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「源氏物語」は伝え方が10割

「理系学生が読む古典和歌」
詳細はアマゾンの方をご参照下さい。

(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる

2021-01-16 16:37:01 | <ロリータ攻防戦>

 


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(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる11.TXT


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要旨:

「和歌の浦」「若の浦」は、現在の和歌山県にある、海辺の景勝地で、古代から歌枕として多用されてきた。
<幼少期の紫上の通称>の「若紫」と、「若の浦」を掛けた和歌の応酬について、
源氏の毒牙から幼女を守ろうとする乳母たちの攻防戦を背景とした解釈を試みた。


また、「和歌の浦」を「和歌の裏」として、「和歌」の裏側に秘められた歴史への連想を背景とした解釈も合わせて試みた。

 

詳細は下記の<ロリータ攻防戦>を参照のこと。

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(北山の尼君1).生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えんそらなき
(北山の尼の侍女1).初草の生ひゆく末も知らぬ間にいかでか露の消えんとすらむ
(北山の尼君2).枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ
(源氏16).初草の若葉のうへを見つるより旅寝の袖もつゆぞかわかぬ
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目次:


(光源氏23).いはけなき鶴(たづ)の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえなら


(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる


メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。

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幼少期の紫上を描いた「若紫」帖の歌です。

 


(光源氏23).いはけなき鶴(たづ)の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえならぬ


「いはけなし」<幼い><子供っぽい>
「なづむ(泥む)」<なづむ><行きなづむ><足止めを食う><(進行が)思うに任せない><執着する><(心を)とらわれる><悩み苦しむ><体調が悪い>
「たづ(鶴)」<鶴の雅語>

(光源氏23)A.
幼い鶴の一声を聞いてから、(そちらに行きたいのに)葦の間を行き悩むこの舟の思うに任せないことよ。

 


「鶴」<若紫>


@(光源氏23)B.
幼い鶴<若紫>の一声を聞いてから、(会って話したいのに)葦の間を行き悩む舟(のように足止めを食う私)の思うに任せないことよ。

 


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「あし(葦)」は「あし(足)」を連想させます。


***「あし(葦)」「あし(悪し)」「あし(足)」*********
(新古今集).難波潟短き葦の節の間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや (伊勢)  (百人一首19番)
(千載集).難波江の葦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき (皇嘉門院別当)  (百人一首88番)
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詳細は上記の和歌のファイルをご参照下さい。

 

***「あし(葦)」「あし(足)」***********
人間は考える葦である。 (パスカル)
男には考えない足がある。 (嘉門達夫)
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「たつお(達夫)」の「たつ(達)」が「たつ(立つ)」「たつ(勃つ)」を連想させることも興味を引きます。


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「情緒満男?」
「ロングヘアーウザ男」
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」)
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嘉門達夫氏は、(百人一首88番)のこの皇「嘉門」院別当の和歌を<読み替え>た上で、
ご自身の芸名、および上記のギャグの引き歌としたのでしょうww


この和歌を本歌取りの引き歌に設定した彼に、極めて挑発的・戦闘的な読解姿勢を、私は感じます。

彼が<隠しつつ伝えようとした>決死の覚悟を素通りして、我々はこのギャグを後世に伝えるべきではありませんww


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「ふ(節)」<節><植物の節><薦などの網目>
「ね(根)」<根>
「ふね(舟)」を「節根(ふね)」<節の根><節くれだった根><男根>としてみましょう。

「たづ(鶴)」は「たつ(立つ)」「たつ(勃つ)」を連想させることも興味を引きます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「たつ」と表記されました。

 

(光源氏23)C.
幼い鶴<若紫>の一声を聞いてから、足の間で悶々とする「節根」<男根>の思うに任せないことよ。

 

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(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる

 

「和歌の浦」「若の浦」<和歌山市南部の海岸><和歌川の河口><玉津神社があり景勝地>

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(万葉集06/0919).若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る (雑歌 山部赤人)
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「玉(たま)」は<美称>に用いられる<接頭辞>です。
現在でも「玉の子」などと言いますね。

「玉藻」は<藻>の美称で、歌語として多用されます。


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***「玉」<ホンモノ>「露」<ニセモノ>****************
(古今集165).はちす葉のにごりにしまぬ心もて なにかは露を玉とあざむく (僧正遍照)
@(古今集165)A.
蓮は、泥の濁りにも染まらぬ清らかな花を咲かせるのに、そんな清い心で、なぜはかない「露」を美しい「玉」のように偽って見せるのだろうか。
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「蓮」は、泥の中から生え、清らかな花を咲かせることから、<穢れに染まらない清さ>の象徴としても用いられます。
煩悩にまみれた俗世の凡夫でも、仏性をそなえ、成仏することが出来るという仏教の例えもここから来たそうです。
出家を宣言した藤壺宮から、仏教ゆかりの花である蓮が連想されるのはごく自然であるように思えます。

古今東西、球は<完全な形>の象徴と考えられてきました。
「完璧」は<傷ひとつない完全な球>の意味です。
「璧」には「玉」の部首が含まれますね。

「玉」は<桐壺帝の子>:完璧なもの、全きもの
「露」は<源氏の子>:玉の偽物、「水玉」
とし、
「はちす葉」を<出家した藤壺入道>
としてみましょう。


(古今集165)B.
出家して、濁りに染まらぬ心のはずなのに、なぜ「露」<源氏の子>を「玉」<桐壺帝の子>と欺くのだろう。


「泥(こひぢ)」は「恋路(こひぢ)」の掛詞になり、また、
「うき(泥土)」<泥><土><沼><泥沼>は、「憂き」「浮き」との掛詞になることも示唆的です。

「泥(こひぢ)」は「恋路(こひぢ)」の掛詞になり、また、
「うき(泥土)」<泥><土><沼><泥沼>は、「うき世」の「憂き」「浮き」との掛詞になることも示唆的です。
私は、これらの言葉が生まれ、淘汰され残って類似音に収束したのは、偶然の一致では無いと思います。
「もゆ」や「よ」と同じく、ここには我々の「発想の原型」があると思います。


詳細は下記の和歌のファイルをご参照下さい。

***「しも(霜)」<ニセモノ>「しも(下)」<ニセモノ>「かみ(上)」「かみ(神)」<ホンモノ>********
(中務の君1).祝子が木綿うちまがひおく霜はげにいちじるき神のしるしか
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その名も「素性」法師の詠む和歌は、興味を引きます。

「素性(そせい)」は「素性(すじゃう)」をも連想させます。

「素性(すじゃう)」<家筋><家柄><生まれ><育ち><本来の性質><本性>


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(古今集76 素性法師).
さくらの花のちり侍りけるを見てよみける
花ちらす風のやどりはたれかしる我にをしへよ行きてうらみむ

「うらむ(恨む)」マ行上二段<恨む><恨み言を言う>

@(古今集76 素性法師)A.
桜の花を散らす風の泊まる宿を誰か知っているか。
私に教えてくれ。そこに行って恨み言を言おう。
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(古今集76 素性法師).
「桜の花」<仲哀天皇>の散りました様子を見て詠んだ。
「風の宿り」<どこからともなくやって来た武内宿禰>

「うらみむ(裏見む)」<裏を見よう><裏の真相を見よう>

(古今集76 素性法師)B.<読み替え><鎮魂>
「桜の花」<仲哀天皇>を散らす「風の宿り」<どこからともなくやって来た武内宿禰>とは誰だか知っているか?
私に教えてくれ。そこに行って「うらみむ(裏見む)」<裏の真相を見よう>。
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***「いそのかみ」「もとかしは」***************
(古今和歌集886 よみ人知らず).
いそのかみ ふるから小野の「もとかしは」 本の心は わすられんくに (雑歌、上)

「いそのかみ(石上)」<「ふる(古る)」を導く枕詞><奈良県天理市石上布留の地名から派生>
「石上寺」<良因院><素性法師の寺>
「ふるから(古幹)」(上代語)<古い茎>
「もとかしは(本柏)」は<冬でも落ちずについている柏の古い葉>のことで、
上句は同音の「もと」を導く序詞になっています。
<天皇の代替わり>の年の「大嘗祭」の時には、神に捧げる酒に、この柏の葉を浸します。
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(古今和歌集144 素性法師).
ならのいそのかみでらにて郭公のなくをよめる。
いその神ふるき宮この郭公 こゑばかりこそむかしなりけれ

(古今和歌集144 素性法師)B.<鎮魂><読み替え>
「いそのかみ(五十の神)」<五十代の天皇><仲哀天皇>の、
古い時代の奈良の都にいた、「宮の子」<皇子><応神天皇>は「郭公」<托卵鳥>で、
「声は雁」<皇子の声は「雁」だ><応神天皇の声は仲哀天皇の声と似ても似つかず>、
(寄托鳥の雛<嫡子>の「香坂王」「忍熊王」は托卵鳥の郭公から、巣の外に蹴落とされ)、
応神天皇の声だけが、かつて巣(宮中)に鳴り響いた。

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詳細は下記の和歌のファイルをご参照下さい。

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「唐紅」<紅葉の色>は<鮮血の色><天皇家の純血>、
「水」は「真清水」<増し水><割り水>。
(古今集294).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (秋下、在原業平)
(古今集293).もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き波やたつらん (秋下、素性法師)
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「みなと」<川面の紅葉葉が流れ集まって溜まっている場所>


「らん」は「らん(乱)」「らん(濫)」「らん(卵)」をも連想させます。

「らん(乱)」<乱れ><皇統乱脈>

「らん(卵)」<卵><托卵><陽成天皇>

 

「山吹」襲(かさね)などを染める黄色系の染料は、しばしばクチナシの実が用いられました。
「梔子」<クチナシ><口無し>から「花語らず」

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(古今集19-1012.素性法師).山吹の 花色衣 主や誰 問へど答へず くちなしにして
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「八重山吹」が<不稔><産むはずの無い親>であることも、興味を引きます。

 

***「花咲きて実は成らぬ」***************
(万葉集10-1860).花咲きて 実は成らねども 長き日(け)に 思ほゆるかも 山吹の花 (作者不詳)
(古今集121).今もかも 咲きにほふらむ 橘の 小島の崎の 山吹の花 (春下、よみひとしらず)

