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「源氏物語」は伝え方が10割

「理系学生が読む古典和歌」
詳細はアマゾンの方をご参照下さい。

(注440026):「このもと」「木の下」「子の許」

2021-02-03 15:21:50 | <子を思う闇>

 

 

(注440026):「このもと」「木の下」「子の許」


「このもと」は女流歌人伊勢の<子の死>を連想させます。


***「このもと」「木の下」「子の許」************

三十六歌仙の一人、伊勢は、古今集に女流歌人として最多の二十二首が採録されています。

宇多天皇の妃、温子に仕える女房であった伊勢は、後に宇多天皇の更衣となり、行明(ゆきあきら)親王を産みますが、親王は八歳で早世しました。

春秋、子を亡くして思ひなげく
(伊勢集458).春は花 秋は紅葉と散りぬれば 立ち隠るべき「このもと」もなし

「このもと(木の下)」
@(伊勢集458)A.
春は花が、秋は紅葉が散ってしまったので、立ち隠れることの出来る木の下もない。


「このもと(子の許)」

@(伊勢集458)B.
春は花が、秋は紅葉が散るように、我が子勤子は亡くなってしまった。
私には、立ち隠れる木の下も、心安らげる子の許も無い。


「たつ(発つ)」<発つ><出発する><この世を発ってあの世に行く>
「隠る」<(貴人が)死ぬ><お隠れになる>

(伊勢集458)C.
春は花が、秋は紅葉が散るように、我が子行明(ゆきあきら)親王は亡くなってしまった。
(私も後を追って)この世を発って我が子の許に行きたいが、どう逝けばいいか分からない。

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(注737341)c:<はかない契り>

2021-02-03 15:15:53 | <子を思う闇>


(注737341)c:<はかない契り>

*** <はかない契り> *******************

<はかない契り>とは何でしょう?
「一夜の契り」のことでしょうか。「気まぐれな、かりそめの逢瀬」でしょうか。
「はかなし」とは「果無し」と書きます。<効果が無い><結果が得られない>ということです。
「はか」とは、果実の「果」です。
「一夜の契り」でも子が得られたら、それは<はかない契り>ではありません。
何度夜をともにしようが、一生添い遂げようが、子が出来なければ、それは<はかない契り>です。

源氏が須磨に下向した三年足らずの間に、現地妻の明石上は子を身ごもりました。
源氏と生涯ともに過ごした紫上や花散里には、結局ひとりも子は出来ませんでした。


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「今はあながちに近やかなる御ありさまももてなしきこえたまはざりけり。」(源氏、初音)

源氏と花散里は、夜離れた関係になっていました。
「夜離れ(よがれ)」とは、<夫から妻への「夜の訪れ」がなくなること>です。
花散里も実子は出来ず、源氏の亡き正妻葵上の息子夕霧を、我が子のように面倒を見ました。
「花散里」の「里(さと)」は「里子(さとこ)」「里親(さとおや)」をも連想させます。
「里子(さとこ)」<養子>
「里親(さとおや)」<養父母>

「花散里」<花が散る里><花が散っても種が無く、里子しかいない><花が散った里親>
********************


ところで、
「はかなくなる」「いふかひ(言ふ甲斐)なくなる」は<死ぬ>の隠語として常用されますが、
「はかなし」が「墓無し」を連想させるのも興味を引きます。


墓は普通、先祖代々から子々孫々まで、残していくものです。
子を残せなければ、墓の面倒を見る人もいなくなり、やがて「墓も無くなり」ます。

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人間が本当に死ぬのは、自分を思い出す人がいなくなった時だ。
(アニメ「ワン・ピース」)
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ちなみに、「かひ(甲斐)」は「かひ(卵)」の掛詞として常用されます。

子を残せれば、自分の遺伝子が残るわけですから、少なくとも自分の一部はこの世に生きているわけです。
つまり、「かひ(卵)」が残れば、自分も生き残っていることになります。

「かひ(卵)」<卵><受精卵>

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のちに「みのり(御法)」の帖で、人生の終りが近いことを感じた紫上は、法華経千部供養の法会を主催します。
そこで、紫上は、同じく子を産むことのなかった花散里と歌を贈答します。


***「みのり」********************
(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを
(花散里5).結びおくちぎりは絶えじおほかたの残りすくなきみのりなりとも
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詳細はこれらの和歌のファイルを御覧下さい。

 


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(注76531):「梁塵秘抄」巻二 「実」「みのり」「いか」

2021-01-25 17:47:08 | <子を思う闇>

 

(注76531):「梁塵秘抄」巻二 「実」「みのり」「いか」


先ほどの梁塵秘抄のくだりを、ちょっと考えてみましょう。


***「梁塵秘抄」巻二 「実」「みのり」「いか」***********************
(梁塵秘抄).
南天竺の鉄塔を 竜樹や大士の開かずは
「実(まこと)」の「御法(みのり)」を「いか」にして 「末」の世までぞ 弘めまし

「まこと(実)」<真実の><本当の><真言>
「まこと(真言)」<真実の言葉><真言><密教の奥義>

@(梁塵秘抄)A.
真言のお教えを、どうして末の世まで広めることができようか。(いや、できない)


真言
まこと    御法     如何
実   の  みのり を  いか  に  して 末の 世までぞ 弘めまし
み      実り
       稔り


「実(まこと)」<真実>は、
「実(み)」<果実><種子><子種>
を連想させます。

「いか」は「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>を連想させます。
「いか」を<おぎゃあ><赤子の泣き声><産声>のイメージを重ねてみましょう。


「みのり(御法)」は「みのり(実り、稔り)」を連想させます。
「みのり(実り、稔り)」<懐妊>

「すゑ(末)」<末裔><子孫><末代>
「よ(世)」「よ(代)」<世代>

(梁塵秘抄)B.
果実(子種)の「みのり(稔り)」<懐妊>を<おぎゃあ><産声>にして、どうして末代まで子孫を広めることができようか。

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(注221176):(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ のメモ

2021-01-25 17:38:32 | <子を思う闇>

 

(注221176):(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ のメモ

 

メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。

 

 

御法-みのり-実り-稔り-不稔-紫上-花散里-
   みのり-「み(実)」「のり(紀)」-実子-子孫-血族-紀氏-紀静子-文徳天皇-藤原良房-他紙排斥-


世々-よよ-代々-節々-節-竹-無性生殖-処女懐胎-
            節-父子-仲哀天皇-応神天皇-皇統断絶-
            節-父子-文徳天皇-惟喬親王-惟枝親王-23歳で早世-暗殺-紀氏排斥-藤原氏-


