なはの雑多ブログ

銭湯、雑多ネタ、野球などについて色々書く予定です。

70年代末期って…異国情緒の曲多いよね…

2023-12-13 00:53:32 | 解説集

何か70年代あたりまでの邦楽って、異国情緒歌った曲が特に多い気がするんですよね…
今の曲に無い、異国への憧れみたいな雰囲気を感じますが、昭和らしい夢があって割とその手の雰囲気は好きだったりします…

特に70年代終わりに、何故かかなり集中しています…いくつかその例を出していきます…

曲名、アーティスト、発表年、テーマにした国や物など…の順に掲載しています。

・「飛んでイスタンブール/庄野真代」1978年(トルコ)
本人はヒットの2年後にイスタンブールを初めて訪れた際、
歌詞にある砂漠のエキゾチックなイメージと真逆の、雪が舞い湿度が高い環境に衝撃だったらしいです…

・「モンテカルロで乾杯/庄野真代」1978年(モナコ)
モナコは都市国家ですが、モンテカルロはその中の海沿いのリゾート地の名前で、F1のモナコGPや、WRCのラリー・モンテカルロでも知られています。割れてしまえ地球なんか、キスの嵐で夜どうし、とか…意外と過激な歌詞ではありますよね(笑)

・「マスカレード/庄野真代」1978年(スペイン)
他にも庄野真代は異国情緒を歌った曲が特に多いですね…
スペインを感じさせる冒頭の華やかなサウンドに、ドン・キホーテ(某ディスカウント店では無く、元になった物語の方)とか、アディオス・アミーゴなどと歌詞に出てきます…

・「ジャングル・コング/庄野真代」1979年(アフリカ)
本人の公式サイトには、「この頃コンサートではアニマル柄の服を着ていました。大阪のオバちゃんかいな。」とコメントがあります(笑)

・「シンガポール航海/庄野真代」 1979年(シンガポール)
シンガポールの海と夜景を歌ったバラードでとなります。夜景を見ながらこの曲を聴きたいものです…

・「サンタマリアの熱い風/山口百恵」 1978年(恐らくスペイン?)
サンタマリアと言うのは、元々イタリア語やスペイン語でキリスト教の聖マリアを意味しますが、
オレーオレーオレーオ、血の酒を飲め…というサビの熱い歌詞からすると、イタリアよりはスペインをイメージしてそうですね…

・「カナダからの手紙/畑中葉子&平尾昌晃」1978年(カナダ)
女性が1人旅の旅先のカナダから恋人を想ってる切ない歌詞です。
この曲の影響で、カナダを訪れる日本人観光客が大きく増加し、本人達はカナダ政府から表彰までされたそうです。

・「エーゲ海の旅/畑中葉子&平尾昌晃」1978年(ギリシャ)
こちらも同じデュエットによる曲で、「あなたとわたしの、2人のギリシャ」「古代の遺跡が旅のひとコマ」など、ギリシャ旅行を歌に乗せたものとなっています。

後で紹介するジュディ・オングの「魅せられて」も、同じギリシャのエーゲ海がテーマで、これだけ取り上げられるのは、やはり綺麗な海で人気の観光地らしいですね…
まあ今となってはギリシャも経済破綻してしまいましたが…この頃は確かギリシャの奇跡と呼ばれる程、好景気だったはずです…

・「アメリカン・フィーリング/サーカス」1979年(アメリカ)
背景に、今は無き世界貿易センターが写っていますね…
青い空に大地に爽やかなアメリカ!って感じの歌詞と言い、まさに昭和の日本人が抱いた古き良きアメリカンドリームを体現した名曲だと思います…!

・「ガンダーラ/ゴダイゴ」 1979年(パキスタン)
ガンダーラは今のパキスタン北部にあった古代の王国です。
歌詞にはインディアともありますが、ここで言うのは現在のインドの国では無く、さらに広い地域に跨がっていた古代インドの地域を差しています。
「愛の国、ガンダーラ…」とありますが、今のパキスタンは戦争とか核とか、あまり良くないイメージしか無いですねぇ…

・「異邦人/久保田早紀(現:久米小百合)」1979年(シルクロード)
シルクロードのイメージを増幅させるため、民族楽器のダルシマーも本曲に使用され、インパクトのあるイントロは中東風に仕上げた…らしいです。
と言うより、wikiによると、元々異国情緒を歌った曲では無く、国立の風景を歌った曲のはずが、何度も歌詞を修正していくうちにこうなったらしいです…本人は当初あまり気に入ってなかったとか…

