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「源氏物語」は伝え方が10割

「理系学生が読む古典和歌」
詳細はアマゾンの方をご参照下さい。

(注441176):「長徳の変」<前代未聞の醜聞>

2021-01-30 11:29:05 | <在原業平><藤原伊周><中宮定子>

 

(注441176):「長徳の変」<前代未聞の醜聞>

 

***「長徳の変」<前代未聞の醜聞>**************

内大臣藤原伊周(当時23歳)は故太政大臣為光の娘で、絶世の美人とされる三女を愛人としていました。
花山天皇は出家した身(入道)であるにも関わらず、同じ家の四女に通っていました。
花山天皇が自分の愛人に懸想していると勘違いした伊周は、ある晩、天皇が為光邸に通ってきたところを、隆家(当時18歳)とともに花山天皇に矢を射掛けて脅かします。
ところがこれが双方の従者達を巻き込んだ大乱闘となってしまいました。
しかも、花山天皇側の童べ(年若い従者)が二人も殺されてしまいました。
あろうことか伊周・隆家側は、その生首を持ち帰ったそうです。

これは普通なら即座に京を駆け巡る大ニュースになるところです。
しかし、仕掛けられた花山天皇も、出家の身で女のところに通っていたことが公になるのは痛し痒しで、この件を黙っていました。
でも当然ながら隠し切れず、やがて事件は前代未聞の醜聞として知れ渡ります。


ところで、伊周は、伊勢物語の主人公(の一人)とされる、在原業平の子孫でもあります。

業平は伊勢神宮の斎宮であったやす子内親王を孕ませます。
(ちなみに神に仕える処女の皇女である斎宮と通じるのは重大なタブーです。)
その子師尚(もろひさ)は伊勢権守、高階峯緒(たかしなみねお)一族の養子となります。
師尚の曾孫(ひ孫)の一人が、高階貴子であり、貴子は道隆の正妻となり、隆家、伊周、定子を産みます。
つまり、伊周は業平の六代目の子孫なのです。

中関白家の当主道隆と、一介の受領を父に持つ貴子の結婚。しかも正妻として迎えられたことは、当時破格の「玉の輿」だったそうです。(山本淳子「源氏物語の時代」)
母方高階家の子孫として、また父親道隆の息子の中でも希代のエースで、若くして内大臣になった伊周。
「伊周」の「伊」の字は、母方のプライドを込めた、「伊勢」にちなむものなのかもしれませんね。

ちなみに、当時の貴族は、しばしば従者と言うより、ボディガード、私兵として、荒くれ者を子飼いにしていました。
のちに伊周と隆家が企てたと噂される道長の暗殺計画にも、伊勢国を地盤とする軍事貴族出身の平致頼(たいらのむねより)が関与しています。
(繁田信一「殴り合う貴族達 平安朝裏源氏物語」)

ちなみに、この醜聞は「長徳の変」と呼ばれ、伊周は大宰府に、隆家は出雲国に配流となりました。

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(注228836):(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ年へにし のメモ:

2021-01-30 11:25:50 | <在原業平><藤原伊周><中宮定子>

 

(注228836):(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ年へにし のメモ:

 


メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。

 


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「みるめ(海松布)」と「みるめ(見る目)」は掛詞として常用されます。
「みるめ(海松布)」<海藻の総称>
「みるめ(見る目)」<見た目>

 

「うら」接頭辞<なんとなく><心の中で>
「ふる(古る、旧る)」上二段活用動詞<年を経る><古くなる><古びる><成長する>


「伊勢をのあま」<伊勢男の海人><伊勢物語の在原業平>


「な(名)」<名前><名声><名誉><評判><価値>
「名を沈む」<名を下げる><名声を貶める>

 

「うら(浦)」<浦><海><入り江><浜辺>
「うら(裏)」<裏><裏側><下心><表からは見えないもの><心>、
「うらなし(裏無し、心無し)」<腹蔵ない><打ち解けた><ざっくばらんだ>
「うら(末)」<末端><先端><梢>

「うら」には、<裏>のほか、表には明瞭にみえない<心>、また、<枝葉><先っぽ>という意味があります。

 

「を」助詞<強意>
「を」接尾辞<整調>

***「を」間投助詞 **********************
「を」間投助詞<感動>。「よ」より意味が強い。(小学館「古語大辞典」)
(万葉 1-21).紫草(むらさき)のにほへる妹「を」 憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも (大海人皇子)
<妹よ、そなたが>
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「を(雄、男、夫、牡)」<男><雄>
「をのこ」<男子>
「をのあま」<男あま><海人>

伊勢は万葉の時代から、海女で有名でした。当時の朝廷への貢物を記した木簡が、正倉院にも残っています。


「な(菜、肴、魚)」<(食用となる)草、魚の総称><副食品の総称><鳥獣の肉、魚、野菜など>
「さかな」<酒の菜><酒の魚><酒を飲むのによい副食品>という意味から出来たそうです。


「しづむ(沈む、鎮む、静む)」四段自動詞、下二段他動詞<沈む><水没する><気がめいる><ふさぎこむ><没落する><落ちぶれる><病気になる><霊を鎮める><心落ち着かせる><自制する><抑制する>


「な(儺)」「ついな」「鬼遣らひ」は、十二月晦日の夜行われる、<疫病の鬼>を追い払う儀式です。

「な(儺)」<鬼><御息所の霊>

 

「あま(海人)」「あま(海女)」「あま(尼)」


「裏見て」「恨みて」

「伊勢を」<伊勢の男><在原業平><プレイボーイ><源氏>
「の」格助詞<主格><が>

「あま」<海女><(伊勢の海に下っていた)前斎宮>

 

「や」係助詞<疑問><反語>

「や」間投助詞<詠嘆><感動><呼びかけ><整調><列挙>

<詠嘆>(万葉集02/0095).我れはも「や」安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり (藤原鎌足 相聞歌)

***「や」**************************
<詠嘆> さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月を片敷く宇治の橋姫 (新古今、秋上)
<呼びかけ> あが君や。いづかたにかおはしましぬる。(源氏物語、蜻蛉)
<整調> 春の野に鳴くや鶯なつけむとわが家の園に梅が花咲く (万葉集、5-837)
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「や」間投助詞<詠嘆><感動><呼びかけ><整調><列挙>

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伊香保の「や」伊香保の沼のいかにして 恋しき人を今一目見む (拾遺集 859)
石見の「や」高角山の木の間より 我が振る袖を妹見つらむか (万葉集 0132)
春の野に鳴く「や」うぐひす馴付けむと 我が家の園に梅が花咲く (万葉集 837)
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「や」感動詞<呼びかけ><おい><もしもし>、<驚き><思いつき><あっ>、<囃し声><掛け声><えい>

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(空蝉は)物におそはるる心地して、「や」とおびゆれど、、、 (源氏物語、帚)
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①「うらふる(うら古る)」(接頭辞 + 上二段活用)<なんとなく古びる><ちょっと古くなる>
②「うらぶる(心ぶる)」(下二段活用自動詞)<うらぶれる><わびしく思う><悲しみに沈む><失意に萎れる>


「吹く」(四段)
「更く」(下二段)

 

「年へにし」<年月を経た><須磨で反省の三年を過ごした>

「古る、旧る」ラ行上二段<古くなる><年をとる><時が経つ><老いる><衰える><昔と変る>
「ふり」「ふり(振り、風)」<姿、容姿、なりふり><いかにもそれらしい様子、振り>

