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(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる
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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。
皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。
ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。
上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。
ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。
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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。
なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。
あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。
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(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる11.TXT
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要旨:
「和歌の浦」「若の浦」は、現在の和歌山県にある、海辺の景勝地で、古代から歌枕として多用されてきた。
<幼少期の紫上の通称>の「若紫」と、「若の浦」を掛けた和歌の応酬について、
源氏の毒牙から幼女を守ろうとする乳母たちの攻防戦を背景とした解釈を試みた。
また、「和歌の浦」を「和歌の裏」として、「和歌」の裏側に秘められた歴史への連想を背景とした解釈も合わせて試みた。
詳細は下記の<ロリータ攻防戦>を参照のこと。
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(北山の尼君1).生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えんそらなき
(北山の尼の侍女1).初草の生ひゆく末も知らぬ間にいかでか露の消えんとすらむ
(北山の尼君2).枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ
(源氏16).初草の若葉のうへを見つるより旅寝の袖もつゆぞかわかぬ
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目次:
(光源氏23).いはけなき鶴(たづ)の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえなら
(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる
メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など
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では、始めましょう。
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幼少期の紫上を描いた「若紫」帖の歌です。
(光源氏23).いはけなき鶴(たづ)の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえならぬ
「いはけなし」<幼い><子供っぽい>
「なづむ(泥む)」<なづむ><行きなづむ><足止めを食う><(進行が)思うに任せない><執着する><(心を)とらわれる><悩み苦しむ><体調が悪い>
「たづ(鶴)」<鶴の雅語>
(光源氏23)A.
幼い鶴の一声を聞いてから、(そちらに行きたいのに)葦の間を行き悩むこの舟の思うに任せないことよ。
「鶴」<若紫>
@(光源氏23)B.
幼い鶴<若紫>の一声を聞いてから、(会って話したいのに)葦の間を行き悩む舟(のように足止めを食う私)の思うに任せないことよ。
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「あし(葦)」は「あし(足)」を連想させます。
***「あし(葦)」「あし(悪し)」「あし(足)」*********
(新古今集).難波潟短き葦の節の間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや (伊勢) (百人一首19番)
(千載集).難波江の葦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき (皇嘉門院別当) (百人一首88番)
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詳細は上記の和歌のファイルをご参照下さい。
***「あし(葦)」「あし(足)」***********
人間は考える葦である。 (パスカル)
男には考えない足がある。 (嘉門達夫)
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「たつお(達夫)」の「たつ(達)」が「たつ(立つ)」「たつ(勃つ)」を連想させることも興味を引きます。
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「情緒満男?」
「ロングヘアーウザ男」
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」)
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嘉門達夫氏は、(百人一首88番)のこの皇「嘉門」院別当の和歌を<読み替え>た上で、
ご自身の芸名、および上記のギャグの引き歌としたのでしょうww
この和歌を本歌取りの引き歌に設定した彼に、極めて挑発的・戦闘的な読解姿勢を、私は感じます。
彼が<隠しつつ伝えようとした>決死の覚悟を素通りして、我々はこのギャグを後世に伝えるべきではありませんww
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「ふ(節)」<節><植物の節><薦などの網目>
「ね(根)」<根>
「ふね(舟)」を「節根(ふね)」<節の根><節くれだった根><男根>としてみましょう。
「たづ(鶴)」は「たつ(立つ)」「たつ(勃つ)」を連想させることも興味を引きます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「たつ」と表記されました。
(光源氏23)C.
幼い鶴<若紫>の一声を聞いてから、足の間で悶々とする「節根」<男根>の思うに任せないことよ。
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(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる
「和歌の浦」「若の浦」<和歌山市南部の海岸><和歌川の河口><玉津神社があり景勝地>
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(万葉集06/0919).若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る (雑歌 山部赤人)
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「玉(たま)」は<美称>に用いられる<接頭辞>です。
現在でも「玉の子」などと言いますね。
「玉藻」は<藻>の美称で、歌語として多用されます。
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***「玉」<ホンモノ>「露」<ニセモノ>****************
(古今集165).はちす葉のにごりにしまぬ心もて なにかは露を玉とあざむく (僧正遍照)
@(古今集165)A.
蓮は、泥の濁りにも染まらぬ清らかな花を咲かせるのに、そんな清い心で、なぜはかない「露」を美しい「玉」のように偽って見せるのだろうか。
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「蓮」は、泥の中から生え、清らかな花を咲かせることから、<穢れに染まらない清さ>の象徴としても用いられます。
煩悩にまみれた俗世の凡夫でも、仏性をそなえ、成仏することが出来るという仏教の例えもここから来たそうです。
出家を宣言した藤壺宮から、仏教ゆかりの花である蓮が連想されるのはごく自然であるように思えます。
古今東西、球は<完全な形>の象徴と考えられてきました。
「完璧」は<傷ひとつない完全な球>の意味です。
「璧」には「玉」の部首が含まれますね。
「玉」は<桐壺帝の子>:完璧なもの、全きもの
「露」は<源氏の子>:玉の偽物、「水玉」
とし、
「はちす葉」を<出家した藤壺入道>
としてみましょう。
(古今集165)B.
