祖父の回顧録

明治時代の渡米日記

第46回(1912年の九月:大学一年の授業始まる)

2011-12-03 16:56:03 | 日記
45.1912年の九月:大学一年の授業始まる


 私は前述したように無試験で入学を許可されて、Collage of Social Sciences(社会科学科大学)にenrollment(入籍)された(二年に進級した時に将来習得するユニットの関係でCollege of Letters and Sciences(文理科大学に移籍して卒業した)。

 大学でenrollされた学生をRegular Student(正規学生)とよび、所定単元の不足で仮入学を許された学生をSpecial Student(特別学生)といっていたがSpecial Studentも入学後所定のユニットをとればRegularとなることができた。

 私は経済学を専攻したい希望であったから、四年間の内の最初の二ヶ年のJunior Course の教科目の内でも将来上級のSenior Courseに進んだ時、都合のよい学科を選定して学習した。

 一年生の各学部の科目は沢山あって、共通して必修するregular subjects(必須学科)とelective subjects(選択科目)などがあるから、これは先輩に聞いて、その選択を誤らずに授業を受けないと、卒業の際大学が四ヶ年の間に要求している最低124単元の中でメジャー・サブジェクト(Major subjects専攻学科)最低上級学科36単元と、副専門学科Minor course24単元(私は政治学科と国際法、法学の一部をとった)を修得しなければならなかった。後の60余のユニットは大学が規定している教養学科を受ければよいので、教員免許状を得たいものはまた別に学ぶ学科が定められていた。一年生が学ぶことのできる単元は最低一学期一週19ユニットから9ユニットで、平均16ユニットずつ毎学期学べば四ヶ年間で128単元となり、四ヶ年で卒業できるが、それ以下の場合は五年も六年もかかったのである。

 バークレーには、私のいた時は
College of Social Sciences, College of Letters and Sciences, Low College, College of Commerce, College of Electricity, College of Civil Engineering, College of Mines, College of Chemistry, College of Agriculture,ほかに独立した学部はAstronomy(ウィルソン天文台と学校の天文学科)、Architecture、Philosophy、Anthropology、Biology等々であった。医科大学と歯科大学はそれぞれ付属病院があって、サンフランシスコにあった。
 本年三月、私の三男平造(住友電機社員)が渡米した時にバークレーの大学を見物に行った時撮影してくれた一枚のキャンパスの写真を今食堂に掲げているが、昔のままのあのカンパニル(Campanile)の高塔や、California HallやDoe Library等を眺めると、”My dear old Alma Mater”(母校の感)を深くする。
 また”Berkeley Campus”という本を手に入れてくれたのでこの本を読んで、今日の大学の状況を知って喜んだ。
 カリフォルニア大学は私のいた六十年前既に全米一の大学を目指して”The Greater University”を標語にして発展して来たが、全米本土四十八州の中で州立大学としては断然群を抜いて第一位を占め、今やハーバード(Harvard)、エール(Yale)、コロンビア(Colombia)(皆私立大学)を抜いて米国第一の大学となり、最近NHKテレビで「世界の教育」というレポートでも加大の現況を報道して全米第一といって、ノーベル賞を受けた学者が今十三名いて他数百の大学を圧しているとの説明をしていた。

 従来アメリカでは私立大学が州立大学(一州に一校乃至二校)より優秀といわれていて、HarvardとYaleやColombiaやChicagoやPrinceton, Cornel、Johns Hopkins 等は一流で今でも有名でであるが、これ等の古い伝統ある私学を州立が追い越そうとしている現状である。

 私は一年の第一学期で最高の19ユニットをとり、第二学期も18ユニットを取って幸い全科パッスして一年間に37単元を得た。

 今印象に残るものは
Prof. RieberのLogic(一学期)、Prof.Hutchinsonの Commercial Geography 、Prof. Stackhouse のGeneral History (前後一年)、Prof. Mitchelの Economics とPrinciple of Economics(前後一年)、Dean Burrows のPolitical Science(前後一年)、 Prof. Crook のCommercial Economy等々、その他は略。
 毎年三月二十三日に挙行せられるCharter Day (創立記念日)は大学の最高の行事であるが、私は九月の入学であったから、一年の時の後期の三月に迎えたので、後記に譲った。
 

第45回(FreshmanとSophomoreのRally Contest)

2011-12-03 10:20:37 | 日記
44.FreshmanとSophomoreのRally Contest

(一年生と二年生の競技大会)


 前述した一年生に対する伝統的な構内における色々な制裁(restrictions)を打破する方法として、入学して約1ヶ月も経つと、Freshman vs. Sophomoresの競技大会が挙行されRally contestといわれて、若しその競技に一年生側が勝てば、全部の制裁が解除されて、二年生と同様の権利、地位が得られるのである。

 この点は流石に自由平等をモットーとする国柄だけあって大学生間でも、「力」=strength で対抗してその白黒を決しようというのである。これは毎年一回秋に挙行するのである。

 私の大学は入学期が二回あって夏がThe First Semester (前学年)、冬期がThe Second Semesterといわれていた。全学部の一,二年学生数は大体三千名位であったが、この両学年の学生が、大学の教練場(州立大だからMilitary drill courseがあった。州以外の学生は免除、日本人学生も免除)に集まって、直径二メートルもある大きなボールを転がしあって、敵のゴール線の中に早く入れた方が勝つのである。

 当日は参加する生徒たちは学生体育館に集まって気勢を揚げ、白のカラーシャツの背中のところに、一年は青色で①と書き、二年は紺で②と書いて、所属する級を判明させて、いよいよ対戦が教練場の芝生の上で始められると、Juniorsは一年にSeniorsは二年に応援して、すさまじい競技を展開するので、市民も多数参観して大変な騒ぎで、大学の行事の一つとなっていた。

 私たち一年生は負けて、結局もと通り一年間はこの掟に服することになった。