会津の鋸鍛冶屋です。目立てを習得して頂きたく、Youtubeに目立て関係の動画をアップしています。お目通し下さい! 

目立てを身に付けたい方に仕事場にて実習支援しています。勿論、無料。
メールからの日程調整を致しましょう。

思いがけないプレゼント!

2019年12月06日 13時27分17秒 |  #鋸

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配達された荷物は、京都から。

何事? 不安な気持ちで解包すると、鋸とポスター。

丸められたポスターを慎重に開くと、カレンダー ふた月分の写真部分。

直感は「京都名所の写真」。  外れではなかった。

津川造園が管理を委ねられている、鷹峯圓成寺(妙見宮)の 2カット。

津川氏のいつもながらの丁寧な文書入りでした。

 

 十年ほどの間に数度来宅いただいてのコミュニケーションで、私の好みを承知して下さっているなればこそ!

伝左衛門が喜んで観る筈だ! と聞こえそうです。

 「会津はいい処ですね」。に私が返した「何をとっても京都には敵いません!」

写真撮りが好きな私が、京都の紅葉に憧れを抱いていると、口にした時。

デジカメ持参で数日かかっても写し切れない京都! 「遠いなぁ」

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 <深澤勝次師匠の9寸両刃>

気持ちは、一気に懐かしい深澤仕事場に。

 <裏面の 本勝刻印が懐かしい!>

 

ジックリと気持ちが入り込んだのは、無数の槌痕でした。

もしかしたら、「己が打った槌痕かも知れない?(可能性はアル)」

 

まさしく、違っていました。

この狂い取り(曲り除去)の槌使いは、

一二氏の長男・一夫氏(2代目勝次)に違いなし!

几帳面な氏の性格が表れています。一二師匠の槌使いは粗かった。

<2枚の写真は、同じ箇所の表裏>

表側に切り出し槌を使って、持ち上げている箇所の反対側には痕が有りません

無数の槌痕から窺えるのは、そこを見、背中を丸め、狙いを定め、慎重に槌を当てる。

氏の姿を思い出させてくれています。

 

歪みの具合、曲り除去の仕上がりは「さすが!」です。

 

本年もお仏前に伺う事ができなかった。

来年こそ!

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「オークションで手に入ったから」と送って下さった津川さんに大きな感謝を致します!

 有難うございました !!

 

 


オークション出品に質問が

2019年11月28日 20時39分11秒 | #のこぎり 再活用

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オークション出品中のガガリ鋸で、股になっている材が切れるか?

ページからの問い合わせが届いた。

添付写真欲しさにメールへと誘った。

 鉈では、割れないので、,,,

縦に割くように切るために、「縦挽き鋸を使うべきか?」 からの問い合わせ。

鉈で割れにくい箇所は、股の箇所ですから繊維を切る事になります。

 出品してあった尺4寸のガガリ鋸と

比較してあるのは 落札してあった 尺3寸のマド鋸。

必然とさえ言える根拠を説明して、受注となった。

そして 発送。

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翌日配達が、お休みの日で、直ちに作業に。

ポイントごとに手を休めて、シャッターを切って下さった。

    残念な方向に切り込んでしまった。

 

 しかし、薪だ! 楔を打ち込んで 解決!

 

ストーブにくべたら、火持ちが良さそうな薪の完成です!

「友人の機械を借りるしかないか?」との お気持ちがスッキリ解消で

こちらも、スッキリ!

利益なぞ無いが、的を得た提案が出来たことに 大満足 です!

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悔しいのは! ? ? ?

二日前まで会津の仕事場に存在していた 窓鋸がどこに居るのか?

日本には多くの祭りがありますが、私が最も好きなのが

おわら風の盆

子供の頃から、胡弓の音色に強烈な魅力を感じていた。

そして 眼にした地方(じかた)衆の演奏とおわら万葉が存在する、アドリブとさえ言える文句。

男女それぞれが笠を被り、趣ある身のこなしは えも知れぬ安らぎを覚える。

 

今では、、観光客が多すぎて予約も困難な宿泊までして出掛ける気にはならなくなっている八尾の街。

そう! 私が「行きたくても行けないでいる」彼の地に窓鋸は行っている

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妬み込めの私のメールに、お相手様は付き合って下さって、

納品後のメールやり取りは数通に及んだ。

 

なんだか 、、、

 

やっぱり 出掛けて雰囲気に呑まれようかな ? 

 風に吹かれてみようかな !

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 このところ、負の感多しで滅入ってしまっていて、ブログ更新に進めなかったが、オワラが勇気をくれた!

 

 


三月に続いて、京都から!