「沈む」<沈める><表に出さない>

「かげ」「ひかげ」<ヒカゲノカズラの古名>
「ひかげもの」<公然と表に出られないもの><妾><私生児>

「みるめ(海松布)」は類似音の「見る女(め)」<契る女><男と交わる女><源氏と契る藤壺宮>をも連想させます。

「みるめ(海松布)」<不貞の女><藤壺宮>
「みるめ(海松布)」「見る目」<会う機会><結婚する可能性>の掛詞


「めこ(女子)」<女の子><娘>
「めこ(妻子)」<妻と子><妻子><妻>

「いせをのあま(伊勢男の海人)」<伊達男源氏>
「な(汝)」<汝><あなた><お前>


「をむなごと(女言)」<女同士の議論>
「みだりがはし(濫りがはし、猥りがはし)」「みだれがはし」<入り乱れている><秩序が無い><乱雑だ><無作法だ><乱暴だ><好色めいた>
「ゆかし(床し)」<知りたい><見たい><興味深い><欲しい><心惹かれる><ゆかしい><奥ゆかしい>
「あさはか(浅薄)」<浅い><浅薄だ><思慮が無い><未熟だ><重大でない><取るに足りない>
「しにかへる(死に返る)」ラ行四段<繰り返し死ぬ><何度も死ぬ><死ぬほど強く~する><死にそうになる><死に瀕する>


「雲の上」は<殿上人><高級貴族>をも連想させます。

「ちひろ(千尋)」「ちいろ(血色)」

「公卿」(上達部)<三位以上 + 参議(四位)><最上流貴族>

 


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(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ (後編)

2021-01-30 11:15:31 | <在原業平><藤原伊周><中宮定子>

 

 

(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ (前編)から続く。

 

****参照:(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ (前編)

 

 

 

(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ (後編)

 

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(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ‐12rr(前編).txt


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直後の地の文を見てみましょう。

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(地の文).
かやうの女言(をむなごと)にて、乱りがはしく争ふに、一巻に言の葉を尽くして、えも言ひやらず。
ただ、あさはかなる若人どもは、死にかへりゆかしがれど、(主)上のも、宮のも片端をだにえ見ず、いといたう秘めさせたまふ。
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「をむなごと(女言)」<女同士の議論>
「みだりがはし(濫りがはし、猥りがはし)」「みだれがはし」<入り乱れている><秩序が無い><乱雑だ><無作法だ><乱暴だ><好色めいた>
「ゆかし(床し)」<知りたい><見たい><興味深い><欲しい><心惹かれる><ゆかしい><奥ゆかしい>
「あさはか(浅薄)」<浅い><浅薄だ><思慮が無い><未熟だ><重大でない><取るに足りない>
「しにかへる(死に返る)」ラ行四段<繰り返し死ぬ><何度も死ぬ><死ぬほど強く~する><死にそうになる><死に瀕する>


@(地の文)A.
こうした「をむなごと(女言)」<女同士の議論>で、やかましく言い争っているので、一巻の勝負に言葉の限りを尽くしても、それでも用意に決着がつかない。
ただ、浅薄な若女房たちは、死ぬほどにこの絵合わせの結果を知りたがっているけれど、帝づきの女房も、中宮の女房も、片端さえ見ることが出来ないくらい、(中宮は)たいそうこの催しを秘密にしていらっしゃる。

 

 

ここで、実際にあった前代未聞の醜聞に目を向けてみましょう。
長徳二年(996年)正月十六日の出来事です。


「長徳の変」と呼ばれるようになった、<前代未聞の醜聞>です。

 

****参照:(注441176):「長徳の変」<前代未聞の醜聞>

 


「伊勢物語」の在原業平は、子孫である「伊周」を連想させます。
また、「伊勢」の「伊」も「伊周」を連想させます。


「をむなごと(女言)」を「をむなごと(女事)」<女がらみの事>

「ひとまき(一巻)」を「ひとまき(人巻き)」<取り巻き><従者たち>
「ひとまきに(人巻きに)」<取り巻きの従者達が主君を取り囲んで>
としてみましょう。

「あさはかなる(浅薄なる)」を「あさはかなる(朝墓なる)」<朝、墓になった(死んだ)>
としてみましょう。

「かへる(返る)」<繰り返す>
「しにかへる(死に返る)」<一人、また一人と死ぬ>

「かへる(帰る)」<神のもとに帰る><死ぬ>
「しにかへる(死に帰る)」<死んで冥界に帰る><亡骸となって家に帰る>

「かへり(返り、反り)」<裏返ること><戻ること><帰ること><帰り道><返事><返歌><仕返し><報復>

 

「しゅしゃう(主上)」は、「しゅじゃう(衆生)」を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「しゅしゃう」と表記されました。

「しゅしゃう(主上)」<主君><君主><天皇>
「しゅじゃう(衆生)」「すじょう(衆生)」(仏教語)<全ての人間><全ての生物>


「主上のも宮のも」とする伝本と、「上のも宮のも」とする伝本があるようです。


「上(うへ)」<貴人の尊称><藤原伊周・隆家>
「宮」<宮中><皇族><花山天皇>
としてみましょう。


これらの連想を重ね合わせ、この文を乱闘で亡くなった年若い二人の従者の<鎮魂>の観点から、ためしに解釈して見ましょう。

 

      女   言
かやう の をむな ごと にて、乱り がはしく 争ふ に、
          事     猥り

一巻
ひとまき に 言の葉 を 尽くして、えも 言ひ やらず。
人 巻き

 

   浅薄
ただ、あさ はか なる 若人どもは、
   朝  墓


     返り
死に / かへり  ゆかし がれど、  
     帰り


主上
しゅしゃう のも、宮のも 片端をだにえ見ず、いといたう 秘め させたまふ。
しゅじゃう
衆生

 

(地の文)B.<鎮魂>
こうした「をむなごと(女事)」<女がらみの事>で、「猥りがはしく」<好色にも><入り乱れて>言い争っていて、「人巻きに」<取り巻きの従者達が主君を取り囲んで>罵詈雑言、怒声の限りを尽くしても言い尽くせない。

ただ、(乱闘の一夜が明けての)朝、墓になった年若い従者たちは死んでしまって、
「返り」<仕返し>をしたく思うが、伊周側の従者も、天皇側の従者も、(従者たち皆も、花山天皇も)、片端さえ見れないくらい、ひた隠しに隠しておられる。

 

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一介の受領を父に持つ貴子が、中関白家の当主道隆に、正妻として迎えられたことは、当時破格の「玉の輿」でした。
(山本淳子「源氏物語の時代」)


********************
次に、「伊勢物語」に「正三位」を合はせて、また定めやらず。
********************

「伊勢物語」と対決する絵のモチーフになっている「正三位」という物語は、散逸してしまい現在は残っていません。
しかし、その内容は、
<兵衛府の役人(中流下流貴族)の長女が入内する>
という「玉の輿」の物語だったのだろう、と推測されています。
(参考:小学館「新編日本古典文学全集 源氏物語」)


ここで、(藤壺宮12)の直前の和歌を見てみましょう。


(大弐典侍1).雲の上に思ひのぼれるこころには ちひろの底もはるかにぞ見る

 

(大弐典侍1)A.
雲の上まで上るような高い心から見れば、千尋の底もはるか下に見下ろされる。

 

