(注555556):「海街diary」のトリコロール:「白」「黒」「赤」
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白のアントニム(反意語)は黒。
でも、黒のアントは赤。
(太宰治「人間失格」)
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「海街diary」「海」「梅」「シラス」「しらす(白砂)」
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「おばちゃん、あなたのお父さんとお母さんが羨ましいわ」
「何でですか?」
「だって、あなたみたいな宝物を、この世に残せたんだもの」
(映画「海街diary」)
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映画「海街diary」は、四人もの娘を残した父親の死で始まり、
それとは対照的に、一人も子を残せなかった女性(二宮さん)の死で幕を閉じました。
映画にしばしば登場した香田家の庭の「うめ(梅)」は、「うめ(産め)」を連想させます。
祖母の漬けた十年ものの梅酒が、同じく十年越しの、長姉と母親との確執を氷解させたシーンは印象的です。
大粒で硬い結晶の氷砂糖が、ゆっくりと時間をかけて、表面から琥珀色の梅酒の中に溶け出し、そして、梅の実の中に徐々に浸み込んでゆくように、
雪解けには時間がかかった、ということなのかも知れません。
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時間が必要だったんじゃない?
(映画「海街diary」)
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その十余年の歳月は、長姉のサチが引き取った異母妹のスズが、この世に生れ落ちてから成長してきた年月とも、当然ながらほぼ重なります。
スズの鬱積した思い、あるいは、思春期を迎え、抑え切れなくなった「自我」を解き放ったのも、他ならぬその梅酒でした。
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よう子さんなんて大っ嫌い。
お父さんのバーカ!
(映画「海街diary」)
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ラストシーンで、二宮さんの葬儀からの帰り、姉妹たちの黒い喪服と、くっきりコントラストをなす、「生」のきらめきに満ちた浜辺、まばゆいばかりの「白砂(しらす)」の「うみ(海)」は、「うみ(産み)」をも連想させます。
黒と白のコントラストは、映画の序盤で、うっすらと雲が広がる白い空をバックに、火葬場から黒い煙が立ち上っていた、父親の葬送シーンを思い出させます。
また、その葬儀会場では、黒一色の喪服の中、スズのセーラー服のリボンだけが、赤く目を引きました。
まるで、「シンドラーのリスト」での、少女の赤い服のように。
***「黒」<死>「赤」<生> *************
黒と赤の対比は、順天堂医大の入試小論文で、数年前に出題された「黒服の男と二つの赤い風船」の<強烈なコントラスト>をも連想させます。
「黒」は「死」、「階段を上る黒服の男」は、<昇天しつつある患者>
「赤」は「生」「命」、「手すりに結わえられた二つの赤い風船」は、<臓器移植用の二つの腎臓><命の置き土産>
を象徴していたように、私には思えます。
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父親の葬儀、祖母の七回忌、二宮さんの葬儀、と仏事のシーンだけで、都合三度もあり、
また、その合間にも、長姉のサチが、病院で看護婦として患者を看取ったり、新設されるターミナルケア病棟での勤務を婦長から打診されたりと、
この映画では、「死」の匂いが、舞台のそこここに立ち込めています。
まるで抹香の香りが漂って来るようにすら感じるほどに。
しかし、だからこそ「生」のきらめき、「命」の輝きが際立つのでしょう。
地元のサッカーチーム「オクトパス」(タコ)の中学生達が、その名の通り赤色のユニフォームで、小気味良いテンポのBGMとともに、フィールドを縦横に駆け回る光景は、逆に若い命の躍動感そのものです。
二宮さんから、最後の「アジの南蛮漬け」を土産に受け取り、スズは花火大会に向かいます。
漆黒の海面は、スズの乗った船の周りだけ、花火を映して赤色に染まります。
二宮さんの最期を思わせる「黒」を背景として、「赤」はスズが受け継いだ「命」をも連想させます。
花火の明かりに照らされて、スズの頬も赤く染まります。
しばしば登場するシラス(カタクチイワシの稚仔魚)だけでなく、南蛮漬けのアジも、人間の食べ物は全て「生き物」「命」です。
「生シラス丼」や、「シラスのせトースト」など、
鎌倉という土地柄ゆえ、映画では「シラス」がしばしば登場します。
ところで、
シラスはカタクチイワシなどの稚仔魚ですね。
映画ではシラス漁のシーンもありますが、網一杯の大漁のシラスは、豊穣な「うみ(海)」が正に「うみ(産み)」であることを、我々に思い出させます。
サチが作る、宮子から教わったシーフードカレーも、チカが作る竹輪(ちくわ)カレーも、材料は、ともに豊かな海の恵みです。
「海の幸」だけに。
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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、「海街diary」の話題をわざわざ付け足しました。
長い前フリですみません。
とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。
****参照:(注88897)b:「女」「母」「海」「梅」
まあ、親父ギャグのできばえはさておき、話を戻すと、
シラス丼のご飯は、米、すなわち多数の稲の種子ですし、
トーストのパンの原料は、小麦粉、すなわち大量の小麦の種子の粉末です。
スズにとって、父の思い出のメニューのシラス丼は、まさに目一杯、溢れんばかりの<命>の象徴だったわけです。
****参照:(注77116):「文芸」<鎮魂>小野篁「子子子」「こ」「し」「ね」
鰯の赤ちゃんで溢れるシラスは、まさに、「子子子子子子子子子子子子」ですね。
四人もの娘を残した子沢山の父親だからでしょうかww
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「生シラス丼」にしろ、「シラスのせトースト」にしろ、あるいは、「梅の実」にしろ、
そうした動植物の「赤ちゃん」を(大量に)食べて、生き物は「命のリレー」をつなげているわけですが、
同時にそれは、我々の業(ごう)でもあります。
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朝焼け小焼けだ
大漁だ
大羽鰯の大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
鰯の弔いするだろう。
(金子みすず)
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梅の実を酒に漬けたのが梅酒ですが、
その酒の原料も、米ですね。
梅を育てるには、梅の木についた毛虫を除く(=殺す)必要がありますが、
その毛虫は蝶や蛾の幼虫、すなわち「赤ちゃん」です。
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サチ:(梅を育てるには)、毛虫取ったり、消毒したり。生きてる物は、みんな手間がかかるの。
チカ:あ、それおばあちゃんの口癖。
(映画「海街diary」)
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人間二人だぞ!