中-仲-仲哀天皇-応神天皇-皇統断絶-

異なる-ことなる-琴鳴る-仲哀天皇-暗殺-竹内宿禰-


契り-ちぎり-「ち(血)」「ぎり(義理)」-<血の繋がらない続柄>-皇統断絶-
   ちぎり-「ち(血)」「きり(切り)」-<血縁断絶>-仲哀天皇-応神天皇-

 


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(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを

2021-01-25 17:35:20 | <子を思う闇>


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(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを

 

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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。

 

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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。

 

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(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを-2.txt

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要旨:
「みのり(御法)」と「みのり(実り)」「みのり(稔り)」の連想から、「みのり」を<果実><種実><子孫><実子>と解釈し、
それに基づいて、ついに実子の得られなかった花散里と紫上の最期の贈答歌を解釈した。
また、実際の歴史上の出来事に関連して、<鎮魂>の観点からの解釈も試みた。

 

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目次:

(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを

(花散里5).結びおくちぎりは絶えじおほかたの残りすくなきみのりなりとも


連想詞の展開例


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では、始めましょう。

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(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを

 

病状のよくない紫上は、死期の近いことを予感し、法華経千部供養の法会を催しました。

その法会での紫上から花散里への歌です。


「みのり(御法)」<法><仏法の敬称><法会><供養><供養のための集い>


@(紫上22)A.
(私の命とともに)もうすぐ絶えてしまう御法会もこれきりでしょうが、法華経の教えのまま世々にと結ばれたあなたとの御縁がたのもしく感じられます。

 

 

 

「頼む」四段活用<頼りにする><あてにする、あてにして待つ>、下二段活用<頼みにさせる><あてにさせる>
「頼む」は、しばしば<男性が、女性に対してする不実な約束><あてにさせるようなことを言う(のに守らない)>の意味で用いられます。


「世」<世の中><この世><浮世><俗世間><治世><寿命、年齢><時代><時流><身分>のほか、<人間関係>とくに<男女の仲>
「世々に」(よよに)「代々に」

ちなみに「よよと」は、<水やよだれがだらだら流れるさま>、<酒などを勢いよく、ごくごく飲む><涙を流ししゃくり上げて泣く、おいおい泣く>


「中」(なか)は<中><内>のほか、「仲」<関係><仲><男女の仲><恋仲>の意味でも用いられます。

 

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「結ぶ」<結ぶ、ゆわえる><生じさせる><結露する><契る><約束する><結婚する><男女の仲になる><(掬ぶ)水を掬う>など
「むすぶのかみ(産霊の神)」<万物生成の神><男女縁結びの神>
「むすび」は「むす(生す、産す)」<生じさせる><産む>から来ています。
今でも「苔むす」なんて言いますよね。
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<草を結ぶ>は、古代では約束の印で、男女の契りを交わしたことを暗示します。(小学館「新編日本古典文学全集 源氏物語2」、p.190)
(光源氏12).ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかごとを何にかけまし
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「契り」<約束><特に男女の契り><絆><宿世、宿縁>

 

 

ところで、
有名な「春秋論争」は、春の好きな紫上と、秋を好む秋好中宮との間で行われました。

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(秋好中宮5).こてふにもさそはれなまし心ありて八重山吹をへだてざりせば
(紫上15).花ぞののこてふをさへや下草に秋まつむしはうとく見るらむ
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紫上も、秋好中宮も、ともに実子に恵まれませんでした。

この贈答歌に含まれる「八重山吹」<八重咲きの山吹>の花は、<種実の出来ない><不稔>の品種です。
また、
「こてふ(胡蝶)」は「来てふ」<お越しくださいと言う(言葉)>の掛詞として常用されますが、
「子てふ」<子というもの>をも連想させることも興味を引きます。
詳細はこれらの和歌のファイルを御覧下さい。

 

さて、
「みのり(御法)」<法会>は「みのり(実り、稔り)」を連想させます。


*****「御法(みのり)」「法(のり)」<懐妊> *************************
紫式部が仕えていた中宮彰子が、一条天皇の子を<懐妊>しました。(敦成(あつひら)親王:後一条天皇)
安産を祈願する意味もあり、彰子の父道長は、自邸(土御門邸)で法華三十講を行いました。
法華経の五巻は、女人成仏を説く巻で、その読経を行う日が五月五日に当たった、というめでたさを詠っています。

(紫式部集 115).たへなりや今日は五月の五日とて 五つの巻のあへる御法(みのり)も

その晩、土御門邸の庭の篝火が、鏡のような水面に映る姿を詠んだ歌。

(紫式部集 116).篝火のかげもさわがぬ池水に幾千代すまむ法(のり)の光ぞ

「幾千代」は、道長家の栄華が幾千代も続くことを詠っています。
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この歌は、秋好中宮の御読経の集い、法会「御法(みのり)」の日に紫の上へ詠まれたことも、示唆的です。
「みのり(御法)」<法会>は「みのり(実り、稔り)」を連想させます。

 


「梁塵秘抄」にも、興味深いくだりがあります。

*****「実」「みのり」「いか」********************************
「実(まこと)」の「御法(みのり)」を「如何(いか)」にして 「末」の世までぞ 弘めまし (「梁塵秘抄」巻二)
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*****「実法(みのり)」「なる」「いか」*********************
かく末に、すずろ「なる」継子かしづきをして、おのれ古したまへるいとほしみに、
「実法」「なる」人のゆるぎどころあるまじきをとて、取り寄せもてかしづきたまふは、「いか」がつらからぬ。 (「源氏物語」真木柱帖)
******************************************

「みのり(実法)」は「みのり(実り、稔り)」を、
「なる」は「なる(生る)」を連想させます。

「いか」は「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>を連想させることも興味を引きます。
「いか」<おぎゃあ><赤子の泣き声>

 

 

さて、
紫上には、実子がいませんでした。
その代わり、須磨下向中の源氏が明石上に生ませた明石姫君を養育し、姫君はみごとに<明石中宮>になりました。

この贈答のすぐ後の場面で、明石中宮が宮中から退出して、病床に伏した紫上の見舞いに、二条院までやって来ます。
明石中宮は、紫上の養育の手を離れてからも、実母と同様に、養母の紫上をずっと慕っていました。