・「サンタモニカの風/桜田淳子」 1979年(アメリカ)
サンタモニカはロサンゼルス近郊にあるリゾート地で、爽やかな曲調に合わせて、当時ナショナルのエアコンのCM曲としても使われていました。

・「エーゲ海のテーマ 魅せられて/ジュディ・オング」 1979年(ギリシャ)
単に「魅せられて」と表記する例が多いですが、正式なタイトルはこちらとなります。
サビの歌詞で、「Wind is blowing from the Aegean」とあり、エーゲ海から吹く風について歌っていますね。
ド派手な衣装でも有名な曲ですが、これもギリシャ神話の女神をイメージしたものだったらしいです。

…以上、13曲を出していきましたが、何故かこの時期に集中して多いです。

そこで、この1978年~1979年頃の時代背景を探っていきますと、
「海外旅行はまだ高いが、ようやく少しずつ届くようになってきた」
と言う時代になっていきます。

「庶民はかなり背伸びして、中流家庭なら割と普通に、海外に行けるようになってきた」…程度らしいです。
今と違い、学生でも貯金すれば、何とか海外に行けた訳ではありませんでした。たぶん大学生の海外旅行は、経済的にかなり厳しかったのでは…と考えられます。

当時の経済状況と航空業界を探っていくと、時代背景が見えてきますね。

・前史 海外旅行の自由化
日本人の海外旅行自由化は東京オリンピック開催を控えて1964年に行われ、それまで外貨等の問題もあり、厳しい条件への許可が下りないと海外には行けなかったのが、ようやく自由に行けるようになっていきました。
ただし60年代~70年代前半ぐらいまでは、まだまだ海外旅行はかなりの高嶺の花で、富裕層以外に縁はありませんでした。

その60年代当時から放送が始まり、80年代まで続いた長寿番組「兼高かおる世界の旅」などで、海外が紹介されていることで憧れを持った方も多く、
また懸賞で憧れのハワイ!パリ!と言ったキャンペーンも盛んに行われていました。
そこで航空会社がスポンサーになる例も多かったですね…

例えば、有名なアタック25が、当初エールフランスでの旅プレゼント!だったのが代表例となります。(映像はもっと後の1986年のものですが、エールフランスの旅プレゼントは、この頃から続いていました)

今の60代以上の人は、この時代背景から海外への憧れは極めて強い…と言われていますね…
映画も本番の雰囲気を味わうため、わざわざ字幕で見るのが良いという風潮もあるみたいで…

・70年代後半 少しずつの海外旅行一般化
海外旅行ツアーが、ようやく都市圏の中流層に一般化し始めたのは、まさにこの1970年代後半からとなります。

背景には、ドルが変動相場制に移行したことや経済成長による円高や、
ジェット機の性能向上や大型化による大量輸送によって、結果的に旅行費用が低下したことも一因とされています。

ジャンボジェットこと、ボーイング747は大量輸送の実現に大きく貢献し、2階建ての迫力によるイメージリーダー性も相まって、各社がこぞって導入するようになりました。

上記は、JALが初めて747を導入した当時の英語圏向けのCMです。
少し古い1970年のものとなりますが、この後大量に導入されて、全盛期はJALが世界一747を保有する航空会社であったこともあります。

当時の70年代終わりでも、まさにJALのイメージリーダーそのものでした(本当はその70年代終わり当時の、JALのCMがあれば良かったのですが、動画が無かったので…)

加えて、この時期の日本はオイルショック後の不景気も落ち着き、安定成長に向かっていた時代でした。
(結局すぐ後に第2次オイルショックも起こりますが、第1次程の混乱にはなっていません…)

これらのような背景から、70年代終わりは「ようやく、我が家でも憧れの海外旅行に行けるようになってきたぞ!」と言う風潮になっていたことで、
まず出来る訳ない→頑張って背伸びすれば出来る、に変化したことが、これだけ多数の異国情緒を歌った曲を出していたのかもしれません。

・その後 海外旅行の大衆への浸透
余談ですが、この後の情勢についても語ります。
海外旅行に行くための航空券の費用の高さも、庶民が中々海外旅行に行けない理由の1つでした。
韓国や台湾は下手すれば国内の遠隔地よりも安い場合もある一方で、今でも欧州への旅行とかはかなりの費用かかりますが、当時の高額さはその比ではありませんでした。

