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「源氏物語」は伝え方が10割

「理系学生が読む古典和歌」
詳細はアマゾンの方をご参照下さい。

(薫57).法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな

2021-01-13 12:42:01 | <国破れて藤原氏あり><悪徳受領>


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(薫57).法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな

 

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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。

 

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(薫57).法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな-3rr.txt

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要旨:
「のり(法)」と「のり(紀)」の連想から、「のり(紀)」を<紀氏>と解釈し、
それに基づいて、藤原氏に追い落とされた紀氏の<鎮魂>の観点から、和歌を解釈した。


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目次:


(薫57).法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな

連想詞の展開例


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では、始めましょう。

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(薫57).法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな

 

源氏物語最後の帖、「夢の浮橋」のそのまた最後の和歌です。
薫は、ようやく浮舟の手がかりをつかんで山寺を訪ねましたが、ついに逢うことは叶わず、物語はあっけない最後を迎えます。

「ふみ(文)」<手紙>と「ふみ(踏み)」は掛詞として常用されます。


@(薫57)A.
僧都を仏法の師と慕って山道を分け入って尋ねて来たのですが、その道がしるべとなって思いもかけず(あなたのところに導かれた恋の道に)踏み入ってさ迷ってしまったことだ。

 

 


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源氏物語の最後を解釈するに当たり、源氏物語の最初に目を向けてみましょう。

***「源氏物語」冒頭、「女御」「更衣」***********************
いづれの御時にか、「女御」、「更衣」あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
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文徳天皇には、時の権力者藤原良房の娘、明子(あきらけいこ)が「女御」(従一位)として入内しました。
しかし天皇が本当に愛したのは、実権から遠い紀氏の娘、身分の低い「更衣」(従五位上)の紀静子でした。
そして、その息子惟喬親王(第一皇子)を立太子を望んでいました。

藤原氏の良房の娘女御に対して、後ろ盾も心もとない紀氏の娘更衣です。
第一皇子と言えど、良房が立太子を素直に受け入れるわけはありません。
臣下の源信は、惟喬の命が危ないと考えて、文徳天皇に惟喬立太子を思いとどまるよう進言し、文徳天皇は実際そうせざるを得なくなりました。
明子の息子惟仁(第四皇子)が後の清和天皇になります。

静子は若くして亡くなり、享年23歳という説も有ります。(「三代実録」)
文徳天皇も、同様に31歳(32歳)の若さで亡くなりました。
これは、脳卒中のためとされていますが、あまりの病状の急変に、良房一派による暗殺との説もあるそうです。
ちなみに、紀静子の産んだ惟喬の弟、惟枝親王は、23歳で早世しています。

 

******「古今和歌集」と「紀氏」<鎮魂>**********************************
源氏物語に先立つ勅撰和歌集「古今和歌集」は、紀貫之や紀友則で知られる「紀氏」が編纂に携わりました。
ちなみに、勅撰和歌集とは天皇の命令(勅命)により国家事業として作られる和歌集のことです。
「古今和歌集」では、僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主らが「六歌仙」と称えられています。
その六歌仙に、僧正遍照や大友黒主など、他の歌集ではさほど取り上げられない人が含まれていることや、彼らがみな惟喬親王の側近であったり、血縁者であったりしたことから、「古今和歌集」は紀氏を始めとする藤原氏による他氏排斥の被害者の<鎮魂>のために作られたのだろう、と井沢元彦さんはおっしゃっています。(井沢元彦「常識の日本史」)

文徳天皇に嫁いだ紀名虎の娘、紀静子が産んだ、紀氏の最後のホープ、惟喬親王は隠棲の地小野で897年に亡くなりました。
その八年後の905年、醍醐天皇の勅命によって、「古今和歌集」が編纂されます。
その撰者に選ばれたのは紀氏の子孫である紀貫之でした。
(参考:井沢元彦「井沢式 日本史入門講座4」)

この頃には、藤原氏の独走態勢は確立しており、紀氏の家格は、政界の主要ポストを望めるようなものではなくなっていました。
つまり、藤原氏の独裁が完成したのを見計らって、その<鎮魂>のための「はなむけ」として紀氏が抜擢されたのです。

文徳天皇は、良房の娘、明子が産んだ第四皇子惟仁親王が清和天皇として即位する直前に、32歳の若さで亡くなりました。
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「源氏物語」も、藤原氏に追い落とされた他氏の<鎮魂>のために書かれた、と井沢元彦さんはおっしゃっています。


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つる(蔓)性植物の藤は、「かづら(蔓)」を伸ばします。
しかし、一年生草本の夕顔などのか細いつると異なり、多年生木本の藤のつるは、年々肥大し、時に絡みついた本体の木を締め上げて枯らしてしまうほど、圧倒的な存在感があります。

ちなみに、「ふぢ(藤)」の音は、古来「ふし(不死)」と結び付けられたそうです。
樹齢五百年を越えるような藤も多く、なかでも春日部市牛島の藤は樹齢千年だそうです。(大貫茂「花の源氏物語」)

 

***「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」**************
「大鏡」「道長(藤原氏物語)」
(大鏡).
内大臣鎌足の大臣、藤氏の姓賜りたまひての年の十月十六日に亡せさせたまひぬ。御年五十六。大臣の位にて二十五年。
この姓の出でくるを聞きて、紀氏(きのうぢ)の人の言ひける、
「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」
とぞのたまひけるに、まことにこそしかはべれ。

「き(木)」は「き(紀)」<紀氏>を連想させます。

      木
藤かかりぬるきは枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」
      紀

(大鏡)B.<鎮魂>
藤(のツル)が掛かった「き(木)」「き(紀)」<紀氏>は枯れてしまうものだ。
そのうちきっと紀氏は滅んでしまうよ。

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「文(ふみ)」は<文徳天皇>、
「のり(法)」は「のり(紀)」<紀氏><紀静子>、
「し(師)」は「し(氏)」「し(死)」
を連想させます。


「のりのし(法の師)」とは「法師(ほふし)」の訓読で、<法師><僧>のことです。


「のりのし(紀の氏)」<紀氏>
「のりのし(紀の死)」<紀静子の死>
として、イメージを重ねてみましょう。


「山」はそれだけで、「みやま(御山)」<山陵><御陵><天皇家の墓>
の意味を持ちます。
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(桐壺院の)御山に参り侍るを、、、 (源氏物語「須磨」)
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この歌を、文徳天皇と紀静子の<鎮魂>の観点から解釈してみましょう。


                導
法  の 師          標             踏み 惑ふ
のり の し と 尋ぬる 道を しるべ にて 思はぬ 山に ふみ まどふ  かな
紀    死          しるへ           文  まとふ  仮名
     氏          知る方              纏ふ
     子          知る辺
                しりへ
                後方


(薫57)B.<鎮魂>
「紀の死」<紀静子の死>と同じように、「文」<文徳天皇>も、思いもしない「山」<御陵>に迷い込んで(死んで)しまったよ。

 

 

源氏物語最後の歌は、奇しくも、藤原氏の他紙排斥の陰謀を告発しているようにも見えます。

直後のセリフを見てみましょう。

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(直後のセリフ).この人は、見や忘れたまひぬらむ。ここには、行方なき御形見に見るものにてなむ。

@(直後のセリフ)A.
この小君は、もう見忘れてしまわれたのでしょうか。私(薫)としては、行方知らずのあなた(浮舟)を偲ぶ形見として側に置いている人なのです。

 

此    見や            此処                 
この人は、みや 忘れ たまひぬらむ。 こ   こ には、行方なき御形見に見るものにてなむ。
子    宮             子   子              
                   此   此
                   これ  これ
                   惟   惟
                   惟喬  惟仁


「みや(見や)」は「みや(宮)」を連想させます。
「宮」<若宮><第一皇子><惟喬親王>
「形見」<忘れ形見><遺児><惟喬親王>

「此(こ)」は「此(これ)」とも読みます。
「これ(此)」は「これ(惟)」を連想させます。
「惟(これ)」<惟喬(これたか)><惟仁(これひと)>

「子の人」<子である人><文徳天皇の子><惟喬親王>


子の人は、「宮」忘れたまひぬらむ。ここには、行方なき御形見に見る者にてなむ。

(直後のセリフ)B.<鎮魂>
「子の人」<惟喬親王>は、「宮」<第一皇子>であることをお忘れになってしまっているようだ。
ここには、(天皇にもなれず)行き場の無い、文徳天皇の「御形見」<忘れ形見><遺児><惟喬親王>のように見える方がいらっしゃる。