(映画「シンドラーのリスト」)
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詳細は「地に足の着いた話の進め方」のファイルをご参照下さい。
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映画「天使の処刑人」の冒頭では、黒のコートとブーツ、白のパンツというコントラストを背景に、赤のヨーヨーがアクセントとなり、鮮烈な印象を与えます。
二人の処刑人は、黒と白のシスター(修道女)の出で立ちで、白地に赤のロゴ(その名も"Righteous Pizza")の箱のピザを宅配し、そこで「仕事」にかかります。
黒い銃から火花が散り、白い廊下に赤い血が流れます。
最後にトドメを刺したのは、赤い消火器でした。
現場で拾った黒い子犬を「Whitey」と名づけ、二人はそれを飼い始めます。
「白」「黒」「赤」のコントラストは随所に現れます。
でも、透き通るように肌の白いこの二人の少女の、目だけがともに鮮やかなブルーであるのは、ひときわ印象的です。
青と言えば、磔刑のイエスを看取ったマリアの装いも、しばしば青色で描かれますね。
ピザの白い箱には、赤字のロゴの両脇に、黒い十字架が描かれていました。
飛行機の墜落事故現場を背景にした、フライトアテンダントの青いユニフォームも目を引きます。
葬儀に向かうチカのリュックも青でしたね。
黒地に白抜きの看板と赤い花が飾られた洋服店で、
最後に二人は念願のダークブルーのお揃いのドレスを買いました。
青は、写真立てに飾られた、男の娘の服の色でもありました。
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ところで、
ご存知の通り、連用形は転成名詞としても用いられますが、
「うみ(海)」が「うみ(産み)」を、
「まち(街)」が「まち(待ち)」を連想させることは、興味を引きます。
「うみ(海)」は「うみ(倦み)」をも連想させますね。
「うみまち(海街)」は、「うみまち(産み待ち)」「うみまち(倦み待ち)」をも連想させます。
<うんざりするほど待ちくたびれても、やはりまだ諦め切れない>、
そんな女性の気持ちを連想してしまうのは、私だけでしょうか。
でもまあ、これは考え過ぎかも知れませんね。
何でも自由にものが言える現代においては、紫式部の時代ほど、真意を何かで覆い隠す必要は、そもそも無いわけですから。
詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。
***「まつ(松)」「まつ(待つ)」**********
(明石尼君3).身をかへてひとりかへれる山ざとに聞きしににたる松風ぞふく
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日頃から親しくしている「大船の大叔母さん」はじめ、周囲は、アラサーのサチが「行き遅れる」「売れ残る」心配を、折に触れ口にしました。
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大船の大叔母さん:これでまた、嫁に行くのが遅れるわ。。。
ヨシノ(次姉):お願いしますよ。下がつかえてるんだから。
(映画「海街diary」)
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サチは、父の死をきっかけに、異母妹のスズを引き取り養育します。
両親はとうの昔に家を出て、その後親代わりとして姉妹を育てた祖母も他界し、
長姉のサチは、今や実質香田家の家長であり、スズは、妹でありながら、サチの養子である、という見方も出来るのかも知れません。
看護婦だったサチは、長年不倫の関係を続けてきた同僚の男性医師と離れることになりました。
その理由は、様々あるのでしょうが、最大の理由は、スズの存在だったようにも見えます。
スズを育てなければならない、とか、香田家を壊したスズの実母のように、家庭のある男と関係してはいけない、とか、色々な面がありますが。。。
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妹は妹でも、あの子はあなたの家庭を壊した人の娘さんなんだからね。
(映画「海街diary」)
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ごめんなさい。
奥さんのいる男の人を好きになるなんて、お母さん良くないよね。
(映画「海街diary」)
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そこには、サチが、父親、あるいは恋人を失った代わりにスズを得た、という、ある種捩れた交換関係が見て取れるようにも思えます。
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お父さんって、優しい人だったのかもね。
だって、こんな妹を残してくれたんだもん。
(映画「海街diary」)
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それは、紫上が、源氏を明石上にもっていかれる代わりに、明石姫君を得た、という「歪んだ交換関係」をも連想させます。
紫上と明石上との間の「反転対称のきしみ」については、下記和歌のファイルをご参照下さい。
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(明石上12).ふる里に見しよのともを恋ひわびてさへづることをたれかわくらん
(明石尼君3).身をかへてひとりかへれる山ざとに聞きしににたる松風ぞふく
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明石姫君:
ごめんなさい。
奥さんのいる男の人を好きになるなんて、お母さん良くないよね。
(映画「海街diary」換骨奪胎版)
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私がいるだけで、傷ついてる人がいる。
時々、それが苦しくなるんだよね。
(映画「海街diary」)
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♪柱の傷はおと年の~
ではありませんが、今まで姉妹の成長を刻んできた柱に、スズが背中を重ねる姿は印象的です。
そこにスズの背丈をサチが刻んだのは、わだかまりを捨て、スズを香田家に本当に受け入れた、言わば「儀式」のようにも、私には感じられました。
スズの背丈は、15歳当時のサチと、ほぼ同じでした。
サチの父が愛人を追って香田家を出、程なく母も家を飛び出して別の男のもとに走ったのは、丁度その頃です。
そして、サチは、人並みの少女時代を奪われました。
ちょうど今、目の前にいるスズがそうであるように。
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サチ:あの子、色んなことがあって、子供時代を奪われちゃったのよ。
男性医師:それはサッチャンも同じじゃない?
(映画「海街diary」)
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「柱」のすぐ後のシーンで、サチはスズを連れて近くの丘に登ります。
父の流れ着いた、山形県のかじか沢温泉で、スズに連れられて丘の上に登ったように。
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サチ:お父さんのバカーーっ!
スズ:お母さんのバカーーっ!