その背景には、各国とも航空会社が規制によって、政府に守られていたため、競争が激しくなかったこともあります。
例えば、日本では国際線はJALのみ、国内線の主要路線はJALとANA、ローカル線はANAとTDA(東亜国内航空、後のJAS・日本エアシステム)と、明確に分担された3社体制でした。
新規の航空会社立ち上げの条件は厳しくなり、当然格安航空なんてのはありませんでした。

その分、エコノミークラスでも今のファーストクラス並みに豪華な食事が提供されるなどの面もあったと言われています。
その頃の機内食の写真見ると、客席の目の前でシェフ自ら生ハムを切ったり(今や安全面でアウト)、豪華なオードブルが提供されるシーンがあります。

ただこの時期からアメリカでは、世界に先駆けて規制の自由化が始まっていき、格安航空会社の登場などで、各社とも競争が激しくなっていきます。


結果的にかつて世界一の航空会社であったパンナムが、元々の高コスト体質を改められなかったため、競争に勝てず倒産する原因となりました。
日本においても、アメリカに少し遅れて規制緩和がされるようになりました。

これで各社の競争が激化した結果、価格が重視されるエコノミークラスの質は下がり、逆に高いサービス性が重視されるファーストクラスがどんどん豪華になったと言われています。

さらにニーズに応じてビジネスクラス、最近ではプレミアムエコノミーも出来て、細かく区分けされたのもこの流れによるものです。
競争で価格が下がったことで、結果的に庶民の旅行もしやすくなりました。

またバブル経済で日本経済は頂点に達し、当然経済的に豊かになったことで、海外旅行に行く客も右肩上がりで増加し、海外旅行の大衆化を招きました。
バブル崩壊後においても競争の激しさによる、格安航空会社・格安航空券の台頭などもあり、現在のように海外旅行はすっかり一般的なものとなりました。

海外旅行が大衆化したことで、このような異国情緒への憧れ…といった面も、現在の40代以下の世代ではあまり多くないと言われています。なので80年代中頃あたりから、異国情緒を歌う曲も減少していきました。

・そのうち2曲はルーツが同じだった…?
また有名クリエイターが、南太平洋に旅行し、そこから着想を得ていたそうです。
wikiによると音楽プロデューサーの酒井政利は、電通の藤岡和賀夫の企画により、池田満寿夫・阿久悠・横尾忠則・浅井慎平ら計8名のクリエイターと、1978年に南太平洋の旅に出かけたそうです。

そこで得た着想をもとに、魅せられて、異邦人を生み出し、
さらに異国情緒とは違うものの、山口百恵のいい日旅立ち、矢沢永吉の時間よ止まれ…の4曲を生み出し、どれもヒットしたから…と言うことらしいです。


以上の背景から、これだけ異国情緒ある名曲が生まれたのでは無いか、と推測しています。
今聴いても色褪せない名曲ですね…


社会主義国時代のルーマニアのプロパガンダ曲集

2023-11-13 18:54:53 | 解説集

今回は社会主義国時代のルーマニアのプロパガンダ曲について取り上げます。

ルーマニアは東欧の国ですが、1989年までは共産党政権の社会主義国であり、独裁者チャウシェスクが牛耳る国でした。

チャウシェスクは当初こそ、東西冷戦のさなかで社会主義国ながらソ連と距離を置いた独自の外交で、西側の国とも関係を築き一定の成果を上げます。

しかし、北朝鮮を訪問した際に同国ならではの強烈な個人崇拝・絶対的独裁体制に、感銘を受けてしまったようで、ここからチャウシェスクは狂い始めていきます。

チャウシェスクは秘密警察のセクリターテの権限を強化して国民を恐怖のどん底に陥れ、
さらに北朝鮮の金一族の個人崇拝を真似た自身と妻へのプロパガンダを展開する一方で、

国力のため人口の増加が必須、と考えて中絶は犯罪として無理に子供を生ませた結果、ストリートチルドレンが溢れてエイズも増えるなど、メチャクチャな政策を展開するようになります。

さらに財政赤字解消のため飢餓輸出を敢行する有り様な一方、
自身は首都ブカレストに「国民の館」と呼ばれる宮殿を建てた程の絶対的独裁者でした(アメリカ大統領官邸のペンタゴンに次ぐ大きさです…)