出家して、濁りに染まらぬ心のはずなのに、なぜ「露」<源氏の子>を「玉」<桐壺帝の子>と欺くのだろう。
「泥(こひぢ)」は「恋路(こひぢ)」の掛詞になり、また、
「うき(泥土)」<泥><土><沼><泥沼>は、「憂き」「浮き」との掛詞になることも示唆的です。
「泥(こひぢ)」は「恋路(こひぢ)」の掛詞になり、また、
「うき(泥土)」<泥><土><沼><泥沼>は、「うき世」の「憂き」「浮き」との掛詞になることも示唆的です。
私は、これらの言葉が生まれ、淘汰され残って類似音に収束したのは、偶然の一致では無いと思います。
「もゆ」や「よ」と同じく、ここには我々の「発想の原型」があると思います。
詳細は下記の和歌のファイルをご参照下さい。
***「しも(霜)」<ニセモノ>「しも(下)」<ニセモノ>「かみ(上)」「かみ(神)」<ホンモノ>********
(中務の君1).祝子が木綿うちまがひおく霜はげにいちじるき神のしるしか
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その名も「素性」法師の詠む和歌は、興味を引きます。
「素性(そせい)」は「素性(すじゃう)」をも連想させます。
「素性(すじゃう)」<家筋><家柄><生まれ><育ち><本来の性質><本性>
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(古今集76 素性法師).
さくらの花のちり侍りけるを見てよみける
花ちらす風のやどりはたれかしる我にをしへよ行きてうらみむ
「うらむ(恨む)」マ行上二段<恨む><恨み言を言う>
@(古今集76 素性法師)A.
桜の花を散らす風の泊まる宿を誰か知っているか。
私に教えてくれ。そこに行って恨み言を言おう。
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(古今集76 素性法師).
「桜の花」<仲哀天皇>の散りました様子を見て詠んだ。
「風の宿り」<どこからともなくやって来た武内宿禰>
「うらみむ(裏見む)」<裏を見よう><裏の真相を見よう>
(古今集76 素性法師)B.<読み替え><鎮魂>
「桜の花」<仲哀天皇>を散らす「風の宿り」<どこからともなくやって来た武内宿禰>とは誰だか知っているか?
私に教えてくれ。そこに行って「うらみむ(裏見む)」<裏の真相を見よう>。
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***「いそのかみ」「もとかしは」***************
(古今和歌集886 よみ人知らず).
いそのかみ ふるから小野の「もとかしは」 本の心は わすられんくに (雑歌、上)
「いそのかみ(石上)」<「ふる(古る)」を導く枕詞><奈良県天理市石上布留の地名から派生>
「石上寺」<良因院><素性法師の寺>
「ふるから(古幹)」(上代語)<古い茎>
「もとかしは(本柏)」は<冬でも落ちずについている柏の古い葉>のことで、
上句は同音の「もと」を導く序詞になっています。
<天皇の代替わり>の年の「大嘗祭」の時には、神に捧げる酒に、この柏の葉を浸します。
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(古今和歌集144 素性法師).
ならのいそのかみでらにて郭公のなくをよめる。
いその神ふるき宮この郭公 こゑばかりこそむかしなりけれ
(古今和歌集144 素性法師)B.<鎮魂><読み替え>
「いそのかみ(五十の神)」<五十代の天皇><仲哀天皇>の、
古い時代の奈良の都にいた、「宮の子」<皇子><応神天皇>は「郭公」<托卵鳥>で、
「声は雁」<皇子の声は「雁」だ><応神天皇の声は仲哀天皇の声と似ても似つかず>、
(寄托鳥の雛<嫡子>の「香坂王」「忍熊王」は托卵鳥の郭公から、巣の外に蹴落とされ)、
応神天皇の声だけが、かつて巣(宮中)に鳴り響いた。
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詳細は下記の和歌のファイルをご参照下さい。
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「唐紅」<紅葉の色>は<鮮血の色><天皇家の純血>、
「水」は「真清水」<増し水><割り水>。
(古今集294).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (秋下、在原業平)
(古今集293).もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き波やたつらん (秋下、素性法師)
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「みなと」<川面の紅葉葉が流れ集まって溜まっている場所>
「らん」は「らん(乱)」「らん(濫)」「らん(卵)」をも連想させます。
「らん(乱)」<乱れ><皇統乱脈>
「らん(卵)」<卵><托卵><陽成天皇>
「山吹」襲(かさね)などを染める黄色系の染料は、しばしばクチナシの実が用いられました。
「梔子」<クチナシ><口無し>から「花語らず」
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(古今集19-1012.素性法師).山吹の 花色衣 主や誰 問へど答へず くちなしにして
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「八重山吹」が<不稔><産むはずの無い親>であることも、興味を引きます。
***「花咲きて実は成らぬ」***************
(万葉集10-1860).花咲きて 実は成らねども 長き日(け)に 思ほゆるかも 山吹の花 (作者不詳)
(古今集121).今もかも 咲きにほふらむ 橘の 小島の崎の 山吹の花 (春下、よみひとしらず)
「かも(鴨)」<ガン・カモ><渡り鳥><産むはずの無い親>
「らむ」撥音便「らん」<卵>
「橘鳥」<ホトトギス><托卵鳥>
「山吹の花」<不稔>
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脱線から戻りましょう。
和歌を再掲します。
(少納言の乳母1).寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむ程ぞうきたる
「心」には<底><水底>の意味があります。
「うく(浮く)」四段自動詞、下二段他動詞<浮く><漂う><浮かび上がる><浮かれる>
しばしば「浮きたる」の形で、<浮かれている><浮ついている><浮気だ><落ち着かない><不安定だ><当てにならない><いい加減だ>
「なびく(靡く)」四段自動詞、下二段他動詞<靡く><(根元はそのままで)先の方が横に揺れて動く><心を寄せる><相手の意に従う>
(少納言の乳母1)A.
