なはの雑多ブログ

銭湯、雑多ネタ、野球などについて色々書く予定です。

銭湯・温泉巡り 貫井浴場

2024-03-11 01:19:47 | 銭湯・温泉巡り





今回紹介するのは練馬区にある貫井浴場です。
最寄り駅は西武池袋線の中村橋駅となります。駐車場は4台分あります。

浴槽の種類は豊富で、以下の7種類あります。

バイブラバス
・座風呂
・寝風呂
・ラドン浴
・水風呂
・薬湯露天風呂
・露天水風呂

薬湯の露天風呂と言うのが珍しいですし、ずっと浸かっていられる空間でした。
ジェットバスの種類の豊富さも有り難いですね。

この銭湯には何と食堂もあるのですが、残念ながら私が訪問した際には営業時間外であったので、今度営業している時に再度行きます!

銭湯・温泉巡り 松葉浴場

2024-03-11 01:12:50 | 銭湯・温泉巡り












今回紹介するのは川崎市多摩区にある松葉浴場です。
最寄り駅は小田急線の百合ヶ丘駅となります。駐車場は14台分あります。

レトロなネオンがある建物ですが、夜になっても点灯していませんでした…

お風呂の種類は、下記の8種類となります。
露天風呂もあるのですが、近年は長いこと休止中で残念ながら入れない状態です…

・バイブラバス
・寝風呂
・座風呂
・電気風呂
・ラドン風呂
・水風呂
・ガス遠赤外線サウナ
・立ちシャワー

そこまで温度は高くないので、入りやすいかなとは思います。

休憩スペースはこじんまりとしていますが、ソファーがあります。

銭湯・温泉巡り たから湯

2024-03-11 01:01:26 | 銭湯・温泉巡り






今回紹介するのは中野区にあるたから湯です。
最寄り駅は西武新宿線の野方駅となります。駐車場は6台分あります。

お風呂の種類は、下記の4種類となります。
・シルキー露天風呂
・座り風呂ジェットバス
・水風呂
・大浴槽

シルキー露天風呂がとても気持ちよくて、40分ぐらいずっと浸かっていました!

休憩スペースも広々としていて、さらに生ビールやソフトクリームも頂けますよ!


70年代末期って…異国情緒の曲多いよね…

2023-12-13 00:53:32 | 解説集

何か70年代あたりまでの邦楽って、異国情緒歌った曲が特に多い気がするんですよね…
今の曲に無い、異国への憧れみたいな雰囲気を感じますが、昭和らしい夢があって割とその手の雰囲気は好きだったりします…

特に70年代終わりに、何故かかなり集中しています…いくつかその例を出していきます…

曲名、アーティスト、発表年、テーマにした国や物など…の順に掲載しています。

・「飛んでイスタンブール/庄野真代」1978年(トルコ)
本人はヒットの2年後にイスタンブールを初めて訪れた際、
歌詞にある砂漠のエキゾチックなイメージと真逆の、雪が舞い湿度が高い環境に衝撃だったらしいです…

・「モンテカルロで乾杯/庄野真代」1978年(モナコ)
モナコは都市国家ですが、モンテカルロはその中の海沿いのリゾート地の名前で、F1のモナコGPや、WRCのラリー・モンテカルロでも知られています。割れてしまえ地球なんか、キスの嵐で夜どうし、とか…意外と過激な歌詞ではありますよね(笑)

・「マスカレード/庄野真代」1978年(スペイン)
他にも庄野真代は異国情緒を歌った曲が特に多いですね…
スペインを感じさせる冒頭の華やかなサウンドに、ドン・キホーテ(某ディスカウント店では無く、元になった物語の方)とか、アディオス・アミーゴなどと歌詞に出てきます…

・「ジャングル・コング/庄野真代」1979年(アフリカ)
本人の公式サイトには、「この頃コンサートではアニマル柄の服を着ていました。大阪のオバちゃんかいな。」とコメントがあります(笑)

・「シンガポール航海/庄野真代」 1979年(シンガポール)
シンガポールの海と夜景を歌ったバラードでとなります。夜景を見ながらこの曲を聴きたいものです…

・「サンタマリアの熱い風/山口百恵」 1978年(恐らくスペイン?)
サンタマリアと言うのは、元々イタリア語やスペイン語でキリスト教の聖マリアを意味しますが、
オレーオレーオレーオ、血の酒を飲め…というサビの熱い歌詞からすると、イタリアよりはスペインをイメージしてそうですね…