2019年10月22日 17時58分44秒 | 鋸目立て

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高所恐怖症を克服するなら、空師に成れ!

 樹の上に教わる人。

この3月に京都から単独で来宅したのは、栃木県での伐採作業を指導する「ついでに」と、

理由付けが上手い 津川さん。

伝左衛門の地酒誘いに乗っかり、ホテル外出となったばかりに、度がすぎた地酒4種。

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今回、10月8日の来宅の目的は、京都で「のこぎり屋」を経営している人を紹介する為との事。

昨年に存在を知った時は驚いた。 経営が成り立つのか? と、若者が何故!

お断り理由もなく「来る価値があるなら」と、了承したのですが後日のメールで

強力な おまけが付く事を知り、驚きは吹っ飛んで、待ち遠しくなりました。

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3月の地酒コミュニケーションの様子を聞いた、お父様が「行きたかったなぁ」と

おっしゃった事をLINEで知らせられていたのですが、若い者が二人で会津に行くのを、同行チャンス ! 

私にとっては願ってもない おまけ に成った。

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津川造園の仕事が「東京であるから」次の時は「栃木で・・・・」等で親子での来宅があり

山仕事や気候による樹木の違い等を、鋸を扱う立場で話して下さり、勉強させられていました。

お会いしたい。会話時間を持ちたい! と思っても、京都と会津では距離がありすぎる。

 

写真がある。近所の道路沿いの赤松を「いい松ですね」と おっしゃった事で、その松の前を車で

通過する際は、必ず思い出す事が出来る。

お会いしなくても自分の中には、常に意識している存在なのだから「これで いい」でした。

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ところが、ところが、あの津川氏が同行して下さる事になってしまったとは!

悪いけど! 若い二人はおまけになってしまいました。

居酒屋探し! 「京都並みに」は我が意識から除外して、決定~予約。

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そして、当日。

高速道路の工事も無く、予定より早い時刻で明るい時間帯に到着。

初対面になる 須藤さんとの挨拶は後回しで、津川氏との再会挨拶を。 そうして、見られたくはない仕事場に。

須藤さんの要望の一つ、 銘切りを主とした時間いっぱいを使い、ホテルのチェックインへ。

時間を見計らって、私が迎えに行くスケジュールで一旦お別れ。

 

腰養護に寝姿でメールチェック。  訃報が届いていた!

一気に滅入ってしまった。 写真を出し、ご冥福を祈った。 (この件は、別のページに記すことにする)

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気持ちを明るくしましょう!

津川さんの息子さんが、スマホで見やすいホームページを立ち上げました。 

ただ今、クレヨンサイトのイベント中で、ボタン投票で 一点です。

まどのこ屋 」  応援して下さいませ。

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私の師匠、深沢一二氏を想う。

2019年10月18日 12時41分17秒 | 日記

 

えっ 深沢勝次!

横の席から驚きの声と表情で私に視線を向けたのは、会津地酒目的のテーブルに座している、今日が初対面の S君。
伝左衛門さんの お師匠さんは三条のどなた?」 の問に答えた時。


驚きの度合いは、私の方が大きかったと思う。


26歳の若者の知識に、鋸鍛冶屋に関する点が有ったとしても、私の師匠銘が有るとは、

全く予期していなかっただけに、大きな驚きだった。

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師匠の本名は、深沢一二(カツジ)氏。
私が最も尊敬する人格者です。

[深沢巻き]の頭的存在で三条鋸鍛冶屋活動を牽引していた印象があります。

[深沢巻き]とは、1,758年が初代の 深沢伊之助の系列鋸鍛冶屋をいいます。

 

昭和38年4月1日に住込みの弟子として修行が始まった私です。
当初は厳しく怖い師匠としか捉えられませんでしたが「短期間で1人前にする!」。

この師匠の気持ちが、元にあるが故のきつい言葉、強い指摘だった事で、高卒直後の私は

怖い師匠さんだ!」としか思えませんでしたが、徐々に理解出来るようになりました。

4年半程度の修行で親元に戻り、父親とは分けて両刃鋸の製作に入れたのは師匠に特異なものが有ったからです。

当時の深沢巻きでは考えられないような弟子への指導を戴くことが出来たからに他なりません。

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ある資料に、F工場の工程が記されている。

明らかに、深沢でしょうね。

 タップで拡大。

内容は勝次師匠そのものです。

これらの工程で弟子が「させて貰える」のは、鋸の仕上がりに影響を与えない工程であるのは、誰もが知るところです。

然し、勝次師匠の意識は深沢巻き親方衆が驚くものでした。

三条市島田地域には、七代伊之助家を始め、寅次郎、達次、清吉、そして勝次の鋸鍛冶屋が隣接しており、

職人さん達との交流が親しく出来た中で、「そんげ仕事してんのかね!」等と言われて、

私が「させて貰っている」仕事は、弟子が手を出す工程では無い事を知りました。


[この仕事は、後の仕事をやり易くする為]