寄る波の心も知らずに、和歌の浦に藻がなびいている様子は落ち着かないよ。
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「寄る」<言い寄る>
「うら(浦)」<浦><海><入り江><浜辺>
「うら(浦)」は「うら(裏)」「うら(心)」をも連想させます。
「うら(裏、心)」<裏><裏側><下心><表からは見えないもの><心>
「うらなし(裏無し、心無し)」<腹蔵ない><打ち解けた><ざっくばらんだ>
「うら(末)」<末端><先端><梢>
「ほど(程)」<程><程度><時間><距離><隔たり><辺り><付近><広さ><大きさ><様子><姿><身分><年齢><間柄><仲>
和歌の裏
若の末 浮き
寄る波の 心も知らで わかの浦に 玉藻なびかむ程ぞうきたる
夜 無み わかぬ裏 憂き
分かぬ裏 泥土
源氏物語で、紫上は、しばしば「海松(みる)」<海藻の総称>に例えられます。
***「海松」**********
(「葵」帖)
(光源氏50).はかりなき千尋の底の海松ぶさの生ひゆく末は我のみぞ見む
ここで紫上(の髪)は<海松>に例えられています。
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「玉藻」<若紫>
「寄る波」<言い寄る源氏>としてみましょう。
源氏が言い寄る「和歌」の「裏」に何が隠されているか、少納言の乳母は訝っているようです。
(少納言の乳母1)B.
和歌の裏に隠された、言い寄るあなた(源氏)の本心も知らずに、玉藻<若紫>が靡くとしたら、軽率だよ。
(そう簡単に従うわけには参りません。)
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「わかのうら(若の浦)」の「わか(若)」は「わかめ(和布、若布、若藻、稚海藻)」「わかめ(若芽)」を連想させます。
「わかのうら」を「若藻の末」<若布の先端><若布の若芽><若紫>としてみましょう。
@(少納言の乳母1)C.
<若紫>に言い寄るあなた(源氏)の本心も知らずに、玉藻<若紫>が靡くとしたら、軽率だよ。
(そう簡単に従うわけには参りません。)
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養育といえば、若紫のほかに玉鬘がいますが、源氏は玉鬘にも言い寄っています。
玉鬘は、「玉藻」に例えられることもあります。
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(頭中将9).うらめしやおきつ玉藻をかづくまで磯がくれけるあまの心よ
(源氏176).よるべなみかかる渚にうち寄せて海人もたづねぬ藻屑とぞ見し
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「寄る」<言い寄る><忍び寄る>
「波」<源氏>
「わか(若)」は「わかむらさき(若紫)」をも連想させます。
「わかむらさき(若紫)」とは、「源氏物語」における、<幼少期の紫上の通称>で、「若紫」帖の帖名としても掲げられています。
紫上は、源氏の最愛にして禁断の想い人、藤壺宮の姪にあたります。
根から紫色の染料を抽出する草本植物の「紫草」は、歌語として多用されますが、木本植物の藤の花と同じく、<紫>を連想させます。
藤壺宮が手の届かない高みにある<紫>の「藤の花」であるのと対比して、
紫上は、源氏の手もとの地面に生えている<紫>の「紫草」です。
「若紫」の「わか(若)」は、「わが(我が)」を連想させることも興味を引きます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「わか」と表記されました。
「わがむらさき(我が紫)」<私の紫><源氏の思い通りに出来る紫上>
「うら(裏)」<裏側><陰>
これは、紫上、梅壺女御、玉鬘と、養女全てに言い寄ることになる源氏の将来を暗示しているのでしょうか。
和歌の裏
若の末 藻 程 浮き
寄る波の 心も知らで わかの浦に 玉もなびかむ ほどぞうきたる
夜 無み わかぬ裏 も ほと 憂き
分かぬ裏 陰 泥土
(少納言の乳母1)D.