ハンガリー、ポーランドなど次々に東欧の国家が民主化していく中、
ルーマニアでも独裁制に対する反発が強くなり、革命が起きて最終的にチャウシェスク夫妻は処刑される形で民主化されます。
これがいわゆるルーマニア革命となります。

…とここまでざっくりと、社会主義国時代のルーマニア及び、絶対的独裁者チャウシェスクについて概要を書きましたが……

それらの詳しい部分はwikiに任せるとして、今回はそんなチャウシェスク独裁全盛期のプロパガンダ曲について記載していきます。

 

*Poporul, Ceauşescu, România! (人民、チャウシェスク、ルーマニア!) 

チャウシェスク時代のルーマニアにおける、プロパガンダ曲の代名詞とも呼ぶべき1曲です。
実際には貧しい農業国で飢餓輸出の敢行したりしていたのに、豊かさを歌う歌詞とのギャップが…

*エレナチャウシェスクの歌(原語タイトル不明)

妻エレナのプロパガンダ曲です。
これも上記の「人民、チャウシェスク、ルーマニア!」についで歌われた曲となります。

彼女もゴーストライターに書かせた論文で科学者として登りつめ、国内海外の複数の大学で名誉博士号を取得するという、どこぞの佐村河内守もびっくりのメチャクチャな不正ぶりでした…

と言うかそもそも一応は一時的に外交で成果は出していた夫よりも、酷かった無能ぶりで…

*Marșul muncitorilor(労働者のマーチ)
社会主義国あるあるの労働者を歌う1曲ですね…

*Ceaușescu - pace! (チャウシェスク 平和!)

*Ceaușescu, om de omenie(チャウシェスク 人民と人類)

これも社会主義国あるあるの、人民を歌うプロパガンダ曲ですね…
実際には、秘密警察セクリーターテによる監視で人権侵害が深刻でしたが…

*Ceausescu La Multi Ani (チャウシェスクの生誕祭)

*Sarbatori in Epoca de aur (黄金時代の休日)
子供達が歌う曲、この動画は1989年8月の撮影ですが、この年の年末にチャウシェスク夫妻は処刑ですから、ほんの数ヵ月前までこんなプロパガンダまみれのパレードしていた訳ですよ…参加している子供たちはその後どうなったんでしょうね…

*1989 Romanian Patriotic Song Ceausescu
上記と同時期に撮影されたものです。チャウシェスクは自身の中絶禁止政策の結果である孤児を、政府のいいなりになるよう育て、国家のエリートとなるよう仕向けましたからね…

・おまけ
*曲名不詳 親愛なるチャウシェスク同志の歌(친근하신 챠우쉐스꾸 동지의 노래)
1971年にチャウシェスクが平壌を訪問した際に、北朝鮮側で作られた曲です。結果的にこの平壌訪問に影響され、チャウシェスクを悪い意味で大きく変えてしまいました…

*チャウシェスクの物真似芸人
ルーマニアのモノマネグランプリ的な番組のようで、挨拶で「アロ!」(alo、ルーマニア語でこんにちは)とか言うのよく似てますね…w


東ドイツの国民的アイドル…イナ・マーテル

2023-02-11 04:29:28 | 解説集

今まで北朝鮮の楽曲について何度か取り上げてきましたが、今回は北朝鮮と同じ分断された社会主義国家であった東ドイツの国民的アイドルについて取り上げたいと思います。

東ドイツでもロックは他の資本主義国同様に禁止されており、裏でビートルズのレコードが流通してこっそり聴いていた人もいたとか言われています。
ただし実は軽音楽自体は「ダンス音楽」として認められてたため、普通に数多くの色々なアーティストがいますし、北朝鮮のように国営の限られた楽団以外にアーティストが存在しない…という訳ではありません。


70年代から80年代にかけて、地元からプーディスやカラット、シティといったオストロック(オストはドイツ語で東、つまり東ロック) のグループが登場し、東西ドイツの両側で人気があったと言われている程ですし…

体制批判こそもちろんNGとは言え曲の雰囲気もガチガチの共産臭がする訳でも無く、やはり同じ分断国家でも北朝鮮程に厳しくはなかったようです。むしろ東欧の国では鎖国を行ったアルバニアとか、あるいはその北朝鮮を真似しようとしたルーマニアの方が厳しかったかと…
まあ、北朝鮮は宗教じみた狂信的なレベルの個人崇拝していますけど、東ドイツは初代書記長のウルブリヒトの方針もあって個人崇拝は無かったですしね…

