なはの雑多ブログ

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新潟あああああああああああああああ

2021-03-31 02:11:38 | 解説集

久々に動画解説?の4回目、行きたいと思います。なお動画リンク中心となるのでご注意ください。

このタイトルで何の曲かわかった人は結構古参のニコ厨かな…とは思いますw

今回取り上げるのはニコニコ動画の初期に流行した高らかにオナニーの、解説です。
ニューハーフが歌う下ネタだらけの空耳で有名で、サビで「新潟ああああああああああ」と叫ぶ、あの曲についてです。

見ての通りの下ネタだらけの空耳なんですが、実は本家の方も中々の曲なので、ここで解説したいと思います。

この曲は2007年に発表された「(Åh) När ni tar saken i egna händer」(読み:(オー)・ナー・ニ・トー・サーケン・イ・イグナ・ヘンデー)という曲で、歌詞は全てスウェーデン語となっています。

冒頭の「(Åh) NäR Ni Tar Saken I Egna HäNder」の「(Åh) När ni」の部分が「オナニー」に聞こえる上、これを高らかに歌うことから高らかにオナニーと呼ばれるようになりました。
ちなみにこのオナニーの部分は空耳ではありません。スウェーデン語でもオナニー(自慰行為)のことをオナニーと言うので、あえて「オナニー」と聞こえるような別の語句を並べています。いわゆるダブル・ミーニングという物です。

また「新潟あああああああ」と叫ぶことから、全く関係無いにも関わらず、勝手にニコニコ民では「新潟県歌」という扱いになっています。
なお本当の意味での新潟県歌は「新潟県民歌」という曲が別にあるようです。また他の歌詞の部分については後述しようかと思ったのですが、gooブログでは30000文字までしか入力できないので、字数制限にかかってしまったので、画像形式にて紹介したいと思います。

この曲が発表された2007年には、毎年ヨーロッパで一番のアーティストを決める大会である、ユーロビジョン・ソング・コンテストにおいて、スウェーデン代表を決定する予選大会のメロディーフェスティバーレンにおいて5位という結果を残しました。                                                                動画の映像もこの時のもので、スウェーデンの公営放送であるSVT(日本のNHKと同じような形態の放送局で、受信料も同じように取る)で放送されたものです。

歌っているのは、上の写真のAfter darkというアーティストグループのクリステル・リンダル、というメンバーです。

メンバーの2人、左がラッセ・フリンクマン、右がクリステル・リンダルとなる。

このAfter darkは1976年に結成するという大変歴史あるドラッグ・クイーンのグループなのですが、メンバーはこのクリステル・リンダルともう一人、ラッセ・フリンクマンという2人のメンバーのデュオとなっていました。        

今回はこのAfter darkの歴史についても述べます。なお以前取り上げた「世界一ダサいPV」のArmi and Dannyと比べると資料が少なく、あまり取り上げることが出来ないのが残念ですが、可能な限り紹介していきたいと思います。

結成初期のものとされる写真

1976年に、代表的存在であったロジャー・ヨンソンとクリステル・リンダル、ラッセ・フリンクマン、他数人のメンバーによって同名のナイトクラブと同時に結成されたのがAfter darkの始まりです。ウエスト・サイド物語のパロディでドラッグショーの要素を加えるべくアレンジされたワイルドサイドストーリーで初デビューを飾りました。
それをストックホルムの中心街にある人気のある劇場で公演したことで、彼らの才能を首都ストックホルムの大衆にすぐに披露することが出来たのです。舞台は初デビューでありながら大変好評でした。
その後、ナイトクラブの「Shazam」で数か月間独自のショーを開催した後、正式にAfter Darkというドラッグショーグループを結成し、すぐにストックホルムのデビッドバガレスストリートに同じ名前のナイトクラブをオープンしました。

その後もドラッグショーやテレビ出演を多数を行い、スウェーデンのLGBT文化の発展に大きく貢献したと言われています。

さらにはデンマークやノルウェーなどのスカンジナビアの近隣国にも進出し、さらに1983年にはマドリードとサンフランシスコでの公演を果たしました。
しかし、1984年には代表的存在であったロジャー・ヨンソンが亡くなるという悲劇も起こりました…

