祖父の回顧録

明治時代の渡米日記

第55回(第三学年生時代:1914年秋から1915年6月まで スパイもいた?!)

2011-12-13 09:06:18 | 日記
54.第三学年生時代:1914年秋から1915年6月まで


 私もいよいよ三学年生となった。

Junior courseは無事終了してSenior Course即ち全学科の内の経済学を専攻することになった。三学年以上の教科目、習得単元は9ユニットから16ユニットに制限せられ、シニアーコースの学科はジュニアーで修得した経済学の関連の研究に入るので、これから純正経済学理論部とか経済政策部、企業経済部とか、経済労働理論部、社会経済政策等々に分かれるので、私はEconomic TheoryをMajor courseにとり、Minor courseにPolitical Sciencesを取った。三学年には前期、後期とも16単元で計32単元をパッスした。これで三年間に計105単元を完了した。三学年の経済理論はマーシャルのEconomicsを主として、ダベンポーのEconomic Enterpriseを修得した。一,二年の時はタウシッグ(Tausig)のPrinciple of Economicsの一巻と二巻を修了したから、これに進学できたのである。Economic Thought(経済史想史Haney)、Adams and SumnerのLabor Problems(労働問題)、CannanのTheory of Production and Distribution(生産と分配理論)等々で、法律関係では、Jurisprudence(法律学)、International Lows(国際法)等を修得した。政治学ではBrythのAmerican Commonwealth上巻など、今から考えるとよくもやってパッスしたものだと今昔の感に堪えない。

この他、今尚印象に残るのは、名前は忘れて思い出せないが女教授で(フランスの博士)” Contemporary of Social Reforms”(社会改革の近代理論)という学科を一学期受けて、MarxのThe Communist Manifesto (マルクスの共産党宣言)やKropotkin(クロポトキン)のConquest of Bread、「相互扶助論」、バクーニン(Bakunin)等を習ったが、試験に出席したら、本でもノートでも何でもよいから参考にして、答案を書いてよいというので面食らった。私は他の教授の試験の考えで準備しないでいったので、思うように書いたら幸いパッスしマークをくれた。こういう本は思想問題のやかましい時代だったから、皆クラブに残して帰国した。その他社会主義の本も二,三冊あったが友人にくれてやった。

 話しは逆に戻るが、私が二年生頃に加藤大尉(?)というスパイ(?)の軍人が半年程バークレーに滞在して日本人学生の思想問題を調べに来ていて、時々校庭で顔を合わした。何となく話し掛けるので警戒していたが、或る時シスコ地方の軍事用地画を買ってくれと頼まれたので、学校の購買部で二,三枚買ってやったことを覚えている。幸徳秋水が明治四十三年頃大逆事件で捕まる前年か、アメリカに来てシスコ市にも滞在したことがあるし、また二年ばかり遅れて友愛会長の鈴木文治も来米した。鈴木氏は加大を訪問したのでクラブで昼食を共にしたのを覚えている。またバークレーには木下尚江の後援者が一人いて労働して金を儲けて毎月木下に生活資金を送っていた者もいて、この人は私が散髪屋で一、二度会ったが、公然とその話しをしていた。また岡田という労働者で共産党員と自称していた人もいたので、日本のスパイが来たのであろうか。