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(冷泉帝5).九重にかすみへだてば梅の花ただかばかりも匂ひこじとや
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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。
皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。
ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。
上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。
ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。
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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。
なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。
あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。
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(冷泉帝5).九重にかすみへだてば梅の花 ただかばかりも匂ひこじとや6.txt
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要旨:
冷泉帝の后となった梅壺女御(秋好中宮)は、
「うめ(産め)」を連想させる「うめ(梅)」の字を名に持ちながら、
皮肉にも皇子を産めなかった。
そして、皇統における冷泉帝の血は、そこで途絶えた。
梅壺女御とは逆に、玉鬘は将来多くの子を産むことになる女性として、源氏物語に登場する。
その玉鬘に懸想する冷泉帝の和歌について、
皇子を産めなかった梅壺女御への連想を背景とした解釈を試みた。
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目次:
(冷泉帝5).九重にかすみへだてば梅の花 ただかばかりも匂ひこじとや
メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など
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では、始めましょう。
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(冷泉帝5).九重にかすみへだてば梅の花 ただかばかりも匂ひこじとや
(冷泉帝5)A.
梅の花は、幾重にも霞に隔てられて、香りさえも匂って来ないことになるのだろうか。
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「梅の花」は冷泉帝に言い寄られる<玉鬘>を指します。
「かばかり」は
「かばかり(香ばかり)」<香だけ>
「かばかり(斯ばかり)」<これだけ>
の掛詞
「九重」<幾重にも>には、<内裏><宮中>の意味もあります。
ちなみに、「十重(とへ)」は「訪へ(とへ)」<訪問して下さい>との掛詞となります。
*****「十重(とへ)」「訪へ(とへ)」<訪問して下さい>*******************
(道綱母272).誰かこの数は定めしわれはただ 「とへ」とぞ思ふ「山吹」の花 (蜻蛉日記)
「とへ(十重)」<十重><花弁が十枚に重なった>
「山吹」<八重山吹>
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「匂ふ(にほふ)」<匂う><香る>だけでなく、<視覚的な美しさ><(花が)色づく><(色が)映える(はえる)>も意味します。
髭黒大将に横取りされてしまった玉鬘に、冷泉帝は未練がましく参内をほのめかします。
@(冷泉帝5)B.
(梅の花のように美しい)玉鬘は、霞(髭黒大将、多くの求婚者)に幾重にも隔てられ、宮中にはこれっぱかりもお目にかかれないのか。
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冷泉帝は、秋好中宮との間に、子をもうけられませんでした。
花は、雄しべの花粉を雌しべが受粉し、子房に種子(子種)を宿すための、生殖器官です。
八重咲きは、雄しべが肥大して花弁のようになるため、しばしば不稔となり、株分けや挿し木で増やします。
雌しべは退化して矮小化する場合も少なくありません。
例えば八重咲きの山吹も<不稔>になりますし、八重咲きの梅にも不稔の品種があります。
詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。
***「八重山吹」<不稔>***********
(秋好中宮5).こてふにもさそはれなまし心ありて八重山吹をへだてざりせば
(秋好中宮の侍女1).風吹けば波の花さへいろ見えてこや名にたてる山ぶきの崎
「山吹」<八重山吹><不稔><子を産まない女><秋好中宮><紫上>
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壮麗な六条院で、華やかな「春秋論争」を争った紫上も、秋好中宮(梅壺女御)も、結局子供はできませんでした。
秋好中宮は、かつて源氏が六条御息所から養育を託され、源氏のもとから冷泉帝に入内しました。
秋好中宮のもとの呼び名は「梅壺女御」でした。
「うめ(梅)」は「うめ(産め)」を連想させます。
「うめ(産め)」<産む>の命令形
「うめ(梅)」が「うめ(産め)」を連想させることは、何とも皮肉な話です。
「天皇の妃」という、<この世で最も懐妊が待ち望まれる>立場の女性が、「うめ(産め)」と言われて産めなかったわけですから。
「うめの花」を「"産め"の花」としてみましょう。
「"産め"の花」<"産め"と言われる花><"産め"と言われ続ける不稔の梅><"産め"と言われ続けても産めない梅壺女御><石女(うまずめ)の秋好中宮>
あるいは、音韻の類似性から、
「産まぬ花」<産まない花>
も連想しやすいでしょうか。
直後の地の文が興味を引きます。
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(地の文).
ことなることなきことなれども、御ありさま、けはひを見たてまつるほどは、をかしくもやありけむ。
@(地の文)A.
特にこれと言う程のこともない歌だけれども、(帝の)お姿や御様子を拝見している時なので、味わい深く感じられたのであろうか。
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「ことなることなきこと」と、繰り返される「こと」の音が耳に残ります。
「こと(子と)」
「なる(生る)」<(実が)生る><子種が出来る>
殊 事 言
こと なる こと なき こと なれ ども、
子と 生る 事
子と
(地の文)B.
