「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

移動 1

2006-08-23 09:50:30 | Weblog
 その2日位前、中隊長が全員を広場に集めて、
 「今、南方軍司令部から指令が来たが、これからの我々の行き先だが、本来なら、シンガポールの少し先にあるガラン島に行くことになっているが、この島は無人島でなにも無い。宿舎施設も自分達で作らねばならぬ。又、シンガポールの英軍作業隊に入れば、仕事は多少辛いかもしれないが、日本に早く帰ることが出来るそうだ。私達はこの事をよく検討してみて、シンガポールの作業隊に入ることに決定した」と、訓示して、出発の日程を発表した。私達は
 「日本に早く帰れるなら、シンガポールの作業隊の方が良かろう」と言い合った。さあそれから、移動準備が始まった。
 ここに来てから、自活班が作られていた。肉を自給する為、山羊や鶏が飼われた。山羊の飼育は思ったより難しく、よく死なせて上司から叱られていたが、鶏は成績は良好だったらしいが、卵は専ら作業当番員の口に入るだけだったらしい。それでも山羊の頭数は増えていった。
 移動の為、撤収することになって、これをどう始末するかが問題だったが、鶏は数が少なかったので、簡単に片付いたが、山羊は殺して肉を塩漬けにして持って行くことになり、作業が始まり、通りがかりに一寸見たが、肉は6m四方位の土間に並べて塩漬けにしてあった。後で担当だった人に
 「あの肉はどうしたか?」と聞いたら
 「腐ったので捨ててしまった」と言っていた。
 移動準備完了。私達の中隊は徒歩で宿舎を出発した。ピーヤの所では、ピー達が正装して「トアン、トアン(貴方)」と呼びながら何時までも手を振っていた。

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