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歌に戻りましょう。

「しるべ(標、導)」<道標><案内><手引き>
「しるへ(知る方、知る辺)」<知人><縁(ゆかり)のある人>

「しるへ(後方)」は、上代東国方言で、「しりへ(後方)」<後><後宮>の転じたものです。
「しりへの位」とは<後宮での位><皇后の位>を指します。

摂関政治においては、貴族たちは娘を天皇に嫁がせ、皇子を産んでもらい、その子を天皇にして外戚(外祖父)となり、摂政や関白として政治実権を手に入れます。
すなわち、本人の政務能力ではなく、娘の「しりへの位」<後宮での地位>で政治権力の帰趨が決まってしまうのです。
現代の合理的感覚からすれば、馬鹿馬鹿しい話ですが、それが当然の時代でした。


「かな(仮名)」<平仮名>
「まな(真名)」<漢字>

「かな」を「かな(仮名)」<平仮名><表音文字>
「まどふ(惑ふ)」を「まとふ(纏ふ)」
としてみましょう。

「踏み惑ふかな」に、
「文纏ふ仮名」<この文は仮名を纏っている><この和歌は平仮名で真意を覆い隠してある>
を重ねてみましょう。

権棒術数の後宮にあって、真意を「平仮名」<表音文字>で「隠しつつ伝え」ねばならない紫式部のもどかしさが垣間見えます。
「文纏ふ仮名」は、紫式部が必死で送ったサインのように見えます。


「みち(道)」は「みち(未知)」<未だ知らず>をも連想させます。


                  導
法  の 師       道    標             踏み 惑ふ
のり の し と 尋ぬる みち を しるべ にて 思はぬ 山に ふみ まどふ  かな
紀    死       未知   しるへ           文  まとふ  仮名
     子            知る方              纏ふ
                  知る辺
                  しりへ
                  後方


(薫57)C.<鎮魂>
(後宮で)「紀の死」<紀静子の死>を調べていたら、「文」<文徳天皇>の思いもしない「山」<御陵><墓>に迷い込んでしまったよ。
(紀静子だけではなく、文徳天皇も藤原氏に暗殺されたのだ。)
「文纏ふ仮名」<この和歌は平仮名で真意を覆い隠してある>
(真意を公然と伝えられないのがもどかしい。)

 

 

 

ちなみに、紀静子の産んだ惟喬の弟、惟枝親王は、23歳で早世しています。
「ふみ(踏み)」は「ふみ(二三)」を連想させます。

「ふみ(二三)」<二三歳で早世した惟枝親王>
としてみましょう。


(薫57)D.<鎮魂>
(後宮で)「紀の死」<紀静子の死>を調べていたら、「文」<文徳天皇>の思いもしない「山」<御陵><墓>に迷い込んでしまったよ。
(紀静子だけではなく、文徳天皇も藤原氏に暗殺されたのだ。)
そこには、
「ふみ(二三)」<二三歳で早世した惟枝親王>の霊もさ迷っていたよ。

 

 

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直前のセリフ:
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さらに聞こえむ方なく、さまざまに罪重き御心をば、、、、今はいかで、あさましかりし世の夢語りをだに、と急がるる心の、我ながらもどかしきになむ。まして、人目はいかに。

「もどかし」<非難すべきだ><気に食わない><もどかしい><じれったい>

セリフB.<鎮魂>
何とも申し上げる術も無いほど、様々に罪深い(藤原氏の)心を、、、今は何とかして、驚き呆れるほど現実とも思えない藤原氏の悪行をせめて(平仮名で隠してでも)伝えたいと急かれる心が、我ながらもどかしい。まして、これを読む人の目には、どう見えるだろうか。(真意が分からず私よりなおさらもどかしいだろう)。
*************************************

摂関政治においては、本人の政務能力ではなく、天皇との姻戚関係で政治実権の帰趨(摂政関白)が決まります。
同じ藤原氏に属する身とはいえ、理知的な紫式部には、摂関政治の愚は明らかだったことでしょう。
また、他氏排斥のために藤原氏が使ってきた汚い手口を苦々しく思っていたことでしょう。


ちなみに、藤原兼家は摂政まで上り詰め、また、道長含む三人の息子が摂政関白となり、二人の娘が天皇に入内した、という権力の中枢にいましたが、
その第二夫人であった藤原道綱母は、「安和の変」に際して、「蜻蛉日記」に興味深い呟きを残しています。

******「蜻蛉日記」(72段)<高明配流><義憤>*******************
身の上をのみする日記には入るまじきことなれども、「悲し」と思ひ入りしも、誰ならねば、記し置くなり。
<自分の身の上に関することだけを書く日記には入れるべきではないことではあるけれど、「悲しい」と身にしみて思ったのも、他ならぬ私なので、書き留めておくことにする。>
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道綱母も、藤原北家の出ですが、同じ体制(藤原氏)側の彼女から見てすら、「安和の変」<高明流罪>は、義憤を感ぜざるを得ないほど理不尽なものだった、ということなのでしょう。


道長の直近、宮中の最奥部から、摂関政治の愚を、あるいは平安貴族文化を、最後の最後まで攻撃し続けた紫式部。
それは、平安文化の精髄である「ひらがな」を誰よりも極めた紫式部だからこそ成し得た業であったのは、「歴史の逆説」とも言えるでしょうか。

 


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***「源氏物語」冒頭、「女御」「更衣」***********************
いづれの御時にか、「女御」、「更衣」あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
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藤原氏は荘園という脱税システムを乱用して国富を掠め取り、すでに天皇家を圧倒する財力を蓄積していました。
その財力が藤原氏の政治権力の根本にあります。

摂関政治において、天皇は、摂政関白や大臣など、内裏(現在の内閣に相当)を構成する政府高官の娘たちとの間に子を生み、皇子の外戚を目指す藤原氏緒家の期待に沿うことが、政局安定の最大要件でした。
そうでなければ、天皇は藤原氏の政府高官たちからそっぽを向かれてしまい、円滑な政治運営など到底望めません。

従って、天皇が「女御」よりも「更衣」を、ましてや「藤原氏」よりも「紀氏」を寵愛するなどは、もってのほかの所業でした。
現代の我々には今ひとつピンと来ませんが、源氏物語の出だしは、不穏な先行きを暗示する、極めてキナ臭い、アブナイ文章だったわけです。


井沢元彦さんは、「源氏物語は<鎮魂>のために書かれた」とおっしゃっています。
この冒頭の一文は、「藤原氏への反逆」「摂関政治への抵抗」を象徴しているように、私には思えます。

 

文徳天皇は数えの31才で、一条天皇は満31才(数えの32歳)で亡くなりました。
ともに、当時最大の実力者(良房や道長)の娘とは違う女性(静子と定子)を最も愛しました。
そして、その子を皇太子にすることを阻まれたのも同じです。
しかも、静子も定子もともに若くして亡くなりました。


この最後の歌のしばらく後に来る、「源氏物語」の<最後>の文を見てみましょう。

***「源氏物語」の「をはり(終り)」<最後>の文 ************************
(地の文).
わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。

@(地の文)A.
(薫大将は)ご自分がかつて浮舟を隠し置いたご経験から、心に思い当たることを隈なく想像されて、、、ともとの本にございますそうな。
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「わが(我が)」は「わか(和歌)」を連想させます。

「和歌」は「みそひとじ(三十一字)」です。
「みそひとじ(三十一字)」は
「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><文徳天皇><一条天皇>
を連想させます。

濁点を打つ習慣のなかった当時、これらはともに「みそひとし」と表記されました。


我が
わが 御心の 思ひ寄らぬ 隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。
わか
和歌


和歌、御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりし「ならひ」に、とぞ「本」にはべめる。


「和歌」「みそひとじ(三十一字)」「みそひとし(三十一死)」<三十一才の死><文徳天皇><一条天皇>

「御心」<良房の心>

「おとす(落とす)」<落とす><(花実を)散らす><もらす><失う><敵の手の及ばない所に逃がす>
「おどす(脅す、威す)」<怖がらせる><恐れさせる><威嚇する>

「落とし」<落とす事><落とし穴><話の落ち、結末>


「古今和歌集」は紀氏を始めとする藤原氏による他氏排斥の被害者の<鎮魂>のために作られたのだろう、と井沢元彦さんはおっしゃっています。(井沢元彦「常識の日本史」)
「古今和歌集」の中の、文徳天皇と紀静子のやり取りを見てみましょう。
古今集に入れられた紀静子の歌はこの一首のみです。

***「古今和歌集」<紀氏><鎮魂>「おつ(落つ)」「おづ(怖づ)」**************************
田むらの御時に、女ばう(女房)のさぶらひにて、御屏風のゑ御覧じけるに、たきおちたりけるところおもしろし、
これを題にて歌よめと、さぶらふ人に(文徳天皇が)おほせられければよめる。