「かも(鴨)」<ガン・カモ><渡り鳥><産むはずの無い親>
「らむ」撥音便「らん」<卵>

「橘鳥」<ホトトギス><托卵鳥>
「山吹の花」<不稔>
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脱線から戻りましょう。

和歌を再掲します。


(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる


「心」には<底><水底>の意味があります。

「うく(浮く)」四段自動詞、下二段他動詞<浮く><漂う><浮かび上がる><浮かれる>
しばしば「浮きたる」の形で、<浮かれている><浮ついている><浮気だ><落ち着かない><不安定だ><当てにならない><いい加減だ>
「なびく(靡く)」四段自動詞、下二段他動詞<靡く><(根元はそのままで)先の方が横に揺れて動く><心を寄せる><相手の意に従う>


(少納言の乳母1)A.
寄る波の心も知らずに、和歌の浦に藻がなびいている様子は落ち着かないよ。

 

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「寄る」<言い寄る>


「うら(浦)」<浦><海><入り江><浜辺>

「うら(浦)」は「うら(裏)」「うら(心)」をも連想させます。

「うら(裏、心)」<裏><裏側><下心><表からは見えないもの><心>

「うらなし(裏無し、心無し)」<腹蔵ない><打ち解けた><ざっくばらんだ>


「うら(末)」<末端><先端><梢>

「ほど(程)」<程><程度><時間><距離><隔たり><辺り><付近><広さ><大きさ><様子><姿><身分><年齢><間柄><仲>


            和歌の裏
            若の末           浮き
 寄る波の 心も知らで わかの浦に 玉藻なびかむ程ぞうきたる
 夜 無み       わかぬ裏          憂き
            分かぬ裏          泥土

 

源氏物語で、紫上は、しばしば「海松(みる)」<海藻の総称>に例えられます。


***「海松」**********
(「葵」帖)
(光源氏50).はかりなき千尋の底の海松ぶさの生ひゆく末は我のみぞ見む
ここで紫上(の髪)は<海松>に例えられています。
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「玉藻」<若紫>

「寄る波」<言い寄る源氏>としてみましょう。

源氏が言い寄る「和歌」の「裏」に何が隠されているか、少納言の乳母は訝っているようです。

 

(少納言の乳母1)B.
和歌の裏に隠された、言い寄るあなた(源氏)の本心も知らずに、玉藻<若紫>が靡くとしたら、軽率だよ。
(そう簡単に従うわけには参りません。)

 

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「わかのうら(若の浦)」の「わか(若)」は「わかめ(和布、若布、若藻、稚海藻)」「わかめ(若芽)」を連想させます。
「わかのうら」を「若藻の末」<若布の先端><若布の若芽><若紫>としてみましょう。


@(少納言の乳母1)C.
<若紫>に言い寄るあなた(源氏)の本心も知らずに、玉藻<若紫>が靡くとしたら、軽率だよ。
(そう簡単に従うわけには参りません。)

 

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養育といえば、若紫のほかに玉鬘がいますが、源氏は玉鬘にも言い寄っています。
玉鬘は、「玉藻」に例えられることもあります。

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(頭中将9).うらめしやおきつ玉藻をかづくまで磯がくれけるあまの心よ
(源氏176).よるべなみかかる渚にうち寄せて海人もたづねぬ藻屑とぞ見し
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「寄る」<言い寄る><忍び寄る>
「波」<源氏>

「わか(若)」は「わかむらさき(若紫)」をも連想させます。

「わかむらさき(若紫)」とは、「源氏物語」における、<幼少期の紫上の通称>で、「若紫」帖の帖名としても掲げられています。

紫上は、源氏の最愛にして禁断の想い人、藤壺宮の姪にあたります。
根から紫色の染料を抽出する草本植物の「紫草」は、歌語として多用されますが、木本植物の藤の花と同じく、<紫>を連想させます。

藤壺宮が手の届かない高みにある<紫>の「藤の花」であるのと対比して、
紫上は、源氏の手もとの地面に生えている<紫>の「紫草」です。

「若紫」の「わか(若)」は、「わが(我が)」を連想させることも興味を引きます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「わか」と表記されました。

「わがむらさき(我が紫)」<私の紫><源氏の思い通りに出来る紫上>


「うら(裏)」<裏側><陰>


これは、紫上、梅壺女御、玉鬘と、養女全てに言い寄ることになる源氏の将来を暗示しているのでしょうか。


            和歌の裏
            若の末    藻     程  浮き
 寄る波の 心も知らで わかの浦に 玉もなびかむ ほどぞうきたる
 夜 無み       わかぬ裏   も     ほと 憂き
            分かぬ裏         陰  泥土

 

(少納言の乳母1)D.
(養女に)忍び寄り言い寄る源氏の下心も(若紫は)知らないからといって、
若紫の陰で、玉鬘にも靡くような(あなたの節操の無さの)程は、嘆かわしいものです。


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「波」は<(顔に出来る)皺><老い>のたとえとして用いられます。

また、「なみ(波)」「なみ(無み)」「なみだ(涙)」は掛詞として常用されます。


*** 出産のときの歌(親子三代) ********
「しほ(潮)」<潮>
「しぼ(皺)」<(革や紙の表面の)皺>
「波」<皺(しわ)>のたとえ。<寄る年波>

(明石尼君5).老いの波かひある浦に立ち出でてしほたるるあまを誰かとがめむ
(明石中宮2).しほたるるあまを波路のしるべにて尋ねも見ばや浜の苫屋を
(明石上20).世を捨ててあかしの浦にすむ人も心の闇ははるけしもせじ
*************************

詳細は上記の和歌のファイルをご参照下さい。


「ほと(陰)」<陰><窪み>には、<女性の陰部><女陰>を連想させることも興味を引きます。
また、それへの対比を背景として、
「玉(たま)」は<金玉><睾丸>をも連想させます。


源氏も幼少期は「玉の子」と呼ばれました。

***********************
世にもきよらなる玉の男御子さへ生まれ給ひぬ。(桐壺)
***********************

「玉」は<源氏>をも連想させます。

 

「寄る波」<皺の寄る老女><寄る年波に抗えず、老いて行く私達(が紫上を心配して流す涙)>
としてみましょう。

「わかの(若の)」が「わかぬ(分かぬ)」を連想させることも、興味を引きます。

「わかぬ(分かぬ)」<分からない>

 


            和歌の裏
            若の末    藻     程  浮き
 寄る波の 心も知らで わかの浦に 玉もなびかむ ほどぞうきたる
 夜 無み       わかぬ裏   も     ほと 憂き
            分かぬ裏         陰  泥土

 

(少納言の乳母1)E.
寄る年波に老いて行く(祖母尼君や乳母の)私達(が幼い紫上を心配して流す涙)も知らないで、
(あなたは)タマタマも揺れ動くほど、浮かれていますね。

 

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「寄る」<言い寄る><忍び寄る>
「波」<源氏>

「波」「涙」

「うら(浦)」は「うら(裏)」「うら(心)」をも連想させます。

「うら(裏)」<裏側>
「うら(心)」<下心>
としてみましょう。

「うき(浮き)」<涙の海に浮くこと>
「うき(憂き)」<辛いこと><辛さ>

「ぞ~たる」<係り結び><強意><詠嘆>

 

(少納言の乳母1)F.
(養女に)忍び寄り言い寄る源氏の下心も(若紫は)知らないので、
若紫の裏で、タマタマが揺れ動く程に、あなたはウキウキしているのですね。

 

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ところで、
自立語に付属語がくっついて、文節を作り、文を構成する言語を「くっつく」という意味で「膠着語(こうちゃくご)」と呼びます。
日本語は「膠着語」のひとつです。


****参照:(注227746):「膠着語」と<語順の恣意性>

 

膠着語では、語順を変えても意味が変わらないため、もともと語順に対する感覚がさほど厳しくありません。


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さて、
上記を参考に、この和歌の語順を考えて見ましょう。

 

まず、(少納言の乳母1)の和歌を、上句(5・7・5)と下句(7・7)との間で、句切ってみましょう。


(上句):寄る波の心も知らで / 和歌の裏に
(下句):玉も靡かむ / 陰ぞうきたる

 

膠着語では、語順を変えても意味が変わらず、もともと語順に対する感覚がさほど厳しくないことを考え、
上句の中で、「和歌の裏に」を「寄る波の心も知らで」に掛けてみましょう。

 


(少納言の乳母1)G.
(上句):和歌の裏側に秘められた、幼女に忍び寄り言い寄るあなた(源氏)の下心も知らずに、
(下句):(節操の無いあなたの)タマタマが靡いていく、若い紫上の「陰」<女陰>の、なんと可哀相なことよ。


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母親を失くした幼い紫上は、祖母の尼君が北山で養育していました。
執拗に言い寄る源氏から、若紫(幼い紫上)を守る最も強固な防波堤が尼君だったわけですが、
その尼君が亡くなったので、これ幸いと、源氏は喜色満面で北山を訪れます。


「たま(玉)」は「たま(魂)」をも連想させます。

「たま(魂)」<亡き尼君の魂><(源氏の毒牙から幼女を守れという)亡き尼君の遺言>
としてみましょう。


(上句):寄る波の心も知らで / 和歌の裏に
(下句):魂も靡かむ / 程ぞ憂きたる


(少納言の乳母1)H.
(上句):和歌の裏側に秘められた、幼女に忍び寄り言い寄るあなた(源氏)の下心も知らずに、
(下句):「たま(魂)」<亡き尼君の魂>まで、(あなたの邪心に)靡くようなことになれば、(幼い紫上が)あんまり可哀相だ。

 

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****参照:(注776671):「音素の弁別」と<(物理的)客観性>

 

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「たま(玉)」と言えば、下記の(大宮4)の和歌が思い出されます。

 

*** 藤原道長が娘彰子のライバル「御匣(みくしげ)殿」の暗殺を企てたことを仄めかす源氏物語の一節 *********
(大宮4).ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり
「よくも玉櫛笥にまつはれたるかな。三十一字の中に、異文字は少なく添へたることのかたきなり」
と、忍びて笑ひたまふ。
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詳細はこの歌の解釈のページを御覧下さい。


