられます。

「已然形+ば」<単純接続><~したところ…><~してみると…>

 


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ここまで。
以下、(注)


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