「中」の字は、「宮中」の「中宮」である、<明石中宮>を連想させます。
「中」を<宮中>にいる<明石中宮>としてみましょう。


「みのり(御法)」は「みのり(実り)」を連想させます。

「みのり(実り)」<実り><子種><子><子孫>
としてみましょう。

 


「実」の文字には、<満ちる><富む><生る><稔る><果実><さね><種><種子><子><財><誠><事実><誠実><誠>などの意味があります。


      御法            世々
絶えぬべき みのり ながらぞ 頼まるる よよにと 結ぶ 中の契りを
      実り            代々
      稔り


(紫上22)B.
(私の)血筋は絶えてしまうけれど、頼もしく存じます。宮中で代々子を産んでいく明石中宮の絆を。

 

 


紫上は病状が芳しくないため、源氏や花散里とともに普段住んでいる六条院から、養生のため二条院に里下がりしていました。
「中」を<六条院の中>としてみましょう。

そこには、紫上同様、実子が出来ず、玉鬘を預かり養育していた花散里が住んでいます。


(紫上22)C.
(病気のため六条邸の外に出た私の)血筋は絶えてしまうけれど、楽しみに待っていますよ。(六条邸の)「中」のあなたと源氏の「仲」が(末永く続き)、代々続く子孫を産んでいくことを。

 

 


「る」<自発><ひとりでに~してしまう><自然と~してしまう><つい~してしまう>

「なか(中)」「おなか(お腹)」は<腹の中><子宮の中>を連想させます。
「結ぶ」<生じさせる><結露する><契る><産む>
「みのり(実り)」<実がなること><子種が実ること>


(紫上22)D.
絶えそうな子種であるけれど、つい頼みに思って(期待して)しまう。
次の代に血筋を伝える、お腹の中に結ぶ(生じる)子種を。

 


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「み」を「実」<子孫>と解釈した歌については、頼政の辞世の句
*******「実」<子孫>***********************
2.埋もれ木の花咲くこともなかりしに 身のなるはてぞかなしかりける
*************************************
を御覧下さい。
平家物語の以仁王の挙兵で、頼政の子たちはみな亡くなりました。


「みのり」は<実り><果実><種子><子種>を連想させます。


****参照:(注76531):「梁塵秘抄」巻二 「実」「みのり」「いか」

 

******「実」=「子」(紫式部集) ***************
(紫式部集54). 数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり
(紫式部集54)C.
(夫も失い、もう若くも無く)、数多く子供が出来るわけではない(諦めてしまった)我が心。
(亡き夫には)<種=子種>を蒔かせることは出来ない。
それにしても、(<心に身が従う=身分境遇が思い通りになる>のではなく)、反対に身の上<身分境遇>に従わざるを得ない心であることよ。
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「稔(みのり)」の字は、「のり」とも読みます。
「しげのり(重稔)」などというように、人名にもしばしば使われますね。


「みのり(御法)」「のり(法)」は、源氏物語の最後を締めくくる和歌をも連想させます。


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(薫57).法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな
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最後の歌を見たついでに、源氏物語の最初に目を向けてみましょう。

***「源氏物語」冒頭、「女御」「更衣」***********************
いづれの御時にか、「女御」、「更衣」あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
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文徳天皇には、時の権力者藤原良房の娘、明子(あきらけいこ)が「女御」(従一位)として入内しました。
しかし天皇が本当に愛したのは、実権から遠い紀氏の娘、身分の低い「更衣」(従五位上)の紀静子でした。
そして、その息子惟喬親王(第一皇子)を立太子を望んでいました。

藤原氏の良房の娘女御に対して、後ろ盾も心もとない紀氏の娘更衣です。
第一皇子と言えど、良房が立太子を素直に受け入れるわけはありません。
臣下の源信は、惟喬の命が危ないと考えて、文徳天皇に惟喬立太子を思いとどまるよう進言し、文徳天皇は実際そうせざるを得なくなりました。
明子の息子惟仁(第四皇子)が後の清和天皇になります。

静子は若くして亡くなり、享年23歳という説も有ります。(「三代実録」)
文徳天皇も、同様に31歳(32歳)の若さで亡くなりました。
これは、脳卒中のためとされていますが、あまりの病状の急変に、良房一派による暗殺との説もあるそうです。
ちなみに、紀静子の産んだ惟喬の弟、惟枝親王は、23歳で早世しています。

 

******「古今和歌集」と「紀氏」<鎮魂>**********************************
源氏物語に先立つ勅撰和歌集「古今和歌集」は、紀貫之や紀友則で知られる「紀氏」が編纂に携わりました。
ちなみに、勅撰和歌集とは天皇の命令(勅命)により国家事業として作られる和歌集のことです。
「古今和歌集」では、僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主らが「六歌仙」と称えられています。
その六歌仙に、僧正遍照や大友黒主など、他の歌集ではさほど取り上げられない人が含まれていることや、彼らがみな惟喬親王の側近であったり、血縁者であったりしたことから、「古今和歌集」は紀氏を始めとする藤原氏による他氏排斥の被害者の<鎮魂>のために作られたのだろう、と井沢元彦さんはおっしゃっています。(井沢元彦「常識の日本史」)

文徳天皇に嫁いだ紀名虎の娘、紀静子が産んだ、紀氏の最後のホープ、惟喬親王は隠棲の地小野で897年に亡くなりました。
その八年後の905年、醍醐天皇の勅命によって、「古今和歌集」が編纂されます。
その撰者に選ばれたのは紀氏の子孫である紀貫之でした。
(参考:井沢元彦「井沢式 日本史入門講座4」)

この頃には、藤原氏の独走態勢は確立しており、紀氏の家格は、政界の主要ポストを望めるようなものではなくなっていました。
つまり、藤原氏の独裁が完成したのを見計らって、その<鎮魂>のための「はなむけ」として紀氏が抜擢されたのです。

文徳天皇は、良房の娘、明子が産んだ第四皇子惟仁親王が清和天皇として即位する直前に、32歳の若さで亡くなりました。
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「源氏物語」も、藤原氏に追い落とされた他氏の<鎮魂>のために書かれた、と井沢元彦さんはおっしゃっています。


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つる(蔓)性植物の藤は、「かづら(蔓)」を伸ばします。
しかし、一年生草本の夕顔などのか細いつると異なり、多年生木本の藤のつるは、年々肥大し、時に絡みついた本体の木を締め上げて枯らしてしまうほど、圧倒的な存在感があります。