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道長は、中宮定子がいながら、我が娘彰子をも強引に一条天皇の后としました。
これが前代未聞の「二后並立」です。

入内の日、彰子は何と総勢41人もの女房を伴う大行列で後宮入りしたそうです。
自らの権勢をこれでもかと見せつける、いかにも道長らしいエピソードです。

逆に、勢力衰える一方の定子サイドでは、第三子の「躾子」出産を目前にして、定子の乳母すら、夫の任国に随行するため、定子のもとを離れていきます。

躾子の出産で定子が亡くなる、同じ1000年12月15日の夜、道長と緊密な関係にあった道長の姉、詮子の御殿(東三条院)が全焼し、また道長は物の怪のとりついた次兄の妻藤原繁子につかみかかられるという凶事に見舞われました。
道長は道隆か道兼の死霊だろうと感じました(権記)が、紫式部は定子の「魂(たま)」だったと言いたかったのかもしれません。

 

***「たま(玉)」「たま(魂)」*************************
***「くしげ(櫛笥)」「くしげ(匣)」「くしげ(奇しげ)」*************


(大宮4).ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり

@(大宮4)A.
義理の息子(我が娘故葵上の夫)源氏の君と、我が息子内大臣(もと頭中将)のお二方のいずれの筋からたどりましても、「玉くしげ」<玉鬘>は、我が身と切り離せない孫なのでした。


「かげこ(陰子、影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子>

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人知れず君が「かげこ」になりぬとぞ思ふ。 (相模集)
************************


(大宮4)E.<鎮魂>
詮子と道長(繁子)の二方に、恨みを言いに行ったので、
①(中宮定子の)霊魂は、怪しげにも、自分の身体を離れてしまった。
②それにしても、我が身を離れない、
「かげこ(陰子、影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子><定子の死後、御匣殿が世話する遺児敦康>
であることよ。


(大宮4)G.<鎮魂>
(一条天皇が)定子とその妹の「御匣殿」のお二方に惹かれるのだとすれば、それは、姉妹はお互いに、我が身と違わぬ一心同体の面影だからです。

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「かげこ(陰子、影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子>

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人知れず君が「かげこ」になりぬとぞ思ふ。 (相模集)
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定子の末の妹「御匣殿」は、定子の生前から、定子の子達の面倒をよく見ていました。
そして、定子の死に際して、定子から特に敦康の世話を託されます。


「かげこ(陰子、影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子><定子の死後、御匣殿が世話する遺児敦康>
としてみましょう。


「かげ(影)」<面影><影法師><影法師のように常につきまとうもの>
の意味もあります。

 


ちなみに、中宮定子の遺詠、
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煙とも雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露を それとながめよ (中宮定子)
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の「煙とも雲ともならぬ」から、兄の伊周は、定子が火葬を望んでいないと考え、土葬にしました。

当時の土葬は、土に埋めるのではなく、埋葬地の鳥辺野に「たまや(霊屋)」という仮小屋を作って、そこに棺を置いて来る、という形で行われました。(山本淳子「源氏物語の世界」)

 

「たま(魂)」「たまや(霊屋)」<中宮定子の霊魂>

(1)「離れぬ」=「離れ」下二段連用形 + 完了「ぬ」終止形 = <離れてしまった>
(2)「離れぬ」=「離れ」下二段未然形 + 打消「ず」連体形 = <離れない>

 

「くしげ(奇し気)」<怪しげだ><怪しげにも>

「け(笥)」は「け(怪)」<物の怪>をも連想させます。


道長と詮子に祟りをなしたのは、定子の「魂(たま)」だった、と紫式部は言いたかったのかもしれません。

 

ふた方に いひもてゆけば / 魂 奇し気 / わが身 離れぬ /  影子 なり けり


(大宮4)D.<鎮魂>
詮子と道長(繁子)の二方に、恨みを言いに行ったので、
私(定子)の霊魂は、怪しげにも、(1)我が身を離れてしまった。
(それにしても、遺児敦康は)、(2)「影子」<私の心から離れない愛しい子>だよ。

 

詳細は下記の和歌のファイルをご参照下さい。


***「うとまれぬ」<二重性>***********
(藤壺宮3).袖濡るる露のゆかりと思ふにもなほ「うとまれぬ」大和撫子
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「たま(玉)」は「たま(魂)」をも連想させます。

「たま(魂)」<亡き定子の魂><(詮子と道長に祟った)亡き定子の魂>
としてみましょう。

「和歌」「みそひとじ(三十一字)」「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><文徳天皇の死><一条天皇の死>

「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><一条天皇の死>

「波」「藤波」<藤原氏><氏長者><藤原道長>
としてみましょう。

 

(上句):寄る波の心も知らで / 和歌の裏に
(下句):魂も靡かむ / 程ぞ憂きたる

 

(少納言の乳母1)I.<鎮魂>
(上句):「和歌」「みそひとじ(三十一字)」「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><一条天皇の死>の裏側に秘められた、天皇家に忍び寄る「波」「藤波」<藤原氏><氏長者><藤原道長>の下心も知らないで(追い落とされ)、
(下句):「たま(魂)」<亡き定子の魂>まで、(恨みの余り、詮子と道長の方に)漂っていって(祟りをなした)程の、定子の辛さだったのだなあ。

 


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源氏物語の六条御息所は、生霊として夕顔と葵上とをとり殺したばかりか、死霊になった後は、紫上や三宮にも襲いかかりました。
それほどに深い恨みだった、と紫式部は言いたかったのでしょう。

1025年には、道長は二人の娘を、わずか一月足らずの間に亡くしました。
源明子との間に出来た寛子と、倫子との間に出来た嬉子です。
さらにその二年後に、今度は妍子を亡くしました。

ちなみに、この時すでに、定子が命がけで産んだ第三子の躾子は、九歳で病死しています。(1008年)
それは、道長が30日に渡って土御門邸に客を呼んで執り行った大々的な法華三十講を成功裡に終えた直後のことでした。
また、躾子の兄敦康も、帝になれぬまま二十歳で亡くなっています。(1018年)


詳細は上記の和歌(大宮4)のファイルをご参照下さい。


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定子の崩御から4ヶ月後、紫式部は夫宣孝を亡くします。
当時流行していた疫病が直接の原因と考えられています。

宣孝の死を境に、紫式部の詠む和歌には、「身」や「世」という言葉が増えるのだそうです。(「紫式部集」、山本淳子「源氏物語の世界」)
(大宮4)の歌にも「身」の語が含まれていますね。

 


中宮定子亡き後、宮邸から、定子の母方の外戚、高階一族の訪れはぱったり途絶えました。(山本淳子「源氏物語の世界」)
自身も安和の変で、父高明の失脚を経験した俊賢は、これを「人間の心ではない」と嘆きました。(権記)

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冷泉帝の治世で、源氏(他氏)の最後のエース左大臣源高明が謀反で免職、これで藤原氏に逆らう他氏は根絶された。
冷泉帝は大した事績はないが、この「負の業績」において、平安時代(藤原摂関政治)を象徴する天皇となった。
(参考:井沢元彦「天皇の日本史」)
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***「冷泉天皇」と「源氏物語」*****************************
臣籍降下して源氏となった主人公の光源氏が女性遍歴のあげく、天皇である父親の妻の一人(つまり自分の義母)と不倫関係になり、その間に生まれた不倫の子がなんと天皇になり、その天皇によって光源氏は臣下の身でありながら准太政天皇つまり「名誉上皇」に出世するという物語なのである。
実際には当時、源氏は藤原氏に敗れ藤原氏の天下が確立していた。しかし、この「物語」の中では源氏が逆にライバルに完全な勝利をおさめるのだ。。。(中略)。。。
生前に右大臣だった菅原道真を神様に祭り上げたように、藤原氏は実際には追い落とした源氏一族を「物語の中で勝たせてやった」のである。その証拠に物語の中で天皇になった光源氏の不倫の子は何と呼ばれているか?
冷泉帝、すなわち冷泉天皇なのである。「源氏物語」はフィクションだから藤原氏のことも「右大臣家」とぼかしている。にもかかわらず光源氏の子については現実に存在した冷泉のし号をそのまま使っている。
では、現実の冷泉の治世に何があったか? 源氏の最後のエース源高明が失脚(安和の変)したではないか。つまり「源氏物語」とは、「関ヶ原で石田三成が勝った」という話であって、それを「徳川陣営」が作るというのが、外国にはまったく見られない日本史の最大の特徴の一つなのである。
(井沢元彦「天皇の日本史」)
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(一時的とはいえ)皇統に自らの血を流し込んだ、という意味での光源氏の成功の象徴が<冷泉帝>であり、現実の歴史ではなった者がいない「准太政天皇」の位すら賜ることが出来たのもその冷泉帝の計らいによるものでした。

源氏物語の登場人物のモデルを実際の歴史に探し求める「モデル探し」が今まで盛んに行われてきました。
それは、それぞれの登場人物の具体的な行動や性格を、実在の歴史上の人物と比べてその異同を論じる、というものでした。
しかし、井沢元彦さんのアプローチは、それらとは次元が異なります。

「歴史上実在した冷泉天皇の、個々の具体的な事績」を、「源氏物語の登場人物である冷泉帝の個々の行為や性格」と比べるのではなく、
「歴史上実在した冷泉天皇の治世が<象徴>する<他紙排斥の完了>」を、「源氏物語全体のテーマ<他氏の鎮魂>」と照合させる、
という、メタレベルのアプローチでした。
そして、それは、「現実の冷泉天皇の治世の歴史的意義付け」と、「源氏物語が書かれたそもそもの動機<鎮魂>」とを、見事に符号させています。

私は、これほどクリアー、かつ通常の解釈の発想とは次元を異にする、源氏物語解釈に出会ったことがありません。
ここへ来て、源氏物語の解釈は、「比喩」から「象徴」へと脱皮(昇華)した、とでも言うべきでしょうか。


氏の解釈が正鵠を射ているそもそもの理由は、
「源氏物語は、<文芸><文学><美学><色恋>のために書かれたのではなく、<社会>のために書かれた」
の一点に尽きる、と私は思います。