(養女に)忍び寄り言い寄る源氏の下心も(若紫は)知らないからといって、
若紫の陰で、玉鬘にも靡くような(あなたの節操の無さの)程は、嘆かわしいものです。
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「波」は<(顔に出来る)皺><老い>のたとえとして用いられます。
また、「なみ(波)」「なみ(無み)」「なみだ(涙)」は掛詞として常用されます。
*** 出産のときの歌(親子三代) ********
「しほ(潮)」<潮>
「しぼ(皺)」<(革や紙の表面の)皺>
「波」<皺(しわ)>のたとえ。<寄る年波>
(明石尼君5).老いの波かひある浦に立ち出でてしほたるるあまを誰かとがめむ
(明石中宮2).しほたるるあまを波路のしるべにて尋ねも見ばや浜の苫屋を
(明石上20).世を捨ててあかしの浦にすむ人も心の闇ははるけしもせじ
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詳細は上記の和歌のファイルをご参照下さい。
「ほと(陰)」<陰><窪み>には、<女性の陰部><女陰>を連想させることも興味を引きます。
また、それへの対比を背景として、
「玉(たま)」は<金玉><睾丸>をも連想させます。
源氏も幼少期は「玉の子」と呼ばれました。
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世にもきよらなる玉の男御子さへ生まれ給ひぬ。(桐壺)
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「玉」は<源氏>をも連想させます。
「寄る波」<皺の寄る老女><寄る年波に抗えず、老いて行く私達(が紫上を心配して流す涙)>
としてみましょう。
「わかの(若の)」が「わかぬ(分かぬ)」を連想させることも、興味を引きます。
「わかぬ(分かぬ)」<分からない>
和歌の裏
若の末 藻 程 浮き
寄る波の 心も知らで わかの浦に 玉もなびかむ ほどぞうきたる
夜 無み わかぬ裏 も ほと 憂き
分かぬ裏 陰 泥土
(少納言の乳母1)E.
寄る年波に老いて行く(祖母尼君や乳母の)私達(が幼い紫上を心配して流す涙)も知らないで、
(あなたは)タマタマも揺れ動くほど、浮かれていますね。
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「寄る」<言い寄る><忍び寄る>
「波」<源氏>
「波」「涙」
「うら(浦)」は「うら(裏)」「うら(心)」をも連想させます。
「うら(裏)」<裏側>
「うら(心)」<下心>
としてみましょう。
「うき(浮き)」<涙の海に浮くこと>
「うき(憂き)」<辛いこと><辛さ>
「ぞ~たる」<係り結び><強意><詠嘆>
(少納言の乳母1)F.
(養女に)忍び寄り言い寄る源氏の下心も(若紫は)知らないので、
若紫の裏で、タマタマが揺れ動く程に、あなたはウキウキしているのですね。
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ところで、
自立語に付属語がくっついて、文節を作り、文を構成する言語を「くっつく」という意味で「膠着語(こうちゃくご)」と呼びます。
日本語は「膠着語」のひとつです。
****参照:(注227746):「膠着語」と<語順の恣意性>
膠着語では、語順を変えても意味が変わらないため、もともと語順に対する感覚がさほど厳しくありません。
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さて、
上記を参考に、この和歌の語順を考えて見ましょう。
まず、(少納言の乳母1)の和歌を、上句(5・7・5)と下句(7・7)との間で、句切ってみましょう。
(上句):寄る波の心も知らで / 和歌の裏に
(下句):玉も靡かむ / 陰ぞうきたる
膠着語では、語順を変えても意味が変わらず、もともと語順に対する感覚がさほど厳しくないことを考え、
上句の中で、「和歌の裏に」を「寄る波の心も知らで」に掛けてみましょう。
(少納言の乳母1)G.
(上句):和歌の裏側に秘められた、幼女に忍び寄り言い寄るあなた(源氏)の下心も知らずに、
(下句):(節操の無いあなたの)タマタマが靡いていく、若い紫上の「陰」<女陰>の、なんと可哀相なことよ。
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母親を失くした幼い紫上は、祖母の尼君が北山で養育していました。
執拗に言い寄る源氏から、若紫(幼い紫上)を守る最も強固な防波堤が尼君だったわけですが、
その尼君が亡くなったので、これ幸いと、源氏は喜色満面で北山を訪れます。
「たま(玉)」は「たま(魂)」をも連想させます。
「たま(魂)」<亡き尼君の魂><(源氏の毒牙から幼女を守れという)亡き尼君の遺言>
としてみましょう。
(上句):寄る波の心も知らで / 和歌の裏に
(下句):魂も靡かむ / 程ぞ憂きたる
(少納言の乳母1)H.
(上句):和歌の裏側に秘められた、幼女に忍び寄り言い寄るあなた(源氏)の下心も知らずに、
(下句):「たま(魂)」<亡き尼君の魂>まで、(あなたの邪心に)靡くようなことになれば、(幼い紫上が)あんまり可哀相だ。
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****参照:(注776671):「音素の弁別」と<(物理的)客観性>
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「たま(玉)」と言えば、下記の(大宮4)の和歌が思い出されます。
*** 藤原道長が娘彰子のライバル「御匣(みくしげ)殿」の暗殺を企てたことを仄めかす源氏物語の一節 *********
(大宮4).ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり
「よくも玉櫛笥にまつはれたるかな。三十一字の中に、異文字は少なく添へたることのかたきなり」
と、忍びて笑ひたまふ。
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詳細はこの歌の解釈のページを御覧下さい。
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道長は、中宮定子がいながら、我が娘彰子をも強引に一条天皇の后としました。
これが前代未聞の「二后並立」です。
入内の日、彰子は何と総勢41人もの女房を伴う大行列で後宮入りしたそうです。
自らの権勢をこれでもかと見せつける、いかにも道長らしいエピソードです。
逆に、勢力衰える一方の定子サイドでは、第三子の「躾子」出産を目前にして、定子の乳母すら、夫の任国に随行するため、定子のもとを離れていきます。
躾子の出産で定子が亡くなる、同じ1000年12月15日の夜、道長と緊密な関係にあった道長の姉、詮子の御殿(東三条院)が全焼し、また道長は物の怪のとりついた次兄の妻藤原繁子につかみかかられるという凶事に見舞われました。
道長は道隆か道兼の死霊だろうと感じました(権記)が、紫式部は定子の「魂(たま)」だったと言いたかったのかもしれません。
***「たま(玉)」「たま(魂)」*************************
***「くしげ(櫛笥)」「くしげ(匣)」「くしげ(奇しげ)」*************
(大宮4).ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり
@(大宮4)A.