「雲の上」は<雲居><宮中><内裏>の例えとして常用されます。

この絵合わせで対決する絵のモチーフとなった二つの物語を引き合いに出して、
大弐典侍は「伊勢物語」よりも「正三位」の方に肩入れしているようです。

***「業平の義理の父」<紀静子の兄>***************************
日本一の美男子として名高い彼は、清和天皇が幼帝だったころに、その婚約者でもあった藤原高子と恋愛し、問題を起こしたと伝えられている。これを単なる伝説だと考える学者もいるが、彼の義理の父が、藤原氏の血を引く清和天皇と皇位を争った惟喬親王の生母であった紀静子の兄であることを考えれば、決して有り得ない話ではない。
業平は、当時、唯一天皇と釣り合う年齢にあった藤原氏の娘、高子を誘惑することで、藤原氏の勢力拡大を妨害するという使命を担っていたのかもしれない。
(井沢元彦「井沢式日本史入門講座4 怨霊鎮魂の日本史」)
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****参照:(注774431):「伊勢物語」<禁断の恋>「在原業平」「藤原高子」<駆け落ち>


@(大弐典侍1)B.
(同じ恋物語でも)、雲の上の宮中(への入内)を目指すような高い志(を描いた「正三位」物語)からすれば、
(分不相応な横恋慕で京を追われて零落した在原業平の「伊勢物語」など、)
はるかに低く見下ろされます。

 


「雲の上」は<殿上人><高級貴族>をも連想させます。

「玉の輿」と言えば、伊勢物語の在原業平の子孫でもある高階貴子の、中関白家の当主道隆への嫁入りが連想されます。

「雲の上に思ひのぼれる」というフレーズは、
高階貴子の姓「高階」<高い階段>をも連想させますね。


ところで、
「ちひろ(千尋)」を「ちいろ」とする異文も伝わっているそうです。(参考:小学館「新編日本古典文学全集 源氏物語」)

「ちいろ」は「ちいろ(血色)」をも連想させます。
「長徳の変」では、伊周・隆家側が、花山天皇の若い従者二人の生首を持ち帰ったそうです。

 

政界ナンバー3の内大臣たる、当代きっての貴公子が、
あろうことか天皇を相手に、色恋絡みのひと悶着で刃傷沙汰にまで及び、
生首を持ち帰って大宰府に配流になるなど、
まあ前代未聞の醜聞です。
もっとも、出家した身で愛人のもとに通う花山天皇も花山天皇ではありますが。。。

 


「長徳の変」で、単なる色恋沙汰のとばっちりで殺された、花山天皇の童べ(年若い従者)の<鎮魂>の観点から、
この歌を解釈してみましょう。


(大弐典侍1)C.<鎮魂>
(同じ恋愛譚でも)、<殿上人><高級貴族><中関白家の当主道隆>への嫁入りを目指すような高い志(の高階貴子)からすれば、
(朝廷ナンバー3の内大臣たる伊周が、天皇相手に色恋沙汰でひと悶着起こして左遷されるという前代未聞の醜聞など)、
はるかに低俗に見下されることよ。
(内大臣ともあろう者が、何やってんだ!)

 

貴子の自慢の息子であり、また中関白家の中でも希代のホープであった伊周。
「伊周」の「伊」の字が、何とも皮肉な形で、「伊」勢物語を髣髴とさせる顛末となりました。
そして道長の独走態勢の基盤が固まります。

 

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さて、元の和歌(藤壺宮12)に戻りましょう。


在原業平は平安きっての伊達男として知られています。
その六代目の子孫である「伊周」は関白道隆を父に、中宮定子を妹に持ち、美貌、かつ学才に秀でたみやび男で、当時並ぶものなき貴公子でした。
その貴公子ぶりと、女がらみで配流になったことなどから、業平と同様、しばしば光源氏のモデルの一人として数えられます。

ちなみに、関白道隆は、この期待のエースを、
18歳で参議(正式な公卿。公卿は20名ほどで現在の内閣に相当)
21歳で内大臣(当時道隆、道長につぐ政界ナンバー3の地位)
に就けました。

「公卿」(上達部)とは、<三位以上 + 参議(四位)>という<最上流貴族>で、総勢二十名ほど。現在の内閣に相当します。
18歳で参議となった伊周は、その閣議に出席するわけです。つまり、今で言う文部科学大臣とか農林水産大臣とかの「大臣」クラスの地位に、弱冠18歳でなった、ということです。

それにしても無茶苦茶な時代ですよね。

伊周もこんな騒ぎになるとは思っていなかったのでしょうが、これが事実だとすれば、「女がらみで矢を射掛ける」とはいかにも<子供っぽい>ですよね。
<頭は良くてもまだ子供>とでも言ったところでしょうか。

「伊勢男の海人」<伊勢の海人><在原業平><伊周>
「年へにし」<(業平の時代から)年を経て>
としてみましょう。

神に仕える伊勢の斎宮を孕ませた業平も業平ですが、
女がらみで刃傷沙汰を招き、死者まで出した伊周には及びません。


見る目 こそ うらふりぬらめ /  年へにし 伊勢男の海人の 名を や  沈めむ

(藤壺宮12)H.<鎮魂>
(貴公子然とした)外ヅラこそ人を裏切るものだ。
伊勢物語の<業平>の時代から年を経て、六代目の子孫の<伊周>が、業平の名誉を貶める。

 

 

この「長徳の変」での左遷の翌年には、二人は許されて京に戻ります。
しかし伊周(24歳)と隆家(19歳)がその後本格的に政権へ復帰することはありませんでした。
すなわち道長の独走態勢の完成です。

 

 


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ここで、菅原道真の最も有名な歌を見てみましょう。
それは、皮肉にも、藤原氏の他紙排斥によって政界から放逐された時の、失意の歌です。


*** 道真公配流の歌「こち」<東風> *****************
2.こち吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなきとて春な忘れそ
「こち」<東風><京から西方の大宰府の方に吹く風>
2A.
(春になり)東風が吹いたら、香りを(京から西方にある九州の大宰府に)送ってくれよ、梅の花よ。
主人がいないからといって春を忘れてくれるなよ。
*************************************


*** <道真公の天罰><落雷> *******************************
57歳(901年) 太宰権帥に左遷。
59歳(903年) 大宰府で客死
  (908年) 道真の左遷を聞いて駆けつけた宇多法皇を内裏に入れなかった藤原菅根が「落雷」で死亡。
  (909年) 藤原時平没。
  (911年) 大安寺焼失。
時平の子は次男顕忠(あきただ)を覗いてみな夭折。
  (923年) 醍醐天皇の最愛の息子、保明皇太子が21歳で没。道真の怨霊によるとの風説流れる。
  (925年) 保明親王の息子、次の皇太子慶頼王までも、わずか5歳で死亡。
  (930年) 清涼殿に「落雷」。やけどなどけが人多数。藤原清貫らが死ぬ。
************************************************

 


源氏物語では、「ことわり(理)」の語が、<道真公の天罰><落雷>を連想させる分脈で、しばしば現れます。


****参照:(注669941):「ことわり(理)」<道真公の天罰><落雷>

 

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長徳二年(996年)一月の「長徳の変」によって、伊周(24歳)と隆家(19歳)は失脚し、その後政権へ本格的に復帰することはありませんでした。
すなわち道長の独走態勢確立です。

ちなみに、伊周らが配流となったのは、花山天皇に矢を射掛け、従者達との乱闘で死者を出した事のほかにも、二つ理由があります。
一つは、道長と親しい姉の詮子(一条天皇の母)を呪詛したこと、もうひとつは天皇にのみ許される呪術「太元帥法(たいげんのほう)」を行ったことです。
しかし、この二つは、道長サイドが着せた濡れ衣であると考える人もいます。(繁田信一「殴り合う貴族達 平安朝裏源氏物語」)