(梅壺女御に)子が生まれる事は無い、との(帝の)お言葉だけれども、(梅壺女御の)お姿や御様子を拝見する限りは、不思議なように感じられたのであろうか。
「匂ひ」<匂><香り><咲き匂うこと><美しく映えること><栄えること><栄華><風情><品格>
花は植物の生殖器官で、種子を作るために存在します。
逆に言うと、種子=子種の出来ない八重咲きの花は、人間の目には美しくとも、その植物体にとっては存在価値が無い、ということです。
「匂ひ」<花が咲き匂うこと><子を産み栄えること><懐妊の気配>
としてみましょう。
「九重」<宮中><花びらが幾重にも重なる八重咲き><不稔><不妊>
ところで、
椎の実(ドングリ)などを拾って、殻を剥くと、何も中身が入ってないことが、しばしばあります。
言わば、<「カス」の実>です。
それほどまでに、種子を完全に造り上げる、というのは、植物母体にとってコストのかかる、負担の大きい仕事なのでしょう。
「かすみ(霞)」は「かす(糟)」「み(実)」を連想させます。
「かす(糟)」<カス><絞りかす><中身の無いこと>
「かす(糟)」接頭辞(人を表す語について、ののしり、卑しめる)<つまらない><とるに足りない>(かす侍、かす奴、かす禰宜(下級神官)など)
「かすみ」を
「かす(糟)」「み(実)」<カスの実><不稔の実>
としてみましょう。
ちなみに、
「霞の衣」とは、<霞が山に掛かるのを衣服に見立てた表現>ですが、
その他に、「かすみ(霞)」を「すみ(墨)」と掛けて、<喪服>という意味になることもあります。
霞
九重にかすみへだてば梅の花 ただかばかりも匂ひこじとや
糟 実
(冷泉帝5)C.
「九重」<花びらが幾重にも重なる八重咲き><不妊>の「梅の花」<梅壺女御>は、
「九重」<宮中>では、(冷泉帝と)身を隔てていて、
これっぽっちも「匂ひ」<懐妊の気配>が無いままなのだろうか。
(梅壺女御には子供が出来なさそうだから、あなたに乗り換えようかな。)
冷泉帝も光源氏の血を引くだけあって、クズっぷり炸裂!と言ったところでしょうか。
カスはオマエや!
家(後宮)で一人寂しく帝を待つ梅壺女御の不安もどこ吹く風、冷泉帝はここぞとばかりに玉鬘に言い寄ります。
玉鬘に呼びかける冷泉帝の歌そのものに、懐妊を待つ梅壺女御の焦りと諦めが垣間見えるとしたら、これほど鮮やかな皮肉はありません。
玉鬘が、鬚黒大将の妻となり、子沢山の家庭を築くことになる、という物語の顛末も、その皮肉をますます際立てる格好となります。
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***「ことなることなきことなれども」*********************************
(地の文).
ことなることなきことなれども、御ありさま、けはひを見たてまつるほどは、をかしくもやありけむ。
「野をなつかしみ、明いつべき夜を、惜しむべかめる人も、身をつみて心苦しうなむ。いかでか聞こゆべき」
と思し悩むも、「いとかたじけなし」と、見たてまつる。
(玉鬘18).香ばかりは風にもつてよ花の枝に立ち並ぶべき匂ひなくとも
さすがにかけ離れぬけはひを、あはれと思しつつ、返り見がちにて渡らせたまひぬ。
「花の枝」<梅の花の枝><梅壺女御>
「立ち並ぶ」<立ち並ぶ><同等である><肩を並べる>
玉鬘は、仮に自分が冷泉帝に入内すれば、義理の姉に当たる梅壺女御と帝の寵愛を寵愛を競うことになるため、思い悩んでいました。
(地の文)C.
(梅壺女御に)子が生まれる事は、無いとの(帝の)お言葉だけれども、(梅壺女御の)お姿や御様子を拝見する限りは、オカシイようにも感じられたのであろうか。
「野を懐かしみ、一夜を明かしてしまいたいが、惜しがっているに違いない人(梅壺女御)も、身につまされて気の毒なので。さて、これからどうお便り申し上げるべきか。」
と(帝が)思い悩んでいらっしゃるのも、「まことにおそれ多い」と(玉鬘は梅壺女御に対して)心配申し上げている。
(玉鬘18)D.
(「かばかり」<これっぽっちも懐妊の気配が無い>との)帝のこのような(不実な)お言葉が、風の便りにでも梅壺女御様に伝わって欲しいものだ。
「私(玉鬘)は梅壺女御様に肩を並べるような身の上ではありません」とも。
さすがに(帝の)相手をしないわけには行かない玉鬘の様子を、(ノーテンキにも)愛しいと思し召されながら、(冷泉帝は)振り返りがちに(宮中に)お帰りになった。
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詳細は上記和歌のファイルをご参照下さい。
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「梅の花」は<玉鬘>を指す、とされるのが普通です。
私もその解釈に特に違和感は感じません。
しかし、意識的か無意識的かはさておき、
この歌ににじみ出ている冷泉帝のホンネは、
「梅の花」<八重咲きの梅><梅壺女御><不稔の妻>
である、と私は思います。
女性を花に例えるのは現代でもよくあることです。
和歌に花が含まれると、しばしばそれだけでその花はその場面に登場する女性(人物)の例えとされます。
同じ人物が、女性と花という結びつき以外には何の脈絡も無く、桜や藤袴や女郎花や紫草や菊や藤や葛や、、、に例えられている、と解釈されます。
しかし、この本では、単に「花」=<登場人物>と解釈するのではなく、そこに極力何らかの関連付けを試みました。
「八重咲き」=<不稔><不妊><石女>のような<生態的特徴>による関連付けの場合もあれば、
「なでしこ(撫でし子)」<撫でた子><愛しい我が子>のような<音韻の類似><聞きなし>による関連付けもあります。
また、その和歌とは別の、例えば故事や古歌を引き歌とした連想による関連付けもあります。
<生態的特徴>でも<音韻の類似>でも、あるいは引歌からの連想でも、どんな観点からの結びつけでも良いのですが、このような関連付けを試みた理由は、