義理の息子(我が娘故葵上の夫)源氏の君と、我が息子内大臣(もと頭中将)のお二方のいずれの筋からたどりましても、「玉くしげ」<玉鬘>は、我が身と切り離せない孫なのでした。
「かげこ(陰子、影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子>
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人知れず君が「かげこ」になりぬとぞ思ふ。 (相模集)
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(大宮4)E.<鎮魂>
詮子と道長(繁子)の二方に、恨みを言いに行ったので、
①(中宮定子の)霊魂は、怪しげにも、自分の身体を離れてしまった。
②それにしても、我が身を離れない、
「かげこ(陰子、影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子><定子の死後、御匣殿が世話する遺児敦康>
であることよ。
(大宮4)G.<鎮魂>
(一条天皇が)定子とその妹の「御匣殿」のお二方に惹かれるのだとすれば、それは、姉妹はお互いに、我が身と違わぬ一心同体の面影だからです。
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「かげこ(陰子、影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子>
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人知れず君が「かげこ」になりぬとぞ思ふ。 (相模集)
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定子の末の妹「御匣殿」は、定子の生前から、定子の子達の面倒をよく見ていました。
そして、定子の死に際して、定子から特に敦康の世話を託されます。
「かげこ(陰子、影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子><定子の死後、御匣殿が世話する遺児敦康>
としてみましょう。
「かげ(影)」<面影><影法師><影法師のように常につきまとうもの>
の意味もあります。
ちなみに、中宮定子の遺詠、
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煙とも雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露を それとながめよ (中宮定子)
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の「煙とも雲ともならぬ」から、兄の伊周は、定子が火葬を望んでいないと考え、土葬にしました。
当時の土葬は、土に埋めるのではなく、埋葬地の鳥辺野に「たまや(霊屋)」という仮小屋を作って、そこに棺を置いて来る、という形で行われました。(山本淳子「源氏物語の世界」)
「たま(魂)」「たまや(霊屋)」<中宮定子の霊魂>
(1)「離れぬ」=「離れ」下二段連用形 + 完了「ぬ」終止形 = <離れてしまった>
(2)「離れぬ」=「離れ」下二段未然形 + 打消「ず」連体形 = <離れない>
「くしげ(奇し気)」<怪しげだ><怪しげにも>
「け(笥)」は「け(怪)」<物の怪>をも連想させます。
道長と詮子に祟りをなしたのは、定子の「魂(たま)」だった、と紫式部は言いたかったのかもしれません。
ふた方に いひもてゆけば / 魂 奇し気 / わが身 離れぬ / 影子 なり けり
(大宮4)D.<鎮魂>
詮子と道長(繁子)の二方に、恨みを言いに行ったので、
私(定子)の霊魂は、怪しげにも、(1)我が身を離れてしまった。
(それにしても、遺児敦康は)、(2)「影子」<私の心から離れない愛しい子>だよ。
詳細は下記の和歌のファイルをご参照下さい。
***「うとまれぬ」<二重性>***********
(藤壺宮3).袖濡るる露のゆかりと思ふにもなほ「うとまれぬ」大和撫子
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「たま(玉)」は「たま(魂)」をも連想させます。
「たま(魂)」<亡き定子の魂><(詮子と道長に祟った)亡き定子の魂>
としてみましょう。
「和歌」「みそひとじ(三十一字)」「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><文徳天皇の死><一条天皇の死>
「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><一条天皇の死>
「波」「藤波」<藤原氏><氏長者><藤原道長>
としてみましょう。
(上句):寄る波の心も知らで / 和歌の裏に
(下句):魂も靡かむ / 程ぞ憂きたる
(少納言の乳母1)I.<鎮魂>
(上句):「和歌」「みそひとじ(三十一字)」「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><一条天皇の死>の裏側に秘められた、天皇家に忍び寄る「波」「藤波」<藤原氏><氏長者><藤原道長>の下心も知らないで(追い落とされ)、
(下句):「たま(魂)」<亡き定子の魂>まで、(恨みの余り、詮子と道長の方に)漂っていって(祟りをなした)程の、定子の辛さだったのだなあ。
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源氏物語の六条御息所は、生霊として夕顔と葵上とをとり殺したばかりか、死霊になった後は、紫上や三宮にも襲いかかりました。
それほどに深い恨みだった、と紫式部は言いたかったのでしょう。
1025年には、道長は二人の娘を、わずか一月足らずの間に亡くしました。
源明子との間に出来た寛子と、倫子との間に出来た嬉子です。
さらにその二年後に、今度は妍子を亡くしました。
ちなみに、この時すでに、定子が命がけで産んだ第三子の躾子は、九歳で病死しています。(1008年)