それもこれも、「源氏物語」の、いや、紫式部の視線の先にあったのは、<文芸><美学><色恋>ではなく<社会><政治>だったからです。

 

「冷泉帝」<安和の変><他紙排斥の完了><無力な天皇家><手足をもがれた天皇家>

私はこのイメージ連鎖を、私の「連想詞」のリストに加えます。
むろん、これが源氏物語の中の和歌全ての解釈に当てはまるわけではありませんし、それでもピンと来ない方はご自身のリストに加える必要はありません。
しかし、私自身は、これなくして何の源氏物語か、と言う気がします。


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藤原義懐は、かつて花山天皇を退位させようとする兼家の策略にかかり、花山天皇と伴に出家することを余儀なくされ、一夜にして権勢を失いました。
その息子成房、左大臣道長の養子であった源成信、右大臣顕光の息子重家たち若い世代が、定子の死後、次々と世をはかなんで出家しました。
左右両大臣の息子まで出家した一連の騒動は、宮中を揺るがすニュースになったとともに、定子の死を取り巻く状況を見て、若い世代が如何に厭世観を抱いたかを示しています。
ちなみに、顕光は右大臣でありながら、「至愚のまた至愚」といわれるほど無能で、酒癖の悪さも有名でした。


彼らに、紫式部の真意は伝わっていたのでしょうか。
私は、伝わっていたと思います。
むろんそれを公言するわけには行きませんが。


「三条の宮」「みそひとし」「御櫛の箱」の組み合わせによって、<定子と一条天皇と御匣殿>は容易に連想されていた、と私は思います。
現代人とは比べ物にならない鋭敏な言語感覚を持ち、豊穣な言語空間に生きていた「言葉の達人」である当時の人々なら、脳内で瞬時にイメージが連鎖していたでしょうから。

 


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***「源氏物語」冒頭、「女御」「更衣」***********************
いづれの御時にか、「女御」、「更衣」あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
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藤原氏は荘園という脱税システムを乱用して国富を掠め取り、すでに天皇家を圧倒する財力を蓄積していました。
その財力が藤原氏の政治権力の根本にあります。

摂関政治において、天皇は、摂政関白や大臣など、内裏(現在の内閣に相当)を構成する政府高官の娘たちとの間に子を生み、皇子の外戚を目指す藤原氏緒家の期待に沿うことが、政局安定の最大要件でした。
そうでなければ、天皇は藤原氏の政府高官たちからそっぽを向かれてしまい、円滑な政治運営など到底望めません。

従って、天皇が「女御」よりも「更衣」を、ましてや「藤原氏」よりも「紀氏」を寵愛するなどは、もってのほかの所業でした。
現代の我々には今ひとつピンと来ませんが、源氏物語の出だしは、不穏な先行きを暗示する、極めてキナ臭い、アブナイ文章だったわけです。


井沢元彦さんは、「源氏物語は<鎮魂>のために書かれた」とおっしゃっています。
この冒頭の一文は、「藤原氏への反逆」「摂関政治への抵抗」を象徴しているように、私には思えます。

 

文徳天皇は数えの31才で、一条天皇は満31才(数えの32歳)で亡くなりました。
ともに、当時最大の実力者(良房や道長)の娘とは違う女性(静子と定子)を最も愛しました。
そして、その子を皇太子にすることを阻まれたのも同じです。
しかも、静子も定子もともに若くして亡くなりました。


この最後の歌のしばらく後に来る、「源氏物語」の<最後>の文を見てみましょう。

***「源氏物語」の「をはり(終り)」<最後>の文 ************************
(地の文).
わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。

@(地の文)A.
(薫大将は)ご自分がかつて浮舟を隠し置いたご経験から、心に思い当たることを隈なく想像されて、、、ともとの本にございますそうな。
*************************************************


「わが(我が)」は「わか(和歌)」を連想させます。

「和歌」は「みそひとじ(三十一字)」です。
「みそひとじ(三十一字)」は
「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><文徳天皇><一条天皇>
を連想させます。

濁点を打つ習慣のなかった当時、これらはともに「みそひとし」と表記されました。


我が
わが 御心の 思ひ寄らぬ 隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。
わか
和歌


和歌、御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりし「ならひ」に、とぞ「本」にはべめる。


「和歌」「みそひとじ(三十一字)」「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><文徳天皇><一条天皇>

「御心」<良房の心>

「おとす(落とす)」<落とす><(花実を)散らす><もらす><失う><敵の手の及ばない所に逃がす>
「おどす(脅す、威す)」<怖がらせる><恐れさせる><威嚇する>

「落とし」<落とす事><落とし穴><話の落ち、結末>

 

和歌、御心の思ひ寄らぬ隈なく、脅し置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。


(地の文)B.<鎮魂>
「和歌」<三十一才の死><文徳天皇>については、
良房の思いの届かぬことは無く、
(前々から)脅しておかれた通りに、(暗殺を行った)。

とこの本にございますそうな。

 


源氏物語は、藤原氏への<反逆>から始まり、<告発>で幕を閉じました。

紫式部は、藤原氏の悪行を、宮中の最奥部から命がけで<告発>しました。
我々は、この含意を素通りして、源氏物語を後世に伝えるべきではありません。

 


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ここで、当時の実際の出来事を眺めてみましょう。


一条天皇(980~1011年)は、満31歳で亡くなりました。
***「数え年」*********************
平安当時は生まれた瞬間に一歳とみなしたので、一条天皇は、「三十二歳で崩御」と書かれるのが普通です。
ちなみに、誕生日によらず、1月1日にみな年齢を一つ増やしたそうです。
仮に、大晦日に生まれると、その時点で1才です。
さらに、翌日の元日に、年齢をひとつ加えるので、2歳になります。
つまり、生後二日目、満でいえば二日しか経っていませんが、「二歳児」ということになります。
*****************************


「みそひとじ(三十一字)」は
「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><三十一才で死んだ人><一条天皇>
を連想させます。
濁点を打つ習慣のなかった当時、これらはともに「みそひとし」と表記されました。


「御匣(みくしげ)殿」とは、定子の末の妹のことです。
「御匣殿」は、定子の生前から、定子の子達の面倒をよく見ていました。
そして、定子の死に際して、定子から特に敦康の世話を託されます。

一条天皇は、亡き定子の面影を重ねるように、妹の「御匣殿」を求めるようになります。
他の妻である彰子や元子を差し置いて、天皇は定子の妹に傾きました。
そして道長はじめ周囲にも一条天皇と「御匣殿」の仲が知られるようになりました。
そしてほどなく「御匣殿」は懐妊しました。

その頃から、道長は、敦康を引き取り彰子のもとで養育するようになります。
「御匣殿」を一条天皇から引き離すため、また彰子を敦康の母親代わりとして一条天皇を彰子につなぎとめるため、などの理由が考えられています。(山本淳子「源氏物語の世界」)

その後、何と「御匣殿」は、子を産むことなく、わずか17、8歳で亡くなりました。


「こともじ(異文字)」は
「こどもし(子供死)」<子供の死><胎児もろとも亡くなった「御匣殿」>
を連想させることも興味を引きます。
濁点を打つ習慣のなかった当時、これらもともに「こともし」と表記されました。

「すくなく(少なく)」は
「すぐ(に)なく(直ぐに泣く)」
「すぐ(に)なく(直ぐに亡く)」
をも連想させることは興味を引きます。

「すぐ(に)なく(直ぐに亡く)」<そのまま亡くなる><懐妊のまま亡くなった「御匣殿」>
のようにイメージを重ねてみましょう。

 

「異文字は少なく」<定子姉妹の他の女には興味が少なく>
「子供死は直ぐ(に)亡く」<胎児の死んだ「御匣殿」もそのまま亡くなって>

「添へたる子」<添えた子><(道長が)一条天皇に后としてくっつけた彰子>

「かたき(敵)」<相手><敵><仇敵><恋敵>

「たま(玉)」を「たま(魂)」<定子の魂>
「たまくしげ」<定子の魂が宿った「御匣殿」>
としてみましょう。

 


隠蔽のため、こま切れにされたコトバの連想をつないで、イメージをまとめてみましょう。
懐妊までした「御匣殿」の存在を苦々しく思う、道長の呟きが聞こえるようです。

 

よくも 玉匣 に 纏はれたるかな。 

 

三十ー 死 の中に、 子供死 は 直ぐ亡く 
           異文字 は 少なく  
           子と文字


添へたる 子 との 敵   なり。
       殿  難き

 

と、忍びて笑ひたまふ。

 

(源氏)D.<鎮魂>
(一条天皇は)よくも(定子の妹の)「御匣殿」にこだわったものよ。
「みそひとし(三十一死)」<三十一才で死んだ人><一条天皇>の中で、
「異文字は少なく」<定子姉妹の他の女への興味は少ないため>
「添へたる子」<添えた我が子><(道長が)一条天皇に后としてくっつけた彰子>の「かたき」<仇敵>だからだ。
とそっとお笑いになる。

 


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               櫛笥     
ふた方に いひもてゆけば 玉 くしげ /  
             魂 奇しげ    
                     

 

         ①完了
わが身 はなれ  ぬ   /  かけごなりけり
         ②打消    かげこ
                影子

 


(大宮4)D.<鎮魂>
詮子と道長(繁子)の二方に、恨みを言いに行ったので、
私(定子)の霊魂は、怪しげにも、
①我が身を離れてしまった。
(それにしても、遺児敦康は)、
②私の心を離れない「かげこ(影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子>であることよ。

 

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上記は光源氏のセリフです。
我が娘明石中宮や養女秋好中宮を天皇に入内させ、準太政天皇として栄華を極めた光源氏のモデルの一人として、しばしば道長も挙げられます。

<藤原道長が「御匣殿」の暗殺を企てた>と紫式部は考えていたのではないか、と私は思います。
そして、その道長の本音をこの源氏のセリフに忍ばせ、同時代の人たちに、あるいは後世に訴えかけたのだと思います。
他の文にくるんでカムフラージュしながら。