(映画「海街diary」)
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サチの父親と、スズの母親が、過ちさえ犯さなければ、この異母姉妹はこんな捩れた関係にはならずに済んだわけですが、
さりとて、その過ちがなければ、サチとスズが出会うことは、いや、スズが生まれることすらなかった、というのもまた事実です。
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お父さんって、優しい人だったのかもね。
だって、こんな妹を残してくれたんだもん。
(映画「海街diary」)
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「王様の耳はロバの耳」ではありませんが、
口には出来ないけれど、胸に溜め込んできた割り切れない思いを吐き出すように、丘の上で、二人一緒に大きな声で叫んだとき、
この異母姉妹は、それぞれの親の過ちを、水に流すことが出来たのかも知れません。
そして、サチはスズを抱擁しました。
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柱にスズの背丈を刻んだ時、サチは「白と黒」のペンギンの絵柄がプリントされたTシャツを着ていましたが、
全体がグレーであったことは興味を引きます。
***「遺伝子」「DNA」<生命の本質> **************
遺伝子こそが、次代に伝えられる生命の本質であることが分かったとき、
(ア)「個体や細胞にとって、遺伝子は何のために存在するのか?」
という問いは
(イ)「遺伝子にとって、個体や細胞は何のために存在するのか?」
へと完全に逆転しました。
次世代に伝わる物質<生命>の本体はDNAであり、細胞質基質や核膜やミトコンドリアではないからです。
ミトコンドリアもリボゾームも、ゴルジ体も核膜も、目も胃も頭髪も、指も膝も、、、、全ては、遺伝子を次代に伝えるために作られたのであって、その逆ではありません。
それは、「生物学におけるコペルニクス的転回」とでも言うべきパラダイムシフトだった、と私は思います。
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****参照:(注555527):「源氏物語」のDNAとは何か?
生命の本質的な単位は、「種」でないのはもちろん、「個体」や「細胞」ですらなく、「遺伝子」<DNA>です。
もしそうなら、「遺伝子」、あるいは「子」を残せれば、仮に「個体」、あるいは「親」が死んでも、その<生命>はまだ絶えていない、と言えるのでしょう。
サチが男と別れ、スズを本格的に引き受けたことが、
仮に<実子を残せない>ことにつながるのなら、
この時点で、サチの<生物>としての<生命>は、途絶への道に一歩足を踏み入れた、ともとらえられるのかも知れません。
「白」が「生」を、「黒」が「死」を象徴する、と仮に見なすならば、
柱に背丈を刻み、スズを真に受け入れた瞬間が、<生物学的>な意味での「死」への第一歩であり、それを色で表せば、「灰色」なのかも知れません。
姉妹が揃って二宮さんの「海猫食堂」を訪れた時も、サチのシャツは灰色であったのに対して、
スズのシャツは、血流を思わせるかのような、白地に赤のストライプでした。
ここにも、「黒」<死>、「白」「赤」<生>という対比が繰り返されているように、私には感じられました。
満開の桜のトンネルを潜り抜けたり、浜辺で桜貝の貝殻を拾ったりと、スズと「桜」は、しばしば一緒に画面に登場しますが、
「赤」と「白」を混ぜると<桃色>、つまり「桜」の色になるのは興味を引きます。
それは、「黒」と「白」を混ぜると<灰色>になるのと対照的です。
サチが、常に「死」が周囲にある看護婦であり、しかも劇中でターミナルケア病棟に転属することになるのは興味を引きます。
ほぼ重なるタイミングで、男と別れ、転属を決意し、そしてスズの背丈を柱に刻みました。
サチの<生物学的>な「死」については後述します。
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いつもグレーだがな。
(映画「ローマの休日」)
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***「孤児」「養子」「白」「ピンク」「グレー」*******
孤児向けのスピーチに「trade relation」?
「若者と進歩」ね。。。
(衣装は)白いレースのドレスと、ピンクのバラのブーケね!
。。。
服はグレーだったか?
そう言えばグレー系でした。
(映画「ローマの休日」)
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抑え切れなくなった自我を、ついに爆発させ、そして公邸を飛び出した夜とはうって変わって、脱走から戻った王女が身に着けたのも、やはり黒でした。
そして、それまで就寝前のお決まりだったクッキーとミルクを断りました。
グレースケールの世界の中でも、ミルクの純白は際立っていましたが。。。
それは、「天使の処刑人」のデイジーとバイオレットが、男からクッキーをもらっただけでなく、さらにミルクまで求めたのと対照的です。まるで、命を受け取るかのように。
ところで、
サッカーチーム「オクトパス」(タコ:8本足)の、スズのユニフォームには、黒字で「8」という背番号が書かれていたのも興味を引きますね。
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***「gray」*********
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ところで、
「松竹梅」や「うめももさくら」は、常套句としてしばしば耳にしますね。
ちなみに、
「松竹梅」は全く異なる植物種ですが、
「うめももさくら」は、全てバラ科の木本です。
****参照:(注664431):「すず」「すず(篠)」<すず竹><篠竹><かぐや姫><隠し子>
スズのシャツの、「赤」を「白」が分断しているストライプ柄のコントラストが印象的です。
アメリカ合衆国の星条旗も、赤地に白のストライプですね。
この赤は、独立前の本国のイギリス、白はその支配を破って独立したところから来ているのだそうです。
スズを演じた女優の「広瀬すず」さんが、
映画「ちはやぶる」の主演でもあったことは、興味を引きますね。
囚人服は、しばしば縞模様で描かれますが、
「縞模様」には、<社会の規範を乱すもの>という含意があるのだそうです。(参考:岡田温司「聖書と神話の象徴図鑑」)
詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。
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(古今集294).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (秋下、在原業平、「伊勢物語」)
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囚人服の派手な色のコントラストは、目立ちやすいので、脱走した時の捜索など、実用的な面でも、確かに好都合かも知れませんね。
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***「九重」<幾重にも><内裏><宮中>***********
(伊勢大輔).古の奈良のみやこの「八重」桜 けふ「ここのへ」に匂ひぬるかな (詞花集、一、春、27、伊勢大輔)
「ここのへ(九重)」<宮中><内裏><皇居の所在地><都><九つ重なっていること><幾重にも重なっていること>
(伊勢大輔)A.