ちなみに、「ふぢ(藤)」の音は、古来「ふし(不死)」と結び付けられたそうです。
樹齢五百年を越えるような藤も多く、なかでも春日部市牛島の藤は樹齢千年だそうです。(大貫茂「花の源氏物語」)

 

***「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」**************
「大鏡」「道長(藤原氏物語)」
(大鏡).
内大臣鎌足の大臣、藤氏の姓賜りたまひての年の十月十六日に亡せさせたまひぬ。御年五十六。大臣の位にて二十五年。
この姓の出でくるを聞きて、紀氏(きのうぢ)の人の言ひける、
「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」
とぞのたまひけるに、まことにこそしかはべれ。

「き(木)」は「き(紀)」<紀氏>を連想させます。

      木
藤かかりぬるきは枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」
      紀

(大鏡)B.<鎮魂>
藤(のツル)が掛かった「き(木)」「き(紀)」<紀氏>は枯れてしまうものだ。
そのうちきっと紀氏は滅んでしまうよ。

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****参照:(注64647):「松」<天皇家>、「藤」<藤原氏>

 


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この歌の「御法(みのり)」という言葉が、帖名「みのり」の由来となりました。

「のり(法)」は「のり(紀)」<紀氏>を連想させます。


「みのり(御法)」を
「み(身)」「のり(紀)」
「み(実)」「のり(紀)」
としてみましょう。


濁点や句読点を打つ習慣の無い平安当時、これらはともに「みのり」と表記されました。


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ちなみに、現代我々が古文の教材で目にする句読点や濁点は、明治期以降に校訂者が便宜の為に加えたものです。
それは、むろん読み手の理解を助けるものですが、その反面、解釈や連想の幅を狭めてしまうリスクを伴います。
また、漢字⇔仮名の相互変換は、写本によっても異なります。
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「み(身)」<身体><身の上>
「み(実)」<果実><種実><実子><血筋>


「絶えぬべき御法ながらぞ」<絶えてしまいそうな御法だけれど><法会(の日数)は残り少ないけれど>
「絶えぬべき身紀ながらぞ」<途絶えてしまいそうな身の上、紀氏だけれど>
「絶えぬべき実紀ながらぞ」<途絶えてしまいそうな血筋、紀氏だけれど>


それは、「法」<法律>も無いかのように、藤原氏が好き放題に他氏を追い落としていった「無法」さも連想させます。

「のり(法)」「のり(則)」<基準><規範><手本><規則><法律><法令><仏法><仏教><仏道><仏事><法会>


「絶えぬべき御法ながらぞ」<絶えてしまいそうな法だけれど><(藤原氏の横暴に)法も何もあったもんじゃないけれど><藤原氏の無法に>


****参照:(注34687):「末法」<1052年に突入>

 

当時は、近親婚に対する規制が現代より遥かに緩やかでした。
たとえば、異母兄弟姉妹の間であれば、結婚は普通でした。
とくに貴族は、<純血><血筋の純粋さ>を守ろうとするので、その傾向が顕著です。
その典型が天皇家です。

その上さらに政略的な養子縁組なども加わるため、家系図は現代のものよりとても複雑です。

「義理」には<物事の筋道><守るべき社会規範、道徳><経文の意味><仏典の意義>のほか、
<ことのなりゆき><血縁の無い関係><義理の父母、兄弟など>の意味があります。
今でも、「義理の兄(義兄)」「義理の母(義母)」などという言葉が残っていますよね。


「ちぎり(契り)」は
「ち(血)」「ぎり(義理)」
「ち(血)」「きり(切り)」
を連想させます。

「ち(血)」<血筋><血脈><血縁>
「ぎり(義理)」<血の繋がらない続柄>
「きり(切り)」<(血縁を)切る><血縁断絶>

それは、紫上とは血は繋がらない養女の明石中宮の関係をも連想させます。

静子は、第一皇子の惟喬親王を立太子できなかったばかりか、良房に暗殺されたのでしょうか。
ちなみに、紀静子の産んだ惟喬の弟、惟枝親王は、23歳で早世しています。

「みのり(御法)」<法会><仏法>に、
「み(実)」<実子><血筋>、
「のり(紀)」<紀氏>のイメージを重ねて、
文徳天皇の最も寵愛した更衣、紀氏の紀静子の<鎮魂>の観点から、この歌を解釈してみましょう。

 

      御 法            世々
絶えぬべき み のり ながらぞ 頼まるる よよにと 結ぶ 中の契りを
      実り             代々
      稔り
      のり
      紀
      身 紀


絶えぬべき 実 / 紀 ながらぞ 頼まるる / 代々にと 結ぶ 中の契りを

 

 

(紫上22)E.<鎮魂>
(藤原氏の無法に)絶えてしまいそうな「み(実)」<実子><血筋>。
そんな「のり(紀)」<紀氏>だけれど、一縷の望みを抱いてしまう。
宮中で代々結ばれていく紀氏の絆(血縁)を。

 


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記紀神話の中でも、一二を争うキナ臭いエピソードを紹介しましょう。


****参照:(注123123):武内宿禰の三角関係

 

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(紫上22)の和歌の直前の地の文をみてみましょう。

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(地の文).
こと果てて、おのがじし帰りたまひなむとするも、遠き別れめきて惜しまる。
花散里の御方に、、、、
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「こと(事)」は「こと(琴)」を連想させます。

「琴」は<仲哀天皇>を連想させます。

「琴果てて」<琴の音が果てて><仲哀天皇が亡くなって>


「よ(世)」は「よ(節)」の掛詞として常用されます。


「節」は「竹」を連想させます。


「ささみどり」とは竹の花のことです。
これは、数十年に一度しか咲きません。

ちなみに、竹の花が咲く年は、同じイネ科の米(稲の種子)が豊作になる、と言われています。
凶作飢饉が日常茶飯事であった平安当時、竹の花が咲くか咲かないかは、世の人にとって、とても大きな関心事だったことでしょう。


「花」は雄しべと雌しべが受粉して子種(種子)を宿す、本来の有性生殖を行うための生殖器官です。


竹は種子でも増えます。しかしそれは数十年に一度しか起こりません。
通常の繁殖は、根が地中を延びて、そこから芽を出し、「竹の子」を生やして、別の竹に成長します。
雌雄(オシベとメシベ)の交配を伴わない<無性生殖>です。