ちなみに、「長徳の変」の半年前に起こった道長と隆家の従者同士の乱闘騒ぎでは、道長の従者が一人亡くなりました。
この頃の「小右記」には欠落が多く、我々はことの仔細を知ることが出来ません。


「絵合わせ」の伊勢物語が出てくる場面を、失脚した伊周の<鎮魂>の観点から解釈してみましょう。


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(地の文2).
次に、「伊勢物語」に「正三位」を合はせて、また定めやらず。
これも、右はおもしろくにぎははしく、内裏わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを描きたるは、をかしう見所まさる。

 

「伊勢物語」の在原業平は、子孫である「伊周」を連想させます。
また、「伊勢」の「伊」も「伊周」を連想させます。


「伊勢物語」<伊周内大臣>
「正(しゃう)三位」<大納言>
「従(じゅう)三位」<中納言><隆家中納言>
濁点を打つ習慣の無かった当時、「じゅう(従)」は「しゅう(従)」と表記されました。
ちなみに<少納言>は「従五位下」です。

「さだめ(定め)」「さだめ(定)」は「さだこ(定子)」<中宮定子>を連想させます。
「め(女)」が<女>を連想させるのも興味深く思われます。

花山天皇に矢を射掛けた罪(長徳の変)で、検非違使(当時の警察)に追われた伊周と隆家は、定子が一条天皇の子を懐妊中で里下がりしていた実家の二条邸に転がり込んで来ました。
検非違使達は定子を屋外の牛車に移して、家の床板をバリバリ剥がしてまで、隠れた兄弟を探しました。
二人がほどなく捕えられ、曳かれて行くのを目の当たりにし、定子はあまりのショックのため、自らハサミをとり、その場で落飾(髪を切り出家すること)しました。

伊周は大宰府(福岡県)に、隆家は出雲国(島根県)に配流(左遷)となりました。
ちなみに、この翌月、定子の実家二条邸は火事で全焼しました。

このとき、定子の出産は遅れに遅れ、通常なら妊娠10ヶ月ほどで生まれる赤子が、十二ヶ月目に生まれました。
それは、長徳の変など度重なるストレスのためと言われているようです。


本来は「左」<左方>とあるべき字が、「右」となっている写本も多いそうです。

長徳の変の当時、道長は右大臣、伊周は内大臣、隆家は大納言、定子は中宮でした。

「右」<右大臣道長>
としてみましょう。


「やる(遣る)」<向こうに送る><心が晴れる><はるか遠くに~する><~し切る><完全に~する>

「やらす(遣らす)」「す」<尊敬><お遣りになる><使役><遣らせる>
「やらず(遣らず)」「ず」<打消し><気が晴れない>

「しむ(締む)」マ行下二段<締める><結ぶ><閉ざす><取り決める><まとめる><合計する><懲らしめる><心を引き締める>
「しむ(占む)」マ行下二段<占める><占有する><独占する><敷地とする><住む><心に抱く>


次に、「伊勢物語」に「正三位」を合はせて、 また定め やらず。
                   で  まだ   やらす
                           遣らす

        打ち 始め
内裏わたりより うち はじめ、 近き世のありさまを描きたるは、をかしう見所まさる。
        うちは しめ  
        内は  閉め
            占め
            締め


「うち(打ち)」接頭辞<整調><強意>
「うち(打ち)」「打つ」<(雷で)打つ><撃つ>
「うち(内)」<内側><内裏>


よりによって一条天皇の子を懐妊中の一大事。ショックで流産したって不思議はありません。
同情を装いながらも、内心手を打って喜ぶ道長のにやけ顔が目に浮かびます。

「しむ(占む)」<独占する>
「しむ(締む)」<懲らしめる>
「うち(内)」は<内大臣><伊周>を連想させます。

 

(地の文2)B.<鎮魂>
次に、<伊周内大臣>に<隆家中納言>を合わせて、また罪を裁定し、遠くの地にお遣りになる。
(二人の妹である)中宮定子も気が晴れない。
これも、「右」<右大臣道長>サイドは面白く賑やかで、
宮中辺りから内側(内裏)は占め(権力を独占し)、
「うち(内)」<内大臣><伊周>を懲らしめ、
近い将来の様子(政局)を思い描くのは、面白く見ごたえがある(と感じている)。

 

 


それとも紫式部は、伊周たちの罪の「定め」<裁定>のやり直し、あるいは道真公の天罰を望んだのでしょうか。


(地の文2)C.<鎮魂>
次に、<伊周内大臣>に<隆家中納言>を合わせて、まだきちんとした裁定は済んでいない。
(二人の妹である)中宮定子も気が晴れない。
これも、「右」<右大臣道長>の辺りは面白く賑やかで、
(道真=天神様は)宮中辺りから(雷で)打ち始め、
内裏は懲らしめるという、
近い将来の有様を思い描くのは、面白く見ごたえがある。

 


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在原業平は平安時代きっての伊達男として知られています。
その六代目の子孫である「伊周」は関白道隆を父に、中宮定子を妹に持ち、美貌、かつ学才に秀でたみやび男で、当時並ぶものなき貴公子でした。
その貴公子ぶりと、女がらみで配流になったことなどから、業平と同様、しばしば光源氏のモデルの一人として数えられます。

「伊勢物語」の在原業平は、子孫である「伊周」を連想させます。
また、「伊勢」の「伊」も「伊周」を連想させます。


長徳の変の時、道長は右大臣、伊周は内大臣、隆家は大納言、定子は中宮でした。
「正三位」は、散逸した物語で、それが「伊勢物語」と同様、絵のテーマとして用いられた、と解釈されるのが普通です。

この場面で出てくる、「伊勢物語」「三位」「右」「定」「内」などとのイメージ連鎖から、
「正三位」という当時流布していた物語の名を使って、紫式部は、
「三位」<大納言><中納言><中納言隆家>
を仄めかしているようにも見えます。

そして、そのために、「左」<左方>とあるべき文字を、<右大臣道長>を連想させるために、あえて「右」と故意に間違えて書いた、などという気がしなくもありません。

今一度まとめると、
「伊勢物語」<伊周内大臣>
「三位」<中納言隆家>
「右」<右大臣道長>
「定」<中宮定子>


「長徳の変」には何か裏がある、と紫式部は睨んでいたのかも知れません。
詮子の呪詛や大元師法(の濡れ衣)も含めて、密室談義の外には洩れ出て来ない真相が。
そして、それを明るみに出して、もう一度伊周や隆家を公正に裁く「ことわり(理)」を求めていたのではないでしょうか。
それをこの絵合わせの段で暗に訴えていたのではないか、という気がしなくもありません。

 


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「伊勢物語」きってのラブロマンス、といえば、
在原業平と藤原高子の<禁断の恋>の物語です。


****参照:(注774431):「伊勢物語」<禁断の恋>「在原業平」「藤原高子」<駆け落ち>

 


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(古今集294).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (秋下、在原業平)

これは、「伊勢物語」第106段「竜田川」に出てくる和歌です。
詳細はこの和歌のファイルをご参照下さい。


@(伊勢物語)A.
(人の代はもちろん)、神代の昔の話としても聞いたことがない。
竜田川が、(流れる紅葉で)水を真紅に「くくり染め」で染めているとは。


(伊勢物語)C.<鎮魂>
「ちはやぶる(血は破る)」<天皇家の血統が敗れる><天皇家の純血が壊れる>だって?
神代の昔から、そんな話<不義>は聞いたこともない。
(神=天皇家の言うことも全く聞かず)、
(清和天皇から陽成天皇に繋がる血筋を)断ち切った「たか(高)」<高子><二条后>は、
「唐紅」<鮮紅色><血の色><天皇家の純血の血統>に、
「水」<在原業平の血><薄まった天皇家の血統>を「括る」<束ねる>とは。


