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感覚の分断と再統合

2013年03月14日 | 研究
マクルーハンの「Understanding Media-The extentions of Man」は、1967年、『人間拡張の原理』(竹内書店)のタイトルで邦訳された。原著の副題が邦訳では書名になって、古本屋でそのインパクトのあるタイトルに惹かれて手に取ったのがマクルーハンとの最初の出会いだった。竹内書店版の二段組みの『人間拡張の原理』を何度も読み返したためか、後発訳の『メディア論』(みすず書房)の方は、手元にあってもページを開く気がなかなかしなかった。横組みの小説を読む気がしないのに似て、まさに「メディアの形式」はひとつの強いメッセージである、と思ったものである。それはともかく、マクルーハンのUMは「人間の拡張」面にばかり注目が集まってしまい、マクルーハンの真の意図が誤解されてしまったきらいがある。マクルーハンは「人間の拡張」に希望を抱いていたのではなく、むしろのその逆で、人間の拡張にともない失われた人間の「統合性」あるいは「集合的意識」の回復の方にこそ力点があった。失われた統合を回復してくれると期待した技術、それが「電気技術」であった。

車輪があれば、身体は物から物へ移動するのが容易かつ迅速になるが、関与の度合は減る。言語は人間を拡張し増幅するけれども、同時に人間の機能を分断する。人間の集合的無意識あるいは直観的な認識は、この意識の技術的拡張(それが話されれることばだ)によって減少する。 ― 中略 ― われわれの感覚および神経を地球規模に拡張する現代の電気技術は、言語の未来に大きな意味をもっている。電気技術がことばを必要としないことは、デジタル・コンピューターが数字を必要としないのと同じである。電気は、意識そのものプロセスを世界規模で、しかも、言語化に頼ることなしに、拡張する方法を示している。このような集合的意識の状態は人間の言語以前の状況であったかもしれない。言語は人間の拡張の技術であり、言語が物を分離分割する力をもつことはよく知られている。その言語は人間がそれを用いて最高の天界にまで達しようとした「バベルの塔」であったかも知れない。こんにち、コンピューターは、あらゆる記号または言語を他の記号または言語に瞬間的に翻訳する手段になりそうである。簡単に言えば、コンピューターは、世界共通の理解と統一の成就した聖霊降臨の状況を技術によって約束してくれる。論理のつぎの段階は、言語を翻訳するのではなく、それを通り越して一般的宇宙意識へ到達してしまうことである。それは、ベルグソンが夢に見た集合的無意識に非常に似ているかもしれない。生物学者の口にする、肉体の不滅を約束する「無重力」の状況というのは、永遠の集合的調和と平和を与えてくれる「無言語」の状況のことかもしれない。

                                                             『メディア論』
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