源氏物語は、藤原氏への<反逆>から始まり、<告発>で幕を閉じました。

我々はこの訴えを素通りして、このセリフを後世に伝えるべきではない、と私は思います。
しっかり受けとめ、そして次代に伝えなければ、宮中の最奥部から藤原氏の悪行を命がけで<告発>した紫式部の決死の覚悟も報われません。

 

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**** 本居宣長「源氏物語 玉の小櫛」 「もののあはれ」<センス・オブ・ワンダー> ******************
さて人は、何事にまれ、感ずべきことにあたりて、感ずべき心を知りて、感ずるを、「もののあはれ」を知るとは言ふを、
かならず感ずべきことにふれても、心動かず、感ずることなきを、「もののあはれ」知らずと言ひ、心なき人とは言ふなり。
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「もののあはれ」<感ずべきことにあたりて、感ずべき心><センス・オブ・ワンダー><"驚くべきこと"にきちんと驚けるまっとうな感受性>
「もののあはれ知らず」<かならず感ずべきことにふれても、心動かず、感ずることなき><"驚くべきこと"を素通りする鈍感さ>


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詳細は下記の唱和のファイルをご参照下さい。

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(光源氏24).手につみていつしかも見む紫のねに通ひける野辺の若草
(光源氏25).あしわかの浦にみるめは難くとも こは立ちながらかへる波かは
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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。

 

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ここまで。
以下、(注)


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(北山の尼君2).枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ

2021-01-12 09:23:52 | <ロリータ攻防戦>

 

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(北山の尼君2).枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(北山の尼君2).枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ‐8.txt

 

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要旨:

「こけ(苔)」が「ごけ(後家)」<後家さん><未亡人><やもめ>を連想させることから、
前坊の未亡人であった、源氏より年上の六条御息所と、まだ幼い紫上との対比を背景として、
源氏と北山の尼君たちの贈答歌に秘められた、紫上の養育を巡る水面下の攻防に焦点を当てて、和歌の解釈を行った。

また、神功皇后や持統天皇といった、史書に見える「後家」<未亡人>のエピソードを背景とした解釈も、合わせて試みた。

 


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目次:

(北山の尼君1).生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えんそらなき

(北山の尼の侍女1).初草の生ひゆく末も知らぬ間にいかでか露の消えんとすらむ

(北山の尼君2).枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ

(源氏16).初草の若葉のうへを見つるより旅寝の袖もつゆぞかわかぬ


メモ:連想詞の展開例など

 


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では、始めましょう。

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源氏は、北山で幼い紫上(若紫)を初めて見かけ、家を訪ねて思いを伝えます。


(北山の尼君1).生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えんそらなき


「生い立つ」<生い立つ><成長する>
「おくらす(後らす)」<後れさせる><後に残す><(自分が先立って)この世に残す><死に後れさせる>

「露」は、打消を伴い、<露ほども~ない><少しも~ない><全く~ない>の意味にもなります。

「そら(空)」<空><天空>


(北山の尼君1)A.
これからどこで生い立って行くかも分らぬ若草を、この世に残して消えてゆく露は、消えようにも消える空がありません。

 

 

 

「露」は<はかないもの>や<涙>の例えとして常用されます。
また、「雨(あめ)」は地に落ちて「露」となります。
「雨(あま)」は「尼(あま)」を連想させます。

「露」<尼君>
「若草」<紫上>
としてみましょう。

幼くして母を亡くした紫上の先行きを、老尼は常々心配していました。


@(北山の尼君1)B.
これからどこで生い立って行くかも分らぬ若草(紫上)を、この世に残して消えてゆく露(尼の私)は、消えようにも消える空がありません。

 

 

そこに、輪を掛けて心配な男が突然現れたようです。


紫上は藤壺宮の姪で、その最愛の人によく似た紫上に目が止まります。
源氏は紫上をじっと見て、涙まで流しているようです。

地の文:
*********************
(地の文).
ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。
さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人にいとよう似たてまつれるがまもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる。
@(地の文)A.
成長して行く様子を見届けたい人だ、と目を止めて御覧になる。というのも、限りなく深い思いを寄せている人(藤壺宮)にとてもよく似ているので、自然と目が引きつけられるのだ、と思うにつけても涙がこぼれる。
(訳注:くどい敬語表現は一部省略して訳しています。)
*********************


「そら(空)」<天空>は、「そらごと(空言、虚言)」<嘘>などの「空(そら)」や「空っぽ」の「空(から)」を連想させます。

「そらごと(空言、虚言)」<嘘>
「そら(空、虚)」接頭辞<嘘の><当てにならない><なんとなくそう感じられる>

「そらなき(空無き)」を、「そらなき(虚泣き)」<ウソ泣き>
としてみましょう。

「おくる(送る)」ラ行四段<送る><見送る><葬送する><日々を送る><時を過ごす><暮らす>
「おくらす(送らす)」<未然形+使役><暮らさせる><(源氏と一緒に紫上を)暮らさせる>


                   後らす            空 無き
生ひ立たむ ありかも 知らぬ 若草を おくらす  / 露ぞ 消えん そらなき
                   送らす            虚 泣き


「露」は<涙>の例えとして常用されます。
「若草」を<幼女>としてみましょう。


「かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深うつきぬ。」
<あの方のお代わりに、明け暮れの心の慰めとして見たいものだ、と思う心に深くとりつかれた。>

その最愛の人によく似た幼女を、藤壺宮の代わりに側に置きたい、と源氏は考えていました。
魂胆見え見えの涙に、この老尼も開いた口が塞がらないようです。


★(北山の尼君1)C.
生い立ちも知らぬ幼女を、「一緒に暮らさせる(キリッ)!」だっておww
(見せ掛けの)涙も消し飛ぶような、ウソ泣き。
(死ねロリコン!)

訳出に当たっては老尼の加齢臭を添えてみました。

 

 

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(北山の尼の侍女1).初草の生ひゆく末も知らぬ間にいかでか露の消えんとすらむ


「初草」<初めて生えた草><生え始めたばかりの草>
「生ひゆく末」<生えていく先>

(北山の尼の侍女1)A.
生え始めたばかりの草の生え行く先も知らないうちに、どうして露が消えようとするのだろう。

 


「初草」<紫上>
「露」<尼君>

「生ひゆく末」<成長する将来>


@(北山の尼の侍女1)B.
大きくなり始めたばかりの紫上の成長する行く末も知らないうちに、どうして尼君が消えようとなさるのでしょうか。
(まだ元気でいて頂かないと困ります。)

 


直前の地の文を見てみましょう。

***「また(股)」「けに(毛に)」*************
(地の文).またゐたる大人、「げに」とうち泣きて、、、、

@(地の文)A.
また、そこに座っていた大人の女房が、「いかにも」と泣いて、、、、
*****************************

「また(亦)」は「また(股)」を、
「げに(実に)」は「けに(毛に)」を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「けに」と表記されました。


「草」は<陰毛>を連想させます。

「露」は<はかないもの><涙>の例えとして常用されます。
「露」<はかないもの><紫上の処女>
としてみましょう。

初草の 生ひゆく 末も 知らぬ 間に  /  いかでか 露の 消えんと すらむ


★(北山の尼の侍女1)C.
陰毛も生え行く将来も知らぬ間に(陰毛も生え揃わない内に)、
なぜ(紫上の処女は)「露」のようにはかなく消えてしまうのでしょう。
(死ねロリコン!)


老尼の贈歌も侍女の返歌も、伏せられた結論「死ねロリコン!」は同じのようです。
思いをあからさまに表現しないのが、平安貴族の美学だったそうです。

 

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時は過ぎ、紫上が病床で詠んだ最期の歌を、ちょっと見てみましょう。

***「露」「はかなき」*****************
(紫上23).おくと見るほどぞ「はかなき」ともすれば風に乱るる萩のうは「露」
@(紫上23)A.
萩の上に露が宿ったと思うとすぐに風に乱れ払い落とされてしまうように、私も、どうかするとすぐ倒れてしまいます。
*****************************

 

****(注737341)参照:<はかない契り>

 


「露」は<はかないもの><涙>の例えとして常用されます。
「露」<露のように何も残さず消えてしまう紫上><子も残さず死んでしまう紫上>


「末(すゑ)」には<子孫><末裔>の意味もあります。

「生ひゆく末」を、<生まれ育つ子孫><(紫上が)自分の子を産み育てること>
としてみましょう。


初草の 生ひゆく 末も 知らぬ 間に  /  いかでか 露の 消えんと すらむ


紫上の今後の人生の伏線のようにも見えます。


(北山の尼の侍女1)D.
紫上は、生まれ育つ我が子も知らぬ内に、
どうして、露のように、(何も残さず)消えようとするのだろう。

 

 


「らむ」の撥音便「らん」は「らん(卵)」をも連想させます。

「いか」は「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>を連想させます。
「いか」を<おぎゃあ><赤子の泣き声>
としてみましょう。

(紫上23)の「露」をイメージして下さい。

「露」<子も残さずにはかなく消えてしまう紫上>
「露」<臨終の悲しみの涙>


この歌に上記の連想を重ねて、あえて訳出してみましょう。


                          如何
初草の   生ひゆく  末も 知らぬ 間に  /  「いか」 で か 露の 消えんと す らむ
                                            らん
                                            卵


(北山の尼の侍女1)E.
紫上は、自分の子を生み育てることも知らぬ内に、
何の因果で露のように(はかなく)死んでしまうのだろう。
(せめて「おぎゃあ」の産声を聞けば、「露」<悲しみの涙>も消すことが出来るだろうか。)

 

ちなみに、源氏の正妻葵上は、二十歳そこそこで、源氏の愛人の六条御息所の生霊にとり殺される、という禍々しい死を迎えました。
しかし、死の間際に、夕霧という子種を残すことが出来ました。

葵上は、紫上よりずっと短命でしたが、ひょっとすると紫上より幸せだったのかも知れませんね。


****(注880025)参照:「いか」<おぎゃあ><鍵刺激>


「いか」<おぎゃあ>という<鍵刺激>に、我々はもっと敏感であるべきなのかもしれません。

 

 

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(北山の尼君2).枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ


「枕結ぶ」「枕結ふ」<(旅で枕にするために)草を結ぶ><野宿する>

(北山の尼君2)A.
旅寝の枕を結ぶ今宵だけの露を、深山(に昔から)生えている苔の露(の多さ)と比べないで頂きたい。

 