「花」を何の意味の裏づけもなく単に<登場人物>とするような解釈は、あまりに<恣意性>が大きいと考えたことによります。
これでは、始めに和歌の解釈があって、後からその解釈に合わせて、和歌を構成する「言葉」に<指示内容>を割り当てていることになってしまいます。
和歌を構成する「言葉」の<指示内容>を基本要素として出発し、その要素を組み合わせて一首全体の意味を探りながら構築する立場を、ここで仮に「ボトムアップ方式」、逆に、一首の解釈を決めてから各語にその意味を割り振る方法を「トップダウン方式」と呼ぶとすると、この本は、極力「ボトムアップ方式」を目指した、ということです。
たとえば(冷泉帝5)の歌では、「梅」という文字と、「八重咲き」<不妊>、また「九重」<宮中>にいる、という属性から、
「梅の花」をその場に居合わせた<玉鬘>ではなく、その場にいない(九重=宮中にいる)<梅壺女御>とする解釈を、あえて選択肢として追加しました。
私自身の個人的な感覚では、「梅の花」を<玉鬘>とするよりは<梅壺女御>とする方が、言葉の解釈の<恣意性>の度合いが小さく(裏づけがあり)、かつ、冷泉帝の心中のホンネが(図らずも)浮かび上がってくるように思えます。
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さて、梅壺女御に子が出来なかったのと同じく、紫上も子を産むことは出来ませんでした。
光源氏をめぐる女たちの中でも、正妻となった葵上や三宮とも、我が子を産み、しかもその子が中宮となった明石上とも異なり、紫上はいわば負け組です。
梅壺女御(秋好中宮)と紫上の間で繰り広げられた、有名な「春秋論争」には、メンツの張り合いの陰に、「戦友」としての共感が垣間見えるように思えます。
<子が出来ない辛さ>を最もよく理解し合えたのは、他ならぬこの二人なのですから。
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****参照:(注449976):石女(うまずめ)達の「春秋論争」の「鳥」と「蝶」
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春秋論争における「桜と鳥」「山吹と蝶」は、ただテキトーに組み合わせられたのではなく、精緻な自然観察を巧みに物語に織り込んだ、「修辞の天才」紫式部の真骨頂である、と私は思います。
平安末期の源平合戦を描いた「平家物語」では、ヤマイモの「ぬかご」の比ゆを用いて、平清盛が白河院の<落胤>であることが語られています。
****参照:(注449986)b:ヤマイモの「ぬかご」<処女懐胎><落胤>
源氏物語は平安中期成立ですが、そこにもヤマイモが出てきます。
***「ところ(野老)」<ヤマイモ><処女懐胎><不義の子>***********
(朱雀院8).世をわかれ入りなむ道はおくるともおなじところを君もたづねよ
(三宮5).うき世にはあらぬところのゆかしくてそむく山路に思ひこそ入れ
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それは奇しくも、繁殖戦略が圧倒的に「無性生殖」<竹の子><処女懐胎>に偏った「竹」とともに詠まれます。
柏木と三宮の<不義の子>である薫は、その竹の子をかじって戯れました。
*****「竹の子」<不義の子><薫>*************
(光源氏196).うきふしも忘れずながらくれ竹のこは棄てがたきものにぞありける
「竹の子」<無性生殖><処女懐胎><本来の夫のあずかり知らぬ子><不義の子><薫>
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「ところ(野老)」<ヤマイモ>を<ぬかご><処女懐胎><不義の子>ととらえるように、
紫式部が源氏物語に込めようとした意味を読み解くには、時として生物の生態に関する知識が必要になる、と私は思います。
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私は源氏物語を読んでいて、生物学を学んで良かったと感じたことが二つありました。
ひとつは、上述のような<生態>を背景とした暗示の解釈に関してです。
もうひとつは、紫式部が後世に本当に伝えたかったのは、源氏物語の「ストーリー」では無く、「和歌」だ、と感じたことです。
***「後世に伝えるべき生命の本質」<DNA> *************************************
DNA(遺伝子)からRNAの転写・翻訳を経てタンパク質は合成され、生体内で様々な用途に用いられます。
DNAの塩基配列の変化は、生成されるタンパク質に影響しますが、タンパク質の変化はDNAの塩基配列には影響しません。
この<一方向性>は「セントラルドグマ」(中心教義)と呼ばれます。
セントラルドグマは、生命の本質<主体>が細胞ではなく遺伝子であることを意味しています。
でなければ、そもそもウイルスのような丸裸の遺伝子が増殖するなんてことはありませんよね。
仮に生命の主体が細胞であるなら、状況次第で遺伝子を欠く細胞(生命体)が増殖することもありそうに思えますが、現実にはそんなことは起こりません。
ヒトの生殖細胞は、精子を作るとき、細胞質基質の殆どを捨て去ります。
精子に含まれるのは、遺伝子を内包する核と、鞭毛運動のための微小管とミトコンドリアだけです。
遺伝子(核酸)こそが、次代に伝えられる生命の本質であることが分かったとき、
「個体や細胞にとって、遺伝子は何のために存在するのか?」
という問いは
「遺伝子にとって、個体や細胞は何のために存在するのか?」
へと完全に逆転しました。
次世代に伝わる<生命>を担う物質の本体はDNAであり、細胞質基質や核膜やミトコンドリアではないからです。
ミトコンドリアもリボゾームも、ゴルジ体も核膜も、目も胃も頭髪も、指も膝も、、、、全ては、遺伝子を次代に伝えるために作られたのであって、その逆ではありません。