かつての奈良の都に咲き匂った八重桜が、今日はこの平安京に咲いたよ。
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「みやこ」はサチの母親を、「奈良」は「吉野」を通じて、次姉のヨシノを連想させます。
サチを演じた女優の綾瀬はるかさんが、NHKの大河ドラマ「八重の桜」のヒロインでもあったのは、興味深いですね。
さて、
「八重山吹」は、<八重咲きの山吹>です。
一重咲きの普通の山吹の雄しべが肥大して、花びらのようになり、雌しべは退化してしまったため、八重咲きは不稔です。
「こてふ(胡蝶)」<蝶>がいくら受粉を助けたところで、種子<子種>を宿すことは出来ません。
***「八重咲き」<不稔>**********************
七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞあやしき
(後拾遺集・雑5-1154 兼明親王):大田道灌の逸話
蜻蛉日記で、兼家から八重山吹の花を贈られて、その返しに夫人は
(道綱母272).誰かこの数は定めし われはただ「とへ」とぞ思ふ 山吹の花
「とへ(十重)」「とへ(訪へ)」が掛詞になっています。
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「山吹」だけで<八重山吹>を指すこともあります。
***「八重山吹」<不稔>*****************************
源氏が幼少時の紫上(若紫)を見初めたとき、その少女は<山吹襲(やまぶきがさね)>を着ていました。
「白き衣、山吹など萎えたる着て走り来たる女子、、、」
その後、源氏は若紫を養女として引き取り、十四、五歳になると、強引に契ります。
「襲(かさね)」の字は「襲う(おそう)」とも読むのも興味を引きます。
その様は、花弁のように広がった雄しべ(源氏)が幾重にも覆い囲み、雌しべ(若紫)は中で身を縮こませている(退化している)八重咲きの花のイメージに通じます。
そうやって二人は夫婦になり、それから紫上は三十年間源氏に連れ添いましたが、ついに紫上が子を宿すことはありませんでした。
それも「八重山吹」<不稔>のイメージに重なります。
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「八重山吹」は<不稔>を連想させます。
秋好中宮も、紫上同様、子を宿すことができませんでした。
詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。
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(秋好中宮5).こてふにもさそはれなまし心ありて八重山吹をへだてざりせば
(紫上15).花ぞののこてふをさへや下草に秋まつむしはうとく見るらむ
(秋好中宮の侍女1).風吹けば波の花さへいろ見えてこや名にたてる山ぶきの崎
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八重咲きの花は、普通の一重咲きより、姿形は華やかです。
しかし、その外見の華やかさが、<不稔>と表裏一体である、というのは何とも皮肉な話です。
花が咲くのは<生殖><子種を残す>のためで、植物の立場からすれば、それ以外の目的はありません。
八重山吹の花は、まさに「アダ花」です。
「八重咲き」の品種では、雄しべが肥大して、花びらのようになり、雌しべはしばしば退化してしまうため、
山吹に限らず、<不稔><難稔>になってしまうことが少なくありません。
例えば、梅にも桜にも、八重咲きの<不稔><難稔>品種があります。
もっとも、典型的にはソメイヨシノのように、庭木の多くは「挿し木」「接ぎ木」などで増やしますから、必ずしも種が出来なくても、園芸用としては問題ないわけですが。
それはそれとして、サチを演じた女優の綾瀬はるかさんが、NHKの大河ドラマ「八重の桜」のヒロインでもあったのは、興味深いですね。
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それはさておき、
ひょっとして、サチは、この後自分の子を持つことが、無いのかも知れませんね。
まあ、これは原作を読んでいないので分かりません。
あくまで映画の世界の中だけの想像です。
その外挿が外れていて欲しい、と私は思いますが。
私は原作も読んでいませんし、ましてや、これが「源氏物語」を背景の一部としているかどうかは知る由もありませんから、以下は全くの想像(妄想)として読んで下さい。
まあ、何でも自由にものが言える現代においては、紫式部の時代ほど、真意を覆い隠す必要は、そもそも無いわけですから。
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父親の葬儀が終わり、トンボ返りで鎌倉に向かおうとする三姉妹。
長女のサチが、スズに同居を呼び掛けたのは、電車「べにばな」が発車する間際でした。
ところで、
源氏物語の登場人物に、「末摘む花」という女性がいます。
「末摘む花」とは「くれなゐ(紅)」<ベニバナ>の別名で、茎の末端に咲いた花の方から順に摘み取っていくので、この名が付きました。
「花」は、オシベとメシベが受粉し、種子を造るための「生殖器官」です。
「末摘む花」<ベニバナ>は、茎の先端に咲いた花の方から順に摘み取っていくので、この名が付きました。
ところで、
「すゑ(末)」には、<末端>の他、<子孫><末裔>の意味もあります。
「すゑ(末)」<末端><先端><結末><子孫><末裔><和歌の下の句>
「末摘花」の別名の「くれなゐ(紅)」<紅>が<血の色>であることも興味を引きます。
詳細は下記の和歌のファイルをご参照下さい。
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「唐紅」<紅葉の色>は<鮮血の色><天皇家の純血>、「水」は「真清水」<増し水><割り水>。
(古今集294).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (秋下、在原業平)
(古今集293).もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き波やたつらん (秋下、素性法師)
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親も亡くなり、手厚い後見などハナっから望めないところに、
輪を掛けて末摘花のような不器量な女の血を引いた冴えない子が、仮に産まれたとしても、
源氏にとって、入内を目論む「后がね」として利用出来る見込みなど、到底ありません。
「すゑ(末)」<子孫><末裔>
「つむ(摘む)」<摘み取る>