無性生殖は体細胞分裂による繁殖ですから、遺伝子構成は当然変りませんが、
ひとつの竹やぶが、全て遺伝的には同一(monoclonal)ということすらあります。
また、数十年に一度しか、花を咲かせない、つまり、有性生殖を行わないわけですから、
竹の繁殖形態は、圧倒的に<無性生殖>に偏っている、と言えるでしょう。

 

三宮が<処女懐胎>して宿した<不義の子>「薫」は、しばしば<竹の子><竹笛>とともに登場します。
自分の出生の秘密を知る由もない赤子の頃、薫は、無邪気に「竹の子」をかじって戯れていました。

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(光源氏196).うきふしも忘れずながらくれ竹のこは棄てがたきものにぞありける
(柏木13).笛竹に吹きよる風のことならば末の世長き音に伝へなむ
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雌雄(オシベとメシベ)の交配を伴わない<無性生殖>は、いわば<処女懐胎>です。


<処女懐胎>=<出産の日から逆算して、夫と妻が交わる機会がありえないはずの妊娠>としてみましょう。
それは、<無原罪>どころか、普通の妻なら犯さない<禁忌>を犯した結果の<不義の子>です。


竹は、花で種子を作り増えるのではなく、地下茎を延ばして繁殖します。
花が地上で堂々と咲き誇るのに対して、人目を忍んで地下に伸びる地下茎は、<不義密通>の<疚しさ><隠蔽>を連想させます。


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さて、
かぐや姫は竹の節から生まれました。
竹は花で種子を作り増えることは稀で、ふつう地下茎を伸ばすことによって繁殖します。
つまり、節を継いで伸びる竹にとって、「節」は<子孫>そのものです。
「花」が<有性生殖>であるのに対して、
「節」は<無性生殖><私生児><隠し子>
を連想させます。

 

竹取の翁が、ある日突然、山から連れてきたかぐや姫は、
「竹取物語」に昇華する前の原型においては、
翁の<隠し子>だったのかもしれません。


「ふし(節)」が「ふし(父子)」を連想させるのは、興味深いですね。


ところで、
「節」は、「ふし」の他、古語では「よ」とも読まれます。
そして、
「よ(節)」と「よ(世)」は掛詞として常用されます。

 

***「よ」「世」「節」****************************
竹の子の世の憂き節を、時々につけてあつかひきこえたまふに、、、、(「蓬生」帖)
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***「よ」「世」「節」**************************
(古今集18-957).今さらに なにおひいづらむ 竹の子の うき節しげき 世とは知らずや (みつね)
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古語において、「世」は<世の中><世間><世代>の他、<人間関係>とくに、<男女関係>の意味でも用いられます。
「夜(よ)」は<夜の契り>を暗示し、「世(よ)」<男女関係>の掛詞として常用されます。


竹は、花で種子を作り増えるのではなく、地下茎を延ばして繁殖します。
花が地上で堂々と咲き誇るのに対して、人目を忍んで地下に伸びる地下茎は、<不義密通>の<疚しさ><隠蔽>を連想させます。


また、「たけ(竹)」は「たけ(他家)」<自分の血筋でない家系>を連想させることも興味を引きます。


「花」=<有性生殖>=<種子植物の本来の繁殖形態>=<夫と妻の交わり>=<嫡子><種子>
「節」=<無性生殖>=<種子植物の本来の姿ではない繁殖形態>=<不義密通>=<処女懐胎><私生児><隠し子><ワケアリの子>
のイメージが連鎖します。


節を継いで伸びる竹にとって、「節」は<子孫>そのものです。

「よよに(世々に)」は「よよに(節々に)」を連想させます。

「よよに(節々に)」<竹が節を継いで伸びるように><竹の子><処女懐胎><ワケアリの子>

 

「ふし(節)」が「ふし(父子)」を連想させることも興味を引きます。

「節々にと結ぶ」<処女懐胎で継ぎ足した「ふし(節)」><竹の子><不義密通で継ぎ足した「ふし(父子)」>

 

 

「なか(中)」は「なか(仲)」を連想させます。

「仲」<仲哀天皇>
としてみましょう。


「ちぎり(契り)」は
「ち(血)」「ぎり(義理)」
「ち(血)」「きり(切り)」
を連想させます。

「ち(血)」<血筋><血脈><血縁>
「ぎり(義理)」<血の繋がらない続柄>
「きり(切り)」<(血縁を)切る><血縁断絶>


「ちぎり(血切り)」<血縁が切れる><皇統断絶><仲哀天皇と応神天皇の間の血縁断絶>
としてみましょう。

 

「みのり(実り)」は、花による有性生殖によって出来る「果実」≒「種子」を連想させます。

「花」=<有性生殖>=<種子植物の本来の繁殖形態>=<夫と妻の交わり>=<仲哀天皇と神功皇后との交わり>
「実」=<果実>=<種子>=<嫡子>=<本来の皇統>


「絶えぬべき実り」<絶えてしまったはずの実り><絶えてしまったはずの正統な皇統>


これらのイメージを重ねて、仲哀天皇の<鎮魂>の観点から、この和歌を解釈してみましょう。

「を」終助詞<詠嘆>


      御 法            世々      中    契り
絶えぬべき み のり ながらぞ 頼まるる よよにと 結ぶ なか の ちぎり を
      実り             代々      仲    血切り
      稔り             節々
      のり
      紀
      身 紀


絶えぬべき 実り ながらぞ 頼まるる / 節々にと 結ぶ 仲の血切り を

 

 

(紫上22)F.<鎮魂>
絶えてしまったはずの「実」<嫡子><本来の皇統>だけれど、一縷の願いを頼みとしてしまう。
「節々にと結ぶ」<処女懐胎で継ぎ足した「ふし(節)」><竹の子><不義密通で継ぎ足した「ふし(父子)」>の、
「中の血切り」<仲哀天皇と応神天皇の間の血縁断絶>だよ。

 


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花散里からの返歌です。

(花散里5).結びおくちぎりは絶えじおほかたの 残りすくなきみのりなりとも


「結びおく」の「おく」は補助動詞で、<~して残しておく><事前に~しておく>
です。

 

@(花散里5)A.
通り一遍の残り少ない法会ですらありがたいのですから、この盛大な法会により結ばれるあなたとの御縁が切れることはないでしょう。

 

 


「おほかた(大方)」で、<全体として、総じて><一般的に><普通の><通り一遍の><一般論として、そもそも~というものは>
「おほかたならず」で<並々ならぬ><特別な>

(参考:「おぼろけ」と「おぼろけならず」)