(古今集930 紀静子).思ひせく心のうちのたきなれや「落つ」とはみれど音のきこえぬ (三条の町)

「田村」<文徳天皇>
「三条の町」<紀静子>

「せく(堰く、塞く)」四段活用<堰き止める><遮り隔てる><遮って会わせない><妨害する><追い出す><締め出す>
「せく(急く)」四段活用<急き立てる><せかす><促す><急がす><急ぐ><いらだつ><焦る><慌てる><(怒りや悲しみが)こみあげる><嫉妬する>
同じ「せく」でも<せき止める><せき立てる>と正反対の意味になります。

「滝」は流れ落ちる<涙>の例えとして常用されます。

@(古今集930 紀静子)A.
こみ上げてくる悲しい思いを外に出すことを堰き止められている心の中の滝(の絵)だからでしょうか。
水が落ちていることは見えますが、音が聞こえてきませんよ。

 

「おつ(落つ)」は「おづ(怖づ)」を連想させます。
「おづ(怖づ)」上二段<怖がる>

ちなみに、「うち」は「現(うつし)」から転じて、<現世の命>の意味にもなります。


文徳天皇と紀静子との間には、二男三女が生まれました。
第一皇子:惟喬(これたか)親王
第二皇子:惟条(これえだ)親王

第二皇子の惟条親王は、何と23歳の若さで亡くなりました。

紀静子は、「三条の町」と呼ばれていました。
「条」は「すぢ」とも読み、<筋><枝><ひも><縄><細長いもの><くだり>の意味もあります。
ちなみに、中国語では、「条」は<細長いもの>を数える時の単位として用いる文字です。

「滝」は「一条」「二条」などと数えます。
「滝」「三条の町」などの言葉は、「条」を通じて「惟条」親王を連想させます。

 

***「伊勢物語」第106段「竜田川」*******************************
(伊勢物語).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (古今、秋下、在原業平)

(伊勢物語)C.<鎮魂>
「ちはやぶる(血は破る)」<天皇家の純血が壊れる>だって?
神代の昔から、そんな話<不義>は聞いたこともない。
(清和天皇から陽成天皇に繋がる血筋を)断ち切った「たか(高)」<高子><二条后>は、
「唐紅」<鮮紅色><血の色><天皇家の純血の血統>に、
「水」<在原業平の血><薄まった天皇家の血統>を「括る」<束ねる>とは。
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詳細はこの歌のファイルをご参照下さい。

 

「滝」「条」<惟条><惟条親王>
としてみましょう。

「聞こゆ」下二段<申し上げる>

詞書の「ところ」は、「御所」<天皇の御坐しどころ><天皇家>を連想させます。


詞書:

滝 落ち
たきおちたりけるところおもしろし、これを題にて歌よめ。
  おぢ
  怖ぢ

「滝」「条」<惟条>が怖がっている「ところ」「御所」が気になる。これを題にして歌を詠め。(と文徳天皇が仰せになった。)


  急く             落つ
思ひせく 心のうちの 滝なれ や おつ とはみれど 音のきこえぬ
  堰く             おづ
                 怖づ

(古今集930 紀静子)B.<鎮魂>
悲しい思いをこみ上げさせる、心の中の「滝」「条」<惟条>だからでしょうか。
(暗殺を)「怖づ」<怖がっている>ように見えますが、声に出して申し上げることは出来ません。

*********************************************************


良房の孫、惟仁親王は第四皇子でした。
惟仁の邪魔になる可能性のある芽は全て摘んでおきかった良房が、第二皇子の惟条親王の暗殺を企てたのではないでしょうか。
それが事実かどうかは分かりませんが、少なくとも、惟条親王本人と、文徳天皇と紀静子夫妻が、それを恐れていたことは確かだと私は思います。

 


源氏物語の地の文に戻りましょう。


和歌、御心の思ひ寄らぬ隈なく、脅し置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。

(地の文)B.<鎮魂>
「和歌」<三十一才の死><文徳天皇>については、
良房の思いの届かぬことは無く、
(前々から)脅しておかれた通りに、(暗殺を行った)。

とこの本にございますそうな。

 


源氏物語は、藤原氏への<反逆>から始まり、<告発>で幕を閉じました。

紫式部は、藤原氏の悪行を、宮中の最奥部から命がけで<告発>しました。
我々は、この含意を素通りして、源氏物語を後世に伝えるべきではありません。

 

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古今和歌集の紀静子の歌の直後に、他ならぬ紀氏の紀貫之が自身の歌を載せています。


***「惟条(これえだ)」「条(えだ)」<枝> ***********************

屏風のゑなる花をよめる

(古今集931 紀貫之).さきそめし時より後はうちはへて 世は春なれや色のつねなる

「うちはふ(打ち延ふ)」<長く延びる><長く延ばす><打ち続く>
「うちはへて」<打ち続いて><引き続いて><ずっと><久しく><あたり一面に><特に><際立って>

「なれ」(已然形)

@(古今集931 紀貫之)A.
咲き始めた時以来、世は引き続いて春なのかしら。
この花の色は初めから変わらないよ。

 

紀静子の歌と重なっていて目を引く「なれや」について考えて見ましょう。

「なれ」(命令形)

「や」感動詞<呼びかけ><おい><もしもし>、<驚き><思いつき><あっ>、<囃し声><掛け声><えい>

「や」係助詞<疑問><反語>
「や」間投助詞<詠嘆><感動><呼びかけ><整調><列挙>
種々の語に接続。文末の活用語では終止形接続。
********************************
<詠嘆> さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月を片敷く宇治の橋姫 (新古今、秋上)
<呼びかけ> あが君や。いづかたにかおはしましぬる。(源氏物語、蜻蛉)
<整調> 春の野に鳴くや鶯なつけむとわが家の園に梅が花咲く (万葉集、5-837)
********************************


「惟条(これえだ)」の「条」には<枝>の意味があります。


「うちはへて」を「うちはへで」としてみましょう。
「うちはへで」<続かずに><続けられずに>

「よ(世)」は<治世><世代>をも連想させます。

 

さきそめし 時より 後は うちはへて   /  世は春 なれ  や  色の つね なる
             うちはへで


(古今集931 紀貫之)B.<鎮魂>
(惟条親王という枝に花が)咲き始めた(生まれた)時から後は、続くことが出来ず、(枯れてしまった)。
この世は(本当に)春なのだろうか。花の色(惟条親王の命)が変わらず続くという。

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古今集に唯一首入れられた紀静子の歌、その直後に続く紀貫之の歌は、まさに<鎮魂>の歌であるように私には思われます。

 

 

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源氏物語の冒頭、桐壺更衣の臨終の場面には、「限り」という言葉が繰り返されます。

(桐壺更衣1).限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり


直前の地の文:
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(地の文).
来し方行く末思し召されず、よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、、、

@(地の文)A.
(桐壺帝は)後先の分別もおなくしになり、あらゆることを泣く泣くお約束なさるけれど、(桐壺更衣は)お答え申し上げることも出来ず、、、
***************************


***「しし」「せし」***************************
過去の助動詞「き」は連用形接続です。
「き」の連体形は「し」ですが、サ変動詞「す」に付く場合は、
「しし」ではなく、
「せし」となります。
これは、「しし」では発音しにくいため「せし」に変化したのではないか、と考えられています。
同様の変化がカ変動詞「く(来)」の場合の、
「来し(きし)」「来し(こし)」に見られます。
ただし、「来(く)」の場合は、「来し(こし)」だけでなく「来し(きし)」も用いられます。
**************************************

「きし(来し)」は「きし(紀氏)」を連想させます。


「末(すゑ)」は「まつ」とも読みます。
「まつ」は「まつ(松)」を連想させます。

屏風絵などで、「松と藤」は定番のモチーフであり、
「松」は<天皇家>、
「藤」は<藤原氏>
の例えとして用いられます。


****(注64647):「松」<天皇家>、「藤」<藤原氏> 参照

 


来し     すゑ
きし 方 行く末   思し召されず、、、、
紀氏     まつ
       松


(地の文)B.<鎮魂>
(文徳天皇は)紀氏の方の先行きがどうなるかもお分かりにならず、あらゆることを泣く泣くお約束なさるけれど、(紀静子更衣は)お答え申し上げることも出来ず、、、