 

「苔の衣」とは、<僧や隠者の衣><修行で古びた行者の衣>を指す慣用句です。
「深山の苔」<山深い地で修行する尼の粗末な衣>
としてみましょう。

尼君は、幼い若紫についての源氏の下心見え見えの懇願を、何とかかわそうとしているようです。
しかし、あからさまに表現して、源氏の顔をつぶすわけにも行きません。
それは、平安貴族の美学でもありました。
また、「言葉」は「言霊」と言って、一度口に出すと<霊力>を持ち、言葉が現実のものとなる、という信仰がありました。
そのため、とくに<不吉なこと><縁起でもないこと>を口にするのは、今とは比べ物にならないほど、憚られたようです。


@(北山の尼君2)B.
旅寝の枕を結ぶ今宵だけの涙を、深山で(長く過ごす)私達の涙と比べないで頂きたい。

 

 

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「こけ(苔)」は「ごけ(後家)」を連想させます。
濁点を打つ習慣のなかった当時、これらはともに「こけ」と表記されました。

「ごけ(後家)」<後家さん><未亡人><やもめ>

 

***「こけ(苔)」は「ごけ(後家)」*********
(頭の中将12).そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ 植ゑし小松も苔生ひにけり
**************************

詳細は上記の和歌のファイルをご参照下さい。

 

「こけ(苔)」を「ごけ(後家)」<後家さん><未亡人>としてみましょう。

「みやま(深山)」は「みやま(御山)」<御陵><天皇や皇族の墓>を連想させます。
源氏の愛人の六条御息所は、前坊(亡き前東宮)の妻でした。

「みやまのこけ」「御山の後家」<前坊の夫人六条御息所>
「やもめ」「やまめ」は<寡婦><未亡人><後家>を指しますが、「山女(やまめ)」を連想させるのも示唆的です。

未亡人六条御息所は、源氏より七歳年上でした。
熟女から少女まで、見境のない源氏に対する、尼君の強烈なカウンターパンチが炸裂します。


               深山  苔
 枕ゆふ今宵ばかりの露けさを みやまのこけにくらべざらなむ
               御山  ごけ
                   後家


(北山の尼君2)C.
あなたが今夜だけの涙を見せて、枕を交わそうとする(若紫)を、(成熟した)<前坊の未亡人六条御息所>と比べないで頂きたい。
(少女から熟女まで、あなたも見境ありませんね)。

 


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「くらぶ(比ぶ、較ぶ、競ぶ)」<比べる><照らし合わせる><優劣を競う><親密に交際する>

*********「ささき」「天皇」****************************
「ささき」「さざき」は<ミソサザイ>の古名です。
「おほさざきのみこと(大雀命)」は<仁徳天皇>の別名です。
仁徳天皇は「百舌鳥野陵(もずどりのみささぎ)」に埋葬されました。(日本書紀)
モズ、ミソサザイがともに<托卵される鳥>であるのは興味深いですね。

仁徳天皇は異母妹のメドリノミコ(女鳥王)を妃にしようとしましたが、彼女は天皇の弟のハヤブサワケノミコト(速総別命)と恋仲にありました。
メドリノミコはあるときハヤブサワケノミコトに手紙を出しました。

雲雀(ひばり)は 天に翔る 高行くや 速総別 「さざき」捕らさね 
<ヒバリは天を飛ぶ。さらに高くハヤブサは行く。「ミソサザイ」を捕ってしまいなさい。>

これを聞きつけた天皇は、軍勢を派遣して二人を追い詰め殺してしまいました。(古事記 下巻「女鳥王」、福永武彦訳「古事記・日本書紀」)

ちなみに、身体のサイズは、以下の通りです。

ハヤブサ > ヒバリ > スズメ > ミソサザイ


(高木清和「フィールドのための野鳥図鑑 野山の鳥」)

**********************************************


「みやま(深山)」は「みやま(御山)」を連想させます。
「みやま(御山)」は「みささぎ(御陵)」<天皇、皇族の墓>とも言います。

仁徳天皇の埋葬されたとされる大仙古墳が、面積としては世界最大の墓である、というのは興味を引きます。

「ささき」「さざき」「さざい」は<ミソサザイ>の古名
ミソサザイもウグイスと同じく、ホトトギスに<托卵される鳥><寄托鳥>です。(大田眞也「里山の野鳥百科」)

桐壺院は、源氏から冷泉帝(東宮)を托卵された鳥でした。


「みやま(御山)」「御陵(みささぎ)」<ミソサザイ><托卵される鳥><源氏から冷泉帝(東宮)を托卵された桐壺院>

この時はまだ、桐壺院は存命ですが、将来の伏線として、
「みやまのこけ(深山の苔)」「みやまのごけ(御山)の後家」<桐壺院亡き後の未亡人藤壺宮>
としてみましょう

紫上は藤壺宮の姪です。
その最愛の人によく似た紫上を、藤壺宮の代わりに側に置きたい、と源氏は考えていました。


「かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深うつきぬ。」
<あの方のお代わりに、明け暮れの心の慰めとして見たいものだ、と思う心に深くとりつかれた。>


***********************
(地の文).
ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人にいとよう似たてまつれるがまもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる。
@(地の文)A.
成長して行く様子を見届けたい人だ、と目を止めて御覧になる。というのも、限りなく深い思いをお寄せ申し上げている人(藤壺宮)にとてもよくお似申し上げているので、自然と目が引きつけられるのだ、と思うにつけても涙がこぼれる。
***********************

 

(北山の尼君2)D.
あなたが今夜だけの涙を見せて、枕を交わそうとする(若紫)を、(成熟した)<桐壺院亡き後の未亡人藤壺宮>と比べないで頂きたい。
(叔母から姪まで、あなたも見境ありませんね)。

 


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天智天皇、天武天皇、額田王の三角関係を暗示するとも言われる次の歌は、源氏物語因縁の「紫」の歌でもあります。
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(万葉集1-20).茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (額田王)
(万葉集1-21).紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも (大海人皇子=天武天皇)
@(万葉集1-21)A.紫草のように美しいあなた(額田王)を憎く思うはずはない。でも、あなたは人妻だから、私が恋することが出来ようか(出来ない)。
***************************************************

額田王の夫となった天智天皇の前で、大海人皇子(のちの天武天皇)が堂々と詠んだといわれる歌です。

 

天智天皇の娘は、なんと4人も天武天皇に嫁いでいます。
大田皇女(姉)と天武天皇の息子は大津皇子。
うのの讃良皇女(妹、のちの持統天皇)と天武天皇の息子は草壁皇子です。

大田皇女は、大津皇子がまだ4歳の時に亡くなりました。
その後は、息子の大津皇子と大伯(おほく)皇女は、うのの讃良皇女(持統天皇)のもとで育てられたと言われています。

ふたりの異母兄弟、草壁皇子と大津皇子は、石川女郎(いらつめ)という一人の女性を奪い合いました。

********************************
(万葉集02/0109).大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて我がふたり寝し (相聞 大津皇子)
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これは、草壁皇子の恋人であった石川女郎を、「大津皇子が横恋慕している」と、陰陽師の津守通が看破したのを受けて、大津皇子が詠んだ歌とされています。
父親(天武天皇)ゆずりの堂々っぷりがスゴイですね。


穏やかな草壁皇子に対して、才気あふれる大津皇子。
人望も厚く、大津皇子の前では草壁皇女子の存在も霞んでしまうようだった、と言われています。
しかし、大津皇子はこの恋の争いには勝利したものの、天武天皇が亡くなるとすぐに草壁皇子の母、後の持統天皇に謀反の濡れ衣を着せられ処刑されます。
うのの讃良皇女(持統天皇)は、我が子草壁皇子の即位の障害となる大津皇子に、謀反の濡れ衣を着せて死に追いやりました。
大津皇子は、草壁皇子の即位の障害となるからです。
ところが、持統天皇の案に相違して、草壁皇子は皇位に就く前に亡くなってしまいます。
草壁皇子が早世したのも、当時の人は大津皇子の祟りと感じたかもしれません

 

***「万葉集」<犯罪者の歌集> **************************
まず第一に、「原万葉集」ともいうべき巻一・巻二が「持統天皇の発意により文武朝に編纂され」、、、(中略)というが、それは有り得ない。
なぜなら、前節でも述べたように、巻一・巻二には、長屋王、有間皇子、大津皇子など「国家的犯罪者」の歌が載せられている。
特に問題なのは大津皇子だ。大津は、持統によって無実の罪を着せられ処刑されたのである。その持統の命令によって作られた歌集に、編纂を命ぜられた撰者が大津の歌を採るはずがないではないか。長屋王についても同様だ。長屋王は(天武系の称徳天皇までの)持統王朝ではやはり「犯罪者」なのである。。。。
(井沢元彦「逆説の日本史3 平安建都と万葉集の謎」)
*******************************************

「万葉集」は、大津皇子らのように、過去に非業の死を遂げた怨霊たちの<鎮魂>のために編まれた、と考える人もいます。


直前の地の文:
**********************************
「いかなる方の、御しるべにか。おぼつかなく」と聞こゆ。
**********************************

「おぼつかなく(覚束無く)」は「おほつがなく(大津がなく)」を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「おほつかなく」と表記されました。

「おほつ(大津)」<大津皇子>


「みやま(深山)」は「みやま(御山)」<御陵><天皇や皇族の墓>を連想させます。

「こけ(苔)」を「ごけ(後家)」<後家さん><未亡人>としてみましょう。
濁点を打つ習慣のなかった当時、これらはともに「こけ」と表記されました。


天武天皇が亡くなるとすぐ、後家さん(未亡人)である持統天皇によって謀反の濡れ衣を着せられ、大津皇子は処刑されました。

「みやまのごけ(御山の後家)」<天武天皇没後の未亡人><持統天皇>


***「草枕」「手枕」「石枕」*****************
「草枕」<草を枕にすること>とは「旅」を導く枕詞になります。
「手枕(たまくら)」<腕枕>は<男女の共寝>
「石枕(いはまくら)」<石の枕>は<永眠する時の枕>
********************************