「唐紅に水潜るとは」なら、
<(表面は真っ赤に見える)天皇家の純血の下に、在原業平の水(薄まった天皇家の血)が流れているなんて!>
とでも言ったところかも知れません。


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(古今集294)は、同じ場で詠まれた(古今集293)と、セットで古今和歌集に収められています。


(古今集293).
(詞書) 二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢながれたるかたをかけりけるを題にてよめる。

(古今集293).もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き浪やたつらん (素性法師)


@(古今集293)A.
紅葉葉の流れ集まって溜まっている場所には、深い紅色の波が立っているのだろうか。


「ながれ(流れ)」は「なかれ(泣かれ)」の掛詞として常用されます。

「なみ(波)」は「なみ(無み)」「なみだ(涙)」の掛詞として常用されます。
「なみ(無み)」<無いこと><無いので>

「なみ(波)」は「なみだ(涙)」を連想させます。


「紅の涙」は「紅涙(こうるい)」の訓読で、
<深い悲しみの涙><血の涙>や<感動の涙>という意味を持つ慣用句です。


「て」は「で」を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「て」と表記されました。

「で」= 打消「ず」連用形 + 接続助詞「て」
=<~しないで><~せずに>
を連想させます。


「紅深き波」<天皇家の血><本来の皇統>

「波が立つ」は、<次々と立ち現れる><継嗣>をも連想させます。

「紅深き波」「紅深き涙」は<血の涙><皇統断絶の悲劇>をも連想させます。

 

(古今集293)B.<鎮魂>
「紅葉葉」<紅色><血の色><天皇家の純血の血統>が流れずに止まってしまった所には、
「紅深き波」<天皇家の血><本来の継嗣>が次々と立ち現れるのだろうか。(いや、そんなはずはない。)
(<本来の皇統>を断ち切る「らん(卵)」<托卵><陽成天皇>が立ちはだかり、
悲しい「紅深き波」「紅深き涙」<血の涙><皇統断絶の悲劇>が流れている。)


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ためしに、ここでの歌の唱和もこの<鎮魂>の観点から解釈してみましょう。


(平典侍1).伊勢の海の深き心をたどらずてふりにし跡と波や消つべき

 

(平典侍1)B.<鎮魂>
在原業平の深い志を跡付けずに、昔のことと記憶から消し去ってしまって良いものでしょうか。

(平典侍1)C.<鎮魂>
伊周の深い志を跡付けずに、昔のことと記憶(朝廷)から消し去ってしまって良いものでしょうか。


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(藤壺宮12).みるめこそ うらふりぬらめ 年経にし 伊勢をの海人の 名をや 沈めむ

(藤壺宮12)L.<鎮魂>
色恋沙汰と取り繕われた見た目こそ人を裏切るものだ。
(長徳の変から)年を経た今になっても(真相を隠して)、伊周の名誉を貶めてよいものか。

 


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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。

 


****参照:(注228836):(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ年へにし のメモ:

 

 

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ここまで。
以下、(注)


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****参照:(注664426)c:「処女懐胎」<ワケアリの子>「マリアの子イエス」c

 


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****参照:(注12568):「この世で最も古くからある職業は泥棒と娼婦」


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****参照:(注774431):「伊勢物語」<禁断の恋>「在原業平」「藤原高子」<駆け落ち>

 


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(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ (前編)

2021-01-30 11:12:03 | <在原業平><藤原伊周><中宮定子>

 


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(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ (前編)


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ‐12rr(前編).txt


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要旨:

源氏物語の中でも指折りの華やかな一幕「絵合わせ」の和歌について、
「伊勢をのあま」が指し示す内容に焦点を当てて、様々な解釈の選択肢を探索した。

また、当時の内裏で前代未聞の醜聞であった「長徳の変」への連想を背景とした解釈も、合わせて試みた。


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目次:


(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ


(大弐典侍1).雲の上に思ひのぼれるこころには ちひろの底もはるかにぞ見る


メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。

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源氏は自らが後見する前斎宮を冷泉帝に嫁がせようとします。対するは権中納言(もと頭中将)。
権中納言の娘はまだ若く、冷泉帝と年令も近く、以前から親しんでいたのに対して、前斎宮はずいぶん年上です。でも冷泉帝は大の絵好き。自らも絵を描き、その方面に造詣も深い前斎宮とは趣味も合います。ちなみに絵好きは源氏も同じ。ここを先途とばかりに、源氏は冷泉帝の御前での勝負を仕掛けます。それが源氏物語の中でも指折りの華やかな一幕である「絵合わせ」です。


六条の御息所の娘の前斎宮を推す源氏側は、伊勢物語など、古くからある題材にちなむ絵を集めます。対して、自分の娘を推す権中納言側は、物珍しい、新しい絵を好み、はては名の知れた絵師まで雇って目新しい行事などの絵を書かせます。いきおい、源氏方の落ち着いた古風な絵に対して、権中納言側の今風の派手な絵、という恰好で絵合わせは進みます。

以下は冷泉帝の御前で行われる前の、藤壺宮の前での絵合わせの中で、藤壺宮が詠んだ歌です。


(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ

 

「みるめ(海松布)」と「みるめ(見る目)」は掛詞として常用されます。
「みるめ(海松布)」<海藻の総称>
「みるめ(見る目)」<見た目>


「うら」接頭辞<なんとなく><心の中で>
「ふる(古る、旧る)」上二段活用動詞<年を経る><古くなる><古びる><成長する>


「伊勢をのあま」<伊勢男の海人>で<伊勢物語の在原業平>の連想を響かせ、
伊勢に下った在原業平の昔話「伊勢物語」を題材とした絵を、ここでは指しています。


「な(名)」<名前><名声><名誉><評判><価値>
「名を沈む」で、<名を下げる><名声を貶める>としてみましょう。

「や」係助詞<疑問><反語>


@(藤壺宮12)A.
見た目こそなんとなく古びているが、この昔からある伊勢物語の絵の価値(名)を下げてよいものか。(いやそんなことはない。)

 

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海松布   末                男  海人  菜を
みるめこそ うらふりぬらめ   年へにし 伊勢をの あまの なをや 沈めむ
見る目     古り       経        海女  名を
                          尼   なほ
                              尚


「うら(浦)」<浦><海><入り江><浜辺>
「うら(裏)」<裏><裏側><下心><表からは見えないもの><心>、「うらなし(裏無し、心無し)」<腹蔵ない><打ち解けた><ざっくばらんだ>
「うら(末)」<末端><先端><梢>

「うら」には、<裏>のほか、表には明瞭にみえない<心>、また、<枝葉><先っぽ>という意味があります。


***「裏見て」と「恨みて」***********
(参考:「ライジング古文」p.243)
(古今集823).秋風の吹き裏返す葛の葉の うらみてもなほ恨めしきかな (平貞文)

「裏見て」と「恨みて」が掛詞となり、<いくら恨んでも恨み足りない>という心情を詠っています。
「(葉の)裏」は、しばしば<手のひらを反すこと><心変わり><裏切り>の例えとしても用いられます。
とりわけ葛の葉は、表の緑色と裏の白色のコントラストが明瞭なので、この比喩で多用されます。