・「カナダからの手紙/畑中葉子&平尾昌晃」1978年(カナダ)
女性が1人旅の旅先のカナダから恋人を想ってる切ない歌詞です。
この曲の影響で、カナダを訪れる日本人観光客が大きく増加し、本人達はカナダ政府から表彰までされたそうです。

・「エーゲ海の旅/畑中葉子&平尾昌晃」1978年(ギリシャ)
こちらも同じデュエットによる曲で、「あなたとわたしの、2人のギリシャ」「古代の遺跡が旅のひとコマ」など、ギリシャ旅行を歌に乗せたものとなっています。

後で紹介するジュディ・オングの「魅せられて」も、同じギリシャのエーゲ海がテーマで、これだけ取り上げられるのは、やはり綺麗な海で人気の観光地らしいですね…
まあ今となってはギリシャも経済破綻してしまいましたが…この頃は確かギリシャの奇跡と呼ばれる程、好景気だったはずです…

・「アメリカン・フィーリング/サーカス」1979年(アメリカ)
背景に、今は無き世界貿易センターが写っていますね…
青い空に大地に爽やかなアメリカ!って感じの歌詞と言い、まさに昭和の日本人が抱いた古き良きアメリカンドリームを体現した名曲だと思います…!

・「ガンダーラ/ゴダイゴ」 1979年(パキスタン)
ガンダーラは今のパキスタン北部にあった古代の王国です。
歌詞にはインディアともありますが、ここで言うのは現在のインドの国では無く、さらに広い地域に跨がっていた古代インドの地域を差しています。
「愛の国、ガンダーラ…」とありますが、今のパキスタンは戦争とか核とか、あまり良くないイメージしか無いですねぇ…

・「異邦人/久保田早紀(現:久米小百合)」1979年(シルクロード)
シルクロードのイメージを増幅させるため、民族楽器のダルシマーも本曲に使用され、インパクトのあるイントロは中東風に仕上げた…らしいです。
と言うより、wikiによると、元々異国情緒を歌った曲では無く、国立の風景を歌った曲のはずが、何度も歌詞を修正していくうちにこうなったらしいです…本人は当初あまり気に入ってなかったとか…

・「サンタモニカの風/桜田淳子」 1979年(アメリカ)
サンタモニカはロサンゼルス近郊にあるリゾート地で、爽やかな曲調に合わせて、当時ナショナルのエアコンのCM曲としても使われていました。

・「エーゲ海のテーマ 魅せられて/ジュディ・オング」 1979年(ギリシャ)
単に「魅せられて」と表記する例が多いですが、正式なタイトルはこちらとなります。
サビの歌詞で、「Wind is blowing from the Aegean」とあり、エーゲ海から吹く風について歌っていますね。
ド派手な衣装でも有名な曲ですが、これもギリシャ神話の女神をイメージしたものだったらしいです。

…以上、13曲を出していきましたが、何故かこの時期に集中して多いです。

そこで、この1978年~1979年頃の時代背景を探っていきますと、
「海外旅行はまだ高いが、ようやく少しずつ届くようになってきた」
と言う時代になっていきます。

「庶民はかなり背伸びして、中流家庭なら割と普通に、海外に行けるようになってきた」…程度らしいです。
今と違い、学生でも貯金すれば、何とか海外に行けた訳ではありませんでした。たぶん大学生の海外旅行は、経済的にかなり厳しかったのでは…と考えられます。

当時の経済状況と航空業界を探っていくと、時代背景が見えてきますね。

・前史 海外旅行の自由化
日本人の海外旅行自由化は東京オリンピック開催を控えて1964年に行われ、それまで外貨等の問題もあり、厳しい条件への許可が下りないと海外には行けなかったのが、ようやく自由に行けるようになっていきました。
ただし60年代~70年代前半ぐらいまでは、まだまだ海外旅行はかなりの高嶺の花で、富裕層以外に縁はありませんでした。