これは「生物学におけるコペルニクス的転回」とでも言うべきパラダイムシフトでした。
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源氏物語の遺伝子は、和歌であって、地の文やストーリーではありません。
地の文は、和歌の真意を保護しつつ、かつ、同世代の人々や次代に伝えるために存在する外被に過ぎません。
我々は、源氏物語を読み解くに当たって、
「ストーリーや地の文にとって、和歌は何のために存在するのか?」
という問いを
「和歌にとって、ストーリーや地の文は何のために存在するのか?」
へと逆転しなければなりません。
遺伝子が初めにあって、それが様々な物質を作り、遺伝子を取り囲む細胞を築き上げていったように、
和歌の真意が初めにあって、それを<保護しつつ伝える>ように周りの地の文が出来上がり、最終的に「源氏物語」が出来上がったのだ、と私は思います。
皆さんの手元にある「国語便覧」を見てみてください。
そこには、中古の文学は「和歌が感動の中心」と書いてあるはずです。
我々は、この言葉の意味を、今一度強く意識すべきかもしれません。
源氏物語の<遺伝子>は「ストーリー」や「地の文」ではなく、「和歌」です。
紫式部は、フレームワークとして大まかなあらすじを考えた後は、本当に伝えたい<真意>を包み隠した「和歌」をまず配置し、次にそのアブナイ<真意>があからさまには分からないように、地の文でなんとか間を埋めて物語の体裁に纏め上げたのだと私は思います。
それは、生命の本質であるDNAが、自らの周囲に、核膜、ゴルジ体、ミトコンドリア、細胞膜、、、など様々な細胞小器官を生み出し、今度はその細胞内小器官たちが、DNAを取り囲んで保護している姿に例えられます。
源氏物語はこのような創作過程を経たからこそ、こんなに冗長になり、脱線も多く、また場面の間での断層、チグハグさ、ツギハギ感が残ってしまったのだと私は思います。
源氏物語は、形式的にも斬新な「実験小説」だった、と私は思います。
我々は、<隠しつつ伝える>ために細断されて源氏物語の中にちりばめられたDNAの断片である「和歌」を拾い上げて解釈し、紫式部の伝えたかったことを再構成しなければなりません。
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私は、生物学で上記のパラダイムシフトを学んだ時、目から鱗が落ちる思いがしました。
そして、この実感がなければ、源氏物語の読解における、<ストーリーから和歌へ>という発想の転換に至ることは無かったと思います。
この仮説が正しいのかどうかは、紫式部亡き今となっては分かりませんが、少なくとも私にとっては、ストンと「腹に落ちる」とらえ方です。
というのは、登場人物も異常に多く、冗長で、脱線だらけ。そんなツギハギ感に満ちた文章を素直に眺めるなら、ストーリー中心主義の立場が、むしろ不自然であるように思えるからです。
一本のあらすじに従って、最初から一貫したストレートな話にまとめるのなら、源氏物語は、よほどスッキリした形で、しかも現在の五分の一程度の分量で出来るのでは無いでしょうか。
それは、単一の結晶の種から成長した巨大単結晶のようなものです。
****参照:(注337746):「巨大単結晶」と「多結晶」
源氏物語の構成は、単結晶的ではなく、岩石的であることは明らかです。
ストーリー中心主義の立場を取るのであれば、このランダム性、不連続性の理由を説明しなければなりません。
もっと単刀直入に言えば、紫式部のような言葉の達人が、なぜこんなのたうちまわったような、一見ぶざまな文章を残したのかを説明しなければなりません。
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源氏物語を読むに当たって、生物学を学んでよかったと思ったことをまとめると、
(1)「暗示」の解釈における生態知識の活用
(2)「ストーリー」から「和歌」への発想の転換
となります。
そして、私にとって、(2)は(1)よりはるかに根底的な意味を持ちました。
なぜなら、源氏物語には、生物の生態による暗示だけでなく、「正史」の陰に葬られた<歴史の真相>もちりばめられているように感じられたからです。
そして、それは架空の物語の中の色恋沙汰を語る気楽さとは比べ物にならない、紫式部自身がその只中にいる宮廷貴族社会への反逆、自らも末裔として連なる藤原氏一族の独裁政治への、命がけの攻撃だったと思われたからです。
これについては、他のファイルで、主に<鎮魂>のテーマとして述べられていますので、そちらをご参照下さい。
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***「九重」<幾重にも><内裏><宮中>***********
(伊勢大輔).古の奈良のみやこの「八重」桜 けふ「ここのへ」に匂ひぬるかな (詞花集、一、春、27、伊勢大輔)
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「ここのへ(九重)」<宮中><内裏><皇居の所在地><都><九つ重なっていること><幾重にも重なっていること>
(伊勢大輔)A.
かつての奈良の都に咲き匂った八重桜が、今日はこの平安京に咲いたよ。
対比:
「古」と「今日(けふ)」
「いにしへ(往にし辺)」と「ここのへ(此処の辺)」
「八重」<八重咲き>と「九重」<九重咲き><内裏><平安京>
「奈良」と「京(きゃう)」
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試しに、通常の句切りから一旦離れて、「句割れ」「句跨ぎ」を仮定した解釈の練習をしてみましょう。
****参照:(注330071):「句割れ」と「句跨ぎ」
古の奈良のみや この八重桜 けふここのへに匂ひぬるかな
(伊勢大輔)B.
昔の奈良だけだろうか。この八重桜は。いや、今日は(京の)内裏にも咲き匂っているよ。
通常の句切りに戻しましょう。
(伊勢大輔)D.
