スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1976年~1980年)

2020-04-28 08:48:21 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
過去の春季高校野球関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第5弾。
今回は1976年~1980年となります。



対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。黄色は優勝、銅色はベスト4を表します。

甲子園2連覇の栄光から一転、77年から86年までの10年間、千葉県勢は夏の甲子園で
わずか3勝しか挙げられませんでした。

79年には、68年から78年まで11年続いていた、
センバツの連続出場記録も途絶えてしまいます。

同時期、68年から78年までの関東勢のセンバツ出場回数を数えると、
茨城4、栃木5、群馬2、埼玉2、神奈川5、山梨はゼロ。
関東の中で、千葉県勢の実力が突出していたかが分かりますね。
それだけに、寂しが感じられます。

そんな「暗黒時代」を招いた理由を考えてみます。
まず、参加校が激増したこと。
77年に103校と3ケタに乗りましたが、79年は124校、80年には132校、
81年には140校、83年には151校…とすさまじい勢いで増えていきます。

また、もともと野球が盛んな地域です。
公立、私立に関係なく、さまざまな高校が野球に力を入れたことにより、
有力な中学生が分散してしまったこともあるでしょう。

春の関東大会だけを見ても、76年から80年についてだけでも
四街道、我孫子、東海大浦安、君津商と初出場のチームが続出。
特に東海大浦安は76年に初参加したばかりで、急激に力をつけたことが分かります。

さて、76年から78年までは1勝が最高だった千葉県勢ですが、
79年は銚子商が優勝、80年は習志野が準優勝と古豪が奮起。

銚子商は準決勝で高橋一彦(日本石油→大洋→西武)、
小川博(青学大→ロッテ)と、のちにプロに進んだ選手を擁した前橋工、
決勝では好投手・仁村徹(東洋大→中日→ロッテ)有する上尾に快勝。

習志野も5年ぶりの出場で、エース・小林徹(現・習志野監督)の好投もありベスト4進出。
この年の夏の甲子園出場へと弾みをつけています。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1972年~1975年)

2020-04-27 08:53:34 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
過去の春季高校野球関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第4弾。
今回は1972年~1975年となります。



対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。
黄色は優勝、鼠色は準優勝、銅色はベスト4を表します。

74年に銚子商が、75年には習志野が全国制覇。
2年連続で千葉県代表チームが夏の甲子園で優勝を勝ち取るなど、
千葉県が一気に「野球どころ」として認知された、まさしく黄金時代。

甲子園とは無関係の春の関東大会でも、すべての年でベスト4以上に進出するなど、
いかに当時の千葉県勢のレベルが高かったかが分かります。

72年は記念大会でもないのに、なぜか1県2代表。
春の県大会優勝・成東は毎年のように上位に進出しながら、
銚子商の厚い壁の前に甲子園に届かず「悲運の成東」と呼ばれたほどのチームでした。

しかし、春の県大会準決勝でセンバツベスト4・銚子商を撃破すると、
関東の舞台でもその実力をいかんなく発揮。
準決勝ではセンバツ準優勝(前年は優勝)の強豪・日大三を相手にエース・鈴木孝政が好投して撃破。
初出場ながら見事準優勝に輝きます。

2位の千葉商も、エース・布施弥守男が準々決勝で当時2年生の怪物・江川卓を相手に
延長13回の投手戦で投げ勝つ健闘で、ベスト4に進出しています。

センバツで「ベスト4以上」のチームが推薦で出場できるようになった73年は、銚子商が準決勝に進出。
しかし、前年秋の関東大会で20奪三振の屈辱を味わった、江川卓の作新学院に返り討ち。
この悔しさが、夏の甲子園での作新戦での雪辱につながることになります。

74年は、のちにプロで活躍する石毛宏典が1番に座る市銚子が
初出場ながら、ベスト4と大健闘しました。
ちなみにこの年の夏は全国制覇した銚子商の前に、決勝で敗れています。

75年は地元開催のため、4校が出場。
また、この年から各県2校、地元4校が出場するスタイルとなります。

この年の夏に甲子園で優勝する習志野は、センバツでは初戦敗退も
春の県大会では危なげなく勝ち進み、1位通過。
準決勝ではライバル・銚子商に敗れたものの、実力を見せつけています。

その銚子商は前年の夏の甲子園覇者の貫禄で、
2回戦ではスラッガー・原辰徳、津末英明、エース・村中秀人らを擁する
センバツ準V・東海大相模に競り勝ち、
その勢いで決勝も快勝。17年ぶりの春の関東王者に輝いています。

春の県大会準優勝・勝浦、3位決定戦で銚子商に勝った横芝敬愛は、
初の関東大会というプレッシャーか、ともに初戦で惜敗しました。

次回は1976年~1980年です。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1964年~1971年)

2020-04-26 08:46:19 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
過去の春季高校野球関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第3弾。
今回は1964年~1971年となります。



対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。
銀色は準優勝、銅色はベスト4を表します。

65年には銚子商が夏の甲子園で準優勝、
67年には習志野が県勢初の全国制覇を達成しますが、
春の関東大会では64年から67年まで、4年連続で初戦敗退と今一つ。

それでも、ホスト県となった68年の第20回では意地を見せます。
記念大会のため、1県から2校、地元千葉からは4校が出場。
県営(千葉寺)と市営(千葉公園)を会場に行われました。

