goo blog サービス終了のお知らせ 

ちょこっとGUM

今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

拾い読み★2016-328≪コラム記事≫

2016年11月23日 21時19分03秒 | マリーンズ2016
ロッテ・角中を育てた父の「努力」させる「努力」

 行ったぜ、北陸-。その昔、東京からは宿泊が当たり前だった石川・金沢市への出張が、余裕の日帰り。北陸新幹線の偉大さにまずは敬意を表したいが、それ以上に、今季、4年ぶり2度目の首位打者を獲得したロッテ・角中勝也外野手(29)の父・稔さん(58)に脱帽した。

 石川・七尾市出身の勝也は、同県の「スポーツ特別賞」を受賞。その贈呈式が18日、同県庁で行われた。たいがいのことには動じない勝也も「こういう場に慣れていない。マジで緊張しました」。そんな本人に代わり“大活躍”したのが稔さんだ。

 まさに独壇場。男、男、男、女の4人きょうだいの次男・勝也の素質をいち早く見抜き、徹底的に鍛え上げたこと。地元の甲子園常連校、金沢高への進学を希望した勝也の意向を聞き入れつつも、最後は「能登半島から甲子園だ!!」と学校創立間もない日本航空二高(現日本航空石川高)に入学させたことなど、次々に秘話を明らかにした。

 そして、最後には取材陣を前に「こんなことをいっていいのか分かりませんが、ウチの息子は間違いなく3度目の首位打者もとりますよ。そのときはまた、取材に来てください」と宣言。完全に息子から主役の座をゲットした。

 式典後、稔さんに聞いた。さらに、面白い話をしてくれた。

 「首位打者3度目の根拠? そんなもん、簡単な話ですよ。二度あることは三度ある。それだけのことです」

 稔さんの言葉に、思わずひっくり返りそうになった一方で“深イイ話”もしてくれた。

 「昔は自分も野球をかじっていましたけれど、何が嫌いって『努力』という言葉が一番嫌いだった。なんで『努力』などしなければいけないのかと。当然、駄目になりました。だから、自分の子どもには『努力』をさせなければいけないと、強く思いました。その1人が、勝也です」

 ほとんど“むちゃぶり”の世界だが、昼夜を問わず勝也を一生懸命に育て上げた「努力」に稔さんは気づいていない。自身の活躍や成績にまるで無頓着な勝也に、稔さんのDNAをみた。



西村 浩一(にしむら・こういち)

 1987年入社。サンケイスポーツの記者として巨人、大洋(現DeNA)、ヤクルトとセ・リーグ球団を担当。プロ野球、文化報道部などのデスクを経て、2012年10月から編集委員。人生訓は「ボウフラが 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水飲み飲み 浮き沈み」。

(サンスポ)


*************************************************************************************


元ロッテ・香月良仁のプロ野球人生#2 隠していた左足の靭帯断裂、トライアウトを受けなかった理由

今季、千葉ロッテマリーンズを退団した香月良仁。自身の野球人生は、いつ途切れてもおかしくなかった。しかし運命的な野球人との出会い、さらに野球を諦めさせなかった今は亡き父の存在によって、香月はプロ野球という限られた人しかプレーできない世界に足を踏み入れることができた。

昨年のファン感謝イベントでの負傷

「ゴリゴリ」
 その瞬間、彼の足首が悲鳴をあげた。

 今からちょうど1年前となる昨年の11月22日のことだ。

 QVCマリンフィールドで開かれた千葉ロッテのファン感謝イベント「スーパーマリンフェスタ2015」で、香月良仁は思わぬアクシデントに見舞われた。

 ファンと選手がグラウンドでキャッチボールをする交流の中で、ファンの投げたボールがすっぽ抜けて右側に大きく逸れると、これを追い掛けた香月は近くにあった三角コーンに足を取られて転倒。そこで左足首を痛めたのだ。

「隣の人の邪魔になるからボールを取らなきゃとつい思ってしまったんですよね。そこで『あっ、ボールが行っちゃった』と見送っていれば、また別の結果になったと思うんです。あの出来事が結果的に今年1年に、大きく影響したのかなと思います」

 次の日からチームはオフシーズンに入った。しかし、チーム関係者にそれを伝えたらせっかく手にしたチャンスがまたこぼれ落ちてしまう。

「プロの世界は(怪我に対して)用心に用心を越すところなんで、自分が『行ける』と感じてもなかなかGOサインを出してもらえない。自分の中では2015年に1年間とおして1軍で(40試合)投げられたというのがあったし、今年(2016年)が本当の勝負だと思っていた。そこで怪我をしたとかの報告をしたくなかったんです」