「すゑつむ(末摘む)」<子孫を摘み取る><堕胎する><間引きする>
源氏物語における「すゑつむはな(末摘花)」「くれなゐ(紅)」<紅花><末摘花>の名は、<堕胎><堕胎する女><間引きする母>を連想させます。
別名の「くれなゐ(紅)」<紅>が<血の色>であることも興味を引きます。
詳細は、以下の和歌のファイルを御覧下さい。
***<かたはらいたく>*********************
「まして、これはとり隠すべきことかは」
(末摘花1).からころも君がこころのつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ
これを、いかでかは<かたはらいたく>思ひたまへざらむ。。。
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源氏物語における「末摘花」の名は、
「末摘む花」<堕胎する女><間引きする母>
を暗示しているように私には思えます。
そもそも、紫式部は、なぜ彼女に「末摘花」という名前を付けたのでしょうか。
<鼻先が赤いから><紅花を摘むようにその赤い鼻先をつまみたくなるから>だけでしょうか。
しかし、それは表面的な話であって、
紫式部の真意としては、<堕胎する女><間引きする母>をイメージさせるために、この登場人物に「末摘む花」と名づけたのだ、と私は思います。
ところで、
「近江の君」「源典侍」「末摘花」の三人の女性は、源氏物語の三大「おこ」<愚か者>であるとされます。
ともすれば重苦しい雰囲気になりがちな源氏物語の節目節目に挿入された喜劇の一幕、話の展開に緩急をつけるための一服の清涼剤、ととらえられるのが普通です。
末摘花自身が、誰かの子を堕ろしたことが、物語の背景として設定されているか否かはさておき、
「末摘花」は、<堕胎・間引きを強要される女性>を象徴している、と私は思います。
仮に末摘花自身が、堕胎(間引き)の経験がある、としてみましょう。
相手は源氏かもしれませんし、他の男かもしれません。
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(光源氏34).なつかしき色ともなしになににこのすゑつむ花を袖にふれけむ
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詳細は、この和歌の解釈のファイルを御覧下さい。
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ところで、
実子を残せないことは、
彼女たちの血筋が、その代で断ち切られる、という側面もあります。
大船の大叔母さんのセリフは意味深です。
***「ねこ(猫)」「ねこ(根子)」*******
そんな、犬や猫を拾ってくるみたいに。。。
ひとの子を育てるって大変なことよ。
妹は妹でも、あの子はあんたたちの家庭を壊した人の娘さんなんだからね。
これでまた、嫁に行くのが遅れるわ。。。
(映画「海街diary」)
***********************
「すず(篠)」という「ねこ(根子)」を拾ってきたばっかりに、
サチは行き遅れ、ひょっとして「売れ残る」、すなわち、<実子を残せなくなる>かもしれないわけです。
発車間際、スズに同居を呼び掛けた電車の名前が、
「花」<生殖器官>の「末」<子孫>を「摘む」<摘み取る>、
「末摘む花」<べにばな>であった、というシーンは、
サチにとって、<血筋の途絶え>の発端となる、という風にも見える点で、興味を引きます。
「末摘花」の別名の「くれなゐ(紅)」<紅>が<血の色>であることも興味を引きます。
電車「べにばな」の古い車体も、ややくすんだ赤色でした。
詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。
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「唐紅」<紅葉の色>は<鮮血の色><天皇家の純血>、「水」は「真清水」<増し水><割り水>。
(古今集294).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (秋下、在原業平)
(古今集293).もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き波やたつらん (秋下、素性法師)
(夕霧17).なれこそは岩もるあるじ見し人のゆくゑは知るや宿の真清水
(雲居雁4).なき人のかげだに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水
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スズを演じた女優の「広瀬すず」さんが、
映画「ちはやぶる」の主演でもあったことは、やはり興味を引きますね。
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ところで、
♪柱の傷はおと年の~
♪5月5日の背比べ~
の5と5は、55才、という「宮子」の年齢をも連想させますね。
それは、仲哀天皇の没年(54歳)ともほぼ同じです。
まあ、これは考え過ぎでしょうが。
****参照:(注664431):「すず」「すず(篠)」<すず竹><篠竹><かぐや姫><隠し子>
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ところで、
「宮」とは、<天皇家><皇族>の方々に用いられる尊称でもありますが、
「二宮」といえば、同じく実子を残せなかった、「源氏物語」の「落葉宮」を連想させますね。
「源氏物語」では、柏木亡き後の落葉宮未亡人は、夕霧の娘を養育することになりました。
ちなみに、二宮さんの営む、浜辺の「海猫食堂」は、いつも地元サッカークラブの少年少女たちで溢れていました。
そういえば、柏木が三宮を見初めたきっかけは、「猫」でした。
「香田」家の「香」は、柏木と三宮の間の<不義の子>の名の「かおる(薫)」をも連想させますね。
それは、「八日目の蝉」で誘拐された赤子の偽名でもありました。
「大竹しのぶ」演じるサチの母親の名「宮子(みやこ)」が、
「京(みやこ)」「都(みやこ)」をも連想させることは、興味を引きます。
****参照:(注555558):「海街diary」「大竹しのぶ」「広瀬すず」「竹」「かぐや姫」
「宮子(みやこ)」「京(みやこ)」は、「八日目の蝉」の誘拐犯、野々宮希和子の偽名「京子」をも連想させます。
希和子は誘拐した赤子に、源氏物語と同じく「薫」<竹の子><処女懐胎><生まれるはずの無い子>と言う偽名を付けて逃亡の旅を続けます。
(自分につけた偽名の「京子」は<平安京>を暗示しているのでしょうか?