4年ぶりに出場した1位校で、県勢としても15年ぶりにセンバツ出場を果たした銚子商、
初出場の新鋭・木更津中央(現・木更津総合)はベスト4進出と、
地元開催としては最低限の結果を残しています。

2年連続の千葉商は初戦敗退。
関東大会進出となった市川工は善戦を見せるも、1回戦で涙を呑んでいます。

69年の習志野は初戦敗退。
70年の銚子商は12年ぶりの決勝進出を果たし、夏の甲子園へ弾みをつけました。

71年はセンバツベスト4進出の木更津中央が、その勢いをかって関東へ。
しかしエース・鈴木徳義を故障で欠いた影響で初戦で敗れています。

次回は72年~75年です。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1958年~1963年)

2020-04-25 08:39:55 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
今回は、過去の春季高校野球関東大会における千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第2弾です。



対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。
黄色は優勝、鼠色は準優勝を表します。

58年は前年の秋、春と県大会2連覇を果たした銚子商が初優勝。
決勝では日大一を相手に、延長12回の死闘を制しての制覇でした。
また、これが千葉県勢初の春季関東大会優勝となります。
この夏の甲子園、第40回記念大会のため1県1校が甲子園に出場できることになりました。
そのアドバンテージを活かして銚子商が優勝を果たし、夏の甲子園初出場を決めています。

59年は木更津一(現・木更津)が初戦敗退。

そして60年は長生一(現・長生)が5年ぶりに出場。
大正15年、第12回大会から参加している伝統校ながら甲子園経験ゼロ、
まったくの無名校ゆえダークホース的存在でしたが、あれよあれよという間に決勝へ。
強豪・桐生を下し見事関東ナンバーワンに輝きます。
このときの主砲・宮原務本はプロに進み、東映などで活躍しました。

61年は、この年の夏に甲子園に出場する銚子商が1勝。

62年は6年ぶりの出場となった千葉商が大躍進。
初戦でセンバツ準優勝の日大三、準決勝で選抜優勝の作新学院と強豪を連破。
決勝では敗れたものの、準優勝に輝いています。

この年の千葉商はエース・高橋重行、内野手の鴇田忠夫、江田昌司と2年生3名がのちにプロ入り。
高橋は大洋のエースとして活躍、121勝をマークしています。

63年はホスト県のため3校が出場。県営(千葉寺)で挙行され、県大会1位の習志野、2位の銚子商と、
準決勝で銚子商に敗れた千葉商が地元・千葉市代表として推薦で出場しています。
初出場の習志野は初戦、2年ぶりの銚子商は2回戦で敗れていますが、
2年連続の千葉商が前年に引き続き快進撃。

前年のエース・高橋が中退して大洋入りしたものの、代わって仁礼豊がエースとなり、
鴇田、江田のクリーンナップも健在で、連続での準優勝と相成りました。

次回は1964年~1971年となります。

春季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1949年~1957年)

2020-04-24 08:51:04 |  春季高校野球関東大会千葉県勢成績
今回からは新シリーズとして、過去の春季高校野球関東大会における
千葉県勢の成績について紹介します。



対戦校の都県の横にある数字は、その地区の順位です。
銅色はベスト4、鼠色は準優勝を表します。

本来ならば、現在は関東大会進出に向けた春の県大会がたけなわというところですが、
今回は残念ながら県大会、関東大会ともに中止となってしまいましたね。
気を取り直して、過去の大会について振り返っていきましょう。

高校野球は1948年の秋から、全国を9地区に分けた大会が行われるようになり、
春季の関東大会はこの1949年からスタートすることになります。
秋季大会は途中から東京が離脱しますが、
春季大会は関東の1都7県すべての地区の代表校が
参加する形となり、現在に至ります。

センバツへの出場権がかかった秋と違って、春は注目度がどうしても低くなり、
夏に向けた前哨戦、という意味合いが強くなりますね。

さて、第1回は栃木県で開催されましたが、前年夏の甲子園代表校で
春の県大会を制した成田がベスト4に進出。
翌50年は地元・千葉(千葉県営=千葉寺)開催となりましたが、
千葉商がベスト4進出とかろうじてホームの意地を見せました。

51年から53年までは安房一(現・安房)、船橋(現・県船橋)、銚子商と3年連続で初戦敗退。
54年は千葉一(現・県千葉)が久しぶりの県勢勝利を飾るも、またしてもベスト4止まり。
55年は長生一(現・長生)が初出場も、初戦で敗れています。

52年から、開催地は3校が出場できるようになりました。
6年ぶりの地元開催(千葉市営、千葉公園球場)となった56年は、
県大会で優勝した銚子商、準優勝の千葉商、
そして第3代表として地元・千葉市の関東が推薦の形で出場。
関東は県大会では1回戦で敗れており、当時は3位決定戦は行われなかったようです。

しかし、3校ともそろって初戦敗退と、残念な結果となってしまいました。
ちなみに千葉商を下した早実のエースは、入学したばかりの、あの王貞治投手です。

ここまで甲子園がかからない大会ということもあってか、
パッとしない成績が続いた千葉県勢。
横浜平和球場で行われた57年の大会では、銚子商が2勝して初の決勝進出。
センバツ帰りの甲府工に屈しはしたものの、ようやく満足のいく結果を残しています。

次回は1958年~1963年です。