古代の奈良の都の八重桜が、今日、(京の)内裏では、(八重咲より華やかに)九重に咲いているよ。
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「藤原種継殺害事件」(785年)に始まり、平安京遷都(794年)を経て、
「承和の変」(842年)、「応天門の変」(866年)で、藤原氏以外の有力な面々が政局からごっそり除外されました。
その後は橘広相「阿衡の紛議」(887年)、菅原道真「昌泰の変」(901年)、源高明「安和の変」(969年)で他氏排斥は完了です。
道長の時代に藤原貴族政治は絶頂期を迎えます。
紫式部が源氏物語や紫式部日記を書いたのは、まさにその絶頂期の頂点、道長の娘の彰子が、一条天皇の皇子を出産した頃でした。
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(藤原道長).この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることも無しと思へば
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奈良から京への、首都の地理的な移り変わりは、
藤原氏の権力掌握が強化徹底される時間的過程と、奇しくも一致します。
地理的な移動だけでなく、奈良(天皇家の時代)から京都(摂関家の時代)への移り変わりを、
<八重から九重へと、より華やかになった>「藤原家」の栄華を讃えているようにも見えます。
(伊勢大輔)E.
古代の奈良の都<平城京>の八重桜が、今日は(京<平安京>で)、(八重咲より華やかに)九重に咲いているよ。
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***「冷泉帝」<他氏排斥の完成>「負の業績」*********
冷泉帝の治世で、源氏(他氏)の最後のエース左大臣源高明が謀反で免職、これで藤原氏に逆らう他氏は根絶された。
冷泉帝は大した事績はないが、この「負の業績」において、平安時代(藤原摂関政治)を象徴する天皇となった。
(参考:井沢元彦「天皇の日本史」)
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***「冷泉天皇」と「源氏物語」*****************************
臣籍降下して源氏となった主人公の光源氏が女性遍歴のあげく、天皇である父親の妻の一人(つまり自分の義母)と不倫関係になり、その間に生まれた不倫の子がなんと天皇になり、その天皇によって光源氏は臣下の身でありながら准太政天皇つまり「名誉上皇」に出世するという物語なのである。
実際には当時、源氏は藤原氏に敗れ藤原氏の天下が確立していた。しかし、この「物語」の中では源氏が逆にライバルに完全な勝利をおさめるのだ。。。(中略)。。。
生前に右大臣だった菅原道真を神様に祭り上げたように、藤原氏は実際には追い落とした源氏一族を「物語の中で勝たせてやった」のである。その証拠に物語の中で天皇になった光源氏の不倫の子は何と呼ばれているか?
冷泉帝、すなわち冷泉天皇なのである。「源氏物語」はフィクションだから藤原氏のことも「右大臣家」とぼかしている。にもかかわらず光源氏の子については現実に存在した冷泉のし号をそのまま使っている。
では、現実の冷泉の治世に何があったか? 源氏の最後のエース源高明が失脚(安和の変)したではないか。つまり「源氏物語」とは、「関ヶ原で石田三成が勝った」という話であって、それを「徳川陣営」が作るというのが、外国にはまったく見られない日本史の最大の特徴の一つなのである。
(井沢元彦「天皇の日本史」)
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(一時的とはいえ)皇統に自らの血を流し込んだ、という意味での光源氏の成功の象徴が<冷泉帝>であり、現実の歴史ではなった者がいない「准太政天皇」の位すら賜ることが出来たのもその冷泉帝の計らいによるものでした。
源氏物語の登場人物のモデルを実際の歴史に探し求める「モデル探し」が今まで盛んに行われてきました。
それは、それぞれの登場人物の具体的な行動や性格を、実在の歴史上の人物と比べてその異同を論じる、というものでした。
しかし、井沢元彦さんのアプローチは、それらとは次元が異なります。
「歴史上実在した冷泉天皇の、個々の具体的な事績」を、「源氏物語の登場人物である冷泉帝の個々の行為や性格」と比べるのではなく、
「歴史上実在した冷泉天皇の治世が<象徴>する<他紙排斥の完了>」を、「源氏物語全体のテーマ<他氏の鎮魂>」と照合させる、
という、メタレベルのアプローチでした。
そして、それは、「現実の冷泉天皇の治世の歴史的意義付け」と、「源氏物語が書かれたそもそもの動機<鎮魂>」とを、見事に符号させています。
私は、これほどクリアー、かつ通常の解釈の発想とは次元を異にする、源氏物語解釈に出会ったことがありません。
ここへ来て、源氏物語の解釈は、「比喩」から「象徴」へと脱皮(昇華)した、とでも言うべきでしょうか。
氏の解釈が正鵠を射ているそもそもの理由は、
「源氏物語は、<文芸><文学><美学><色恋>のために書かれたのではなく、<社会>のために書かれた」
の一点に尽きる、と私は思います。
「源氏物語」の、いや、紫式部の視線の先にあったのは、<文芸><美学><色恋>ではなく<社会><政治>だった、と私は思います。
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源氏物語は「ちぎり」の物語です。
しかし、それは、<男女の色恋>の物語、<恋バナ>という意味ではありません。
源氏物語では、
「ちぎり(契り)」<絆(血筋、血縁)を結ぶこと>というコトバが、
「ちぎり(血切り)」<絆(血筋、血縁)を断ち切ること>
という、<正反対の意味>を、時に背負わされて暗号に組み込まれています。
「皇統断絶」とは、<天皇家の血筋が途切れる>ということであり、
「他氏排斥」とは、藤原氏が<他氏と天皇家との血縁を遮断する>ということです。
そして、「皇統断絶」と「他氏排斥」という二つの「血切り」が、源氏物語の<鎮魂>の二大テーマとなっています。
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(光源氏85).別れしに悲しきことは尽きにしを またぞこのよのうさはまされる
(夕霧21).ことならばならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと
(落ち葉の宮1).かしは木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿のこずゑか
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「皇統断絶」については、これらの歌のファイルをご参照下さい。
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(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを
(花散里5).結びおくちぎりは絶えじおほかたの残りすくなきみのりなりとも
(薫57).法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな
(薫5 大島本).手にかくるものにしあらば藤の花 松よりまさる色を見ましや
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「他氏排斥」については、これらの歌のファイルをご参照下さい。
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奈良から京への、首都の地理的な移り変わりは、
奇しくも、藤原氏の権力掌握が徹底強化される時間的過程と一致します。
道真は「昌泰の変」(901年)で、高明は「安和の変」でともに大宰府に左遷されましたが、共通点は他にもあります。
それは、政権から藤原氏の勢力を削ごうとした、という点です。
また、どちらも、藤原氏側の謀略と考えられています。
(坂口由美子「蜻蛉日記」など)。
ちなみに、源高明の自宅は西宮の豪邸で、右京四条にあったそうですが、流罪のなんと三日後に焼失しました。
道真の和歌で、最もよく知られているのは、皮肉にも「梅の花」の左遷の歌です。
***「梅の花」*********************
(菅原道真).こち吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなきとて春な忘れそ
「こち」とは<東風>。京から西方の大宰府の方に吹く風を意味します。
@(菅原道真)A.