例えば、厚みを一気に仕上がり状態には出来ません。削りと直しを交互にしなければなりません。

熱処理後の一回目の狂い直しを疎かにして鋸身を削ると、二回目の狂い直しに苦心します。

三回目、仕上げ・・進むほどに困難になります。 弟子に対して言葉で指導しても、到底 理解はできません。

勝次師匠の指導方法は画期的といえます。

元来ありえない「先の工程を実践させること」で理解させようとした事です。

そんな弟子生活の中で、周囲の職人さんからの「そんげ仕事してんのかね!」でした。

こんな事も

<中屋庄兵衛が会津の中屋重左エ門に師事し、1842年に脇の町(現・長岡市)にて創業しました>

深澤巻きの親方衆が、脇野町の鋸工場視察に出向く際に「おめぇさんも、行くかね?」と、お誘い頂きました。

あり得ない事と分かったのは、同乗の伊之助氏から「行くんかね?」を耳にした時。

勝次師匠は最年長者でもありましたので異論はなく、弟子の分際での同行となりました。

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革新的な考えの持ち主である事は、このブログを目にしている方々が理解できたと思います。

この師匠なくしては、己は無い! と自覚しつつの 半世紀越であります。

合掌

 


 < 窓鋸(マドのこぎり)を目立てする >

2019年08月30日 14時26分36秒 | 鋸目立て

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窓鋸目立てを してみましょう。

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N さんがヤスリを使った後の写真が 下の写真です。

最初の眼・刃の状態から、このように目立てを済ませました。

最初に見た状態とは大きく変わった

綺麗な鋸肌です。

間違いなく切れる様になった! と感じます。

「進める中での意識は、どこにあったか?」を尋ねたところ

「動画を参考にして、リズム良くヤスリを動かす事と、形を変えない事」を

事前に、しっかりとイメージを持ちつつ進められたそうです。これが正しいと言えます。

残念そうな吐息が聞こえそうだったのは「太い丸太に切れ目を作り、万力代わりとした!」事。

鋸が前後に動く中での、思うに任せられないヤスリ使いが想像できます。

 

この画像を受け取った後の返信には

「ガガリ刃は、他の刃よりも少し低く(短く)」とだけでした。学習なさるでしょう。

この後は、他の点を解説していきますが、今日はここまでデス。 

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コメント書き込みがありました。

丸太に切れ込みを入れるのを直角ではなく斜め45度くらいに入れればヤスリを下からスリあげられてやりやすくなるかもしれませんね。
切れ込みと鋸の間にできる隙間に薄い木のクサビを打ち込めばぐらつきもましになるのではと思います。

有難うございます。

 書き込んでくれた方には問い合わせが既に届いていました。

その対応にもなれ! と進めています。

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上の2枚はポイントになる箇所を示しています。初めてにしては「良く、整えた」と言えます。

次の写真に描いた 緑の線が理想だとしますと、外れています。

しかしながら、<悪くしてしまっている状態>ではないんです。 ここからの手直しは十分に出来ます。

コメントにあった「ヤスリを下方向から磨り上げる」だけで、 赤丸の部分は奇麗になりますね。

右側の丸部は、こちら側から磨り上げるように右の下刃を磨ればいいし

左側の丸部は裏側からの下刃スリで、ガガリ刃の付け根と合わせれば整います

隣り合っている目の、繋がる箇所を 表と裏のヤスリ使いで合致させます。

、、、、、

目の付け根部分を、スッキリさせましょう。

次は ガガリ刃の根元です。

製品を販売目的での仕事ですので、見た目 も重要視していました。

ご自身の鋸でしたら、必要なしです。むしろ! 札幌の Nさんが図らずも根元を広くしましたが、

木屑を処理するのに効果が有るかも ?

[目立てを楽しみたい!]でしたら、そのポイントは数多くありますね。

伝左衛門


のこぎりの 歪み(ひずみ)について

2019年08月28日 18時30分42秒 | 鋸目立て

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弟子入りした直後の未だ鋸を理解できていない頃から、

お師匠さん・深澤一二氏から、強く指導されたのが<歪み取り>でした。

如何にして歪みの無い鋸を仕上げるか!  これが当面の目標でした。

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「歪み」とは、鋼内部の「伸縮」です。

延びてる部分と、詰まっている部分が出来ます。

鋸制作の最後の艶出し工程の前までに、伸縮を調整するのですが、

鋼は熱が加わると狂いを生じさせて、歪みを作ります。

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木を切る作業中にも、目立てをして鋸身に磨り込んでも、鋼は 暴れます

以下は伝左衛門なりの解説です。

詰まって(縮まって)いると木の中で動きが悪くなるのが伝わってきます。

捻じれが出来て切り溝が広がります。


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下記は専門的な付録です。


           ==== 会津 中屋伝左衛門 ====


目立てを趣味としている T サンから 2枚の写真

2019年08月25日 14時16分20秒 | 鋸目立て
 
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目立てを勉強中の方々の利便になるか?