紫上の死の直前の法華経千部供養での紫上と養女明石上との贈答歌を見てみましょう。
桐壺更衣の最期の絶唱と同じく、「限り」が現れます。

***「限り」「のり」******************************
(明石上21).薪こるおもひはけふをはじめにてこの世にねがふ「のり」ぞはるけき
(紫の上21).惜しからぬこの身ながらも「かぎり」とて薪尽きなんことの悲しさ

「のり(法)」は「のり(紀)」<紀氏>を連想させます。
*****************************************


***「みのり(御法)」「みのり(実り)」「のり(紀)」**************
(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる 世々にと結ぶ中の契りを
(紫上22)E.<鎮魂>
(藤原氏の無法に)絶えてしまいそうな「み(実)」<実子><血筋>。
そんな「のり(紀)」<紀氏>だけれど、一縷の望みを抱いてしまう。
宮中で代々結ばれていく紀氏の絆(血縁)を。

(花散里5).結びおくちぎりは絶えじおほかたの 残りすくなきみのりなりとも
(花散里5)D.<鎮魂>
(天皇家と)結んだ、大方の血縁は(あらかた)絶えてしまったよ。
たとえ数少ない「のり(紀)」<紀氏>であっても、「みのり(実り)」<子>を残したかった。
***************************************

「御法(みのり)」という言葉が繰り返されるために、帖名も「みのり」となりました。
「のり(法)」は「のり(紀)」<紀氏>を連想させます。

詳細は各歌の解釈のページをご参照ください。

 


*******************************
道長の娘、彰子は、総勢なんと41人の女房を引き連れて一条天皇に入内しました。
中宮定子サロンに、これでもかと権勢を見せつける、いかにも道長らしいエピソードのひとつです。
印刷技術の無い当時、その女房総出で書写し製本した源氏物語の、いわば「初版本」が、完成早々、何者かに全冊持ち去られてしまった事件が、驚きとともに「紫式部日記」に記されています。
持ち逃げした犯人は道長(の指示を受けた者)だろう、と推測されています。
*******************************

想像してみて下さい。単なる恋愛小説、人間ドラマに毛が生えたような作品だったなら、道長が黙って全冊持ち去ったでしょうか?
「源氏物語」の中で最も過激な部分は、既に歴史のかなたに葬り去られてしまっているかも知れない、とすら私は思います。
これについては、「連想詞について」などのファイルを御覧下さい。


****(注88776):「巣守」「桜人」 参照

 

源氏物語は、最期の歌も、最初の場面も、良房、あるいは藤原氏によって追い落とされた、文徳天皇や紀氏の悲劇が下敷きにされているように思えます。
源氏物語は徹頭徹尾「告発」と「鎮魂」の書でした。
すなわち、この物語や和歌を、<恋愛>や<美学>の観点からとらえるのは、
紫式部がそれこそ<美学>をかなぐり捨てて、命がけで「隠しつつ伝えようとした」何かから、わざわざ<目を背ける>結果になる、ということです。

 

「みのり」「のり」を含むこれらの和歌、特に(花散里5)は、かなりぎこちない作りになっているような気がしませんか?

これを「法会」というそのままの含意に置換しようとすると、<残り少なくなった法会の回数>となります。
つまり、単なる行事の残り日数などと言う、なんとも<卑小>な意味合いになってしまいます。

そんな解釈より
「みのり(実り)」<子>を残したかった。
「のり(紀)」<紀氏>一族が存続していって欲しい。
などとする方が、迫り来る死を覚悟した者とのやり取りとして、はるかに相応しいとらえ方だ、と私には感じられました。

 

紫上にはついに子が出来なかったことを背景として、紫式部は、
「みのり(実り)」<実子><子>の連想を引き出し、
さらに、血筋を残せなかった
「のり(紀)」<紀氏>を読者に想起させようとした、
と私は思います。

 

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「み」を「実」<子孫>と解釈した歌については、以下の歌のファイルをご参照下さい。


******「実」=「子」(平家物語) ***************
(平家物語 源頼政1).のぼるべき頼りなき身は木(こ)のもとに 椎をひろひて世を渡るかな
(平家物語 源頼政1)C.
天に昇るべきはかないわが身は、(この謀反でともに討死した)子のもとに行こう。
椎の木<頼政>の下(もと)に落ちている、椎の実<子種>を拾うように、我が子達の首を拾いながら。
"椎柴"<喪服>を身にまとい、(平等院を流れる宇治川を)来世へと渡って行くよ。

(平家物語 源頼政2).埋もれ木の花咲くこともなかりしに 身のなるはてぞかなしかりける
(平家物語 源頼政2)B. 
埋もれ木のような私は花咲くこともなかった。(しかしそれ以上に悲しいのは)
私の種実(子)である仲綱の最期(討ち死に)が哀れだったなあ。
**********************************


******「実」=「子」(紫式部集) ***************
(紫式部集54). 数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり
(紫式部集54)C.
(夫も失い、もう若くも無く)、数多く子供が出来るわけではない(諦めてしまった)我が心。
(亡き夫には)<種=子種>を蒔かせることは出来ない。
それにしても、(<心に身が従う=身分境遇が思い通りになる>のではなく)、反対に身の上<身分境遇>に従わざるを得ない心であることよ。
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****(注33339):<桐壺更衣臨終>「限り」参照

 

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文徳天皇の次の清和天皇は子供を沢山つくり、片っ端から臣籍降下させました。
なんと女御14人、それ以外に更衣など12人、記録に残っているだけで合計26人!です。
これが「源氏」の最大派閥、有名な清和源氏の出発点です。

しかし、藤原氏に中央政権を牛耳られ、源氏は地方に下るほかありませんでした。

**************************
清和天皇の治世に、外祖父藤原良房が摂関政治を確立し、ここから藤原北家の栄華が始まりました。
「清和源氏」の出発点は、皮肉にも「藤原北家」の栄華のスタート地点でもあったわけです。
**************************

源氏は豪族のように地方に根を下ろし、藤原氏が受領として送り込んでくる国司としばしば利害が対立しました。
源氏が地方でいくら土地を耕しても、藤原氏の最上級貴族や有力寺社にしか、土地を自分のものにする権限は認められていませんでした。


「ものがたり(物語)」には、<乳児が意味のない声を発すること>
という意味があります。

****「物語」<乳児が意味のない声を発すること>*********************
(紫式部日記2).
若宮は御物語など、せさせ給ふうちに、心もとなくおぼしめす、ことわりなりかし。
**********************************************


「源氏物語」<権力を奪われた源氏が意味のない声を発すること><地方に下った他氏の空しい叫び>

 

再度、「源氏物語」の<最後>の文を見てみましょう。

***「源氏物語」の「をはり(終り)」<最後>の文 ************************
(地の文).
いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来たれば、すさまじく、
「なかなかなり」と、思すことさまざまにて、
「人の隠し据ゑたるにやあらむ」と、
わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。

@(地の文)A.
(薫大将が)今か今かとお待ちになっているところに、(小君が)このような不確かな様子で帰ってきたので、面白くないお気持ちになられて、
かえって使者など遣らなければよかった、とあれこれお思いになり、
「誰かが(浮舟を)隠し住まわせているのだろうか」などと、
ご自分がかつて浮舟を隠し置いたご経験から、心に思い当たることを隈なく想像されて、、、
ともとの本にございますそうな。
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長大な源氏物語の最後の数行に、「たどたどし」「なかなかなり」「さまざま」と音韻を重ねる言葉が畳み掛けられています。
これは何かの合図でしょうか。


<最後>は「をはり(終り)」「をはり(尾張)」を連想させます。
「尾張」といえば平安きっての悪代官様(悪徳受領)、「もとなが(元命)」と「なかきよ(中清)」が想起されます。


「もとなが(元命)」と「なかきよ(中清)」
「なが」「なか」が重なります。

濁点を打つ習慣の無かった当時、
「なが」「なか」は、ともに「なか」と表記されました。

「なかなか」を
「なが」<もとなが(元命)>
「なか」<なかきよ(中清)>
「ながなか」<元命と中清><尾張の二人の悪徳国司>
としてみましょう。

「さまざま」が「様」「様」と二人の人間を暗示します。

藤原元命は、「をはり(尾張)」<尾張国>の国司として、税を過酷に取り立て私腹を肥やしてきたことを、農民たちから朝廷に直訴され、解任されました。
しかしそれは、受領の任期四年の内、三年を過ぎた後で、元命にとっては蚊に刺された程度のものだったようです。
その「解文(げぶみ)」<告発状>によると、罪状は、米や絹織物の不当課税から農業に不可欠な灌漑施設の維持費用横領、さらに恐喝や詐欺など「様々」で、計三十一カ条にも及びました。(繁田信一「王朝貴族の悪だくみ」)

三十一カ条の「31」という数字は、「三十一字」の和歌に通じます。


和歌の直前のセリフ:
***「さまざまに罪重き御心」「もどかしき」「急がるる(急かるる)」***************
(セリフ).
さらに聞こえむ方なく、「さまざまに罪重き御心」をば、、、、今はいかで、あさましかりし世の夢語りをだに、と急がるる(急かるる)心の、我ながらもどかしきになむ。
まして、人目はいかに。