(春になり)東風が吹いたら、香りを(京から西方にある九州の大宰府に)送ってくれよ、梅の花よ。
主人がいないからといって春を忘れてくれるなよ。
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***「文芸」<鎮魂>**************************************
道真公は筑紫の地で客死しました。
その後、謀略に関わった藤原氏一派は、病死や落雷など、様々な災厄に見舞われます。
当時それは道真公の祟りだと考えられました。そして、その怨霊の鎮魂のため、道真公を祀った北野天満宮が建てられるに至ります。
紫式部が生きた平安中期は他氏排斥を完了した藤原氏による摂関政治の全盛期でした。
賜姓皇族の源氏一族は、もはや中央の政権中枢には手が届きません。
そのような背景の中、藤原道長が、「源氏」の祟りを恐れて、その怨霊の<鎮魂>の為に書かせた(書かれた)のが「源氏物語」である、と井沢元彦さんはおっしゃっています。
それほど日本では、「怨念」「祟り」が恐れられていた、ということです。
「北野天神縁起絵巻」<菅原道真の鎮魂>
「源氏物語」<源氏の鎮魂>
「平家物語」<平氏の鎮魂>
「奈良の大仏」<長屋王など、藤原氏に関係する怨霊の鎮魂>、<光明皇后は男児を産めなかった→効き目なし→京都に遷都>
ちなみに、このような、「勝てば官軍」の勝者側が、事後的に敗者に「花を持たせる」ようなことは外国ではまず見られないそうです。
殷の最後のチュウ王が暴虐の限りを尽くしたため、周の諸侯のひとつであった後の武王がそれを倒した、として周の政権樹立を正当化しました。(井沢元彦「源氏物語はなぜ書かれたのか」)
逆に、平家が滅んだあとに書かれた我が国の「平家物語」には、戦における平家の武士の活躍や、平家の人間たちへの憐れみを禁じ得ないような場面が数多く描かれています。
また、ドナルド・キーンさんによると、敗者側を克明に描写した軍記物は、世界中でただひとつ「平家物語」だけなのだそうです。
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****参照:(注227791):「菅原道真」関連年表
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ちなみに、藤原兼家は摂政まで上り詰め、また、道長含む三人の息子が摂政関白となり、二人の娘が天皇に入内した、という権力の中枢にいましたが、
その第二夫人であった藤原道綱母は、「安和の変」に際して、「蜻蛉日記」に興味深い呟きを残しています。
***「蜻蛉日記」(72段)<高明配流><義憤>***********
(蜻蛉日記).
身の上をのみする日記には入るまじきことなれども、「悲し」と思ひ入りしも、誰ならねば、記し置くなり。
@(蜻蛉日記)A.
自分の身の上に関することだけを書く日記には入れるべきではないことではあるけれど、「悲しい」と身にしみて思ったのも、他ならぬ私なので、書き留めておくことにする。
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道綱母も、藤原北家の出ですが、同じ体制側(藤原氏サイド)の彼女から見てすら、「安和の変」<高明流罪>は、義憤を感ぜざるを得ないほど理不尽なものだった、ということなのでしょう。
夫の高明が大宰府に流され、京都にポツンと残された愛宮に、道綱母は同情の長歌を贈っています。
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(蜻蛉日記136 道綱母 長歌).
いへばさらなり ここのへの うちをのみこそ ならしけめ
おなじかずとや ここのくに しまふたつをば ながむらん
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「うち(内)」<内裏><天皇家>
「ここのへ(九重)」<内裏><宮中>
「ここのくに(九州)」<九州>
@(蜻蛉日記136 道綱母 長歌)A.