 


上述のように、
「世」には、<世の中><世代>の他に、<人間関係><男女関係>
という意味もあり、
「大方の世」で、<さほど親密でない関係><普通の関係><男女の仲でない間柄>
を指します。


***「大方の世」***************
大方の世につけて見るには、咎きも、、、、 (源氏物語「帚木」)
<普通の仲である女として、(客観的に)見る分には、欠点は無いけれども、、、、
***********************


ところで、
自立語に付属語がくっついて、文節を作り、文を構成する言語を「くっつく」という意味で「膠着語(こうちゃくご)」と呼びます。
日本語は「膠着語」のひとつです。


****参照:(注227746):「膠着語」と<語順の恣意性> 

 

 

上記を参考に、この和歌の語順を考えて見ましょう。

 

まず、(花散里5)の和歌を、上句(5・7・5)と下句(7・7)との間で、句切ってみましょう。


結びおく ちぎりは絶えじ おほかたの  /  残りすくなき みのりなりとも


膠着語では、語順を変えても意味が変わらず、もともと語順に対する感覚がさほど厳しくないことを考え、
上句の中で、「おほかたの」を「ちぎり」に掛けてみましょう。


「契り」<約束><絆><男女の契り>

「大方の契り」<さほど親密でない絆><普通の関係><男女の仲でない間柄>


「今はあながちに近やかなる御ありさまももてなしきこえたまはざりけり。」(源氏、初音)
源氏と花散里は、夜離れて久しい関係になっていました。

「夜離れ(よがれ)」とは、<妻への夫の「夜の訪れ」がなくなること>です。


「契り」<約束><絆><男女の契り>は、<性交>の隠語としても用いられます。

「大方の契り」<さほど親密でない絆><普通の関係><男女の仲でない間柄>を、
<さほど親密でない男女><疎遠な関係><夜離れた仲>
としてみましょう。

あるいは、「子はかすがい」というように、
<実子を宿していない夫婦>
ととらえてもいいかも知れません。


「たえじ(絶えじ)」は「たえし(絶えし)」を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「たえし」と表記されました。

「たえし(絶えし)」<途絶えた><絶えてしまった>
としてみましょう。

「し」<過去の助動詞「き」の連体形><連体形終止><詠嘆>

 

 


「みのり(実り)」<果実><種実><実子>


「なりとも」は逆接<~であっても>の意味から派生して、<せめて~なりとも(欲しい)><せめて~だけでもいいから(欲しい)>と
<最小限の希望><一縷の望み>を表します。


「なりとも」<せめて~なりとも(欲しい)><せめて~だけでもいいから(欲しい)>


(紫上22)Cに対する応えとして、この歌を解釈してみましょう。

 

結びおく 契りは絶えし 大方の   /   残り少なき 実りなりとも


(花散里5)B.
(上句) 結んでおいた絆は、絶えてしまったよ。さほど親密でない、夜離れた(源氏と私の)絆は。
(下句) 数は少なくても、せめて一人だけでも、自分の子を残したかった。

 


紫上同様、花散里にも実子はいませんでした。
花散里は、源氏の実子として託された玉鬘(実は昔の頭中将と夕顔の子)を養子として喜んで引き取り育てます。
その意味では、紫上は明石上の代役、花散里は夕顔の代役です。
養子を愛し育てながらも、<私にも実子がいてくれたら><これが私の子であったなら>という苦い思いをしばしば二人がかみしめたことは想像に難くありません。

紫上と花散里は、ともに源氏の妻というライバル同士でありながら、一方で同じ煩悶や葛藤を経験した戦友のような仲間意識があったのかもしれません。
実際、源氏の五十の儀には、二人が分担・協力して準備しました。

 

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「おばちゃん、あなたのお父さんとお母さんが羨ましいわ」
「何でですか?」
「だって、あなたみたいな宝物を、この世に残せたんだもの」
(映画「海街diary」)
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映画「海街diary」は、四人の娘を残した父親の死で始まり、
一人も子を残せなかった女性(二宮さん)の死で幕を閉じました。


姉妹の間で、しばしば話題となった庭の「うめ(梅)」は、「うめ(産め)」を連想させます。
祖母の漬けた十年ものの梅酒が、同じく十年越しの、長姉の母親に対する心のわだかまりを氷解させたシーンは印象的です。

氷砂糖が、ゆっくりと時間をかけて、琥珀色の梅酒の中にようやく溶け込んでゆくように、
雪解けには時間がかかった、ということなのかも知れません。


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時間が必要だったんじゃない?
(映画「海街diary」)
*****************

 

ラストシーンで、喪服を着た姉妹たちが歩いた「うみ(海)」は「うみ(産み)」をも連想させます。
ご存知の通り、連用形は転成名詞としても用いられますが、
「まち(街)」が「まち(待ち)」を連想させることも、興味を引きます。

 

「うみ(海)」は「うみ(倦み)」をも連想させますね。
「うみまち(海街)」は、「うみまち(倦み待ち)」を連想させます。

<うんざりするほど待ちくたびれても、やはりまだ諦め切れない>、
そんな女性の気持ちを連想してしまうのは、私だけでしょうか。
まあ、これは考え過ぎかも知れませんね。

 


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サチ:毛虫取ったり、消毒したり。生きてる物は、みんな手間がかかるの。
チカ:あ、それおばあちゃんの口癖。
(映画「海街diary」)
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ちょっと別の和歌を見てみましょう。

(紫上18).身に近く秋やきぬらん見るままに青葉の山もうつろひにけり


(紫上18)A.
我が身に秋が近づいて来たのでしょうか。
見ているうちに、青葉の山の色も変わってしまいました。

 

「まま」を「ままはは(継母)」
としてみましょう。

「見る」には<世話する>の意味もあります。


継母が、いくら自分の「縄張り」と主張したところで、養子は所詮他人の子です。
明石姫君は入内して、懐妊すると、紫上の住む六条院の春の町ではなく、明石上の住む冬の町(北西区画)に里下がりしました。
何と言っても出産経験の無い養母紫上より、経験のある実母明石上の方が、その後も含め妊婦にとっては心強いですよね。
入内に伴い、後見役として明石上を推薦し、自ら身を引いた格好の紫の上ではありますが、その寂しい心中は察するに余りあります。
明石上の父親である明石入道が受領として大国播磨の塩でたっぷりと蓄えた財産による経済力も、明石上の後見役としての立場を少なからず後押ししたことでしょう。
長年愛育した姫君も遠ざかるばかりか、このとき既に三宮も六条院に降嫁しており、正妻の座も三宮に奪われています。