「もどかし」<非難すべきだ><気に食わない><もどかしい><じれったい>
************************************************


「さまざま」<様々な受領の悪行>
としてみましょう。


ちなみに、「さま(様)」には<様子>の他に、<ザマ><体たらく>という悪いニュアンスの意味があります。
これは現代でも「あしざま(悪し様)」「ざまを見ろ」などとして残っていますよね。

「くろぐろ(黒々)」などのように、言葉を二つ重ねると、しばしばその意味が強調されます。
「さまざま」「様々」は<最悪の体たらく>
を連想させます。

「こと(殊)」<殊に><特に><とりわけ>

 

「ならひ(習ひ、慣らひ)」<慣れること><習慣><癖><しきたり><いわれ><由緒><世の常><定め><決まり><学ぶこと><(特に秘事などを口授されて)習うこと>
の意味があります。


文字にならない「ならひ(習ひ)」<秘事などを口授されて習うこと>は、「音」だけの世界であり、「平仮名」<表音文字>と同じです。

 

我が                            慣らひ      ほん
わが 御心 の 思ひ寄らぬ隈なく、落とし 置き たまへりし ならひ に、とぞ 本  に はべめる。
わか                            習ひ       もと
和歌                                     元
                                       元子
                                       原


「本(ほん)」は「本(もと)」とも読みます。
「もと(本、元、原、下、許)」<根本><辺り><ほとり><居所><上の句>

「わが(我が)」を「わか(和歌)」としてみましょう。

「み(御)」は「み(身)」を連想させます。
「心」<心><真意>


「和歌」は世にあまたある<詩>の中でも、31文字しかない<究極の定型詩>であり、厳しい字数制約が省略を余儀なくするため、解釈の可能性は無限にあります。
それは、皆さんの脳内に、あるいは社会に投げ込まれるや否や、無数の意味を発生させます。


「詩」<言葉の象徴機能を日常の文脈から解き放つこと><言葉の爆弾><意味の爆弾>
「和歌」<究極の定型詩><意味の核爆弾>


当時は、濁点も、句読点も、引用符(カギカッコ)も打つ習慣はありませんでした。
諸外国の言葉と異なり、単語の間に空白を置かない日本語の特異性が、区切り位置の恣意性を生み出し、濁点の有無とともに、さらに解釈の可能性を増幅させます。


***「源氏物語」の「をはり(終り)」<最後>の文 ************************
(地の文).
「ながなかなり」と、思すこと「さまざま」にて、
「人の隠し据ゑたるにやあらむ」と、
和歌、身心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりし「ならひ」に、とぞ「本」にはべめる。
*************************************************

              事
「ながなかなり」と思す / こと / 「さまざま」 にて、
 命 中          殊
元命 中清


(最後の文)D.<鎮魂>
「ながなか」<元命と中清><尾張の二人の悪徳国司>(の仕業)だ、とお思いになるのは、「さまざま」<様々な悪行>であるとか、
「あの人は誰かの隠し子ではないか」などという風に、
「和歌」には、(人間の)身についても心についても、想像の及ばぬ所はなく、伝え置きなさる「習ひ」<秘事などを口授されて習うこと><音声><表音文字><平仮名>には(無限の意味が内包されており、それによって私は真意を隠しながら伝える)

と、それこそが(源氏物語の)「もと」<根本><本体><精髄>でございますそうな。

 

源氏物語の最後の和歌は、
「ふみまどふかな(踏み惑ふかな)」、すなわち、
「ふみまとふかな(文纏ふ仮名)」<この文は仮名を纏っている><この和歌は平仮名で真意を覆い隠してある>
というサインでした。


そして、源氏物語の最後の地の文は、他ならぬ
「和歌」<後世に伝えるべきDNA><源氏物語の精髄>
と、その伝達を可能にする
「習ひ」<口授><音声><表音文字><平仮名><暗号><平安文化の精髄>
とについて述べられているようにも見えます。


「なかなかなり」に繰り返される「かな」の音が耳に残ります。

「な(字)」<文字>
「かな(仮名)」<平仮名>
「まな(真名)」<漢字>

「かな」終助詞<詠嘆>

「り(理)」<道理><合理><理(ことわり)>

「な」「かな」「かな」「り」
「字」「仮名」「仮名」「理」

「字、仮名かな。理」<字は仮名だ。理(を訴えているのは)。><仮名(女手)という文字によって「理」を訴える>

それは、「理」不尽な男社会にあって「理」を求める、「仮名」「女手」による、「真名」「男手」社会への<宣戦布告>なのかもしれません。


***「理(ことわり)」**************

(光源氏65).やしまもる国つ御神もこころあらばあかぬ別れの中をことわれ
(秋好中宮の女別当1).国つ神空にことわる中ならばなほざりごとをまづやたださむ

「ことわる(理る、断る、判る)」ラ行四段<道理に基づいて判断する><理非・道理を明らかにする><裁く><筋道立てて説明する><訳を話す><前もって知らせる><届け出る>
「ことわり(理)」<理><道理><筋道><理論><理屈><理由>
「ことわり(理)なり」形容動詞ナリ活用<当然である><尤もである><もちろんだ><言うまでも無い>

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詳細はこれらの歌のファイルを御覧下さい。

 

 

「な(汝)」
「ながなか(汝が中)」<あなたの心の中><あなたの腹の中>
「なり」「にあり」

   中 生り       事
「汝がなかなり」と思す / こと / 「さまざま」 にて、
   腹          子と

 

(最後の文).
「汝が中なり」と、思すこと様々にて、
「人の隠し据ゑたるにやあらむ」と、
和歌、身、心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりし「ならひ」に、
とぞ「もと」にはべめる。


(最後の文)F.
「汝が中なり」<あなたの心の中に(秘めて)ある>と思われる事は様々だが、
「人が隠し置いたことであろうか」と考え、伝えるとき、
「和歌」には、(人間の)身についても心についても、想像の及ばぬ所はなく、伝え置きなさる「習ひ」<秘事などを口授されて習うこと><音声><表音文字><平仮名>には(無限の意味が内包されており、それによって和歌は真意を隠しながら伝える)、、、

と、それこそが(和歌の)「もと」<根本><精髄><本懐>でございますそうな。


「和歌」<言葉の爆弾>は、皆さんの心の中で弾け、あるいは社会に投げ込まれるや否や、無数の意味を発生させます。

 

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連想詞の展開例:


「なが」-「もとなが(元命)」-藤原元命-尾張の悪徳国司-31か条の解文-
「なか」-「なかきよ(中清)」-藤原中清-尾張の悪徳国司

 

                                  
「のり(法)」-「のり(紀)」-紀氏-紀静子-更衣-桐壺更衣-源氏物語-物語-<乳児が意味のない声を発すること>-権力を奪われた源氏の無意味な叫び-他氏の空しい叫び-声無き叫び-

「のりのし(法の師)」-「紀の死」-「紀静子の死」-暗殺-他紙排斥-


「かな」-「仮名」-表音文字-解釈の可能性-意味の爆弾-

和歌-三十一字-みそひとじ-みそひとし-<三一才の死>-一条天皇-中宮定子-みくしげ殿-暗殺-
                   -<三一才の死>-文徳天皇-紀静子-惟条親王-暗殺-早世-<二三歳の死>-「二三」-「ふみ」-文-ふみまどふかな-暗号-


紀静子-「三条の町」-「条」-「惟条」親王-
           「条」-枝-
           「条」-滝-落つ-おつ-おづ-怖づ-


山-「みやま(御山)」<山陵><御陵><天皇家の墓>-

藤-藤原-つる-木-き-紀-紀氏-他紙排斥-

 

 

 

 


ここまで。
以下、(注)。

 


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(匂宮18).長き世を頼めてもなほ悲しきはただ明日知らぬ命なりけり

2021-01-11 01:26:00 | <国破れて藤原氏あり><悪徳受領>

 


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(匂宮18).長き世を頼めてもなほ悲しきはただ明日知らぬ命なりけり


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(匂宮18).長き世を頼めてもなほ悲しきはただ明日知らぬ命なりけり-3.txt


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要旨:


匂宮と浮舟が、別荘で過ごした耽溺の数日間に詠まれた贈答歌を、
「解文(げぶみ)」で知られる<告発の地>尾張国きっての悪徳国司である、藤原元命と藤原中清への連想を背景として、
贅を尽くした平安貴族社会の陰で搾取に苦しむ農民の<鎮魂>の観点から解釈した。

 

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目次:


(匂宮18).長き世を頼めてもなほ悲しきはただ明日知らぬ命なりけり


(浮舟3).心をば嘆かざらまし命のみ定めなき世と思はましかば


メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。


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藤壺入道亡き後、冷泉帝の出生の秘密を、藤壺入道に仕えていた僧が、天罰を恐れつつも帝に打ち明ける場面です。(「薄雲」帖)
「母子姦通」という究極のタブーが犯され、この国の最も高貴な血統の、しかもその頂点で<血のケガレ>が刻印されました。


(地の文).
「いと奏しがたく、かへりては罪にもやまかり当たらむと思ひたまへ憚る方多かれど、知ろし召さぬに、罪重くて、天眼恐ろしく思ひたまへらるることを、心にむせびはべりつつ、命終りはべりなば、何の益かははべらむ。
仏も心ぎたなしとや思し召さむ」
とばかり奏しさして、えうち出でぬことあり。


@(地の文)A.
「まことに申し上げにくく、お聞かせ申してはかえって仏罰をも、と憚られます筋のことが多うございますが、さりとてご存知遊ばさないでは罪障も深く、天の照覧も恐ろしく存ぜられます事柄を、この胸一つに嘆いたままで、我が命が果ててしまいますならば、それも無益なことになりましょう。仏も不正直なことと思し召すでしょう。」
とだけ申し上げかけて、そのあとを言い出しかねている。

 


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ところで、この宮中での「母子姦通」にまつわる費用の原資は、元をただせば<国民の税金>です。
なんだかファニーですね。


  終り
命 をはり はべりなば、何の 益 か は はべらむ。
  尾張


「をはり(終)」は「をはり(尾張)」<尾張国><現在の愛知県西部><尾州>
「命」は<元命(もとなが)>を連想させます。


<藤原元命>は、「をはり(尾張)」<尾張国>の国司として、税を過酷に取り立て私腹を肥やしてきたことを、農民たちから朝廷に直訴され、解任されました。
その「解文(げぶみ)」<告発状>は、米や絹織物の不当課税から灌漑施設維持などの公費横領、さらに恐喝や詐欺など、計三十一カ条にも及んだそうです。(繁田信一「王朝貴族の悪だくみ」)

「心汚し」<不正直な><意地汚い>

<仏罰をも、と憚られます筋のことが多うございますが、、、>
元命は、国分寺や国文尼寺の維持費用も横領していました。
さすがのお釈迦様もビックリ!です。

この文を農民の<鎮魂>の観点から解釈して見ましょう。


命 尾張 侍りなば、何の 益 か は 侍らむ。

(地の文)B.<鎮魂>
「まことに申し上げにくく、、、、
この胸一つに嘆いたままで、<藤原元命>が尾張国に居座り続けましたならば、(民にとって)何の益があるでしょう。
仏も意地汚いことと思し召すでしょう。」
とだけ申し上げかけて、そのあとを言い出しかねている。

 

 

ちなみに、尾張国は元命の前にも後にも、同じ様に国司が訴えられています。
「をはり(尾張)」国は、<国司による農民収奪の象徴の地>と言えるかもしれません。
その悪業は、「地蔵霊験記」など後の世の説話にも取り上げられました。
告発状の全文が現在まで伝わるのはこの「尾張国郡司百姓等解文」のみですが、当時はこのような苛政の上訴が数多くあったそうです。(Wikipedia)

 

***「国司の苛政への反抗」******************
帝国書院「図説 日本史通覧」
「受領は倒る所に土を掴め」(今昔物語集)
974年  尾張 藤原連貞 解任
988年  尾張 藤原元命 翌年解任
999年  淡路 讃岐扶範 解任
1007年  因幡 橘行平  解任
1008年  尾張 藤原中清 不明

1008年と言えば、「源氏物語」に関する記述が歴史史料に初めて現れた年として、<源氏物語(の一部)が成立した年>とされ、
「源氏物語千年紀」などを起算する元になっている年でもあります。
ちなみに、当時、藤原公任は、自他共に認める文化方面のリーダーでした。
この年、彰子の出産に伴う「五十日の儀」の、税を尽くした宴会で、その公任が、紫式部に「この辺に若紫さんはいらっしゃるかね?」と問い掛け、紫式部から冷ややかな対応を返されたことが、紫式部日記に残っています。


1012年  加賀 源政職 処分なし
1016年  尾張 藤原経国 解任か
1019年  丹波 藤原頼任 愁訴状提出の際に騒動。一時勘当されたがすぐに任国に下向。
その後、百姓が善状(政治を讃える文書)を提出 (←ムリヤリ)
1036年  近江 藤原実経 不明
1038年  但馬      不明
1040年  和泉 (姓不明)基相 不明
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元命が国司を解任されたときには、任期四年の内、すでに三年が過ぎていました。
しかも元命はその後も官界に留まるなど、農民から見れば甘すぎる処分だったようです。
元命が不正に蓄財した額は、当時の庶民の年収の二万数千年分に相当するそうです。(繁田信一「王朝貴族の悪だくみ」)

まあ、こんなことが続けば、確かに国は「をはり(終り)」ですよね。

 

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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、「尾張国」解文の話題をわざわざ付け足しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。

 


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後の南北朝時代に、北畠親房という人が書いた「神皇正統記」という本に、なんと、
「このころ(平安末期)は天下の土地百のうち九十九までが荘園であった」
と書いてあるのです。国土の99%が荘園だということは、1%しか国家予算が入ってこないということです。残りの99%は藤原氏など貴族に行ってしまっている。藤原氏だけが富み栄え、国家は衰退する。これが平安末期の状況でした。
(井沢元彦「井沢式日本史入門講座4」)
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漁村では、漁獲物を搾取しようとした国司たちの苛政から逃れるため、漁民たちは海賊になりました。
海上は、陸よりもさらに取り締まりが困難で、海賊はどんどん力をつけ「水軍」と呼ばれるようになり、藤原純友などは京に攻め入ることまで企てました。(井沢元彦「激闘の日本史」)
武士にしろ海賊にしろ、もとを正せば平安貴族の苛政が原因で、いわば「身から出たサビ」によって、平安貴族社会は終焉を迎えます。
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農民は武士に、漁民は海賊に。
それもこれも、平安貴族(藤原氏)の強欲さが招いた因果応報です。


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参考までに、以下はフランス革命の頃の話です。


***「フランス革命」<国民の平均収入の25万年分を王家は一年で消費>********
フランス革命当時の、国民の一人あたり年収は100ルーブル前後でした。
そして、王家の年間支出が2500万ルーブルでした。
単純計算で、当時の平均収入の25万年分を、王家は一年で消費していたことになります。
あるいは、国民25万人分の収入を、王家が消費していたことになります。
ちなみに、当時フランスの歳入の内、対外債務の利払いなどを除いて自国で消費できる分は6000万ルーブルほどだったそうです。
2500万ルーブルを王家が消費すると、残る国費は3500万ルーブル、となります。
これを知った国民の怒りは爆発し、フランス革命が起こりました。
(参考:大村大次郎「脱税の世界史」)
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ルイ十六世とマリー・アントワネットの結婚式では、祝賀パーティが二週間もぶっ通しで続けられ、
結婚式に使われた費用は、今の金額に換算すると、千六百億円にもなるそうです。
(参考:学研漫画「世界の歴史10 フランス革命・産業革命と軍事の天才ナポレオン」)


また、ルイ十六世の弟のアルトワ伯は、ギャンブルに目が無く、王妃アントワネットを競馬やトランプ賭博に誘い、大損をさせていたそうです。
王妃が賭博でこしらえた借金は、今の金額で70億円にも上ったそうです。

王妃からそれを打ち明けられたルイ十六世は、
「博打の借金がこんなに有るとは。。。」
とため息をついたそうです。


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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、「フランス革命」の話題をわざわざ付け足しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。

 


***「特権階級」<2%> *********
当時のフランス人口が2650万人。
その頂点が国王で、
第一身分が僧侶:12万人:課税なし。高い官職につき、土地も多い。年金も多額。
第二身分が貴族:38万人:課税なし。高い官職につき、土地も多い。年金も多額。
第三身分が平民:2600万人:参政権なし。職業選択の自由もなく、貴族の小作人として農業に従事。税金だけ重かった。
全体の2%を占める(第一身分+第二身分)の特権階級がフランスを支配していた。
(参考:学研漫画「世界の歴史10 フランス革命・産業革命と軍事の天才ナポレオン」)
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それにしても、ウソみたいな話ですね。
こんな設定の小説を書いても、「ありえない」と一笑に付されて終りでしょう。
まさに、「現実は小説より江成(えなり)」です。