2019年08月23日 13時26分49秒 | 鋸目立て

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Youtubeの目立て動画を参考にして目立てに挑んでいる方が、
ヤスリを使った事により、どのような状態になったか?
鋸が支障なく機能する 刃・目になっていれば良いのですが、
悪い状態にしてしまったとしたら、「原因は何か?」「どうすれば良かったか?」
答えを見出そうとする事もあると考えます。

このブログのコメント欄を利用する事で、繰り返し応答が出来るのではないか?と
思い、実験の為のページとして書いてみました。
Youtubeの参照「曲り直し動画」の URLです。併せてご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=IHiKHNIGpOc

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下は、縦にして見る凹みと横にして見る、狂い探しです。

図の中の文字がぼけています。クリックして表示願います。

左方向に光源があり、右側から 目玉が見ています。

空色部が凹み



横一文字に刃を付けた、<切り出し槌>を使います。


空色箇所が上がれば、裏面の膨らみが比例して凹み、「平らに成った!」デス。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~このページに、お問い合わせのコメントが届きましたら<お応えコメントをする>又は

内容によっては、新たなページを書く(日数はかかるでしょう)。

こんな事が出来れば、幸いです。



落札した大鋸は、近江の鍛冶屋さん

2019年07月20日 13時36分43秒 | #のこぎり 再活用

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ヤフオクから落札した大鋸

銘が特徴的な「二・右・門」。裏は「江・深川」と見える。

   

本目立てを済ませてオークションサイトに出品する前に調べてみた。

いい資料があった!

10年ほど前に、京都の津川造園さんから送付されてきたプリントです。

「町家発 ほんまもん会」関りで入手されて、私に送ってくださいました。

明治35年 近江國甲賀郡・前挽鋸製造業組合に所属する業者 として

13の 作銘が記されています。 著作権が絡むと思いますので写真は無しとします。

 

全てが細かく浅い タガネ使いで、文字を大きく切ってあります。

刻印で・・登録商標、銘が鏨で 二右門。下に 山二元と刻印打ち。

鍛冶屋名は 利田仁右衛門 。 

この大鋸を仕上げるべく、最初の工程「ヒッコキ」をすると ?

確認のために、ゆっくりと二度三度。

ヤスリ付きが良くない。という事は、刃物としては 良い !

刃先だけを硬く焼き入れをしてるのは、間違いないだろう。

  

上左は、表面サビ落としの為に、軽く鑢を使った光り具合。

先に目立てを施した人が、硬い刃先よりも柔い部分を多く減らした根拠で光っていない部分が。

右の写真は、見づらいですが目立て終了後で、刃先部分の光り方が異なっている。

 

面白いです! 楽しいです! 有難い! です。

早速、出品したが 果たして活用する人の眼に触れるか?

 


「会津手語り」が、民報出版文化賞を受賞!

2019年07月19日 13時14分17秒 |  #鋸

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中屋伝左衛門も取材対象になった、写真家・赤沼博志氏が出版した

「会津手語り‣鍛冶屋編」が、

第42回福島民報出版文化賞の、奨励賞を受賞 !

朝刊紙面に見慣れた、顔写真が載っている。

脇に眼を遣ると会津手語り・・・」。間違いないっ!

 

優れた出版物を顕彰し、出版会文化の向上を目指すべく創設されていた。

 

直ぐに電話を掛けたが、繋がらない。

多くの方々からの電話・メールの対応に追われている事だろうと、

気を伺いながら大鋸の目立てに時間を移した。

 

そして 三度目 ! 懐かしい・清々しい声が応じてくれた。

おめでとうございます!」で、すべてが通じたようだ。

 

別れ間際に「8月に K氏が訪れる」と。

 

 

過日、東京から山内氏が来宅され、助左衛門鋸について語り合うことが出来たが

こんな私との再開を望んでいらっしゃる。

K氏と山内氏が同席したとしたら、何かが生まれるだろうか?

共に遠来となる、両氏の初対面は意義あるものに成りえるか?

梅雨明けの夏の気温は如何なるか?

 

しばし、状況を見る事にしよう。