それは、道長が30日に渡って土御門邸に客を呼んで執り行った大々的な法華三十講を成功裡に終えた直後のことでした。
また、躾子の兄敦康も、帝になれぬまま二十歳で亡くなっています。(1018年)
詳細は上記の和歌(大宮4)のファイルをご参照下さい。
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定子の崩御から4ヶ月後、紫式部は夫宣孝を亡くします。
当時流行していた疫病が直接の原因と考えられています。
宣孝の死を境に、紫式部の詠む和歌には、「身」や「世」という言葉が増えるのだそうです。(「紫式部集」、山本淳子「源氏物語の世界」)
(大宮4)の歌にも「身」の語が含まれていますね。
中宮定子亡き後、宮邸から、定子の母方の外戚、高階一族の訪れはぱったり途絶えました。(山本淳子「源氏物語の世界」)
自身も安和の変で、父高明の失脚を経験した俊賢は、これを「人間の心ではない」と嘆きました。(権記)
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冷泉帝の治世で、源氏(他氏)の最後のエース左大臣源高明が謀反で免職、これで藤原氏に逆らう他氏は根絶された。
冷泉帝は大した事績はないが、この「負の業績」において、平安時代(藤原摂関政治)を象徴する天皇となった。
(参考:井沢元彦「天皇の日本史」)
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***「冷泉天皇」と「源氏物語」*****************************
臣籍降下して源氏となった主人公の光源氏が女性遍歴のあげく、天皇である父親の妻の一人(つまり自分の義母)と不倫関係になり、その間に生まれた不倫の子がなんと天皇になり、その天皇によって光源氏は臣下の身でありながら准太政天皇つまり「名誉上皇」に出世するという物語なのである。
実際には当時、源氏は藤原氏に敗れ藤原氏の天下が確立していた。しかし、この「物語」の中では源氏が逆にライバルに完全な勝利をおさめるのだ。。。(中略)。。。
生前に右大臣だった菅原道真を神様に祭り上げたように、藤原氏は実際には追い落とした源氏一族を「物語の中で勝たせてやった」のである。その証拠に物語の中で天皇になった光源氏の不倫の子は何と呼ばれているか?
冷泉帝、すなわち冷泉天皇なのである。「源氏物語」はフィクションだから藤原氏のことも「右大臣家」とぼかしている。にもかかわらず光源氏の子については現実に存在した冷泉のし号をそのまま使っている。
では、現実の冷泉の治世に何があったか? 源氏の最後のエース源高明が失脚(安和の変)したではないか。つまり「源氏物語」とは、「関ヶ原で石田三成が勝った」という話であって、それを「徳川陣営」が作るというのが、外国にはまったく見られない日本史の最大の特徴の一つなのである。
(井沢元彦「天皇の日本史」)
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(一時的とはいえ)皇統に自らの血を流し込んだ、という意味での光源氏の成功の象徴が<冷泉帝>であり、現実の歴史ではなった者がいない「准太政天皇」の位すら賜ることが出来たのもその冷泉帝の計らいによるものでした。
源氏物語の登場人物のモデルを実際の歴史に探し求める「モデル探し」が今まで盛んに行われてきました。
それは、それぞれの登場人物の具体的な行動や性格を、実在の歴史上の人物と比べてその異同を論じる、というものでした。
しかし、井沢元彦さんのアプローチは、それらとは次元が異なります。
「歴史上実在した冷泉天皇の、個々の具体的な事績」を、「源氏物語の登場人物である冷泉帝の個々の行為や性格」と比べるのではなく、
「歴史上実在した冷泉天皇の治世が<象徴>する<他紙排斥の完了>」を、「源氏物語全体のテーマ<他氏の鎮魂>」と照合させる、
という、メタレベルのアプローチでした。
そして、それは、「現実の冷泉天皇の治世の歴史的意義付け」と、「源氏物語が書かれたそもそもの動機<鎮魂>」とを、見事に符号させています。
私は、これほどクリアー、かつ通常の解釈の発想とは次元を異にする、源氏物語解釈に出会ったことがありません。
ここへ来て、源氏物語の解釈は、「比喩」から「象徴」へと脱皮(昇華)した、とでも言うべきでしょうか。
氏の解釈が正鵠を射ているそもそもの理由は、
「源氏物語は、<文芸><文学><美学><色恋>のために書かれたのではなく、<社会>のために書かれた」
の一点に尽きる、と私は思います。
それもこれも、「源氏物語」の、いや、紫式部の視線の先にあったのは、<文芸><美学><色恋>ではなく<社会><政治>だったからです。
「冷泉帝」<安和の変><他紙排斥の完了><無力な天皇家><手足をもがれた天皇家>
私はこのイメージ連鎖を、私の「連想詞」のリストに加えます。
むろん、これが源氏物語の中の和歌全ての解釈に当てはまるわけではありませんし、それでもピンと来ない方はご自身のリストに加える必要はありません。
しかし、私自身は、これなくして何の源氏物語か、と言う気がします。
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藤原義懐は、かつて花山天皇を退位させようとする兼家の策略にかかり、花山天皇と伴に出家することを余儀なくされ、一夜にして権勢を失いました。
その息子成房、左大臣道長の養子であった源成信、右大臣顕光の息子重家たち若い世代が、定子の死後、次々と世をはかなんで出家しました。
左右両大臣の息子まで出家した一連の騒動は、宮中を揺るがすニュースになったとともに、定子の死を取り巻く状況を見て、若い世代が如何に厭世観を抱いたかを示しています。
ちなみに、顕光は右大臣でありながら、「至愚のまた至愚」といわれるほど無能で、酒癖の悪さも有名でした。
彼らに、紫式部の真意は伝わっていたのでしょうか。
私は、伝わっていたと思います。
むろんそれを公言するわけには行きませんが。
「三条の宮」「みそひとし」「御櫛の箱」の組み合わせによって、<定子と一条天皇と御匣殿>は容易に連想されていた、と私は思います。