その60年代当時から放送が始まり、80年代まで続いた長寿番組「兼高かおる世界の旅」などで、海外が紹介されていることで憧れを持った方も多く、
また懸賞で憧れのハワイ!パリ!と言ったキャンペーンも盛んに行われていました。
そこで航空会社がスポンサーになる例も多かったですね…

例えば、有名なアタック25が、当初エールフランスでの旅プレゼント!だったのが代表例となります。(映像はもっと後の1986年のものですが、エールフランスの旅プレゼントは、この頃から続いていました)

今の60代以上の人は、この時代背景から海外への憧れは極めて強い…と言われていますね…
映画も本番の雰囲気を味わうため、わざわざ字幕で見るのが良いという風潮もあるみたいで…

・70年代後半 少しずつの海外旅行一般化
海外旅行ツアーが、ようやく都市圏の中流層に一般化し始めたのは、まさにこの1970年代後半からとなります。

背景には、ドルが変動相場制に移行したことや経済成長による円高や、
ジェット機の性能向上や大型化による大量輸送によって、結果的に旅行費用が低下したことも一因とされています。

ジャンボジェットこと、ボーイング747は大量輸送の実現に大きく貢献し、2階建ての迫力によるイメージリーダー性も相まって、各社がこぞって導入するようになりました。

上記は、JALが初めて747を導入した当時の英語圏向けのCMです。
少し古い1970年のものとなりますが、この後大量に導入されて、全盛期はJALが世界一747を保有する航空会社であったこともあります。

当時の70年代終わりでも、まさにJALのイメージリーダーそのものでした(本当はその70年代終わり当時の、JALのCMがあれば良かったのですが、動画が無かったので…)

加えて、この時期の日本はオイルショック後の不景気も落ち着き、安定成長に向かっていた時代でした。
(結局すぐ後に第2次オイルショックも起こりますが、第1次程の混乱にはなっていません…)

これらのような背景から、70年代終わりは「ようやく、我が家でも憧れの海外旅行に行けるようになってきたぞ!」と言う風潮になっていたことで、
まず出来る訳ない→頑張って背伸びすれば出来る、に変化したことが、これだけ多数の異国情緒を歌った曲を出していたのかもしれません。

・その後 海外旅行の大衆への浸透
余談ですが、この後の情勢についても語ります。
海外旅行に行くための航空券の費用の高さも、庶民が中々海外旅行に行けない理由の1つでした。
韓国や台湾は下手すれば国内の遠隔地よりも安い場合もある一方で、今でも欧州への旅行とかはかなりの費用かかりますが、当時の高額さはその比ではありませんでした。

その背景には、各国とも航空会社が規制によって、政府に守られていたため、競争が激しくなかったこともあります。
例えば、日本では国際線はJALのみ、国内線の主要路線はJALとANA、ローカル線はANAとTDA(東亜国内航空、後のJAS・日本エアシステム)と、明確に分担された3社体制でした。
新規の航空会社立ち上げの条件は厳しくなり、当然格安航空なんてのはありませんでした。

その分、エコノミークラスでも今のファーストクラス並みに豪華な食事が提供されるなどの面もあったと言われています。
その頃の機内食の写真見ると、客席の目の前でシェフ自ら生ハムを切ったり(今や安全面でアウト)、豪華なオードブルが提供されるシーンがあります。

ただこの時期からアメリカでは、世界に先駆けて規制の自由化が始まっていき、格安航空会社の登場などで、各社とも競争が激しくなっていきます。


結果的にかつて世界一の航空会社であったパンナムが、元々の高コスト体質を改められなかったため、競争に勝てず倒産する原因となりました。
日本においても、アメリカに少し遅れて規制緩和がされるようになりました。

これで各社の競争が激化した結果、価格が重視されるエコノミークラスの質は下がり、逆に高いサービス性が重視されるファーストクラスがどんどん豪華になったと言われています。

さらにニーズに応じてビジネスクラス、最近ではプレミアムエコノミーも出来て、細かく区分けされたのもこの流れによるものです。
競争で価格が下がったことで、結果的に庶民の旅行もしやすくなりました。

またバブル経済で日本経済は頂点に達し、当然経済的に豊かになったことで、海外旅行に行く客も右肩上がりで増加し、海外旅行の大衆化を招きました。
バブル崩壊後においても競争の激しさによる、格安航空会社・格安航空券の台頭などもあり、現在のように海外旅行はすっかり一般的なものとなりました。

