なかちゃんの断腸亭日常

史跡、城跡、神社仏閣、そして登山、鉄道など、思いつくまま、気の向くまま訪ね歩いています。

さよなら!JR三江線(2018 3 25)

2018年03月30日 | 鉄道

 JR三江線は広島県三次(みよし)市と島根県江津(ごうつ)市を結び、営業キロ数は約108㎞。路線が並走する江の川(ごうのかわ)は、三次から北上するものの三瓶山(さんべさん)山域で進路を阻まれ、粕渕(かすぶち)付近で大きく蛇行している。流れは南西に向きを変え、そのまま日本海沿いの江津市に流れ込んでいる。
 108㎞の路線は一度に開業したのではない。1930年(昭和5年)に一部区間から始まり、1975年(昭和50年)に全通しているから意外に新しい。開通当初から利用状況はあまりよくなく、昭和62年の平均通過人員458人が、平成28年には83人にまで落ち込んでいる。何度も赤字路線として話題になり、とうとう2018年3月31日をもって廃線の憂き目を見る。
 江の川河岸を切れこむように走る三江線。たくさんの鉄橋とトンネルが織りなす景観は、鉄道オタクにはたまらなく愛おしい。

〈その1 三次駅〉



 尾道自動車道の三次東ICを降り、国道54号線で市街地に入る。初めての街や土地は何となく心がウキウキする。人口約5万5千の三次市は中国山地のほぼ中央にあって、住民の方々には失礼だが意外に大きい街だ。道路沿線には主なレストランチェーン、車ディーラー、官公舎が立ち並んでいて交通量も多い。
 かつては石見銀山街道(出雲街道)の中継地点として賑わい、昭和11年には芸備線が全通。その後東西を結ぶ中国自動車道、さらに南北を繋ぐ尾道松江自動車道が開通している。河川は中国地方最大の江の川(ごうのかわ)と支流の馬洗川が合流し、独特な水の街風情をつくっている。
 この三次駅から始まる三江線。駅構内は人で溢れかえり喧騒に満ちている。三江線下りは一日5本、その2番目の10時2分発を待っているのだろう。
 事前の調べでは食べ物が現地調達ができない。コンビニでサンドイッチと野菜ジュースと水を買いこみ、いよいよ列車と駅舎の追っかけだ。

〈その2 長谷(ながたに)駅〉


 国道375道から細い旧道に入る。三次駅から四つ目の長谷駅は「秘境駅」。牛山隆信氏のランキングでは全国38位。ちなみにこの三江線には、もうひとつ44位の千金(ちがね)駅がある。
 駅舎は土手上にあり、人家は数軒見えるものの秘境ムードは満点。高台のホームからはすぐ横を流れる江の川が美しい。緑の水面は朝日が照り返しキラキラ光っている。耳を澄ましても川の音と小鳥のさえずりしか聞こえない。
 そうこうする内に2台の車とバイクがやってきた。鉄道オタクは私だけじゃない。慌ただしく写真撮影を終えると、私達一団は対向もできない細い道を次の駅へと急いだ。

〈その3 式敷(しきじき)駅〉

 ログハウスのような小さな駅舎がかわいい。内部を見上げると天窓から陽光が射しこみ、太い梁が縦横に張りめぐらせている。純木造の屋根裏からは木の香りが降りそそいでくるようだ。
 プラットホームは対面式。でも片側の線路は外され、錆びた追突防止の部分だけが残っている。駅前は広く、とうの昔に閉店した商店もある。かつては乗降客で賑わったに違いない。
 さらに細い道を辿る。前方にはタクシーが1台、各駅で少しずつ止まっては進んでいる。鉄チャンのチャーターしたタクシーに間違いない。気が付くと、私たちの車は5、6台の群団になっていて、バイクや自転車も追っかけてくる。まさに私たちは有名スターを追うパパラッチのようだ。


〈その4 宇都井(うづい)駅〉
 さらに進むと次々とトラス橋が見えてくる。川の流れと重厚な橋梁が見事な景観を演出している。このあたりから広島県から鳥取県に入ったようだ。

 山あいの道を曲ると、天空の駅『宇都井駅』は眼前に突如現れる。山と山に挟まれた小さな谷に巨大なコンクリートの構造物。その上に左右のトンネルを繋いだ高架橋が乗っかり、まるで白い怪鳥が羽ばたいているようだ。
 そもそもこんな駅を多額の建設費を使い、どうして造らなければならなかったのか?建設当時はそれに見合うだけの乗降客があったのか、それとも地元の強い要望があったのか?今になっては分からない。