現代人とは比べ物にならない鋭敏な言語感覚を持ち、豊穣な言語空間に生きていた「言葉の達人」である当時の人々なら、脳内で瞬時にイメージが連鎖していたでしょうから。
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***「源氏物語」冒頭、「女御」「更衣」***********************
いづれの御時にか、「女御」、「更衣」あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
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藤原氏は荘園という脱税システムを乱用して国富を掠め取り、すでに天皇家を圧倒する財力を蓄積していました。
その財力が藤原氏の政治権力の根本にあります。
摂関政治において、天皇は、摂政関白や大臣など、内裏(現在の内閣に相当)を構成する政府高官の娘たちとの間に子を生み、皇子の外戚を目指す藤原氏緒家の期待に沿うことが、政局安定の最大要件でした。
そうでなければ、天皇は藤原氏の政府高官たちからそっぽを向かれてしまい、円滑な政治運営など到底望めません。
従って、天皇が「女御」よりも「更衣」を、ましてや「藤原氏」よりも「紀氏」を寵愛するなどは、もってのほかの所業でした。
現代の我々には今ひとつピンと来ませんが、源氏物語の出だしは、不穏な先行きを暗示する、極めてキナ臭い、アブナイ文章だったわけです。
井沢元彦さんは、「源氏物語は<鎮魂>のために書かれた」とおっしゃっています。
この冒頭の一文は、「藤原氏への反逆」「摂関政治への抵抗」を象徴しているように、私には思えます。
文徳天皇は数えの31才で、一条天皇は満31才(数えの32歳)で亡くなりました。
ともに、当時最大の実力者(良房や道長)の娘とは違う女性(静子と定子)を最も愛しました。
そして、その子を皇太子にすることを阻まれたのも同じです。
しかも、静子も定子もともに若くして亡くなりました。
この最後の歌のしばらく後に来る、「源氏物語」の<最後>の文を見てみましょう。
***「源氏物語」の「をはり(終り)」<最後>の文 ************************
(地の文).
わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。
@(地の文)A.
(薫大将は)ご自分がかつて浮舟を隠し置いたご経験から、心に思い当たることを隈なく想像されて、、、ともとの本にございますそうな。
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「わが(我が)」は「わか(和歌)」を連想させます。
「和歌」は「みそひとじ(三十一字)」です。
「みそひとじ(三十一字)」は
「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><文徳天皇><一条天皇>
を連想させます。
濁点を打つ習慣のなかった当時、これらはともに「みそひとし」と表記されました。
我が
わが 御心の 思ひ寄らぬ 隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。
わか
和歌
和歌、御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりし「ならひ」に、とぞ「本」にはべめる。
「和歌」「みそひとじ(三十一字)」「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><文徳天皇><一条天皇>
「御心」<良房の心>
「おとす(落とす)」<落とす><(花実を)散らす><もらす><失う><敵の手の及ばない所に逃がす>
「おどす(脅す、威す)」<怖がらせる><恐れさせる><威嚇する>
「落とし」<落とす事><落とし穴><話の落ち、結末>
和歌、御心の思ひ寄らぬ隈なく、脅し置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。
(地の文)B.<鎮魂>
「和歌」<三十一才の死><文徳天皇>については、
良房の思いの届かぬことは無く、
(前々から)脅しておかれた通りに、(暗殺を行った)。
とこの本にございますそうな。
源氏物語は、藤原氏への<反逆>から始まり、<告発>で幕を閉じました。
紫式部は、藤原氏の悪行を、宮中の最奥部から命がけで<告発>しました。
我々は、この含意を素通りして、源氏物語を後世に伝えるべきではありません。
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ここで、当時の実際の出来事を眺めてみましょう。
一条天皇(980~1011年)は、満31歳で亡くなりました。
***「数え年」*********************
平安当時は生まれた瞬間に一歳とみなしたので、一条天皇は、「三十二歳で崩御」と書かれるのが普通です。
ちなみに、誕生日によらず、1月1日にみな年齢を一つ増やしたそうです。
仮に、大晦日に生まれると、その時点で1才です。
さらに、翌日の元日に、年齢をひとつ加えるので、2歳になります。
つまり、生後二日目、満でいえば二日しか経っていませんが、「二歳児」ということになります。
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「みそひとじ(三十一字)」は
「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><三十一才で死んだ人><一条天皇>
を連想させます。
濁点を打つ習慣のなかった当時、これらはともに「みそひとし」と表記されました。
「御匣(みくしげ)殿」とは、定子の末の妹のことです。
「御匣殿」は、定子の生前から、定子の子達の面倒をよく見ていました。
そして、定子の死に際して、定子から特に敦康の世話を託されます。
一条天皇は、亡き定子の面影を重ねるように、妹の「御匣殿」を求めるようになります。