 

 

「や」には、様々な<品詞>があります。

 

「や」係助詞<疑問><反語>
「や」間投助詞<詠嘆><感動><呼びかけ><整調><列挙>
********************************
<詠嘆> さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月を片敷く宇治の橋姫 (新古今、秋上)
<呼びかけ> あが君や。いづかたにかおはしましぬる。(源氏物語、蜻蛉)
<整調> 春の野に鳴くや鶯なつけむとわが家の園に梅が花咲く (万葉集、5-837)
********************************
「や」感動詞<呼びかけ><おい><もしもし>、<驚き><思いつき><あっ>、<囃し声><掛け声><えい>

 

****参照:(注443316):「転成名詞」「動作性名詞」の<格支配の受け継ぎ>

 


      秋    来ぬ
身に 近く あき や きぬ  / らん 見る まま に 青葉の 山も うつろひ に けり
      明    衣     卵     継                  気利

 


(紫上18)C.
我が身に「あき(飽き)」<明石姫君に飽きられる時期>が近づいて来てしまったよ。
卵を見る継母にとって、「青葉」<二葉の松><明石姫君>の(私への思い)も色あせてしまいました。
(色あせてしまった後に、ケリだけが残っている。)
(継母が縄張りを主張しても、むなしいことです。)

 

詳細は上記の和歌のファイルをご参照下さい。


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脱線から戻りましょう。

 

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当時は、子を産んで初めて、相手方の一族から重んじられました。
自分自身の生計や幸福だけでなく、自分の一族全体の生活・存続にまで、その影響は及びます。

花散里の姉、麗景殿女御は子もなく、桐壺院亡き後、後援を源氏のみに頼るさびしい生活をしていました。

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麗景殿と聞こえしは、宮たちもおはせず、院かくれさせたまひて後、いよいよあはれなる御ありさまを、、、
*******************************

たとえば、偶然の再会から再び源氏に囲われ、六条邸でハッピーエンドを迎えることが出来た末摘花。
しかし再開までの、源氏から忘れられていた間に、末摘花の家人はどんどん家を離れ、庭は荒れ放題、家はあばら家のようになっていました。
何の社会保障も無く、また貴族といえど瞬く間に落ちぶれることも少なくなかった時代、夜離れ(よがれ)が続くのは、女性にとって現代とは比較にならないほど恐ろしいことでした。
今も昔も、母が子を思う気持ちは変わりませんが、当時は自分だけでなく、父母兄弟、一家の重圧が、彼女たちの細い肩に重くのしかかっていたのです。


一見、男女の恋愛を詠ったように見える源氏物語の和歌。
しかし、男女の恋愛以上に、「(子を思ふ)心の闇」が詠み込まれていると解釈できる歌が少なくないように思えます。
それは、結婚にまつわる上記のような習慣のせいももちろんあるでしょう。

ちなみに、イスラエルには徴兵制があります。そして、息子が軍隊に入る前に、精子を採取し保管するサービスが普及しているそうです。
ホロコーストを経験したユダヤ人は、血筋を存続させることへのこだわりがとても強いそうです。(「News Week」日本版、2018、3/6号)

子を産みたいという切なる願い、子を育てる無償の愛、別れる子への強い執着。
やがては冷める定めの夫や恋人への恋愛感情よりも、<子を思う心の闇>を、裏に秘めた歌が多いと感じるのは、私だけでしょうか。

***「心の闇」 引き歌 ******************
引き歌:(後撰集1102).人の親の心は闇にあらねども 子をおもふ道にまどひぬるかな (藤原兼輔:紫式部の曽祖父)
<人の親の心というものは、暗闇でなくても、我が子のことを考えるときには、(愛するあまり)判断力をなくし、道に迷う(ようにうろたえる)ものだ>

この歌は、源氏物語の引き歌(本歌取り)表現の中で、ダントツ最多の26回、引き歌とされているそうです。(山田利博「よく和歌る源氏物語」)
*******************************


紫上は、この世を去るまで三十年間ずっと、光源氏に添い遂げました。
でも、一人も子をもうけることは出来ませんでした。
逆に、明石上は、源氏が須磨に下向していた三年足らずの間に、源氏の子を宿しました。


紫上は、須磨下向に当たり、源氏から二条院の調度のみならず、荘園や牧場の地券など源氏の持つ全ての財産を預けられました。
時は下って、養育した明石姫君が入内し、東宮の第一皇子を産み中宮となった時には、紫上参内に際して、手車(牛車でなく人が引く車。天皇以外は大臣などごく高貴な身分のものに限られる待遇)を勅許(天皇の許可)されました。
母を早くに亡くし、北山の田舎から出てきた少女としては、望むべくも無い境遇です。

でも、そんなことが、紫上の求める、真の幸福だったのでしょうか。
むろん、財産も待遇も、恵まれているに越したことはありません。
しかし、それらを擲ってでも、人として、女性として、欲しかったものがあったかもしれません。
それは何だったのでしょうか。
紫上の最期が、悲壮なものに感じられるのは私だけでしょうか。


「藤の裏葉」の帖が大団円に映るのは、あくまで男性目線、あるいは、すでに自分は子をもち、ひと安心した女房の目線によるのではないでしょうか。
あるいは、まだ出産適齢期の心配をするには及ばぬ年若い侍女たちから見てのことではないでしょうか。

紫上にも、花散る里にも、秋好中宮にも、実子はいませんでした。

彼女たちが心の底から求めたものは、広大な庭園や竜頭鷁首の船だったのでしょうか。
壮麗な六条院に、子を待つ女性たちの焦りと諦めに満ちた、いわく言い難い空気を感じるのは私だけでしょうか。
有名な春秋論争にことよせたやりとりには、彼女たちの煩悶と戦友としての共感が秘められているような気がするのは、私だけでしょうか。

 

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(紫上22)Eと同様に、
「御法(みのり)」「のり(法)」を「のり(紀)」<紀氏>
としてみましょう。

「みのり(御法)」は
「み(身)」「のり(紀)」
「み(実)」「のり(紀)」
をも連想させます。

 


(花散里5)C.<鎮魂>
この世で結んだ血筋は絶えるものではありませんよ。
総じて残り少ない子孫の、「のり(紀)」<紀氏>となってしまいましたが。

 

 