海外旅行が大衆化したことで、このような異国情緒への憧れ…といった面も、現在の40代以下の世代ではあまり多くないと言われています。なので80年代中頃あたりから、異国情緒を歌う曲も減少していきました。

・そのうち2曲はルーツが同じだった…?
また有名クリエイターが、南太平洋に旅行し、そこから着想を得ていたそうです。
wikiによると音楽プロデューサーの酒井政利は、電通の藤岡和賀夫の企画により、池田満寿夫・阿久悠・横尾忠則・浅井慎平ら計8名のクリエイターと、1978年に南太平洋の旅に出かけたそうです。

そこで得た着想をもとに、魅せられて、異邦人を生み出し、
さらに異国情緒とは違うものの、山口百恵のいい日旅立ち、矢沢永吉の時間よ止まれ…の4曲を生み出し、どれもヒットしたから…と言うことらしいです。


以上の背景から、これだけ異国情緒ある名曲が生まれたのでは無いか、と推測しています。
今聴いても色褪せない名曲ですね…


バブル遺産 マイカル本牧の現状

2023-11-17 03:14:24 | 日記


かつてバブル期に一世を風靡し、贅を尽くした造りのモールだった横浜市のマイカル本牧…

大阪の衣料品店発祥のスーパー、ニチイにルーツを持ち、
やがて社名を変えてサティやビブレの運営で知られたマイカル…の手によって
本牧の代名詞でもあった米軍施設の跡地を再開発したこの施設は、

・銀座のように、イタリアやフランスなど世界の高級ブランドが多数入っていた
・マイカルで買ったスーツを着てクラブへいくと特別扱いされた
・お化け屋敷に映画館にアミューズメント施設も盛りだくさん
・渋谷にみなとみらいに行かなくても、ここ本牧にデ〇ズニーストアがあった
・「ここがあのマイカル本牧!」と関東の若者がみんな知る憧れのスポット、ドライブデートの定番

そんな夢のような場所が、この駅すら無い陸の孤島、本牧の地にあった訳です。
最盛期はバブリーな店ばかりの10練の建物が連なる巨大施設でした。

しかしバブル崩壊で、高級ブランドばかりを集めたバブリーな施設だったマイカル本牧は、
(運営元のマイカルがバブルのまま調子乗り続けたのもあって)ニーズの変化に乗れず客足が遠退いていきます。

加えて、やはり鉄道駅が無いのはアクセス面で致命的でした。
運悪いことに、当施設が衰退し出した90年代前半からみなとみらい地区の開発が本格化し、発展していきます。
すると、桜木町から歩いて行けるみなとみらいにますます客を取られていく訳です。

そしてそんな低迷状況の中、運営元のマイカルは倒産寸前であっても小樽に巨大施設を作るなど調子乗り続けた結果、とうとう破綻してしまいます。

マイカルはイオン傘下に入り、それと同時期から不良債権とされたマイカル本牧も、
バブリーなアトラクション施設を取り壊したり、規模縮小したり、庶民的なテナントに入れ替えるなどした結果、
中身はただのイオンと変わらなくなりました。

そして2011年、サティの名もマイカルの社名も消滅したことで、運営上はイオンの1店舗…に過ぎなくなり現在に至る訳です。

ですが、実際に行ってみますと、やはりバブリーな全盛期の面影は、あちこちに見ることが出来ます。
勿論規模は縮小しており、解体された建物もありますし、高級ブランドのテナント等は全く残っていません。

そんな中で、名残を探し出してみました。

・1番街
マイカル本牧でメインとなるのが、この1番街です。







見ただけでわかるこのバブリーさ…重厚な見た目、噴水のある立派な広場、デパートのようなエントランス…
イオンの1店舗にしてはあまりに立派過ぎる造りが、この施設の生い立ちを物語ってます。






スペイン風を意識した造りのマイカル本牧には、
わざわざ本場スペインから取り寄せた噴水が、メインとなる1号館の広場にあります。



また、それに合わせてメインストリートもイスパニア通りと名付けられています。
米軍施設があったが故に、アメリカ文化が根強い本牧の街に、スペイン風は間違っているのでは…というのはさておき…