ちなみに、「あき(秋)」と「あき(飽き)」も掛詞として常用されます。
*************************


葛の葉は、表の緑色と裏の白色のコントラストが明瞭なので、風に揺られて裏返る様が、<心変わり><裏切り>の例えとして多用されます。

ダイビングをする人ならピンと来るでしょうが、
外海の岩浜に潜ると、海底の海藻が、潮に煽られて、始終表を返し裏を返し、葉を揺らしているものです。

 

「を」助詞<強意>
「を」接尾辞<整調>

***「を」間投助詞 **********************
「を」間投助詞<感動>。「よ」より意味が強い。(小学館「古語大辞典」)
(万葉 1-21).紫草(むらさき)のにほへる妹「を」 憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも (大海人皇子)
<妹よ、そなたが>
*********************************

「を(雄、男、夫、牡)」<男><雄>
「をのこ」<男子>
「をのあま」<男あま><海人>
伊勢は万葉の時代から、海女で有名でした。当時の朝廷への貢物を記した木簡が、正倉院にも残っています。


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参考までに、
「ふる」の同音異義語を、以下に記しておきます。
興味ない方は読み飛ばして下さい。


****参照:(注770016):「ふる」の<同音異義語>


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「や」には様々な品詞があります。


****参照:(注443317):「や」の様々な<品詞>


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さて、
前斎宮の母親、六条御息所は、源氏が下向した「須磨」の帖で、自らを「伊勢をの海人」に例えました。

***「伊勢をの海人」******************
(六条御息所9).うきめ刈る「伊勢をの海人」を思ひやれ 藻塩たるてふ須磨の浦にて
@(六条御息所9)A.
伊勢の国で浮海布(うきめ)を刈る海人<憂き目を見ている私(御息所)>を思いやって下さい。あなたが「藻塩たる」<涙を流している>とおっしゃる須磨の浦で。
*****************************


「しづむ(沈む、鎮む、静む)」四段自動詞、下二段他動詞<沈む><水没する><気がめいる><ふさぎこむ><没落する><落ちぶれる><病気になる><霊を鎮める><心落ち着かせる><自制する><抑制する>

前斎宮の母、六条御息所は、源氏のつれなさを恨み、生霊となり正妻葵上を取り殺しました。
六条御息所は身分・教養・容姿、いずれも申し分なく、後宮に並ぶ者の無い、当代随一の女性でしたが、
嫁いだ前坊(前東宮)が早世し、その後は未亡人として、そして源氏の愛人として、源氏の身勝手に翻弄される惨めな生涯を送りました。
今は死霊となり、成仏できぬまま霊界をさまよっています。

この歌を<魂を鎮める>「鎮魂」の観点で解釈してみましょう。
前斎宮の入内は、六条御息所の霊魂を慰める、「罪滅ぼし」的な意味もあったのです。

***「前斎宮の入内」<六条御息所の鎮魂> **********
(地の文).
(源氏):中宮をかくさるべき御契りとはいひながら、取りたてて、世のそしり、人の恨みをも知らず、心寄せたてまつるを、かの世ながらも見直されぬらむ。
@(地の文)A.
(秋好)中宮(前斎宮)をこのように、もちろんそうなるはずの宿世であったとは言いながら、特にお引き立てして、世間の非難や人の恨みも顧みず、お力添え申し上げていたのを、(六条御息所の霊も)あの世からながらも、見直して下さっているだろう。

(御息所の死霊):中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなしとなむ、天翔りても見たてまつれど、、、、
@(地の文)A.
我が娘を中宮にして頂いたことについても、本当に嬉しくもったいないことと、天を翔けりながらにも拝見しておりましたが、、、、
********************************


「な」「ついな」「鬼遣らひ」は、十二月晦日の夜行われる、<疫病の鬼>を追い払う儀式です。
現在の節分の豆まき「鬼は外」はこれに由来します。
***「な(儺)」************
「儺(な)」やらはむに、音高かるべきこと、何わざをせさせむ(幻)
********************

「な(儺)」<鬼><御息所の怨霊>
としてみましょう。

「こそ~已然形」の係り結びでは、しばしば逆接として後に続く結論が省略されます。
何が伏せられているのでしょう。

夕顔、葵上をとり殺しても飽き足らない御息所の霊は、この後、紫上や三宮にも襲い掛かります。


                                    沈めむ
みるめこそうらふりぬらめ 年へにし 伊勢をのあまの 「な(儺)」 を や しづめむ
                                    鎮めむ

(藤壺宮12)B.
見た目こそ古びてしまったようだけれども。
(まだ御息所の死霊の恐ろしさは衰えていない。)
(死後)年を経た六条御息所の怨霊を、さあ、鎮魂しよう。
(この絵合わせで前斎宮の入内を果たして)。


「言葉」は「言霊(ことだま)」とも呼ばれ、いったん口から出ると、魂を持ち、現実のものとなると考えられていました。
そのため、不吉なこと、縁起でもないことを口にするのを、当時の人は極端に忌み嫌いました。これを「言忌み(こといみ)」と呼びます。

<まだ御息所の死霊の恐ろしさは衰えていない>
という不吉な言葉を、藤壺宮は口にしたくなかったのでしょうか。
「こそ~已然形」の<逆接結論省略>が、この歌では極めて効果的に用いられているようにも見えます。
さすがは<修辞の天才>紫式部、と言ったところでしょうか。

 

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前斎宮と立后を争う、権中納言の娘は、冷泉帝(13歳)と同じような年で、気心の知れた遊び仲間としてはいいのですが、<まるで人形遊びのよう>な二人の関係を、いかにも心もとなく思っていました。

***「雛遊び」<人形遊び>*****************
宮の中の君も同じほどにおはすれば、うたて「雛遊び」の心地すべき<まるで「人形遊び」のよう>を、
おとなしき御後見は、いとうれしかべいこと、、、
*******************************

藤壺中宮のコメントは絵合わせの勝敗判定に大きく響きます。
そのため、ここでは中立者として振舞わねばならないわけですが、結婚の当事者である冷泉帝の母としての本音は<前斎宮推し>、すなわち源氏サイドです。

@(藤壺宮12)Aの解釈には、権中納言の娘より年かさの、前斎宮を推す意図がほの見えます。
その名も「伊勢」の詠んだ(伊勢集 219)の海女の<熟練>が、もう一つの引き歌として、冷泉帝より<年かさ>の前斎宮と重なるように見えます。

藤壺宮は、自分より年下の源氏と(不義の)関係を持ち、若い源氏の身勝手や一貫性のなさに苦しめられた自身の経験から、ある種男の幼さを実感しているのでしょう。それは、思慮深く政治勘にも長けた藤壺宮ならなおさらのような気がします。


ちなみに前斎宮(のち梅壺女御)の母である故六条御息所は、美貌と高い教養で当代の宮中サロンを牽引する存在でした。そんな母親に育てられ、前斎宮は、高い教養と落ち着いたひととなりを備えた、これまた美しい女性になっていました。

「あま」を「あま(海女)」としてみましょう。

「こそ~已然形」の係り結びは、しばしば逆接として後に続きます。


(藤壺宮12)C.
みるめこそうらふりぬらめ
(前斎宮は、権中納言の娘より)見た目も心も大人びた風であることだが、

年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ
伊勢で神に仕えていた年かさの(ものの分かった)女性の名を、(権中納言の娘のような幼い女の)下に置くことができようか。
(やはりできない。冷泉帝はまだ13歳。年上の奥さんの方が、何かとご本人のためですよ。)