「野々宮」は、源氏物語中、屈指の名文とされる「野々宮の別れ」をも連想させますね。
ちなみに、希和子の相手の男性の名は「たけひろ」でした。)
地下茎を伸ばして増殖する竹にとって、「ね(根)」は「こ(子)」そのものです。
「ねこ(猫)」は「根=子」という暗号なのかもしれません。
***「桓武天皇の即位の宣命」「倭根子(やまとねこ)」*******************
かけまくも畏き現神と坐す倭根子(やまとねこ)天皇(すめら)が皇(光仁天皇)、この天日嗣(ひつぎ)高座(たかみくら)之業を、
かけまくも畏き近江大津の宮に御宇しめしし天皇(天智天皇)の初めたまひ定めたまへる法(のり)のまにまに賜はりて仕奉れ、と仰せ賜ふ。
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第50代桓武天皇は、第49代光仁天皇の息子です。
第40代天武天皇から第48代称徳天皇(女帝)まで続いた天武系の皇統がここで途切れ、第39代弘文天皇までの天智系に戻ります。
詳しくはこれらの歌のファイルを御覧下さい。
****参照:(注21212):「竹」「根=子」「ねこ(猫)」「桓武天皇」「倭根子(やまとねこ)」
*** 乳が出るはずの無い乳房を赤子の口に含ませる紫上 ****************
うちまもりつつ、懐に入れて、美しげなる御乳をくくめ給ひつつ、戯れ給へる御さま、、、
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紫上は、乳の出ない(子を産んでもいない女性に出るわけのない)自分の乳房を口に含ませて、養女の明石姫君(後の中宮)をあやしていました。
***「八日目の蝉」「乳房」「子宮」「がらんどう」*********
最近、源氏物語の現代語訳を出版された角田光代さんの原作による映画「八日目の蝉」。
主人公の野々宮希和子は不倫相手の子を中絶したことがきっかけで、子宮を損ない、二度と子を宿せない身体になってしまいます。
不倫相手の本妻は、子を宿せなくなった希和子のお腹を指して、
「ここは<がらんどう>だ」
と、勝ち誇ったようになじりました。
希和子はあるとき、その不倫相手の男と本妻との間に出来た赤ちゃんを、衝動的にさらって来てしまいます。
その逃避行の途中、ホテルの一室で、泣き止まぬ赤ちゃんをなだめようとして、自分の乳房を含ませます。
しかし、子を産んだばかりでもない女性に、母乳の出るはずはありません。
ましてや、妊娠不能になってしまった希和子に、母乳が出ることは、そもそも永遠にないわけです。
希和子はいつまでも止まない赤ちゃんの泣き声によって、否応なくその事実を突きつけられます。
そして希和子自身も、その赤子以上に大きな声で、泣き出してしまいました。
希和子はその赤子に、源氏物語と同じく「薫」<竹の子><処女懐胎><生まれるはずの無い子>と言う偽名を付けて逃亡の旅を続けます。
(自分につけた偽名の「京子」は<平安京>を暗示しているのでしょうか?
「野々宮」は、源氏物語中、屈指の名文とされる「野々宮の別れ」をも連想させますね。
ちなみに、希和子の相手の男性の名は「たけひろ」でした。)
正式な夫のいない希和子に、子が生まれるはずはありません。
また、子宮が不能になってしまった希和子には、子を宿すことすら出来ません。
「薫」は、社会的にも身体的にも、二重の意味で、<生まれるはずの無い子>だったわけです。
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落葉宮は、子沢山の夕霧の娘(藤典侍腹の六の君)を一人預かり、養育しますが、
夕霧は子沢山で、本妻(雲居の雁)と妾(藤典侍)合わせて、なんと12人の子がいます。
まさに、「子子子子子子子子子子子子」(12×子)です。
それこそサッカーチームが出来そうな人数ですね。
妻の「雲居の雁」が武内宿禰を連想させることも興味を引きます。
****参照:(注77116):「文芸」<鎮魂>小野篁「子子子」「こ」「し」「ね」
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きんきんきんきん菅井きん
むがむがむがむが竹脇無我
(野沢直子)
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ところで、
「あさの(浅野)」は「あさの(朝の)」をも連想させます。
「朝」は「朝廷」を連想させ、、
「朝日」は「太陽」「天照大神」をも連想させます。
****参照:(注123123):武内宿禰の三角関係
サッカーチーム「オクトパス」の少年少女たちは、
二宮さんの「海猫食堂」や、そのパートナー(恋人)、福田さんの営むカフェ「海猫亭」をしばしば訪れる、言わば常連でした。
「シラスのせトースト」を食べたのも、この「海猫亭」です。
「海猫」の
「うみ(海)」は「うみ(産み)」を、
「ねこ(猫)」は「ねこ(根子)」を連想させます。
大船の大叔母さんのセリフは意味深です。
***「ねこ(猫)」「ねこ(根子)」*******
そんな、犬や猫を拾ってくるみたいに。。。
ひとの子を育てるって大変なことよ。
妹は妹でも、あの子はあんたたちの家庭を壊した人の娘さんなんだからね。
これでまた、嫁に行くのが遅れるわ。。。
(映画「海街diary」)
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「すず(篠)」という「ねこ(根子)」を拾ってきたばっかりに、
サチは行き遅れ、ひょっとして「売れ残る」、すなわち、<実子を残せなくなる>かもしれないわけです。
大船の大叔母さんが上記の話をした時、サチはやはり、灰色の上着を羽織って、そして「おはぎ」を食べていました。
おはぎは、白い餅を黒い小豆でくるんだものですね。
ここでも、「白」と「黒」のコントラスト、そしてその中間のグレーが目を引きます。
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現場に「おはぎ」はありましたか?
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」)
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****参照:(注21212):「竹」「根=子」「ねこ(猫)」「桓武天皇」「倭根子(やまとねこ)」
「海街diary」で、「浅野すず」を演じた女優の「広瀬すず」さんが、
映画「ちはやぶる」の主演でもあったことは、興味を引きますね。
詳細は下記和歌のファイルの、<皇統断絶>についての解釈をご参照下さい。
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(古今集294).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (秋下、在原業平、「伊勢物語」)
(古今集293).もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き波やたつらん (素性法師)
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****参照:(注667721):「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは」
****参照:(注123123):武内宿禰の三角関係
かたや、ダンナの浮気が原因で家を出たサチの母親を演じたのは、「大竹しのぶ」さんですが、
お名前がまた象徴的ですね。
前述の通り、
「篠(すず)」は「篠(しの)」とも読みますが、
「しの(篠)」が「しのぶ(忍ぶ)」<人目を避ける><耐え忍ぶ><こらえる><思いを馳せる>との掛詞として常用されます。
また、
「たけふ(竹生)」「よもぎふ(蓬生)」「あさぢふ(浅茅生)」などとも言うように、
「ふ(生)」は、<生えた場所>を意味する接尾辞として用いられます。
「しのぶ(忍ぶ)」は「しのふ(篠生)」をも連想させます。
濁点や句読点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「しのふ」と表記されました。
ちなみに、囲碁で「タケフ」という定型があります。
「節」には「ふ」という読み方もありますから、
囲碁の「タケフ」は、石の形からして、「たけふ(竹節)」なのでしょう。
話を戻すと、
「すず(篠)」の生えてきた「しのふ(篠生)」を、
「大竹」さんが「しのぶ(忍ぶ)」
という関係、ともとらえられるでしょうか。
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ところで、
「小野の篠原」などというように、小野は篠<細い竹の総称>の名所であり、歌枕となっています。
「小野篁(おののたかむら)」
という人を、皆さんは知っていますか?