Bと同じく、上句(5・7・5)と下句(7・7)との間で、この歌を句切ってみましょう。

「なりとも」は逆接<~であっても>の意味から派生して、<せめて~なりとも(欲しい)><せめて~だけでもいいから(欲しい)>と
<最小限の希望><一縷の望み>を表します。

「絶えし」<連体形終止><詠嘆>

「おほかたの(大方の)」<大方の><あらかたの><大体の>


藤原氏に排斥され、天皇家との血縁関係が断たれた紀氏の<鎮魂>の観点から、この歌を解釈して見ましょう。

 

               大方             御 法
結びおく ちぎりは 絶えじ  おほかたの / 残りすくなき み のり なりとも
          絶えし                 身 紀
                              実り

(花散里5)D.<鎮魂>
(天皇家と)結んだ、大方の血縁は(あらかた)絶えてしまったよ。
たとえ数少ない「のり(紀)」<紀氏>であっても、「みのり(実り)」<子>を残したかった。

 

 

 

 

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「おほかた(大方)」の「おほ(大)」は「おほ(大)」<尊称>を連想させます。

「おほきみ(大君、大王、王)」<天皇><皇族><諸王>
「おほとの(大殿)」<宮殿><貴人><大臣>
「おほやけ(公)」<朝廷><天皇><天皇家>

 

「大方(おほかた)」の「大(おほ)」は、類似音の「王(おほきみ)」を連想させます。
「王(おほきみ)」<天皇><皇族><諸王>


ホムダワケノミコト(応神天皇)を皇位につけようとする神功皇后に対して、異母兄「香坂王」「忍熊王」は反乱を起こしますが、鎮圧されてしまいました。
「王」の連想は、<香坂王><忍熊王>にもつながります。


仲哀天皇の血筋を引き継いだ二人の王、「香坂王」「忍熊王」は、ともに皇位継承がらみで、死んでしまいました。

「かた(方)」は、<側><勝負事の組><味方>を表します。

「みのり(実り)」は<種実><子孫>を連想させます。

「なりとも」<せめて~だけでも(欲しい)><せめて~なりとも(欲しい)>


上記のイメージを重ねて、皇統から絶えてしまった、仲哀天皇の血族の<鎮魂>の観点から、この和歌を解釈してみましょう。


     契り       大  方            御 法
結びおく ちぎりは 絶えじ おほ かたの / 残りすくなき み のり なりとも
     血切り  絶えし おほきみ            身 紀
              王               実
                              実り

 

(花散里5)E.<鎮魂>
この世に結んだ(仲哀天皇の)血筋は絶えてしまったよ。
(「王」<香坂王><忍熊王>側の方には)、たとえ数少ない「実り」<種実><子孫>だけでも(残したかった)。

 

 

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直後の地の文に何度も繰り返される「こと」の音が、耳に残ります。


****参照:(注78374):「こと」「ことなる」


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「みのり」「のり」を含むこれらの和歌、特に(花散里5)は、かなりぎこちない作りになっているような気がしませんか?

これを「法会」というそのままの含意に置換しようとすると、<残り少なくなった法会の回数>となります。
つまり、単なる行事の残り日数などと言う、なんとも<卑小>な意味合いになってしまいます。

そんな解釈より
「みのり(実り)」<子>を残したかった。
「のり(紀)」<紀氏>一族が存続していって欲しい。
などとする方が、迫り来る死を覚悟した者とのやり取りとして、はるかに相応しいとらえ方だ、と私には感じられました。


源氏物語の中で、紫上にはついに実子が出来なかったことを背景として、紫式部は、
「みのり(実り)」<実子>の連想を引き出した上で、
さらに、当時の現実社会において、血筋を残せなかった、
「のり(紀)」<紀氏>を、あるいは「おほきみ(王)」<忍熊王>らを、読者に想起させようとした、
と私は思います。

その目的は、言うまでもなく、文徳天皇や紀氏が良房に追い落とされた、というような<告発>であり、また、それら過去の怨霊の<鎮魂>です。
公然とは口に出来ないその<告発>を、「隠しながら伝え」ようとして、紫式部は「みのり(御法)」という別の言葉を<隠れ蓑>として用いたのだと、私は思います。
隠れ蓑をツギハギして真意を覆い隠した和歌は、表向きの解釈に留まる限り、ぎこちない作りになるはずです。


「おほかたの(大方の)」という言葉の、なんとも<舌足らず>な使われ方にしろ、
<残り少なくなった法会の回数>などと言う、いかにも<卑小>な発想にしろ、
パッと見、この和歌は歌意も言葉使いも、えらく「出来の悪い」歌だと思いませんか?


その違和感から、すべての解釈の探求は始まります。


紫式部は、<巧みな言葉で美しい芸術作品を紡ぎ出す>という「文人としての誇り」をかなぐり捨てて、もっと大切な<価値>を同時代に伝え、後世に残そうとした、と私は思います。
その葛藤は文字通り命がけでした。合理的な思考の浸透した現代と違って、権謀術数の渦巻く宮中、道長の恐怖政治下では言論の自由などなかったからです。


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道長の娘、彰子は、総勢なんと41人の女房を引き連れて一条天皇に入内しました。
中宮定子サロンに、これでもかと権勢を見せつける、いかにも道長らしいエピソードのひとつです。
印刷技術の無い当時、その女房総出で書写し製本した源氏物語の、いわば「初版本」が、完成早々、何者かに全冊持ち去られてしまった事件が、驚きとともに「紫式部日記」に記されています。
持ち逃げした犯人は道長(の指示を受けた者)だろう、と推測されています。
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想像してみて下さい。単なる恋愛小説、人間ドラマに毛が生えたような作品だったなら、道長が黙って全冊持ち去ったでしょうか?
「源氏物語」の中で最も過激な部分は、既に歴史のかなたに葬り去られてしまっているかも知れない、とすら私は思います。
これについては、「連想詞について」などのファイルを御覧下さい。


****参照:(注88776):「巣守」「桜人」

 

<恋愛>だの<美意識>だのという観点から源氏物語をとらえるのは、<平安貴族の美学>を捨てた先に彼女が到達した「新世界」から、わざわざ<目を背ける>結果になる、というのは、むしろ当然のことのように私には思われます。
「ぎこちない」「出来の悪い」歌ほど、何か重要な<裏の意味>を秘めているのだろう、と疑うところから、我々の探求は始まります。

 

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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。


****参照:(注221176):(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ のメモ


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ここまで。
以下、(注)


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