噴水自体は今も動いていますが、ところどころに痛みが見られ、あまりメンテナンスはされていないと思われます。

オープンから34年の歳月が建っていますしね…
バブルは遠い昔…









ちなみに夜になるとこのように、噴水がライトアップされます。
流石のバブリーさですね…どんなに大きな最新のイオンモールでもこんな凝った噴水は置かないでしょう…




サティ時代のままのエスカレーター放送が残り、
そして〇〇の街と各階を呼ぶのも、元サティの店舗のみの特徴です。

これは、当初のサティが生活百貨店と称したが故に、上品に見せたかったからではと、推測します。




現在のマイカル本牧1号館フロアマップ

全盛期は1階の食料品売場で、水族館並みの大型水槽に泳がせた新鮮な魚を、そのまま売るとか、
洋モノばかり集めた高級家具屋まであったらしいですが…

今は中身に関しては、すっかり普通のイオンです…()

・3番街







1階が銀行や郵便局、2階は地域住民憩いの場のカルチャーセンター本牧、3階より上が駐車場となります。

銀行や郵便局、地域施設など必要不可欠な施設ばかり入るが故に、今も全盛期とあまり変わらず存続出来ています。



駐車場にあったものですが、現在のイオンのピンク色よりも、薄いピンク色の看板に、サティの面影を感じますね…





1番街と3番街の連絡通路にあった、「カルチャーセンター本牧」の看板
時代感じさせるフォントだから、オープン当初から変わらないんでしょうね…







この連絡通路自体も、やはりバブリーな造りです。


そして"マイカル本牧"と未だに書かれた不動産会社の広告…



ただやはり、エレベーターからして、やはりイオンにしてはゴージャス過ぎる造りです…
この周りに大理石の装飾が施されたドア…もはやデパートのようで…




そして凝った形の照明も…
やはりマイカルとしてのオープン当初からの物でしょうね…


・5番街


全盛期は、グッチルイヴィトンなどの誰もが知る高級ブランドのショップばかりが入り、
3階にあった同名のニューヨークにあるシアターと提携した、アポロシアターというシアターには、
ライブにわざわざマイケル・ジャクソンの姉を呼んだ程だったそうで…
(ちなみにラトゥーヤ・ジャクソンと言います)。

ただでさえ高級志向なマイカル本牧でも、この5番街が一番ハイソな建物でした。
たぶん全盛期は、この建物内に入るだけでも緊張したんでしょうね…








そんな入るだけで緊張しそうな程、ハイソだったはずの5番街のテナントに、今現在、入っているのは、
サイゼリヤ・はま寿司・ダイソー…と、見事なまでにハイソのハの字も無い有り様

完全に庶民の味方の店がズラリ…

高級店に入る時特有の、あの緊張感も、もはや全く感じる訳がありません()
普通にサッと入れました()

ただそんなすっかり庶民的になってしまった5番街の店内ですが、

・間接照明を使った上品な雰囲気の通路



・重厚な雰囲気の支柱





・かつて何かしらに使っていたであろう立派な空きスペース(シアターのインフォメーションカウンターとか?)


・雑居のテナントが入る商業ビルにしては、あまりにゴージャス過ぎる大理石の階段







…などに全盛期のハイソだった頃の面影を残しています。

そもそも今現在は5番街のみ、ベイタウン本牧という名前の施設で、
イオンとも別会社・別資本の運営になっています。

元々マイカル倒産後に不良債権として閉鎖され、その数年後にマイカル・イオンとは別の資本によって再オープンした形となります。








この5番街中央広場には、かつて天井からアメリカ空軍の軽飛行機を模した吊り下げられていたそうで…

イベントスペースにも使えそうな広さで、実際に全盛期はそう使われていたのかもしれないですが、今やもて余しているだけですね…
誰もいないから照明も一部しか点灯しておらず…






残念ながら、かつての5番街は、空きスペースもやたらと目立ち、きちんと建物を有効活用出来ているとは、とても言い難いです…

全盛期は建物内には高級ブランドの店で溢れていたはずですが…
こんなところにグッチの店があったんですよ…はい…

リサイクルショップや格安衣料品店がひっそり入ってるだけで…