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社会主義国時代のルーマニアのプロパガンダ曲集

2023-11-13 18:54:53 | 解説集

今回は社会主義国時代のルーマニアのプロパガンダ曲について取り上げます。

ルーマニアは東欧の国ですが、1989年までは共産党政権の社会主義国であり、独裁者チャウシェスクが牛耳る国でした。

チャウシェスクは当初こそ、東西冷戦のさなかで社会主義国ながらソ連と距離を置いた独自の外交で、西側の国とも関係を築き一定の成果を上げます。

しかし、北朝鮮を訪問した際に同国ならではの強烈な個人崇拝・絶対的独裁体制に、感銘を受けてしまったようで、ここからチャウシェスクは狂い始めていきます。

チャウシェスクは秘密警察のセクリターテの権限を強化して国民を恐怖のどん底に陥れ、
さらに北朝鮮の金一族の個人崇拝を真似た自身と妻へのプロパガンダを展開する一方で、

国力のため人口の増加が必須、と考えて中絶は犯罪として無理に子供を生ませた結果、ストリートチルドレンが溢れてエイズも増えるなど、メチャクチャな政策を展開するようになります。

さらに財政赤字解消のため飢餓輸出を敢行する有り様な一方、
自身は首都ブカレストに「国民の館」と呼ばれる宮殿を建てた程の絶対的独裁者でした(アメリカ大統領官邸のペンタゴンに次ぐ大きさです…)

ハンガリー、ポーランドなど次々に東欧の国家が民主化していく中、
ルーマニアでも独裁制に対する反発が強くなり、革命が起きて最終的にチャウシェスク夫妻は処刑される形で民主化されます。
これがいわゆるルーマニア革命となります。

…とここまでざっくりと、社会主義国時代のルーマニア及び、絶対的独裁者チャウシェスクについて概要を書きましたが……

それらの詳しい部分はwikiに任せるとして、今回はそんなチャウシェスク独裁全盛期のプロパガンダ曲について記載していきます。

 

*Poporul, Ceauşescu, România! (人民、チャウシェスク、ルーマニア!) 

チャウシェスク時代のルーマニアにおける、プロパガンダ曲の代名詞とも呼ぶべき1曲です。
実際には貧しい農業国で飢餓輸出の敢行したりしていたのに、豊かさを歌う歌詞とのギャップが…

*エレナチャウシェスクの歌(原語タイトル不明)

妻エレナのプロパガンダ曲です。
これも上記の「人民、チャウシェスク、ルーマニア!」についで歌われた曲となります。

彼女もゴーストライターに書かせた論文で科学者として登りつめ、国内海外の複数の大学で名誉博士号を取得するという、どこぞの佐村河内守もびっくりのメチャクチャな不正ぶりでした…

と言うかそもそも一応は一時的に外交で成果は出していた夫よりも、酷かった無能ぶりで…

*Marșul muncitorilor(労働者のマーチ)
社会主義国あるあるの労働者を歌う1曲ですね…

*Ceaușescu - pace! (チャウシェスク 平和!)

*Ceaușescu, om de omenie(チャウシェスク 人民と人類)

これも社会主義国あるあるの、人民を歌うプロパガンダ曲ですね…
実際には、秘密警察セクリーターテによる監視で人権侵害が深刻でしたが…

*Ceausescu La Multi Ani (チャウシェスクの生誕祭)

*Sarbatori in Epoca de aur (黄金時代の休日)
子供達が歌う曲、この動画は1989年8月の撮影ですが、この年の年末にチャウシェスク夫妻は処刑ですから、ほんの数ヵ月前までこんなプロパガンダまみれのパレードしていた訳ですよ…参加している子供たちはその後どうなったんでしょうね…

*1989 Romanian Patriotic Song Ceausescu
上記と同時期に撮影されたものです。チャウシェスクは自身の中絶禁止政策の結果である孤児を、政府のいいなりになるよう育て、国家のエリートとなるよう仕向けましたからね…

・おまけ
*曲名不詳 親愛なるチャウシェスク同志の歌(친근하신 챠우쉐스꾸 동지의 노래)
1971年にチャウシェスクが平壌を訪問した際に、北朝鮮側で作られた曲です。結果的にこの平壌訪問に影響され、チャウシェスクを悪い意味で大きく変えてしまいました…

*チャウシェスクの物真似芸人
ルーマニアのモノマネグランプリ的な番組のようで、挨拶で「アロ!」(alo、ルーマニア語でこんにちは)とか言うのよく似てますね…w



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