とは言え、日常生活は秘密警察のシュタージによって監視され、3人集まれば1人はシュタージの協力者…と言われた程の密告社会で息苦しかったとは思われますが…

そんな東ドイツにおいて、60年代に国民的アイドルであったイナ・マーテル(Ina Martell)を取り上げていきたいと思います。なお()内にある曲名の日本語訳についてはGoogle翻訳にかけた結果を載せています。

上記の動画は東ドイツでのアイドルの動画集ですが、この動画において、1分38秒から4分42秒までは先ほどのイナ・マーテルの楽曲です。

動画内では「Zwei Küsse beim Nachhausegehn」(帰り道での2人のキス)、「Down Town」(都心)、 「Liebe kann man nicht erzwingen」(愛を強制できない)、Der schönste Tag(一番美しい日)の3曲が取り上げられています。

他に動画内で取り上げられているアーティストについても今後追記や別記事の形で触れていきたいと思います。


イナ・マーテルはナチス時代末期の1944年1月27日に首都ベルリンで生まれました。21歳の時に先ほどの動画内にある「Down Town」という曲でデビューしています。社会主義国なのに英語のタイトルOKだったんですね…実はアメリカやイギリスをそこまで敵視してなかった…?

検索候補にも上の方に「ina martell heute」と出てきますが、「heute」というのはドイツ語で今日・今という意味ですので、恐ら日本で「○○○○(人名) 現在」と調べるのと同様、この人の名前を検索する場合は今あの人は何している?という目的で調べてる人が多いんだと思われます。

という程ですので、デビュー当時にベルリンの国営ラジオ局で銀賞を受賞しヒットした方であるにも関わらず最後のシングルを出した1971年以降の消息は不明です……

やはり社会主義国だからでしょうか…でも他の動画内にいるアーティストはちゃんと近況わかっている人いるんですよね…60年代一番ヒットしたのはこの人らしいのですが…それにしてもMVが白黒の映像だらけなのが時代を感じさせます…

1965年の「Wenn du Hochzeit hast」(結婚式になったら)という曲です。こちらは華々しい雰囲気の曲で、恐らく結婚式を祝う曲なのでしょう。どうやらHochzeitというのがドイツ語で結婚式という意味らしいです…やはりドイツ語は言葉の響きが固い感じ…

1966年の「Er ist wieder」(彼が帰ってきた)という曲です。

彼女の最大のヒットソングは、やはりこの1967年に発表された「Zwei Küsse beim Nachhausegehn」(帰り道での2人のキス)という曲です。名前で検索しようとした時にもこの曲が真っ先に検索候補に上がってきた程です。またMVの映像がカラーになりました。
ドイツ語はわかりませんが男女のイラストが描かれていてラブソングなのがわかりますね。

1968年の「Wann Kommt Der Tag」(その日はいつ来るのだろうか)という曲で、歌詞はわからなくともメロディはタイトル通りの物悲しさは感じさせる雰囲気で、いい感じのバラードソングですね…

また1970年には同じ東ドイツにおけるヒットシンガーのマイケル・ハンセンとのデュエットソング、「Der zug fahrt ab」(列車が出発していく)という曲を発表しています。他にこの2人のデュエットでは「The First Dance」という曲もあったそうです。

マイケル・ハンセンは1940年にドイツ北東部のメクレンブルク=フォアポンメルン州ロストック郡ギュストロー(戦後は東ドイツ領)の出身で、本名はクラウス・シビルスキーと言います。

造船所での勤務を経て1966年に歌手デビューを果たし、60年代~70年代に東ドイツでポップシンガーとして活躍した後に、80年代はハンセンは東ドイツの国営エンターテイメント芸術委員会の委員長にまでなりました。
東西ドイツ統一後はレコーディングスタジオの運営や環境保護団体での活動、音楽フェスティバルの開催などを行っているそうで、現在でも音楽監督、作曲家、講師として活躍されているそうです。

彼の最大のヒット曲がこの「Wer hat sie gesehn」(誰が彼女を見た)という曲です。1969年の曲だそうで、やはり西側の曲と比べても見劣りはしないクオリティだと思います。
若い頃の姿中々イケメンですね……

 


K-POP…ではなくNK-POPの世界 Part2

2023-01-29 03:09:03 | 解説集

今日は以前書いた「K-POP…ではなくNK-POPの世界 Part1」の続編となります。
私が好きなK-POPアイドルの女の子達の曲を布教したいんだ~~~(大嘘)

K-POPはKorean-POPの略ですが、Koreanとつく国・曲でも、North-Korean-POP、つまり北朝鮮の楽曲について語りたいと思います!