「小野篁」は、遣隋使小野妹子の子孫、また小野小町の祖先なのだそうです。
「篁(竹かんむり+皇)」の字は、もともと「竹の叢(むら)」<竹薮><竹原><竹>の意味で、<笛>の意味にもなります。
ちなみに、小野篁も「かぐや姫」のように、<竹から生まれた>という伝説があるそうです。(「野馬台詩(歌行詩)」参考:Wikipedia)
ちなみに、現在、小野篁のお墓は、紫式部の墓の隣にあります。
小野小町といえば、「掛詞」の例としてよく目にしますね。
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(古今集113.百人一首9.小野小町).花の色はうつりにけりないたづらに 我が身よにふるながめせしまに
@(古今集113.百人一首9.小野小町)A.
桜の色はあせてしまったなあ。空しく長雨が降っていた間に。
私も年老いて(容姿も衰えて)しまったなあ。空しく(恋の)もの思いにふけっている間に。
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「絶世の美女」とうたわれた小野小町も、晩年は必ずしも幸福ではなかった、と言われています。
***「極楽寺」****************
かの有名な小野小町が京都は極楽寺の門前で、三日三晩飲まず食わずで野垂れ死んだのが三十三。
三三六歩で引け目が無いよ。。。
(映画「男はつらいよ 葛飾立志編」)
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ちなみに、
「極楽寺」は、香田家の最寄り駅(江ノ島電鉄)でもあります。
二宮さんから、最後の「アジの南蛮漬け」を土産に受け取り、スズは花火大会に向かいました。
漆黒の海面は、スズの乗った船の周りだけ、花火を映して赤色に染まります。
二宮さんの最期を思わせる「黒」を背景として、「赤」はスズが受け継いだ「命」をも連想させます。
しばしば登場するシラス(カタクチイワシの稚仔魚)だけでなく、南蛮漬けのアジも、人間の食べ物は全て「生き物」「命」です。
花火が終わって、「江ノ電」の「極楽寺」駅で降り、家に着くと、縁台で「梅酒」と「アジの南蛮漬け」を楽しみつつ、四人で庭に下りて花火に興じます。
二宮さんから受け継いだ命の火を分け合うように、夜の闇の中、花火の火を姉妹で移し合います。
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***「古今和歌集」と「紀氏」<鎮魂>*******************
源氏物語に先立つ勅撰和歌集「古今和歌集」は、紀貫之や紀友則で知られる「紀氏」が編纂に携わりました。
ちなみに、勅撰和歌集とは天皇の命令(勅命)により国家事業として作られる和歌集のことです。
「古今和歌集」では、僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主らが「六歌仙」と称えられています。
その六歌仙に、僧正遍照や大友黒主など、他の歌集ではさほど取り上げられない人が含まれていることや、彼らがみな惟喬親王の側近であったり、血縁者であったりしたことから、「古今和歌集」は紀氏を始めとする藤原氏による他氏排斥の被害者の<鎮魂>のために作られたのだろう、と井沢元彦さんはおっしゃっています。(井沢元彦「常識の日本史」)
文徳天皇に嫁いだ紀名虎の娘、紀静子が産んだ、紀氏の最後のホープ、惟喬親王は隠棲の地小野で897年に亡くなりました。
その八年後の905年、醍醐天皇の勅命によって、「古今和歌集」が編纂されます。
その撰者に選ばれたのは紀氏の子孫である紀貫之でした。
(参考:井沢元彦「井沢式 日本史入門講座4」)
この頃には、藤原氏の独走態勢は確立しており、紀氏の家格は、政界の主要ポストを望めるようなものではなくなっていました。
つまり、藤原氏の独裁が完成したのを見計らって、その<鎮魂>のための「はなむけ」として紀氏が抜擢されたのです。
文徳天皇は、良房の娘、明子が産んだ第四皇子惟仁親王が清和天皇として即位する直前に、32歳の若さで亡くなりました。
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詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。
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(夕霧31).里遠み小野の篠原わけて来てわれもしかこそ声も惜しまね
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嵯峨天皇は、あるとき戯れに「子子子子子子子子子子子子」は何と読むか、小野篁に尋ねました。
すると小野篁は、「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と答えました。(宇治拾遺物語)
「子」には「こ」「し」「ね」などの読み方があります。
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スズにとって、父の思い出のメニューのシラス丼は、まさに目一杯、溢れんばかりの<命>の象徴だったわけですが、
鰯の赤ちゃんで溢れるシラスは、まさに、「子子子子子子子子子子子子」ですね。
四人もの娘を残した子沢山の父親だからでしょうかww
****参照:(注77116):「文芸」<鎮魂>小野篁「子子子」「こ」「し」「ね」
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(夕霧31).里遠み小野の篠原わけて来てわれもしかこそ声も惜しまね
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「小野の篠原」などというように、小野は篠<細い竹の総称>の名所であり、歌枕となっています。
「小野の篠原」は「小野篁(おののたかむら)」を連想させます。
「篁(竹かんむり+皇)」の字は、もともと「竹の叢(むら)」<竹薮><竹原><竹>の意味で、<笛>の意味にもなります。
「篁(竹かんむり+皇)」の字は、「竹」に例えられる柏木と、「<皇>女」である三宮の合体をイメージさせます。
「竹かんむり」が「皇」の上に乗っていることも示唆的です。
「小野篁」は<竹><笛><処女懐胎><不義><「竹」と「皇」><柏木と皇女三宮>
を連想させます。
ちなみに、小野篁もかぐや姫のように、<竹から生まれた>という伝説があるそうです。(「野馬台詩(歌行詩)」参考:Wikipedia)