「枕」は「石枕」<永眠する時の枕><墓>
をも連想させます。

濁点を打つ習慣の無かった当時、
「結ふ(ゆふ)」も「結ぶ(むすぶ)」も、ともに「結ふ」と表記されました。

「露を結ぶ」<結露する>

「露」は<はかないもの>や<涙>の例えとして常用されます。
「を」終助詞<詠嘆>

歴史にタラレバは禁物ですが、
能力も人望も申し分無かった大津皇子が生きていれば、草壁皇子や持統天皇よりよほど優れた為政者になっていたのかも知れません。少なくとも、当時そう期待した人は、少なくなかったことでしょう。

為政者としての資質に優れながら、凡庸な草壁皇子のために犠牲となった大津皇子の<鎮魂>の観点から、この歌を解釈して見ましょう。


  ゆふ                    深山    苔
枕 結ふ 今宵 ばかり の 露けさ を  /  みやま の こけ に くらべ ざらなむ
  結ぶ                    御山    ごけ
  むすぶ                         後家


(北山の尼君2)E.<鎮魂>
(殺された大津皇子の)「石枕」<墓>にかかる涙が今宵ほど多いことはもうあるまい。
(為政者としての資質に優れた大津皇子を)「御山の後家」<天武天皇の未亡人持統天皇>などと比べないで頂きたい。
(優れた者ほど無能な者の犠牲となる理不尽な世の中であることよ。)

 


源氏物語の中の、幼少の若紫と、熟女の六条御息所の対比を背景として、
「みやまのこけ(深山の苔)」から「みやまのごけ(御山の後家)」<亡き天皇の未亡人>
の連想を引き出した上で、
紫式部は地の文の「おぼつかなく(覚束無く)」を「おほつがなく(大津がなく)」
と読ませて、読者のイメージ連鎖に点火し、
持統天皇に殺された大津皇子の悲劇を読みとらせようとしたのかも知れない、と私は思います。

 


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北条政子など、歴史上、女傑となった強い「後家」さんの例は、あまたありますが、
持統天皇以外に、もうひとり、「後家」さんを探してみましょう。


「今宵ばかり」の「かり」は「かり(雁)」を連想させます。
「後家」さんと「雁」といえば、神功皇后と武内宿禰のエピソードが思い出されます。

詳細は以下の和歌のファイルをご参照下さい。

***「こけ(苔)」は「ごけ(後家)」*********
(頭の中将12).そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ 植ゑし小松も苔生ひにけり
**************************

 

****(注123123)参照: 武内宿禰の三角関係

 

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カモ(鴨)は仲間であるガン(雁、かり)を連想させます。
「かりのこ」<卵>は「鴨(かり)の子」とも書かれます。
***************************************
「鴨の卵(かりのこ)」のいと多かるを御覧じて、柑子、「橘」などやうに紛らはして、わざとならず奉れたまふ (源氏物語「真木柱」帖)
***************************************


****(注776626)参照:「雁」<産まれるはずがない子>「そらみつ」

 

「かりのこ」は「仮の子」<本来の子ではない子>をも連想させます。


「ささき」「さざき」は<ミソサザイ>の古名です。
「おほさざきのみこと(大雀命)」は<仁徳天皇>の別名です。
仁徳天皇は「百舌鳥野陵(もずどりのみささぎ)」に埋葬されました。(日本書紀)
モズ、ミソサザイがともに<托卵される鳥>であるのは興味深いですね。

「らむ」<現在推量>の撥音便「らん」は「らん(卵)」を連想させます。


****(注776636)参照:「雁」<産まれるはずがない子>「うべ」


ちなみに、
武内宿禰は、第十三代成務天皇に始まり、仲哀、応神、仁徳の四代の天皇に続けて仕えました。
仮に応神天皇が、神功皇后と武内宿禰との間の子だとすると、仁徳天皇は武内宿禰の孫、ということになります。

 

 


仲哀天皇は、孟宗竹の寿命(六十年)にも満たず、五十二年でこと切れました。

応神天皇は、「ささみどり」<竹の花><有性生殖><本来の夫婦の交わり>で出来た子ではない、ということなのでしょうか。

応神天皇は<不義の子>で、その実父は、、、

****(注98982)参照


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(頭の中将12)の和歌の直前にある、新婚夫婦の贈答歌を見てみましょう。


***「宿」「雲居雁」***************
(夕霧17).なれこそは岩もるあるじ見し人のゆくゑは知るや「宿」の真清水
(雲居雁4).なき人のかげだに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水
**************************


さて、
「仲哀天皇-神功皇后-武内宿禰」
という三角関係に、
「柏木-落葉宮-夕霧」
の関係を当てはめて考えた時、夕霧は武内宿禰に当ります。

そして、夕霧は、「雲居の雁」という背景を背負っています。


(雲居雁4)の和歌の詠み手が、「雲居の雁」であることは興味を引きます。

「雁」といえば、武内宿禰のエピソードが思い出されます。


「雲居」<内裏><宮中><朝廷><天皇家>
「雁」<産むはずの無い親>

 

 


さて、実際の歴史から、再び源氏物語の和歌に戻りましょう。

(北山の尼君2).枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ

 

「みやまのごけ(御山の後家)」<仲哀天皇没後の未亡人><神功皇后>

としてみましょう。

 

***「草枕」「手枕」「石枕」*****************
「草枕」<草を枕にすること>とは「旅」を導く枕詞になります。
「手枕(たまくら)」<腕枕>は<男女の共寝>
「石枕(いはまくら)」<石の枕>は<永眠する時の枕>
********************************

仲哀天皇は、西方への遠征の「旅」の途上で亡くなりました。
つまり、その枕は、「草枕」でも「石枕」でもあったわけです。

そして、その暗闇の中で、神功皇后は、武内宿禰の「手枕」<腕枕>で<共寝>していたのかも知れません。

「枕結ふ今宵は雁」<(神功皇后と)腕枕を交す今宵の相手は「雁」<武内宿禰>だ!>

「くらぶ(比ぶ、較ぶ、競ぶ)」バ行下二段他動詞には、<比較する><優劣を競う>の他、<心を通わす><親しく付き合う>という意味もあります。

「露」は<寝汗>をも連想させます。

ちなみに、「露しげき」夜露に濡れた道を牛車が行く、という描写だけで、
その牛車の中で、男女がコトに及んでいた(今風に言えばカーセックス)、と解釈する人もいます。
(参考:大塚ひかり「源氏物語」)

「露」は<寝汗><男女の交わり>をも連想させます。

「露けし」ク活用形容詞<露っぽい><湿っぽい><涙がちである>

ちなみに、「露の宿り」という慣用句は、<露の置く所><涙で濡れる所>という意味です。

 

この和歌に、上記の連想イメージを重ねて、暗殺された上に后を寝取られた仲哀天皇の<鎮魂>の観点から、あえて訳出を試みてみましょう。

 

  ゆふ                    深山    苔
枕 結ふ 今宵 ばかり の 露けさ を  /  みやま の こけ に くらべ ざらなむ
  結ぶ    はかり             御山    ごけ
  むすぶ   は雁                    後家


(北山の尼君2)F.<鎮魂>
(神功皇后と)「腕枕」を交す今宵の相手は「雁」<武内宿禰>という、(亡き仲哀天皇の)切なさよ。
(天皇の臣下でありながら)、「御山の後家」<仲哀天皇没後の未亡人><神功皇后>と親しく寝ないでもらいたい。

 

 


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(源氏16).初草の若葉のうへを見つるより旅寝の袖もつゆぞかわかぬ


「旅寝」<旅先で寝ること><一夜の契り>
ここでは、源氏が病気の逗留でやって来た北山に泊まっていることを指しています。

「つゆ(露)」は、打消しを伴い、<全く~ない><決して~ない>
の意味になります。

また、「露」は<涙>の例えとしても常用されます。


「うへ(上)」には<目上の者に対する敬称>の意味もあります。
紫上は、のちに「対の上」<対屋(たいのや)に住む上様>と呼ばれるようになります。

「初草の若葉」<紫上>
としてみましょう。


@(源氏16)A.
初草の若葉のような紫上様を見たときから、旅寝の袖の涙の乾く間もありません。

 

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「初草」は、<うぶ毛><生えてきて間もない陰毛>をも連想させます。

「初草の若葉」<陰毛も生えてきたばかりの紫上>
としてみましょう。


「うへ(上)」は「うべ」<ムベ>をも連想させます。

ムベもアケビもつる性植物で、一見同じような実をつけます。

アケビは、果実が熟すると開裂します。
そのため、「開け実」(あけみ)の音韻が変化して「あけび」と呼ばれるようになった、と考えられています。

逆に、ムベは果実が成熟しても開裂しません。
「口が開かない」ということです。


ちなみに、
**********************
「破瓜(はか)」の原義は、<瓜が割れること>ですが、この言葉は、
<処女膜が破れること><処女でなくなること>の例えとしても常用されます。

漢字の「瓜」を分解すると、「八」の文字が二つ現れることから、
(ア)8+8=16で、女性の十六才、
(イ)8×8=64で、男性の六十四才、
を指す隠語としても用いられるそうです。
ちなみに、(ア)では、「破瓜期」という常套句も用いられます。
(参考:「明鏡国語辞典」)
**********************

 

「うべ」<ムベ>は、
<開裂しない><まだ幼い女陰>
をも連想させます。

 

「旅寝」<旅先で寝ること><一夜の契り>
ここでは、源氏が病気の逗留でやって来た北山に泊まっていることを指しています。


「露」は<精液>をも連想させます。


北山くんだりまで、従者を引き連れてやって来て、
牛車の中から幼女を見て、いい大人が一体何をやっていたのでしょうか?