北朝鮮の楽曲…まあご想像の通り例の将軍様やら政府のプロパガンダ的な曲がほとんど…にはなりますが、独特の世界観があってこれについて調べてみると意外と面白いんですよ…!
空耳と歌詞の意味を比較するのとか、謎のPVとか色々楽しみ方ありますから…

 

*将軍様は縮地法を使われる

この曲は縮地法という凄い技を使える…というプロパガンダ曲で、wikiのリンク貼っておきますが、仙術における瞬間移動術のことを指すみたいです、この術を使うことで、地中に隠れたり、あるいは、地面自体を縮めることで距離を接近させ、瞬間移動を行うことができるという神話があるらしいですが…北朝鮮はそれを金正日のプロパガンダに使ったと…

縮地 - Wikipedia

要するに「金正日がワープを使える超能力を持っている」という意味の曲なので、歌詞の内容がメチャクチャな意味ばかりですw
なので、南側でもネタソングとして一部の層の間で人気を博しました()、まあ日本におけるコンギョの人気と同じような物ですが、逆に韓国ではコンギョはそこまでの人気はありません()

元は同じ国で同じ言語・民族であるが故に、歌詞の意味がわかる韓国ではそのメチャクチャさでこの曲がウケたが、言語が違うため意味がわからない日本では雰囲気でコンギョがウケた形…となりますw

なので、韓国においては例えばこんな感じでハルクと合わせたMADなんかも作られていますwww

 

*都会の娘が嫁に来た


北朝鮮にしては珍しい純粋なラブソングで、都会(恐らく平壌)の娘が田舎の人に嫁ぐという内容です。
冒頭のタイトルのフォントもそこに合わせて中々メルヘンな感じですねw

実際には出身成分ってカースト制度で住む地域まで厳格に決められて差別されてるから、田舎行くのはやらかしたことによる左遷ぐらいしかないという現実とかけ離れた矛盾…()

動画で映ってるバスは何と日本製で、三菱ふそうローザの3代目前期型です。80年代後半のモデルですが左ハンドルということや、まだ経済制裁を受ける前の時期ということを考えると正規ルートなんでしょうか…

 

*私の名前を聞かないで


こちらも北朝鮮にしては珍しい純粋なラブソングですが、まさかの女の人を堂々と追っかけて盗撮してるMVです()
政治的批判は絶対にNGでも盗撮は平気な国なんですかね…

あるOLの人にメロメロになったが、追っかけても中々話を聞いてもらえなかったのが、最後になって目の前に現れてくれたってエピソードとなっています。
こちらも30秒目あたりで日産のY31セドリック/グロリアセダンが映っていますが、40秒目で右映っている車に注目で、これは共産圏時代のチェコスロバキアで作られたタトラT613という車です()
この車も共産圏らしく旧態依然のまま放置したメチャクチャなエピソードがある車なので、興味ある人は是非()

 

*会えて嬉しいです(パンガプスムニダ)


これは北朝鮮においては長く親しまれているメジャーな曲のようで、学校の授業などで歌われたりもするようです。
歌詞の内容も政治的要素は薄く、1番の内容は「同胞のみなさん、兄弟のみなさん このように会えて、うれしいです 抱きしめてうれしい、笑いあり 抱きしめてうれしい、涙あり オホホオホホホホニリリヤ うれしいですうれしいです」という内容らしいです()
あの国にしてはまともな歌詞の内容ですね…

そして何よりこのMVで凄いのは、何と日本公演した時の映像が1分目あたりから出ていることです!!!
成田空港に着いたシーンでJALの鶴丸が写っていますし…
どうやら1991年の普天堡電子楽団日本公演の時のものらしいです。そしてそもそもこの曲自体が日本公演のために作られた曲で政治的要素を薄くしたのもそのためだとか…