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嵯峨天皇は、あるとき戯れに「子子子子子子子子子子子子」は何と読むか、小野篁に尋ねました。
すると小野篁は、「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と答えました。(宇治拾遺物語)
「子」には「こ」「し」「ね」などの読み方があります。
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思い起こせば、柏木は、「ねこ(猫)」がきっかけで三宮の姿を垣間見、さらにその猫を三宮の「形代」として愛玩しました。
地下茎を伸ばして増殖する竹にとって、「ね(根)」は「こ(子)」そのものです。
「ねこ(猫)」は「根=子」という暗号ではないでしょうか。
「竹」「根=子」<処女懐胎><不義の子>の連想を誘うサインとして、紫式部は「ねこ(猫)」を柏木と三宮の出会いの場に登場させた、と私は思います。
竹が「ね(根)」を伸ばし、「よ(節)」を継いで成長するさまは、
「子を<代々(よよ)>重ねていく」イメージ「子子子子子子子子子子子子」に重なります。
詳しくは、上記和歌のファイルを御覧下さい。
連想の展開例:
小野の篠原-小野篁-篁-竹-笛-処女懐胎-不義-三宮と柏木-
-篁-「竹と皇女」-「三宮と柏木」-
-篁-竹-「根=子」-「ねこ(猫)」-「三宮と柏木」-
-篁-竹-「根=子」-<処女懐胎> -「三宮と柏木」-
-篁-「竹から生まれた」-かぐや姫-私生児-
-篁-「子子子子子子子子子子子子」-「子を<代々(よよ)>重ねていく」
小野篁-流刑-養子-源頼朝-鎌倉幕府-武家政治-貴族政治の終焉-
ちなみに小野篁は、遣唐副使に任じられましたが、遣唐大使の藤原常嗣の理不尽な要求による諍いがもとで乗船拒否したことを罪に問われ、隠岐の島に流されたことがあります。
(小野篁は、遣隋使小野妹子の子孫、また小野小町の祖先なのだそうです。)
鎌倉に幕府が出来た、そもそものきっかけは、平清盛が源頼朝を伊豆に流したことでしたね。
それはもちろん「流刑」でもあったのでしょうが、頼朝はまだ年少でしたから、「養子」として預けられた、という見方も、事実の重要な側面ではあるのでしょう。
***「地方武士の願い」<自分たちが苦労して耕した田畑を、誰かに取られたくない>*******
保元の乱・平治の乱で平氏は源氏に勝利し、源義朝は殺され、息子の頼朝は伊豆に流されました。
しかし、伊豆に流されたことによって、頼朝は地方の多くの武士の本当の願いを知ることになります。
それは、自分たちが苦労して耕した土地<田畑>を、国(朝廷)のもの(や藤原氏の荘園)ではなく、自分たちのものにしたい、ということです。
当時、土地を自分の所有物とすることを認められていたのは、上級貴族や有力な寺社だけでした。
その頃の地方の武士は、<武装開拓農民>というべきものでした。(→屯田兵みたいですね)
武士でありながら、京に住んでいた平清盛には、地方武士たちの本当の願いが分かりませんでした。
逆に源頼朝は、その願いを公約に掲げ、全国の地方武士を味方につけました。
それが平家が滅びざるをえなかった最大の原因である、と井沢元彦さんはおっしゃっています。
(参考:井沢元彦「源氏物語はなぜ書かれたのか」)
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****参照:(注229976):「地方武士の願い」<自分たちが苦労して耕した田畑を、誰かに取られたくない>
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ライカー:不法占拠者め。
スターレット:開拓農民だ!
(映画「シェーン」)
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「平安時代」の「貴族政治」の「利」「法そのもの」「墾田永年私財法」に対して、
「開拓農民」の「理」「法の精神」<自分が耕した土地は自分のものだ>
をぶつけたのが、「鎌倉」幕府の樹立なのでしょう。
花火大会を追え、帰宅の電車で降りた駅は、「江ノ電」(江ノ島電鉄)の「極楽寺」駅でした。
江ノ電が、「藤」「藤原氏」を連想させる「藤沢」と「鎌倉」を結ぶことも興味を引きますね。
<養子>として育てられた頼朝は、<上級貴族>に独占されていた日本の社会を変えました。
イエスは<不義の子>でしたが、その教えは、<民族>にこだわるユダヤ教を離れ、世界を変えました。
と言うより、
<不義の子>だったからこそ、<出自>の呪縛から解放されたのかも知れません。
親の立場からすれば、<我が腹痛めた子>というものに、強い意味合いがあるのは、やはり否定しがたい面があるのでしょう。
しかし、<血統>は、その子の本質に、何ら関係ありません。
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男は気力や。気力があればそれでええのや。
この歌島の男は、家柄や財産は二の次や。
(三島由紀夫「潮騒」)
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必ずしも遺伝子を共有しない同胞に対する利他的行為が、高等動物ではしばしば見られます。
「近隣の同種他個体に対する利他的行為」は、もともとその遺伝子自身が、自分のコピーを残す確率を最大化する戦略として淘汰され残ったものなのでしょう。
そして、単純確実な「刺激-応答」の行動パターンが固定化され、
極端な例としては、実験室で<必ずしも遺伝子を共有しない同胞>を与えられた場合でも、
その行動パターンが(ある意味愚直なまでに反射的に)発動される、ということなのでしょう。
「人間」になるためには、単なる高等動物以上に、
<我が腹痛めた子>でなくても愛情を注ぎ、
<養子>であっても喜んで慈しみ育てるような、
「理」が必要なのでしょう。
たとえ実子が出来なくても、
いや、出来ても、と言うべき所かもしれませんが、
紫上や花散里や落葉宮やサチや、、、
そんな見上げたアッパレな人たちが増えてくれることを私は望みます。
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「み」を「実」<子孫>と解釈した歌については、以下の歌のファイルをご参照下さい。
****参照:(注74576):「み」「実」<子孫>
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