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「現実は小説より江成」
「やめてよ母さん」
(映画版「TRICK」)
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ちなみに、紫式部が二年に渡り彰子に進講した白氏文集「新楽府」に、これと良く似た話があります。

「傷農夫之困也」<酷税に苦しむ農夫の困窮を傷む>漢詩です。

***** 白氏文集「新楽府」30番「杜陵そう」「傷農夫之困也」***************
白氏文集「新楽府」30番

杜陵そう
「傷農夫之困也」
<杜陵に住む老人の生活ぶりを詠み、酷税に苦しむ農夫の困窮を傷む詩。>

「そう」<老人>

杜陵そう 杜陵居
歳種薄田一頃余
三月無雨旱風起
麦苗不秀多黄死
九月降霜秋早寒
禾穂未熟皆青乾
明知不申破 <役人はこれを重々承知しながら報告せず>
急斂暴徴求考課 <租税を無理矢理取り立てて自分の勤務成績を上げようとした>
典桑売地納官租
明年衣食将何如
。。。

十家租税九家畢 <十軒の内九軒は徴税した後であり>
虚受吾君けん免恩 <主君の免税の恩情も虚しく受け取られただけだった>

やがて民の窮状が皇帝の耳に入り、税免除のお触れが出されたのは、殆どの家が徴収された後でした。

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次に、若き皇子、匂宮の二泊三日のヤリチン旅行を見てみましょう。
今上帝の第三皇子が間男となって、親友の薫の恋人浮舟とともに、山荘の対岸の別荘で逢瀬を満喫します。
さしづめ現代なら、取り巻きを引き連れクルーザーで島の別荘に乗りつけてやりたい放題、というところでしょうか。
さすがは源氏の血を引く実の孫(明石中宮の息子)です。


(匂宮18).長き世を頼めてもなほ悲しきはただ明日知らぬ命なりけり


「頼む」マ行下二段活用他動詞<約束する><当てにさせる>
「なほ(猶)」<なお><依然として><そうはいってもやはり>

@(匂宮18)A.
行く末長くと約束するにつけても、やはり悲しいのは、明日のことさえ分からぬ人の命(のはかなさ)です。

 

 

尾張国は元命の後、1008年にも、国司藤原中清(なかきよ)が農民から同様の訴えを起こされています。


「命」は尾張国で農民を収奪した上記の<元命>を連想させます。
「ながきよ(長き世)」は「なかきよ(中清)」を連想させます。


中清の処分も「今度やったら解任」という甘いものだったそうです。

元命は、解任後も官界に留まり、中清は、国司すら解任されていません。
たんまり私腹を肥やした後では、<痛くも痒くも無い>処分ですよね。


「明日知らぬ命」<明日をも知れぬ命><明日罰が下されるかどうかも分からぬ元命><農民が朝廷に訴えてものうのうと暮らしている国司>
としてみましょう。


この歌を、上記と同様に、尾張国の農民の<鎮魂>の観点から解釈してみましょう。

「命」<もとなが(元命)><悪徳国司>

長き世
ながきよ を 頼めても なほ 悲しきは ただ 明日 知らぬ 命 なりけり
なかきよ
中清


(匂宮18)B.<鎮魂>
藤原中清の(今度やったら解任)という約束をして頂いても、依然として悲しいのは、ただ「明日知らぬ命」<明日罰が下されるかどうかも分からぬ悪徳国司>であることよ。

 

直後の地の文を見てみましょう。
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(地の文).
いとかう思ふこそ、ゆゆしけれ。心に身をもさらにえまかせず、よろづにたばからむほど、まことに死ぬべくなむおぼゆる。

つらかりし御ありさまを、

「なかなか」

何に尋ね出でけむ。
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「もとなが(元命)」と「なかきよ(中清)」
「なが」「なか」が重なります。

濁点を打つ習慣の無かった当時、
「なが」「なか」は、ともに「なか」と表記されました。

「なかなか」を
「なが」<もとなが(元命)>
「なか」<なかきよ(中清)>
「ながなか」<元命と中清><尾張の二人の悪徳国司>
としてみましょう。

「たばかる(謀る)」<欺く>

上記の連想イメージを重ねて、この文を解釈してみましょう。
命がけで朝廷に訴えたにも関わらず、甘すぎる裁定に、農民のやるせなさが滲み出ています。

(地の文)B.<鎮魂>
万事において、国司が農民と国を欺く行為は、誠に万死に値すると思われる。
辛かったこの農民の有様を、「なが」「なか」<元命と中清><尾張の二人の悪徳国司>(の処罰)を、どこに求め出たらよかったのだろう。


こんなことが続けば、確かに「をはり(尾張)」は「をはり(終り)」ですよね。
「なかきよ(中清)」が「ながきよ(長き世)」<長く続く治世>となっても農民はたまりません。
「世」<治世>
ひょっとして、そんな意味も重ねられているのかも知れません。


直前の地の文:
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(地の文).
「常にかくてあらばや」などのたまふも、涙落ちぬ。

「ばや」未然形接続<願望><~したい>
@(地の文)A.
「いつもこうしていたいものだ」などと仰るにつけても、涙がこぼれた。

 

<未然形+「ば」><仮定条件>
「や」係助詞<疑問>

「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」の係り結びでは、しばしば結びの結論が省略されます。
何が省略されているのでしょうか。

「常にかくてあらばや(如何ならむ)」

(地の文)B.<鎮魂>
「いつまでもこの体たらくが続けば、(国と農民は)どうなるのだ」などと仰るにつけても、涙がこぼれた。

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上の和歌(匂宮18)への返歌です。


(浮舟3).心をば嘆かざらまし命のみ定めなき世と思はましかば

 

「ましかば~まし」<反実仮想>

すぐ浮気するくせに「私の思いは永遠でも命が、、、」とか言ってるしww

ヤリチン匂宮の心にも無い言葉に、万事控えめな浮舟も苦笑いです。


(浮舟3)A.
人の心(が当てに出来ないこと)を嘆かないでいられたでしょうに。
人の命だけが当てにならないこの世と思えたのならば。
(明日にでも浮気するだろこのヤリチンが!)

 


「命」は尾張国で農民を収奪した上記の<元命>を連想させます。

「定む」<定める><(罰を)裁定する>
「定め」連用形転成名詞<定めること><裁定>
としてみましょう。


この歌を、上記と同様に、尾張国の農民の<鎮魂>の観点から解釈してみましょう。

心をば嘆かざらまし命のみ 定めなき世と思はましかば


(浮舟3)B.<鎮魂>
人の心(が当てに出来ないこと)を嘆かないでいられたでしょうに。
「命」<藤原元命>だけがきちんと裁定されないこの世と思えたのならば。
(せめて藤原中清はきちんと処罰して欲しい)

 

 

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「消えた年金三百兆円」
そんな言葉を聞いたことがありますか?
皆さんがまだずっと小さかった頃の出来事だから、聞き覚えはないかも知れませんね。

かつて、厚生労働省のずさんな運用管理により、国民から徴収された年金の原資が失われました。その額は、試算によっても異なりますが、三百兆円とも言われました。
まあそれは大げさとして、仮に百兆円としてみましょう。それでも大きな金額ですよね。
公務員だったためか、<慣例通り>さほど責任追及されずに済みましたが、民間企業だったら、大問題になっても不思議はないのかも知れません。


「消えた年金三百兆円」、それは、戦争と同じく国家の一大事ではありますが、戦争と違って追求に命がかかる訳ではありません。犯人に逃げ場があるわけでもありません。
でも、それすら、追求する人はもういなくなってしまいました。人の心とはそれほど「定めなき」<当てにならない><はかない>ものなのです。


かつての財政投融資では、大甘な需要予測に胡坐をかいて、赤字に陥っても何の対策も打たず、十年一日の如く、ただただ悠長に構えて年金原資を垂れ流し続け、全国津々浦々にリゾート破綻を撒き散らしました。
スーパーで三百円の惣菜を買うのにも半時間(!!)悩む私にすら、その姿はさすがに悠長すぎるようにも思えます。

「ゆうちょ」(郵貯)だけに。


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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、尾張国解文の話題をわざわざ付け足しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。

 