1980年代のクリステル・リンダルとラッセ・フリンクマンの写真

その後メンバーの入れ替わりが激しかったようですが、1993年にはクリステル・リンダルとラッセ・フリンクマンの2人組デュオに落ち着いたようです。
1996年には結成20周年を記念し、ストックホルム、ヨーテボリ、マルメといったスウェーデン主要都市を巡るツアーを開催しました。

クリステル・リンダル(高らかにオナニーを歌った人)は1953年3月3日にスウェーデン北部の都市であるエシルストゥーナにて生まれました。                

エシルストゥーナのワンルームマンションで幼少期を通して母子家庭で暮らした後、19歳のときに首都ストックホルムに引っ越しました。

またストックホルムのベックマンスクールオブデザインという大学を卒業し、デザイナーとして訓練も受けています。
既に子供の頃より、彼はしばしば歌や娯楽の経験を重ね、10代の頃には既に南東部の都市のセーデルマンランドの民俗公園において、ABBAのメンバーのアンニ=フリッド・リングスタッドと一緒に数回出演した程でした。

若手時代のクリステル・リンダル

ドラッグショーのジャンルへの彼が興味を持ったきっかけは、性別の立場が逆転したことをテーマにした仮面舞踏会によるものでした。その後ロジャー・ヨンソンに誘われたことをきっかけにAfter darkとしてデビューしました。

↑女装の時と男性の時の比較画像

また時には男性として登場することもあり(現にwikiの写真は男性での姿です)、彼は大学時代の経験を活かして服飾デザインでも成功を果たしました。After darkの衣装の多くは彼が自分でデザインしたと言われています。

ラッセ・フリンクマン(ニコニコのコメントでマツコっぽいと言われてる太めの人)は、1949年8月5日にフィンランドの首都ヘルシンキで生まれました。
カール・グスタフ・フリンクマンとアン・マリーの息子で、父親がフリンクマンが3歳のときに亡くなった後、家族と一緒にスウェーデンにやって来ました。

スウェーデン語のwikiやその他サイトを見てもあまり情報が集まらなかったのですが、クリステル・リンダルとはデビュー間もない頃の一時期ではあるものの亀裂が発生したこともあったと言われています。
2009年に肺の問題に苦しんでいたこともあって芸能活動から引退し、晩年は自身のカフェを開いていたそうです。

2016年4月18日に亡くなり、スウェーデン南部のスコーネ県のヘルシンボリという町に埋葬されています。

アーティストデビューした頃の写真

そして、2004年にドラッグショーのみならず、アーティストとしてのデビューを飾る訳です!ここから、あの高らかにオナニーにまでの伝説が始まりました!

そのデビュー曲がこの、La dolce vita(ラ・ドルチェ・ヴィータ)という曲です!

この曲も高らかにオナニーと同様、空耳が存在し、「スペインでゴマキ」「堀江さんメロン食い逃げ~」などと言うのがありますw

そしてこのLa dolce vitaはスウェーデンのオリコンチャートで最高8位を記録し、ユーロビジョン・ソング・コンテストのスウェーデン代表を決定する予選大会である、メロディーフェスティバーレンにおいて3位という結果を残しました。
当時は託児所などでも流されていたそうですが、ドラッグ・クイーンの曲がここまでヒットして託児所で幼児がいる中で流されるとは流石自由度と民度の高い北欧のスウェーデンならでは…ですね…


・他にも代表曲を紹介します。もう一つ、知られているのがKom ut(コム・ウット)という曲です。

日本では「ザマス!」「座間市」などの空耳となっています(勿論本当は座間市とは無関係ですよw)。
他にも「生んでね暴言」「はよ○ねや」「出っさなきゃオッ○ンコ」など物騒な空耳もありますが…w

この曲は世界的に有名なヴィレッジ・ピープルのGo Westという曲のスウェーデン語のカバーとなっており、日本でもポンキッキの番組内で、「LET'S GO!いいことあるさ」というタイトルでカバーされたことで知られています。
なおKom utというのはスウェーデン語で出て来てという意味だそうです。