あるいは、

この年かさの前斎宮を、<帝の御前に上げずしてなるものか。>

かも知れません。


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亡き六条御息所はかつて源氏にぞんざいに扱われ、その身勝手さに翻弄されました。
それは、亡父桐壺院も、源氏に対して、<少しは気を遣いなさい>とたしなめざるを得なかった程でした。

やがて時は経ち、須磨下向から帰京した源氏は、せめてもの罪滅ぼしの意味もあり、御息所の娘(前斎宮)の後見を引き受けます。そして、藤壺宮と源氏との(不義の)子である冷泉帝に嫁がせようとします。それがかなえば、表立っても藤壺宮の影響力を振るえる冷泉帝と、源氏のコントロールの利く前斎宮とで、宮中を支配でき理想的です。恐らく、そうしてある程度、パワーポリティクスを内裏にチラつかせてこそ、冷泉帝の出自の秘密も取り沙汰されるのを未然に防げると考えたのではないのでしょうか。源氏憎し、の弘徽殿大后が取り仕切っていたら、どんな機会にその疑惑を蒸し返されるか分かったものではありません。実際、源氏の須磨下向の折に、大后は八宮を担ぎ上げて、東宮(後の冷泉帝)廃立(廃太子)を企てた程なのですから。


権中納言はもとの頭中将。幼い頃から源氏の親友で、須磨下向の折には、誰もが右大臣方になびくなか、失意の源氏を遠路はるばる訪ねて来てくれた間柄です。今でこそ政争のライバルですが、争わずに済む相手なら、源氏とて決して争いたくはなかったでしょう。でもそこは生き馬の目を抜く政界。藤壺宮との子冷泉帝を守るためには、仕方がなかったのかもしれません。

ちなみに、兵部卿の宮は源氏の妻紫上の父親でもあり、また、藤壺宮の兄でもあります。でも左大臣一派不遇の時代に右大臣側になびいてしまいました。そのため政権に返り咲いた源氏から冷遇されます。要は見せしめです。藤壺宮は自分の兄だけに複雑な心境ですが、やはり兄よりは我が腹痛めた子が大切なのでしょうか、その冷遇を静観します。そのような力の政治を誇示して、東宮の立場が危うくなるのを未然に防いでいたようにも思えます。

朱雀院は昔惚れた弱みもあり、前斎宮の肩を持ち、いろいろ絵を分けてあげたりします。ところが朱雀院の母である、弘徽殿の大后は、源氏が勝ち、右大臣サイドがこれ以上弱くなるのが面白くありません。大后から権中納言側にも、相当絵が渡っていることでしょう。また権中納言の奥方は右大臣の四の君でもあります。


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「伊勢物語」の主人公とされる在原業平はハンサムで風流を解する、当代切っての伊達男だったと言われており、源氏の人物造形のモデルの一人ともされています。
ちなみに、(古今集823)の和歌を詠んだ平貞文も、遊び人として京に名を馳せました。


****参照:(注774431):「伊勢物語」<禁断の恋>「在原業平」「藤原高子」<駆け落ち>

 

「伊勢を」<伊勢の男><在原業平><プレイボーイ><源氏>
「の」格助詞<主格><が>

「あま」<海女>を<(伊勢の海に下っていた)前斎宮>
としてみましょう。


六条御息所に「手を出してくれるな」と釘をさされますが、そんな遺言もどこ吹く風、我らの大先生は養女にもきっちり言い寄ります。
在五中将(在原業平)が、あろうことか神に仕える伊勢神宮の斎宮に言い寄った伊勢物語(第六九段「狩の使い」)のようです。


*** 梅壺女御(前斎宮)に言い寄る源氏 **************
(地の文).
「かやうなるすきがましき方は、しづめがたうのみはべるを、、、、あはれとだにのたまはせずは、いかにかひなくはべらむ」
とのたまへば、(梅壺女御は)むつかしうて、御答へもなければ、「さりや、あな心憂」とて、、、、、

@(地の文)A.
「、、、このような色めいた方面のことは、辛抱出来ない性分でございますので、、、せめて可哀相とおっしゃって頂けなければ、どれほど張り合いのないことでしょう」と(源氏が)おっしゃると、(梅壺女御は)困惑して、返事もないので、(源氏は)「やはりそうですか。ああ情けない」とおっしゃって、、、、、
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<このような色めいた方面のことは、辛抱出来ない性分でございますので、、、>

さすがは大先生。もう逆にカッコいいよ、オマエ!


ちなみに、源氏は、紫上、玉鬘、梅壺女御(前斎宮)と、全ての養女に言い寄っています。
うち、紫上は自分の妻としました。

 

分別盛りの年齢になっても、油断もスキもない源氏への、藤壺宮の警戒がこの歌には込められているようにも見えます。
かつて朧月夜は、源氏と関係したために、間近に控えていた朱雀帝への入内を棚上げされ、女御ではなく尚侍(ないしのかみ)という中途半端な立ち位置での伺候を余儀なくされました。
その密通が原因で下向した須磨から戻って間もないこの絵合わせ。しかも京にポツンと紫上を残して、ちゃっかり現地妻(明石上)を孕ませてきたっていう話じゃないの。。。
何しろ義母たる自分にまでしつこく言い寄ってきた、とんでもない食わせ者なのですから、何があっても源氏の場合、不思議はありません。

藤壺宮は、見せ掛けはしおらしく父親ヅラをしている源氏の、懲りない下心を敏感に察知していたのでしょうか。

 

***「裏見て」と「恨みて」***********
(古今集823).秋風の吹き裏返す葛の葉の うらみてもなほ恨めしきかな (平貞文)
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前述のように、葛の葉は、表の緑色と裏の白色のコントラストが明瞭なので、風に吹かれて裏返る様が、<心変わり><裏切り>の例えとして多用されます。

ダイビングをする人ならピンと来るでしょうが、
外海の岩浜に潜ると、海底の海藻が、潮に煽られて、ひっきりなしに葉を裏返しているものです。

「振る」ラ行四段終止形・連体形(他動詞)<振る><振るう><入れ替える><置き換える><振り替える>

「見る目こそ裏振りぬらめ」<(下心が)外見を裏切ってしまっているようだが><(父親面した)見た目こそ人を裏切るものだ>
とでもしてみましょう。


源氏に執拗に言い寄られた自らの体験を顧みて、藤壺宮は、何か思い当たるフシがあったのかも知れません。


「や」感動詞<呼びかけ><おい><もしもし>、<驚き><思いつき><あっ>、<囃し声><掛け声><えい>

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(空蝉は)物におそはるる心地して、「や」とおびゆれど、、、 (源氏物語、帚)
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「や」間投助詞<詠嘆><感動><呼びかけ><強調><整調><列挙>

<詠嘆>(万葉集02/0095).我れはも「や」安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり (藤原鎌足 相聞歌)

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伊香保の「や」伊香保の沼のいかにして 恋しき人を今一目見む (拾遺集 859)
石見の「や」高角山の木の間より 我が振る袖を妹見つらむか (万葉集 0132)
春の野に鳴く「や」うぐひす馴付けむと 我が家の園に梅が花咲く (万葉集 837)
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海松布    末  古り              男  海人  菜を
みるめ こそ うら ふりぬ らめ   年へにし 伊勢をの あまの なを  や  沈めむ
見る目    裏  振り        経        海女  名を
                             尼   なほ
                                 尚