普天堡電子楽団一行は1991年9月13日正午過ぎ、朝鮮民航(現・高麗航空)のイリューシン62型機で成田空港に到着し、同9月17・18両日に日本青年館(東京・千駄ヶ谷)で行った3回の公演を皮切りに、仙台、姫路、神戸、広島、小倉、大阪、そして京都の8都市を周り、合計19回の公演を行い、同10月15日夜に京都グランドホテル(現・リーガロイヤルホテル京都)で行われた「第3回京都日朝友好親善の集い」のディナーショーに出演した…とのことらしいです。

経済制裁前はこんなこともあったんですねぇ…まあ今後同じようなことは核開発やめない限り無いでしょう……

またやはり政治的要素が薄い曲であることからか、南側でもカバーされこんな公演もあったそうです。背後に映っている車が韓国のキアの車なので間違いなく韓国での映像ですね()

 

*我らはあなたしか知らない


いわゆる、「金正恩のキャラソン」です()
とにかく金正恩は偉大で素晴らしいという歌詞の内容の典型的なプロパガンダ曲ですw ですが、サビの部分の金正恩同志(キムジョンウントンジ)が、金正恩豚汁に聞こえるということで空耳ネタにされていますw
あとは知らないって意味の「モルンダ」ってのが大群馬に聞こえるとか() 群馬県民涙目…

 

*金正恩将軍に栄光を


こちらも数ある「金正恩のキャラソン」の中の1つです()
冒頭からミサイルのイラスト出てますねぇ…

栄光を捧げますとひたすら連呼している曲ですが、それにしても背後のオーケストラと合唱団の数、えげつない数ですねぇ……そして全員軍服姿なのが北朝鮮らしいところ()

 

*私の国が一番良い


まあこれもタイトル通り、自分の国が一番というプロパガンダ曲です()
「異国の野に咲き開いた花も、私の国に咲いた花より、綺麗ではなかった。見渡せば世は広く広いけど、私の暮らす我が国が一番好き。」といった感じでどこよりもいいってことをアピールしたいみたいですw
もちろん世界でも有数の最低な国に決まってますが()

 

*人民の喜び


いかにも社会主義国らしいタイトルのこの曲、最初こそなごやかなバラード調ですが、途中からいつも通りのプロパガンダ曲に変わります()
でもリズミカルでわかりやすい感じです、まあサビは「我々は何もうらやましくない、元帥様がいるから」…という歌詞ですがね…
プロパガンダにはピッタリ()

 

*高く翻れ我らの党旗


朝鮮労働党の旗がたなびく姿を歌った曲ですが、北朝鮮のトップクラスのアイドルグループ(と言われているらしいの)モランボン楽団と朝鮮人民軍兵士によって構成される功勲国家合唱団のコラボレーションによるものですが、しかし力強く迫力ある感じで見ている側も圧倒されますねぇ……
せっかくこんなレベル高いの作れるのに…まあ技術の無駄遣いはあの国のことですからねぇ…

しかしキーボードが日本のローランド製なのは大丈夫なんですかね…たぶんどうせ密輸でしょう()


K-POP…ではなくNK-POPの世界 Part1

2022-11-03 20:53:02 | 解説集

今回はミーハーの私が好きな流行りのK-POPアイドルについて話します…!

嘘です!

K-POPはKorean-POPの略ですが、Koreanとつく曲でも、North-Korean-POP,、つまり北朝鮮の楽曲について語りたいと思います!

北朝鮮の楽曲…まあご想像の通り例の将軍様やら政府のプロパガンダ的な曲がほとんど…にはなりますが、独特の世界観があってこれについて調べてみると意外と面白いんですよ…!
空耳と歌詞の意味を比較するのとか、謎のPVとか色々楽しみ方ありますから…今回はそんな中から特にオススメの楽曲をピックアップしていきます!

*攻撃戦だ(コンギョ)

もはや説明不要の超有名曲
詳細は以前当ブログで紹介した際のこの記事を参照してください

BTSやTwiceよりもこっちの方が流行ってるし有名だしロボットアニメ風のこのメロディがいいと思うけどなぁ…(大嘘)

*前進する社会主義

お口の中が~鮫洲に住んで生きよう~の空耳が強烈な曲です()
鮫洲は都内に3か所ある免許センターの1つがある程度でしか無いような、各停しか止まらない京急線の駅ですが、周辺は住宅街なのでそこに住みましょうってことですかねw

ちなみに金正恩が出てくるといきなり枠付きになっていますが、これは字幕を将軍様に被せるのは失礼って理由らしいです()