 高架下は車と人であふれ、駐車する場所さえ見つからない。至るところで撮り鉄が三脚を立て、やってくる列車を狙っている。マスコミ取材班も慌ただしく動き、地元のご老人のコメントをとったりしている。もう見ることができない列車のある風景を求めて、多くの人が廃線前最後の日曜を楽しんでいる。
 

 116段あるコンクリートの階段を上り、地上20mのプラットホームに出る。もちろん景色は良い。一線一面の狭いホームも人であふれ、今か今かと到着する列車を待っている。
 やがてトンネル内から轟音が聞こえ、三次駅10時2分発の三両列車が現れた。手持ちの連写モードの一眼レフが、ガシャガシャと鳴り続けた。

 車内も通勤ラッシュアワー並の混雑だ。利用状況が悪く廃線となる路線とは到底思えない。大手百貨店の閉店セールの賑わいを見るようだ。数年前、鳥取の余部鉄橋が新しく架け替わる直前の光景をふと思い出した。

 高架下には記念品などを売る架設の店が出ている。そこで「廃線後のこの構造物はどうなるの?」と聞いてみると、「いづれは壊されるでしょう。でも我々地元有志が鉄道遺産として残されるよう頑張ります!」と、若いお兄ちゃんの力強い言葉が返ってきた。

〈その5 潮(うしお)駅〉
 国道375号線をひた走る。行けども行けどもコンビニは一軒もなく、あるのは小さな道の駅が二軒だけ。左に広い江の川、右にせまる山々を見ながら、いくつかの駅を過ぎると潮駅に着いた。
 この駅は桜の名所。今年は開花が早いと聞いて期待していたが、つぼみは固く引き締まり一輪たりとも咲いていない。考えればここは山陰島根の山奥だ。瀬戸内で開花宣言があってもここではまだ一週先だろう。


満開時の潮駅(ネットより)


〈その6 石見川本駅〉
 長いトンネルを抜け、やがて大きな集落の粕渕(かすぶち)。ここで江の川は大きく向きを変える。北上していた流れは三瓶山山域に進路をはばまれ、戻るように南西方向に向かっている。鉄路もその流れに従い、ときに堤防の上を走り、ときに堤防の下を走っている。所々に小さな鉄橋をつくり、所々で短いトンネルをくぐりながら河口の江津市に向かっている。
 それにしても走る列車をとんと見かけない。上下線ともそれぞれ5本あるが、早朝夜間の便を外すと、撮影時間帯の便は上下線合わせて4本しかない。時刻表を見ながらのドライブと写真撮影はまさに分刻みだ。

 石見川本は沿線上で一番大きな町だろう。川沿いに広い平野が広がり、それを埋めつくすようにビルや民家が集まっている。この町から河口までは約32キロ、あと一走りで日本海だ。
 駅前ではハッピを着た地元の方々が、観光客のおもてなしをしている。車誘導、インフォメーション、そして記念品の販売と忙しく動いている。

 ここでぜひ見たかったものは、陸閘(りっこう)と呼ばれる大きな水門だ。江の川は過去何度も豪雨災害で氾濫した。三江線は数ヶ所で堤防を切って走っていて、その箇所から駅や住宅街に増水した水が流れ込み、大きな水害をもたらした経緯がある。そのため国交省国道事務所は、沿線上に5ヵ所の水門を設置した。本来、陸閘は津波や高潮被害から守るためのものだが、鉄路そのものを遮断するのは全国的にも珍しい。
 青いハッピのお兄ちゃんにその場所を聞くとすぐ近くにあった。駅から江津方面を見ると、出口の向こう側の見える短いトンネルがある。その出口に設置されていると云う。
 山を回り込むように5分ほど歩くと、トンネルの穴を塞ぐような水門が現れた。感動のあまり思わず身震いがした。

これも廃線後はどうなるのだろう?おそらく列車の通らない水門は撤去されるに違いない。甚大な被害のあった2006年の豪雨災害の復旧費用は約15億円、2013年には約10億8千万円。増水や浸水のたびに巨額の費用が必要なら、線路で切られた堤防は繋ぎ、通らないトンネルは閉鎖した方が確実だろう。 
 
 一日をかけ沿線を巡った三江線。川と鉄路の織りなす景観は、鉄道というテクノロジーと自然が見事に調和している。トンネルや橋梁、そして宇都井駅に代表される構造物やありふれた駅舎。鉄道をこよなく愛する者にとって、それらのどの場面を切り取っても感動や郷愁を感じざるを得ない。
 今月末で廃線となる三江線。その後はおそらく鉄路は剥ぎとられ、駅舎や構造物は壊される運命にあるのだろう。でも鉄道文化として価値の高いものは、ぜひ鉄道遺産として残してもらいたいものだ。