 


 初草の若葉の うへ を 見 つる より  旅寝の袖も つゆぞかわかぬ
        うべ     鶴  寄り
               蔓


(源氏16)E.
「初草の若葉」<陰毛も生えてきたばかりの紫上様>を見たときから、
外出先の袖も「露」<精液>で乾く間もありません。

 

「死ね」以外の言葉が見つかりません。

 

下記和歌のファイルもご参照下さい。

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贈歌:(とりかへばや1).これやさは入りて繁しは道ならん山口しるくまどはるるかな
返歌:(とりかへばや2).麓よりいかなる道にまどふらん 行方もしらず遠近の山
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後の春秋論争で、秋好中宮の侍女が、紫上の春の町で詠んだ歌です。
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(秋好中宮の侍女3).亀の上の山もたづねじ舟のうちに老いせぬ名をばここに残さむ

       尋ねじ
亀の上の山も たづねじ 舟のうちに 老いせぬ名をば ここに残さむ
       田鶴寝じ

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詳細はこの和歌のファイルをご参照下さい。


「見つる」の「つる」は「つる(鶴)」を連想させます。
「初草の若葉」<紫上>
「つる(鶴)」<源氏>


 初草の若葉の うへ を 見 つる より  旅寝の袖も つゆぞかわかぬ
        うべ     鶴  寄り
               蔓


「初草」「若葉」「うへ」「つる」
<植物>にまつわる言葉が目白押しですね。

「つる」は「つる(蔓)」<つる植物>を連想させます。

「うへ(上)」は<つる植物>の「うべ」<ムベ><種が多い><多産>をも連想させます。

さらに、「うべ」は「産ぶ(うぶ、むぶ)」「産べ(むべ)」「産べ(うべ)」「うべ(宜)」<雁の子>を連想させます。

********「雁」「雁の子」「仮の子」「借りの子」<産まれるはずがない子><托卵>************
冬鳥のガン・カモ類は、オシドリとカルガモ以外、日本ではふつう産卵しません。
そのため産卵が珍事としてしばしば故事に現れます。

(天皇):秋津島 倭の国に 「雁」産むと 汝は聞かすや。
(武内宿祢):やすみしし 我が「大君」は 「うべ(宜)」な「うべ(宜)」な 我を問はすな 秋津島 倭の国に 「雁」産むと 我は聞かず。

「雁」とは、<産まれるはずがない子><産むはずのない親><渡り鳥><女を渡り歩く源氏>の例えなのかもしれません。
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*****「鶴」<冬鳥><日本で繁殖しない><どこかで子を作ってくる><源氏>**********
ツル類(ツル目ツル科)は、7種が日本で見られます。
タンチョウのみ日本で繁殖しますが、あとの6種はすべて冬鳥または迷鳥で、日本で繁殖しません。
ナベヅル、マナヅルが最も普通に見られます。
マナヅルは「真菜鶴」で味が良く、食用にされていたそうです。
縄文時代中期~後期(今から三、四千年前)の貝塚から鶴の骨が出土します。(大田眞也「田んぼは野鳥の楽園だ」)

「鶴」<冬鳥><日本で繁殖しない><どこかで子を作ってくる><源氏>
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ところで、
「髪の毛」の「かみ」は、もともと「かみ(上)」で、人間の身体の最上部、頭のてっぺんにあることに由来する言葉だ、という説があります。

モーセがシナイ山の頂上で「天」啓を受けたのも、
神の国が空高く「高天原」にあるのも、
「かみ(神)」は、<天上>にいる、という世界共通の感覚に由来しています。


「上(うへ、かみ)」は一般に、上位の者に対する<敬称>として用いられます。

「上(うへ、かみ)」は、<天皇の尊称>でもあります。

「うへ(上)」<天皇の尊称>


「上(かみ)」は「神(かみ)」をも連想させます。

「かみ(神)」<神><天照大神><天皇><応「神」天皇>
としてみましょう。


「神」をし号に含む天皇は、神武天皇に始まり、ごくわずかしかいません。
それは、<新王朝>の誕生を示している、との説もあります。
(参考:井沢元彦「天皇の日本史」)


応「神」天皇と、その母「神」功皇后が、ともに「神」の字を含むことは興味を引きます。

「神(かみ)」<「神」をし号に含む天皇><応「神」天皇>
としてみましょう。

それは、藤壺宮の子、冷泉帝と同じく、
この世で最も高貴な血統の頂点で、<不義の子>が生まれたという<最大の禁忌>をも連想させます。
それは、<暗黙の了解>ではあっても、決して<口外><公言>することは出来なかったでしょう。


ところで、ムベもアケビもつる性植物で、一見同じような実をつけます。

アケビは、果実が熟すると開裂します。
そのため、「開け実」(あけみ)の音韻が変化して「あけび」と呼ばれるようになった、と考えられています。

逆に、ムベは果実が成熟しても開裂しません。
「口が開かない」ということです。

それは、相手の言うことに異を唱えず、「なるほど」とただただ首肯する様を連想させる一方で、
まるで、何かで口を塗り込められてしまったかのように、口をつぐんでしまっている、
<口にするのも憚られる秘密><暗黙の了解>をも連想させます。


(武内宿禰)「うべな、うべな」<ムベのように口を閉じていなさい><絶対誰にもしゃべるなよ!>
(武内宿禰)「うべな、うべな」<私はムベのように口を閉じています><真相は絶対誰にもしゃべりません。>


「初草の若葉」<幼い皇子><応神天皇>
としてみましょう。

神功皇后が第15代応神天皇を出産したのは、新羅遠征の旅の途上の「うみ(宇美)」の地(福岡市)でした。


直前の地の文:
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(地の文).
「いかなる方の、御しるべにか。おぼつかなく」

「しるべ(導)」「しるべ(知る辺)」<導き><手引き><案内><案内人><知人><縁(ゆかり)のある人>


如何
いか なる 方 の、御しるべにか。おぼつかなく」
   鳴る     

「いか」<おぎゃあ><産声>
「鳴る」<鳴り響く>
「いか鳴る」<産声が鳴り響く><赤子が産まれる>

「しるべ」<縁(ゆかり)のある人><血縁のある人>


(地の文)B.<鎮魂>
(応神天皇の顔立ちが仲哀天皇に似ていないのは)、
どんな方からの「しるべ」<血縁>によるものだろうか、はっきりせず。。。

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上記の連想イメージをこの和歌に重ねて、あえて訳出を試みてみましょう。

 


        うべ
        うへ
 初草の若葉の 上   を 見 つる より  旅寝の袖も つゆぞかわかぬ
        かみ      鶴  寄り
        神       蔓

 

(源氏16)B.<鎮魂>
「初草の若葉」<幼い皇子>の「神(かみ)」<応「神」天皇>(の顔立ち)を見たときから、
(仲哀天皇ではなく武内宿禰に似ているので)、旅寝の袖の涙の乾く間もありません。

 


詳細は以下の和歌のファイルをご参照下さい。

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(頭の中将12).そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ 植ゑし小松も苔生ひにけり
「そのかみ」<以前><昔>
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今度は、もう一人の「後家」さん、持統天皇に目を向けてみましょう。


「うへ(上)」<身分の高い人><主上><天皇><玉座><清涼殿の殿上の間><貴婦人><身の上><さらにその上>

「草」は「草壁」<草壁皇子>を連想させます。

「初草」<(早世した)草壁皇子>
としてみましょう。

草壁皇子を天皇にするために大津皇子は犠牲にされました。
ところが、持統天皇の案に相違して、草壁皇子は皇位に就く前に亡くなってしまいます。
草壁皇子が早世したのも、当時の人は大津皇子の祟りと感じたかもしれません。


大津皇子の死の当時、姉の大伯皇女は伊勢で斎宮を勤めていました。
虫の知らせか、大津皇子は死の直前に伊勢の姉を訪ねました。
束の間の再会の後帰京し、大津皇子は殺されました。


直前の地の文:
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「いかなる方の、御しるべにか。おぼつかなく」
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「おぼつかなく(覚束無く)」は「おほつがなく(大津が泣く)」を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「おほつかなく」と表記されました。

「おほつ(大津)」<大津皇子>

「しるべ(導)」「しるべ(知る辺)」<導き><手引き><案内><案内人><知人><ゆかりのある人>


(地の文)C.<鎮魂>
「(伊勢に向かったのは)、どんなお導きがあったのだろうか。大津が泣く。」


草壁皇子の即位にとっては邪魔になるはずの、我が身の上を案じつつ奈良と伊勢を往復した大津皇子の<鎮魂>の観点から、この歌を解釈して見ましょう。


        うべ
        うへ
 初草の若葉の 上   を 見 つる より  旅寝の袖も つゆぞかわかぬ
        かみ      鶴  寄り
        神       蔓

 

(光源氏16)B.<鎮魂>
草壁皇子が天皇の座に上ると思ってからは、都への帰途も涙の乾く暇が無い。

 


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ところで、
天武天皇は、壬申の乱に際して、吉野を出て東方に下って反乱の兵を集めた、と言われています。
ちなみに、忍者で知られる「伊賀」の里とも、天武天皇は縁が深いのだそうです。

そして、それらの兵を率いて、琵琶湖南端近くの近江大津京に攻め入り、天智系の大友皇子を滅ぼしました。


直前の地の文が興味を引きます。


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(地の文).
「いかなる方の、御しるべにか。おぼつかなく」
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「いか(如何)」は「いが(伊賀)」をも連想させます。
「おぼつかなく(覚束なく)」は「おほつがなく(大津がなく)」を連想させます。

「しるべ(導)」<導き><手引き><案内><案内人><知人><ゆかりのある人>

これらの連想を重ねて、この地の文をちょっと訳してみましょう。


如何               覚束なく
いか なる 方 の、御しるべにか。おぼつかなく」
いが 鳴る            おほつがなく
伊賀               大津 が亡く
                    が無く
                    が泣く


(地の文)D.<鎮魂>
伊賀にいる方の「しるべ」<手引き>で(近江に攻め入った)のだろうか。
「おほつ(大津京)」が滅亡してしまい、、、

 

 


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メモ:

連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。

 

 


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      後家-神功皇后-
      後家-持統天皇- 
      後家-藤壺宮-
こけーごけ-後家-六条御息所-生霊-夕顔-死霊-紫上-
深山-みやま-御山-御陵(みささぎ)-ささぎ-ミソサザイ-托卵される鳥-桐壺院-

雁-渡り鳥-<産まれるはずの無い子><応神天皇><産むはずの無い親><神功皇后><武内宿禰>

 

 

 

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ここまで。
以下、(注)

 

 

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