見る目こそ 裏 振りぬらめ   年経へにし 伊勢男の 海女の 名を  や  沈めむ

(藤壺宮12)D.
(父親面した)見た目こそ人を裏切るものだ。
分別盛りの年齢になって(も懲りない)伊達男源氏が、(この前斎宮に手を出していたら)、そうだ、前斎宮のとんだ面汚しになるだろう。

 


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*** 活用形と訳語の齟齬について *************
(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ
①「うらふる(うら古る)」(接頭辞 + 上二段活用)<なんとなく古びる><ちょっと古くなる>
②「うらぶる(心ぶる)」(下二段活用自動詞)<うらぶれる><わびしく思う><悲しみに沈む><失意に萎れる>
のうち、
玉上訳は①「うらふる(うら古る)」を採用していますが、大塚訳、阿部訳は活用形の食い違う②「うらぶる」として訳出しています。
①<ちょっと見た目には古くさいだろうけれど>(玉上琢弥「源氏物語」)
②<見た目こそうらぶれてしまっても>(大塚ひかり「全訳源氏物語」)

単に絵のテーマとして伊勢物語が古臭い、ということよりも、寂しい浜辺でうなだれる年老いた海女という心象風景の荒涼とした感じを大切にしたのが②の立場なのでしょう。②では活用形のわずかな齟齬よりも、喚起されるイメージを優先させたとも言えます。

(光源氏123).わたつ海に沈みうらぶれ蛭の子の 脚立たざりし年は経にけり
これは、玉上訳も大塚訳も阿部訳も全て②の下二段活用で訳出されています。
②<落ちぶれた><侘しい思いで>
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***「活用形に齟齬がある掛詞」***********
(参考:小田勝「実例詳解 古典文法総覧」p.668)
以下では、活用形に齟齬がある語を掛詞として用いています。

(1)雲も見ゆ風もふくれば荒くなるのどかなりつる月の光を(山家集)
「吹く」(四段)と「更く」(下二段)
「已然形+ば」は、「吹けば」「更くれば」となり一致しない。
(2)月影の初秋風とふけゆけば心づくしにものをこそ思へ(新古今381)
「吹く」(四段)と「更く」(下二段)
この場合も、本来の活用は、「吹き行けば」と「更け行けば」であり一致しない。

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あるいは、
「震る」ラ行四段(自動詞)<(大地が)揺れる><振動する>
ちなみに、仮に「うらふる(心震る)」<心が震える>であれば活用形の齟齬はありません。


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「年へにし」<年月を経た><須磨で反省の三年を過ごした>
そういえば、伊勢も須磨も海の国ですね。


海松布   末                  海人  なほ<逆接>
みるめこそ うらふりぬらめ   年へにし 伊勢をのあまの なを  や  沈めむ
見る目     古り       経     男 海女  名を
      うらぶれる              尼
      心震り                女(あま)
        振り


見る目こそ 裏 振りぬらめ   年経へにし 伊勢男の 海女の 名を  や  沈めむ

(藤壺宮12)E.
(しおらしい反省顔の)見た目こそ人を裏切るものだ。
(須磨の海辺で謹慎の)三年を経て(も懲りない)プレイボーイ源氏が、(この前斎宮に手を出したら)、ああ、前斎宮のとんだ面汚しになるだろう。

 


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「古る、旧る」ラ行上二段<古くなる><年をとる><時が経つ><老いる><衰える><昔と変る>
「ふり」は「ふり(振り、風)」<姿、容姿、なりふり><いかにもそれらしい様子、振り>をも連想させます。
成長とともに源氏にますます似てくる冷泉帝。出自の発覚を危惧しているのでしょうか。

「沈む」<沈める><表に出さない>
としてみましょう。


見る目こそ うら古りぬらめ 年へにし /  伊勢男の 海人の 名を や 沈めむ


(藤壺宮12)F.
(冷泉帝は)年を経て、見た目は大人びて(源氏そっくりになって)きたようだが、
(父の名として)あの遊び人(源氏)の名前を表に出すわけにはいくまい。

 

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****参照:(注664426)c:「処女懐胎」<ワケアリの子>「マリアの子イエス」c


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「海松(みる)」は<ミル>という<海藻の一種>だけでなく、<海藻全般の総称>としても用いられます。
海藻は花をつけません。たとえばみなさんにもおなじみのワカメ(胞子体2n)は、根もとにある胞子葉(メカブ:芽株)から、胞子(n)を放出します。
胞子は水流に乗って親を離れ、発芽し雌雄異体の配偶体となります。それらが放出する精子と卵子が接合して海底に着生し、そこで成長して再びワカメの成体となります。

種子植物において、花は雄しべと雌しべが受粉して種子(子種)を宿す生殖器官です。
花をつけない海藻が繁殖するのは、昔の人々の目には、本来の姿ではない、なにか不思議な生殖と映ったかもしれません。
微小な遊走子を観察する顕微鏡もない平安時代ならなおさらです。

ちなみに紫式部が同行した、父為時の赴任先である越前国の武生から海に下れば、すぐ若狭湾です。
漁民からの納税品目、あるいは献上品として、様々な海産物を目にする機会が、紫式部にもあったことでしょう。

 

花で公然と雄しべ雌しべが交わるように、本来の夫婦が交わって出来た痕跡のない懐妊。
こうした、「花なしの繁殖」は、<ワケアリの生殖><私生児><隠し子>を連想させます。

ちなみにシダ植物の一種、ヒカゲノカズラも花を作らず胞子で増えます。
「かげ」「ひかげ」とはヒカゲノカズラの古名です。
「ひかげもの」には、<公然と表に出られないもの><妾><私生児>の意味があります。

出産日から逆算して、桐壺帝と藤壺宮との子であるはずが無い冷泉帝。
冷泉帝は、<陰で源氏と藤壺宮が宿した不義の子>です。


「みるめ(海松布)」は類似音の「見る女(め)」<契る女><男と交わる女><源氏と契る藤壺宮>をも連想させます。
「みるめ(海松布)」<不貞の女><藤壺宮>
ちなみに、「みるめ(海松布)」は「見る目」<会う機会><結婚する可能性>の掛詞として常用されます。


「めこ」には、以下のような意味があることも興味を引きます。


「めこ(女子)」<女の子><娘>
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さべき人のめこ、皆宮仕へに出ではてぬ。(「栄花物語」つぼみ花)
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「めこ(妻子)」<妻と子><妻子><妻>
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(万葉集892).父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子<妻と子>どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ、、、
(宇津保物語 嵯峨院).天の下には、我が妻子<妻>にすべき人なし。
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「や」係助詞<疑問><反語>
「や」間投助詞<詠嘆><感動><呼びかけ><整調><強調><列挙>
「や」感動詞<呼びかけ><おい><もしもし>、<驚き><思いつき><あっ>、<囃し声><掛け声><えい>

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や、すらへの花や
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「いせをのあま(伊勢男の海人)」<伊達男源氏>
「な(汝)」<汝><あなた><お前>

まあ、結局本音はこれかもしれません。


見る目こそ うら古りぬらめ 年へにし /  伊勢男の 海人の 汝を や 沈めむ


(藤壺宮12)G.
(冷泉帝は)年を経て、見た目は大人びて(源氏そっくりに)なってきた。
(色恋沙汰で須磨の海に流された)遊び人のお前(源氏)を、ええい、そのまま海に沈めてしまおうか。
(てゆーか死ね)


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(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ (後編)
に続く。

 

****参照:(藤壺宮12).みるめこそうらふりぬらめ 年へにし伊勢をのあまのなをや沈めむ (後編)

 

 

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