*社会主義ただ一筋に


「鮫洲にお出かけよ~~」また鮫洲ですかw
まあマジレスすると、韓国語・朝鮮語で社会主義をサフェジュウィ(サフェが社会、ジュウィが主義)と呼ぶので、この"サフェジュ"の部分が鮫洲に聞こえるんですよね~

鮫洲にお出かけ…免許取りに行けってことですかねw

まあ東京では若者の車離れと電車の便の良さが原因で、免許取得率が減っているとも聞きますから、こうやって鮫洲にお出かけするように促進したい方が良いのかもしれませんね(大嘘)
そうした方が都内でもっと車売れるようになるでしょうし()

*学ぼう(ペウジャ)

「ペウジャ ペウジャ ネナラヌンウィヒ(学ぼう学ぼう祖国のために)」という、勉強促進歌?です()
子供が勉強しなくて悩んでいる北朝鮮のパパママさんはこの曲を聴かせてみてはいかがでしょうか?(大嘘)
あるいは受験生で勉強にやる気出ない時はこの曲を聴いてみてはいかがでしょうか?

ちなみに歌っているのはTwice…では無く北朝鮮の国営アイドルモランボン楽団です…!
スタイルの良さもありますが、楽器も自ら演奏しているので演奏能力も高いレベルと思われます!(なお楽器のほとんどは密輸した日本製…)

これは音大生の発表会でユーロビート風にアレンジした時の動画です!
かの国でも音楽をアレンジする自由はあるみたいですね…

しかし髪型が気持ち悪い程に統一されている上、服装が銀行員の制服のごとく地味過ぎますし、歌声もやはりポップソングの無い国であることから渋いので、とても大学生には見えません…
(ちなみに北朝鮮では男女共に、10種類ほどの髪型も決められたスタイルしか認められていません…そもそも美容院や床屋に行けない国民も多いでしょうからそこは不明ですが)

*一気に (タンスメ)


タンスメ~タンスメ~タンスメ~って言うのが特徴的な曲です。1番目のPVは舞踏会の映像になっていますが、あの国でそんなこと出来る人はどれくらいいるんでしょうね…そしてそれ以降の軍事的な映像とのギャップが凄い…

*我らの7.27

たぶん空耳の歌詞の強烈さではこの曲がNo.1ですwだって空耳があまりにも下ネタだらけですから…

何せサビの部分が「ち〇ち〇 振れち〇ち〇 すんげぇち〇ち〇」ですからねww2番目の冒頭も「そんなのすんげぇち〇ち〇 エ〇チなあなたへ~」ですしww

ちなみに7.27というのは朝鮮戦争が終結した日付のことですが、あくまで休戦であるにも関わらず、北朝鮮では勝手にアメリカと韓国に勝利した扱いにしているため、このようなプロパガンダソングが作られています。
なので噓だらけの歌詞なんですw

*突破せよ!最先端を!


CNCって最新技術を使っているのは凄いんだぞ!北朝鮮は最先端だ!とプロパガンダしている歌詞ですが、
西側諸国では80年代には既にあって当たり前の装置です()
なので最先端でも何でもありませんw

一応CNCについて解説すると、工場での製造工程などにおいて数値を指定することにより、機械で僅かなサイズの穴を開けたり、均等になるように加工したり…といった人間の手では難しい作業をする工作機械…のことです。

*足取り(パルコルム)

2月って歌詞にやたら出てくるのは金正日の誕生月が2月だからですね…何か悪の帝国感の凄いメロディ…

まあかつてブッシュ大統領は北朝鮮をイラクやイランと並んで悪の枢軸と呼びましたが…

*武装で仕えよう我らの最高司令官

何とも物騒なタイトルですが、歌詞もやはり案の定物騒過ぎる歌詞ですwやはり軍事優先の国ですからねぇ…観客も全員軍人ですし…
一方で観客席にいる軍人たちは謎の踊りを見せています…中々楽しんでいますなぁ…いや楽しんでいるのか…?

*走って行こう未来へ

大量タラちゃん寝るけど~とサビの部分が空耳で脳内再生されてしまいますw

しかしモランボン楽団って、メロディが覚えやすく歌唱力ダンスも中々のレベルなのに、お国がお国なだけにこういった閉鎖的にしか活動出来ないのは勿体無く見えてきます()
南北統一したら期待しましょう()