Vi är alla stjärnorという曲で、どちらも同じ箇所ですが、「あなたの、あなたの、Linux」、「あなたの、あなたの、INAX」という空耳で知られています。他にも「○ン○ンがクエン酸」とか言う相変わらずの下ネタの空耳もありますが…                                                            (INAXはトイレのメーカーだけど、LinuxはITわかる人じゃないと馴染み薄いかも…簡単に言うと自分で中身をいじくれるフリーなOS…のこと)

・最後に最新曲、そして結果的に最終作となってしまったのが、2016年に発表されたKom ut som en stjärna(コム ウット サム エン ファーナ)という曲です。

こちらも、サビのKom ut som en stjärnaが「お味噌バーガー」に聞こえるという空耳があります。

そしてこの2016年に、フリンクマンが亡くなったことも影響してか、残念ながら2018年をもってAfter Darkは活動を終了し、42年の歴史に幕を閉じる形となってしまいました…

:高らかにオナニーの歌詞
上から空耳本家のスウェーデン語本家のカタカナ表記本家の和訳の順になっています。なお先述した通り、字数制限の関係で画像での紹介となります。見づらくなってしまいますが申し訳ございません。

:用語解説
この曲にはスウェーデンを代表する芸能人の名前が多数入っているのも特徴で、それらを中心に解説します。なお歌詞に入った人にはちゃんと許可取ったらしい…()

*1
likadant(リカダント)
この曲で有名な「新潟ああああ」と叫ぶところにあたる原語での歌詞であるが、likadantとはスウェーデン語で「同じ」という意味であり、決して新潟県のことを歌っている訳ではない。
(そもそもスウェーデン人が日本の地方都市を知っているとは思えん…だって逆にスウェーデンの地方都市の名前とか知らんでしょ?)

*2
Matin(マーティン)
日曜大工番組の司会者であるマーティン・ティメルのこと。1980年代よりテレビ出演をしており、日曜大工以外にも長年に渡り様々な番組の司会者を努めているが、2017年に無実のレイプの罪で起訴されてしまったらしい。既婚で2人の子供がいる。

マーティンが出演する日曜大工番組の様子、何と家を自らの手で作っているようだ。

*3
Tina(ティナ)
スウェーデンを代表する料理研究家のティナ・ノルドストリョムのことで、南部のスコーネ地方の訛りで「イェッテギュオット!」(ローマ字ではJättegottと表し、標準スウェーデン語の発音ではイェッテゴットとなる。とってもおいしいという意味)と叫ぶのがトレードマークとなっている。
ティナの料理、イェッテゴットティナといった料理本や、新スカンジナビア料理、ティナの食品といった料理番組を数多く手掛けている。日本で言う平野レミのような存在といったところ。

ティナが出演した料理番組の動画。馴染みの無い北欧料理だが、どうやら肉料理の模様。

*4
Bosse(ボッセ)
自動車番組司会者のボッセ・アンデルソンのこと。自動車整備士としての経験も持ち、それを元にインストラクターとしての自動車番組を始めたらしい。内容に関する情報が少ないものの、日本のジャーナリスト的な自動車番組とは異なる模様。

*5
Amazon(アマゾン)
通販サイトのことでは無く、1960年代のボルボを代表する中型のセダン/ワゴンのボルボ・アマゾンのことである。1956年から1970年までの長きに渡って生産された。この曲の歌詞はボッセ・アンデルソンが愛車のアマゾンをいじっている、といった内容になっている。

↑ボルボ・アマゾンの写真

*6
Ernst(エルンスト)
インテリア番組の司会者である、エルンスト・キルクシュテーガーのこと。日本でもお馴染みのイケアにおいてインテリアデザイナーとして務めていた経験があり、その実績からインテリア番組に抜擢された経歴を持つ。

エルンストが対談番組に出た時の動画だが、どう見てもこれは日本の徹子の部屋に雰囲気がそっくりである……なお若かりし頃と思われる写真もある。