***「年金1953億円 → 48億円(2.5%)!」******
郵便貯金や年金積立金を大蔵省(財務省)資金運用部が特殊法人等の公的機関に融資する財政投融資では、
経営者の経験もない素人役人が計画性なく資金投入を行ったために、放漫経営による破綻施設が全国各地に発生しました。
赤字施設は民間に譲渡されるなどの整理・合理化が進められましたが、
例えば、年金保険料1953億円を投じて整備された「グリーンピア」施設の売却総額は、わずか48億円(!)だったそうです。
単純計算で、なんと2.5%(!!)です。
これらは、少子高齢化が進む日本の公的年金への国民の信頼に、大打撃を与え、老後不安を増幅させる結果となりました。
ちなみに、これらに関与した旧特殊法人「年金福祉事業団」は厚生官僚の天下りポストです。
また、全国13ヶ所のグリーンピアの内、7ヶ所が当時の歴代厚生大臣の地元であったことから、建設利権も指摘されているのだそうです。
(参考:wikipedia)
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まさに「国破れて役所あり」の惨状ですが、いつまでも保育園が増えず、待機児童が減らないのも、むべなるかな、です。

 

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私は、源氏物語のこの和歌を、以下のように<読み替え>て、皆さんにお伝えします。
「消えた年金」と、ネットで検索してみて下さい。
そして、何かを感じたならば、ぜひこの歌を広めて下さい。
源氏物語の和歌が、皆さんが「文学」から「社会」へと能動的に踏み出す最初の一歩となるとしたら、それは私にとって望外の喜びです。


「心」をば嘆かざらまし命のみ「定めなき」世と思はましかば


(浮舟3)B.<鎮魂><読み替え>
検察の「心」「法の精神」(が当てに出来ないこと)を嘆かないでいられたでしょうに。
「命」<藤原元命>だけがきちんと裁定されないこの世と思えたのならば。
(せめて<厚生省のずさんな運用管理>には適正な裁きを与えて欲しい)

 

まあしかし、元命の後に中清って、尾張国もホントに<踏んだり蹴ったり><泣きっ面に蜂>ですよね。


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まあ、親父ギャグの出来栄えはさておき、
こんなことが続けば、確かに国は終りです。
しかし元命が国司を解任されたときには、任期四年の内、すでに三年が過ぎていました。痛くも痒くもありません。
しかも元命はその後も官界に留まるなど、農民から見れば甘すぎる処分だったようです。
元命が不正に蓄財した額は、当時の庶民の年収の二万数千年分に相当するそうです。(繁田信一「王朝貴族の悪だくみ」)

 


元命の国司解任直後は、藤原文信(のりあきら)が任命され、一時騒ぎは収まりました。
ちなみに、後任の文信は、筑後守のとき、不正を告発した安部一家を<親子もろとも皆殺し>にしています。
それはひとり生き残った安部正国が仇討ちしようとして捕えられたことから発覚しました。
安部正国の身柄が朝廷に引き渡された時は、両手の指を切断され、足の骨は折られていました。(繁田信一「王朝貴族の悪だくみ」)
文信はその後、鎮守府将軍などを歴任し、従四位上まで昇進したそうです。(wikipedia)

元命は、国分寺建設の費用も横領していたようですが、そのような悪徳国司に<仏罰>が与えられたわけではなく、
不正を告発した阿部一家は、逆にむごたらしく根絶やしにされました。

ところで、
道長はじめ朝廷の高官は、自分の口利きで任命された受領から、赴任後にキックバックをもらうことが常態化していました。

例えば、藤原道長は、1016年7月に自邸の土御門邸が焼けた時には国司から再建のための資材や人夫を供与してもらうなど、全国に散らばった国司(多くは藤原氏一族)から、いつも様々な贈り物や便宜を受けていました。
その原資は、元を正せば国司が蓄えた私財、すなわち民衆から徴収した税から、京の朝廷に納める額を引いた残りです。

裁きが身内に甘いのは、今に始まったことではない、ということなのでしょう。


あえて藤原文信を後任として「尾張」<反抗の地>に送り込んだのは、朝廷から農民へのメッセージだったのかもしれません。

 

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天武天皇が死の直前、病に斃れた時、「草薙の剣」が祟っている、との神託が下りました。
草薙の剣は、もともと尾張の熱田神宮(愛知県名古屋市)に祀られていました。

***「ヤマトタケル」「草薙剣」「尾張氏と蘇我氏」「藤原不比等」「天武天皇」******
***<持統と藤原不比等は、尾張氏を敵に回してしまっていたに違いない>*********

持統天皇と藤原不比等は、壬申の乱(672)の功臣たちを敵に回したが、彼らの多くは東国とつながっていた。中でも中心勢力の蘇我氏が、東海の尾張氏や越(北陸)と強く結ばれていたのだ。だから、蘇我氏や尾張氏を押しのけて政権を取った持統と藤原不比等は、東国を必要以上に恐れたし、尾張氏と関わりの深いヤマトタケルの陵墓が鳴動しただけで震え上がったのである。。。。
。。。。。
なぜ、持統太政天皇までヤマトタケルの陵墓の鳴動に浮き足立ったのかといえば、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)を助けたのが、ヤマトタケルと強く繋がっていた尾張氏だったからだろう。そしてこの事実を「日本書紀」が抹殺してしまったことからもわかるように、<持統と藤原不比等は、尾張氏を敵に回してしまっていたに違いない>。天武天皇崩御の直後、大津皇子が伊勢に向かったのも、尾張氏の軍事力を当てにしていたからではないかと思われる節がある。
(関裕二「万葉集が暴く平城京の闇」)
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***「藤原氏と尾張氏」「草薙剣」<言いがかり以外の何物でもない>******************
このような歴史を負った草薙剣だから、草薙剣が祟ったので天武の元から遠ざけれられたという話、妙にひっかかるのだ。。。。
尾張氏が大切に祀ってきた神宝が草薙剣で、その霊剣が大海人皇子に悪さをしたというのは、<言いがかり以外の何物でもない>。
(関裕二「藤原氏の悪行」)
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不比等は、持統天皇を操り、親蘇我の流れを汲む天武系の血を皇統から排除しようとしました。
そして、反蘇我派の藤原不比等の時代に完成した「日本書紀」は、親蘇我派の尾張氏に敵対的でした。
つまり、藤原家の黎明期から、藤原氏と尾張氏(尾張国)は、因縁の仲だったわけです。

 

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尾張国はしばらく後、1008年にも、国司藤原中清(なかきよ)が農民から同様の訴えを起こされています。


1008年と言えば、彰子の出産の五十日の儀の、税を尽くした宴会で、当時の文化方面のリーダーであった藤原公任が、紫式部に冷ややかな対応を受けた年です。

我々は、紫式部のその「冷ややかさ」を、無頓着に素通りするべきではないのかも知れません。

 

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「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の<理>を表す」
とあるように、「沙羅双樹の花の色」は、いつかはあせてしまいます。
しかし、
「盛者必衰」「諸行無常」という<理><摂理>そのものは、永遠に存在し続けます。


***「常なるもの」***************
現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。
「常なるもの」を見失ったからである。
(小林秀雄「無常といふ事」)
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「常なるもの」<時間を超越したもの>「理」

 

「法」は「理」<道理><合理>を実現するための<手段>ですから、「定めなき」<時に移ろう>のかもしれません。
しかし<目的>である「理」は「定めなき」ものであってはなりません。
目的と手段のどちらが重要か、皆さんはもうお分かりですよね。

かつて昭和天皇が仰せになったように「戦争に命をかけて下さい」とは、おいそれと言えません。
しかし、「法を」ではなく「法の精神を」貫いて下さい、と願うことは許されるのではないでしょうか。


「理」<道理><手段に優先する目的><超法規的措置>
「心」<精神>

***「理(ことわり)」*******************
(光源氏65).やしまもる国つ御神もこころあらばあかぬ別れの中を「ことわれ」
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上記の和歌のファイルもご参照下さい。

 

 

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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。

 

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「をはり(終)」
「をはり(尾張)」<尾張国><現在の愛知県西部><尾州>

「命」<元命(もとなが)><藤原元命><悪徳国司>
「ながきよ(長き世)」<なかきよ(中清)><藤原中清><悪徳国司>

「解文(げぶみ)」<告発状>

「心汚し」<不正直な><意地汚い>


「傷農夫之困也」<酷税に苦しむ農夫の困窮を傷む>

「頼む」マ行下二段活用他動詞<約束する><当てにさせる>
「なほ(猶)」<なお><依然として><そうはいってもやはり>

 

「明日知らぬ命」<明日をも知れぬ命><明日罰が下されるかどうかも分からぬ元命><農民が朝廷に訴えてものうのうと暮らしている国司>

 


「なかなか」:
「なが」<もとなが(元命)>
「なか」<なかきよ(中清)>
「ながなか」<元命と中清><尾張の二人の悪徳国司>


「たばかる(謀る)」<欺く>
「ましかば~まし」<反実仮想>

「定む」<定める><(罰を)裁定する>
「定め」連用形転成名詞<定めること><裁定>

 

「尾張」<解文><反抗の地>

 


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ここまで。
以下、(注)


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