今さら言うまでも無いことですが、(源高明左大臣は)、
京の「ここのへ(九重)」<宮中>の<内裏>こそ見慣れていらっしゃたのでしょうが、
同じ(「九」という)数と言っても、(見慣れない)「ここのくに(九州)」<九州>で、
二つの島(隠岐、対馬)を、今は寂しく眺めていらっしゃるのでしょうか。
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ところで、当時、言葉は「ことだま(言霊)」とも呼ばれ、口にした瞬間、あるいは文字にした瞬間に「たま(魂)」を持ち、現実のものとなる、と考えられていました。
そのため、「忌み言葉」などと言って、不吉なこと、縁起でもないことを言葉にするのを、当時の人は極端に忌み嫌いました。
また、人の名前「人名」は、単なる言葉、文字列ではなく、本人の<魂そのもの>、と考えられていました。
例えば、不用意に名前を知られると、それを呪詛に用いられる、というような恐れもあり、
職務上どうしても必要な場合や、よほど親しい間柄にならない限り、本名を知らせる、ということはありませんでした。
例えば、紫式部は、父親の官職が式部丞で、書いた物語の登場人物(光源氏の妻)が紫上だから、そう呼ばれていた、というだけで、本当の本名は分かっていません。本名は「藤原香子(たかこ)」だった、という説があるだけで、あくまでそれは当時の公的記録に残る女性と結びつけただけの想像、仮説に過ぎません。
清少納言も、父親の官職名が少納言であったことから、そう呼ばれるようになった、というだけの、いわゆる「通称」「あだ名」の類であって、こちらも本名は不明です。
それは、当時の現実社会だけでなく、「源氏物語」の中の登場人物でも同じです。
例えば、光源氏は、そのまばゆいほどの美しさから、周囲が「光る君」と呼ぶようになった、というだけです。
<姓が源氏、名が光>ではありません。
桐壺更衣は、後宮の桐壺という部屋に住んでいた更衣(女御より下位の妃)だから、
藤壺宮も、同じく後宮の藤壺という部屋に住んでいた中宮だから、そう呼ばれているだけで、本名は源氏物語のどこを探しても載っていません。
六条御息所は、平安京の六条通りに自邸がある、「御息所」<皇子を産んだ女性><皇太子の妃>という意味で、これも本名ではありません。
夕顔は自宅の生垣に夕顔が生えていた、というだけ、
また、朧月夜に至っては、光源氏と初めて会ったのが、朧月夜の晩だった、というだけの話です。
このように、源氏物語の登場人物の呼び名は、基本的に全て「通称」「あだ名」に過ぎないのです。
しかし、主要登場人物の内、ただ一人、本名が物語中に記されている人がいます。
それがこの「玉鬘」で、その本名は「藤原瑠璃(るり)」君です。
***「玉鬘」<藤原瑠璃>**********
例の藤原の瑠璃君(るりぎみ)といふが御ためにたてまつる。。。
(源氏物語「玉鬘」帖)
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唯一本名が分かっている登場人物で、しかもそれが「藤原」一族であることを明瞭に示している玉鬘に対して、
冷泉帝は興味深い言葉を掛けています。
しかも、それは、この和歌(冷泉帝5)の直前にあるのです。
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(地の文).
「かういときびしき近き衛りこそむつかしけれ」
と憎ませたまふ。
@(地の文)A.
「こうまで厳しく見張り番をしているとは、うるさくてかなわぬ」
と(冷泉帝は)ご立腹なさった。
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再度、和歌を並べてみましょう。
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(菅原道真).こち吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなきとて春な忘れそ
(冷泉帝5).九重にかすみへだてば梅の花 ただかばかりも匂ひこじとや
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<他氏排斥の完成>と位置づけられる「安和の変」が起こったのは、上述のように、冷泉帝の御世でした。
この和歌の詠み手が冷泉帝であることは、興味を引きます。
「ここのへ(九重)」は、「ここのへ(此処の辺)」を連想させます。
「ここのへ(此処の辺)」<ここら辺り>
道綱母の長歌に見られるように、
「ここのへ(九重)」は、同じ数「ここの(九)」によって、
「ここのくに(九州)」をも連想させます。
「ここのへ(九重)」<内裏><宮中>
「ここのくに(九州)」<九州>
(冷泉帝)「かういときびしき近き衛りこそむつかしけれ」
<こうまで厳しく見張り番をしているとは、うるさくてかなわぬ>
視界を遮る「霞」は、大宰府の道真公の前に立ちはだかり、京の朝廷との関係を遮断する<藤原氏>を連想させます。
それはまさに、「ちぎり(血切り)」の世界です。
配流からわずか二年後に、道真は失意の内にかの地で客死しました。
道真公の<鎮魂>の観点で、この歌を解釈してみましょう。
「ここのへ」<ここら辺り><ここのくに(九州)の辺り>
九重 梅の花 斯ばかり
ここのへに かすみ へだてば うめの花 ただ かばかりも 匂ひこじとや
此処 辺 "産め"の花 香ばかり
ここのくに 産まぬ花 薫ばかり
九州
(冷泉帝5)E.<鎮魂>
ここら辺り(九州)と内裏との間を、<藤原氏>という「霞」が隔てているので、
梅の花はこれっぽっちも、ただ匂すらも送って来てくれないのだろうか。
(朝廷の事情は殆どこちらに伝わって来ないよ)
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「花」と「匂ひ」の歌を思い出しましょう。
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(菅原道真).こち吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなきとて春な忘れそ
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(伊勢大輔)の歌に戻ってみましょう。
「ここのへ(九重)」は、「ここのへ(此処の辺)」を連想させます。
「ここのへ(此処の辺)」<ここら辺り>
道綱母の長歌に見られるように、
「ここのへ(九重)」は、同じ数「ここの(九)」によって、
「ここのくに(九州)」をも連想させます。
「ここのへ(九重)」<内裏><宮中>
「ここのくに(九州)」<九州>
道真公の<鎮魂>の観点で、この歌を<読み替え>てみましょう。
「ここのへ」<ここら辺り><ここのくに(九州)の辺り>
としてみましょう。