他の妻である彰子や元子を差し置いて、天皇は定子の妹に傾きました。
そして道長はじめ周囲にも一条天皇と「御匣殿」の仲が知られるようになりました。
そしてほどなく「御匣殿」は懐妊しました。
その頃から、道長は、敦康を引き取り彰子のもとで養育するようになります。
「御匣殿」を一条天皇から引き離すため、また彰子を敦康の母親代わりとして一条天皇を彰子につなぎとめるため、などの理由が考えられています。(山本淳子「源氏物語の世界」)
その後、何と「御匣殿」は、子を産むことなく、わずか17、8歳で亡くなりました。
「こともじ(異文字)」は
「こどもし(子供死)」<子供の死><胎児もろとも亡くなった「御匣殿」>
を連想させることも興味を引きます。
濁点を打つ習慣のなかった当時、これらもともに「こともし」と表記されました。
「すくなく(少なく)」は
「すぐ(に)なく(直ぐに泣く)」
「すぐ(に)なく(直ぐに亡く)」
をも連想させることは興味を引きます。
「すぐ(に)なく(直ぐに亡く)」<そのまま亡くなる><懐妊のまま亡くなった「御匣殿」>
のようにイメージを重ねてみましょう。
「異文字は少なく」<定子姉妹の他の女には興味が少なく>
「子供死は直ぐ(に)亡く」<胎児の死んだ「御匣殿」もそのまま亡くなって>
「添へたる子」<添えた子><(道長が)一条天皇に后としてくっつけた彰子>
「かたき(敵)」<相手><敵><仇敵><恋敵>
「たま(玉)」を「たま(魂)」<定子の魂>
「たまくしげ」<定子の魂が宿った「御匣殿」>
としてみましょう。
隠蔽のため、こま切れにされたコトバの連想をつないで、イメージをまとめてみましょう。
懐妊までした「御匣殿」の存在を苦々しく思う、道長の呟きが聞こえるようです。
よくも 玉匣 に 纏はれたるかな。
三十ー 死 の中に、 子供死 は 直ぐ亡く
異文字 は 少なく
子と文字
添へたる 子 との 敵 なり。
殿 難き
と、忍びて笑ひたまふ。
(源氏)D.<鎮魂>
(一条天皇は)よくも(定子の妹の)「御匣殿」にこだわったものよ。
「みそひとし(三十一死)」<三十一才で死んだ人><一条天皇>の中で、
「異文字は少なく」<定子姉妹の他の女への興味は少ないため>
「添へたる子」<添えた我が子><(道長が)一条天皇に后としてくっつけた彰子>の「かたき」<仇敵>だからだ。
とそっとお笑いになる。
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櫛笥
ふた方に いひもてゆけば 玉 くしげ /
魂 奇しげ
①完了
わが身 はなれ ぬ / かけごなりけり
②打消 かげこ
影子
(大宮4)D.<鎮魂>
詮子と道長(繁子)の二方に、恨みを言いに行ったので、
私(定子)の霊魂は、怪しげにも、
①我が身を離れてしまった。
(それにしても、遺児敦康は)、
②私の心を離れない「かげこ(影子)」<ひそかにかくまい、目をかけている子>であることよ。
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上記は光源氏のセリフです。
我が娘明石中宮や養女秋好中宮を天皇に入内させ、準太政天皇として栄華を極めた光源氏のモデルの一人として、しばしば道長も挙げられます。
<藤原道長が「御匣殿」の暗殺を企てた>と紫式部は考えていたのではないか、と私は思います。
そして、その道長の本音をこの源氏のセリフに忍ばせ、同時代の人たちに、あるいは後世に訴えかけたのだと思います。
他の文にくるんでカムフラージュしながら。
源氏物語は、藤原氏への<反逆>から始まり、<告発>で幕を閉じました。
我々はこの訴えを素通りして、このセリフを後世に伝えるべきではない、と私は思います。
しっかり受けとめ、そして次代に伝えなければ、宮中の最奥部から藤原氏の悪行を命がけで<告発>した紫式部の決死の覚悟も報われません。
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**** 本居宣長「源氏物語 玉の小櫛」 「もののあはれ」<センス・オブ・ワンダー> ******************
さて人は、何事にまれ、感ずべきことにあたりて、感ずべき心を知りて、感ずるを、「もののあはれ」を知るとは言ふを、
かならず感ずべきことにふれても、心動かず、感ずることなきを、「もののあはれ」知らずと言ひ、心なき人とは言ふなり。
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「もののあはれ」<感ずべきことにあたりて、感ずべき心><センス・オブ・ワンダー><"驚くべきこと"にきちんと驚けるまっとうな感受性>
「もののあはれ知らず」<かならず感ずべきことにふれても、心動かず、感ずることなき><"驚くべきこと"を素通りする鈍感さ>
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詳細は下記の唱和のファイルをご参照下さい。
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(光源氏24).手につみていつしかも見む紫のねに通ひける野辺の若草
(光源氏25).あしわかの浦にみるめは難くとも こは立ちながらかへる波かは
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メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など
あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。
連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。
詳細は「連想詞について」をご参照下さい。
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ここまで。
以下、(注)
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