(伊勢大輔).古の奈良のみやこの「八重」桜 けふ「ここのへ」に匂ひぬるかな
(伊勢大輔)F.<鎮魂><読み替え>
古代の奈良の都<平城京>の八重桜が、今日は「ここのへ」<ここのくに(九州)の辺り>にも匂いを送っているよ。
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冷泉帝の后となった梅壺女御(秋好中宮)は、
「うめ(産め)」を連想させる「うめ(梅)」の字を名に持ちながら、
皮肉にも皇子を産めませんでした。
そして、皇統における冷泉帝の血は、そこで途絶えました。
梅壺女御とは逆に、玉鬘は将来多くの子を産むことになる女性として、源氏物語に登場します。
その玉鬘に懸想する冷泉帝の和歌に、(冷泉帝5)Cのように、
皇子を産めなかった梅壺女御の残像が重なるとしたら、
これほど鮮やかな皮肉はありません。
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また、上述のように、源氏物語では、
「ちぎり(契り)」<絆(血筋、血縁)を結ぶこと>というコトバが、
「ちぎり(血切り)」<絆(血筋、血縁)を断ち切ること>
という、<正反対の意味>を、時に背負わされて暗号に組み込まれています。
「皇統断絶」とは、<天皇の血筋が途切れる>ということであり、
「他氏排斥」とは、藤原氏が<他氏と天皇家との血縁を遮断する>ということです。
<他氏排斥の完成>と一般に位置づけられる「安和の変」が起こったのは、冷泉帝の御世においてでした。
その意味では、冷泉帝は、<他氏排斥>を象徴する天皇であるとも言えるでしょう。
冷泉帝が「梅の花」を詠む和歌に、(冷泉帝5)Eのように、
失意の道真公の漏らした嘆息が、幻聴のように重なるとしたら、
これまた「修辞の天才」ならではの、鮮やかな皮肉と言えるように、私には思われます。
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メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など
あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。
連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。
詳細は「連想詞について」をご参照下さい。
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「梅の花」<玉鬘>
「かばかり(香ばかり)」<香だけ>
「かばかり(斯ばかり)」<これだけ>
「九重」<幾重にも><内裏><宮中>
「十重(とへ)」
「訪へ(とへ)」<訪問して下さい>
*****「十重(とへ)」「訪へ(とへ)」<訪問して下さい>*******************
(道綱母272).誰かこの数は定めしわれはただ 「とへ」とぞ思ふ「山吹」の花 (蜻蛉日記)
「とへ(十重)」<十重><花弁が十枚に重なった>
「山吹」<八重山吹>
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「匂ふ(にほふ)」<匂う><香る><視覚的な美しさ><(花が)色づく><(色が)映える(はえる)>
***「八重山吹」<不稔>***********
(秋好中宮5).こてふにもさそはれなまし心ありて八重山吹をへだてざりせば
(秋好中宮の侍女1).風吹けば波の花さへいろ見えてこや名にたてる山ぶきの崎
「山吹」<八重山吹><不稔><子を産まない女><秋好中宮><紫上>
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「うめ(梅)」
「うめ(産め)」<産む>の命令形
「天皇の妃」<この世で最も懐妊が待ち望まれる>
「うめの花」「"産め"の花」
「"産め"の花」<"産め"と言われる花><"産め"と言われ続ける不稔の梅><"産め"と言われ続けても産めない梅壺女御><石女(うまずめ)の秋好中宮>
「ことなることなきこと」
「こと(子と)」
「なる(生る)」<(実が)生る><子種が出来る>
「匂ひ」<匂><香り><咲き匂うこと><美しく映えること><栄えること><栄華><風情><品格>
花は植物の生殖器官で、種子を作るために存在します。
逆に言うと、種子=子種の出来ない八重咲きの花は、人間の目には美しくとも、その植物体にとっては存在価値が無い、ということです。
「匂ひ」<花が咲き匂うこと><子を産み栄えること><懐妊の気配>
としてみましょう。
「九重」<宮中><花びらが幾重にも重なる八重咲き><不稔><不妊>
「かすみ(霞)」「かす(糟)」「み(実)」
「かす(糟)」<カス><絞りかす><中身の無いこと>
「かす(糟)」接頭辞(人を表す語について、ののしり、卑しめる)<つまらない><とるに足りない>(かす侍、かす奴、かす禰宜(下級神官)など)
「かすみ」
「かす(糟)」「み(実)」<カスの実><不稔の実>
「霞の衣」<霞が山に掛かるのを衣服に見立てた表現>
「かすみ(霞)」を「すみ(墨)」と掛けて、
「霞の衣」<喪服>
「梅の花」<玉鬘>
「梅の花」<八重咲きの梅><梅壺女御><不稔の妻>
「香(か)」「薫(か)」
「かばかり(香ばかり)」<薫ばかり>
「にほひ(匂ひ)」<匂宮>
「匂宮」<源氏の実の孫><源氏の真の血縁者>
「薫」<柏木の子><源氏の孫ではない>
「霞」<冷泉帝の出自の疑惑>
***「九重」<幾重にも><内裏><宮中>***********
(伊勢大輔).古の奈良のみやこの「八重」桜 けふ「ここのへ」に匂ひぬるかな (詞花集、一、春、27、伊勢大輔)
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対比:
「古」と「今日(けふ)」
「いにしへ(往にし辺)」と「ここのへ(此処の辺)」
「八重」<八重咲き>と「九重」<九重咲き><内裏><平安京>
「奈良」と「京(きゃう)」
源氏物語では、
「ちぎり(契り)」<絆(血筋、血縁)を結ぶこと>
「ちぎり(血切り)」<絆(血筋、血縁)を断ち切ること>
「皇統断絶」<天皇家の血筋が途切れる>
「他氏排斥」<藤原氏が他氏と天皇家との血縁を遮断する>
「うち(内)」<内裏><天皇家>
「ここのへ(九重)」<内裏><宮中>
「ここのくに(九州)」<九州>
「ここのへ(九重)」「ここのへ(此処の辺)」
「ここのへ(此処の辺)」<ここら辺り>
「ここのへ(九重)」
「ここの(九)」
「ここのくに(九州)」
「ここのへ(九重)」<内裏><宮中>
「ここのくに(九州)」<九州>
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ここまで。
以下、(注)
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