 自宅に戻ってしばらく休んでいれば怪我は治ると考えた。
 しかし、腫れは全く引く気配がない。そこで自分の意志で初めて病院にも足を運んだ。
 結果は左足の靭帯断裂だった。

 頭の中は真っ白になった。
 手術はなんとか逃れたが、完治するまでの12、1月は全く走り込みもできない状態。シーズン開幕に向けて影響がないはずはなかった。
 2月にキャンプインを迎え、痛みはだいぶ治まった。


オフにトレーニングができなかった代償

「少しは走れるようになったかなって思ったんですけど、オフに走り込みができていないので、ブルペンに入ってもどこか体のバランスが悪いんですよ。それでちょっと投げたり、ちょっと走ったりすると脹脛(ふくらはぎ)がパンパンに張ってしまって今度は肉離れ。3月のオープン戦の時期だったんですけど、その診断を受けた翌日にオリックス相手に3点取られて……」

 それでも下に落とされるのが嫌で、我慢を押し通した。もちろん周囲には黙ったままだ。
 テーピングをぐるぐる巻きにして、足首を固定しながら痛み止めを飲むそんな毎日。当然ながら自分が思うようなボールは投げることができなかった。
 それでも2軍投手コーチを務めていた小谷正勝と話し合い、現状で一番の投球フォームを模索して投げた。そして4月14日に1軍に昇格。けれど、満足の行くボールは相変わらず投げられないままだった。
 昇格してすぐの東北楽天戦、翌日の北海道日本ハム戦と、ともに1回を3人で無失点に抑えた。しかし、3連投となった16日の北海道日本ハム戦で3失点するとベンチ裏で指揮官から「なんで逃げるんだ、なんで勝負しないんだ」と怒声を浴びた。

 本当のことを言えないジレンマが、彼を苦しめた。

「この頃には痛みはなくなっていたんですけど、足首が細くなってしまっているんで、いくら強化しても間に合わないんですよね。それでも今、できる一番の投球をしようと試行錯誤しながらやってみたんですけど、自分本来のボールが投げられるようになったのは後半戦の本当に最後のほうになってから……。だからもう一度、1軍のマウンドで投げたいというのはありました」


トライアウトを受けなかった理由

 この秋はもう一回体を作り直して、再び1軍でやりたいと考えていた。
 しかし、その希望はかなわなかった。所属していた千葉ロッテから10月1日、来季の契約は行わない旨が伝えられたのだ。

 戦力外通告から数日が経ったある日、ロッテ浦和の室内練習場で汗を流す彼に会った。
 表情は意外にもさっぱりしていて、何かを達観しているようにも見えた。

 トライアウトは受験しないとそのときに聞いた。
 数日後、彼は社会人野球時代を過ごした熊本に足を運んでいるが、そこで第2の人生について色々と話を詰めてきたようでもあった。

「(トライアウトが)面倒くさいとか、そこから逃げるとかでは全然ないんですよ。ただ、プロで8年間やって来たというのはあるし、相手から求められないと戻れない世界じゃないですか。だから僕の場合は本当に自分が欲しいなら獲りに来るだろうと。トライアウトを受けて、自分からお願いします、どこでもいいから獲ってくださいという考えではなかったんですよね。別に上から偉そうに言っているわけでは全然ないんですよ。でも本当に戦力として欲しいなら「テスト受けてみないか」とか話が来ても良いとは思うんですよね」

 今年のドラフトは例年になく豊作と言われた年だった。
 高校生から社会人まで特に投手に好素材が揃っていた。今季戦力外を受けた選手には不運だったと言えるだろう。
 しかし、香月には次の生活のイメージがそのときすでに湧いていた。

 熊本に一度帰った際に、彼の恩師である鮮ど市場ゴールデンラークスの代表であり、監督の田中敏弘と会ってきたのだ。

 そこで条件面と自分のやりたいことを彼に伝えた。すると田中の答えはこうだった。
「それでもいいから戻って来てくれ」
 その一言がうれしかった。
「けっしてプロの道を諦めたわけじゃないですけど、ぶっちゃけこの2、3日(秋季キャンプの終了時期)が本当の意味でタイムリミットになるわけじゃないですか。その中で決めていたのは、このままオファーがなければ熊本に帰る。自分の中では向こう(プロのチーム)から『欲しい』と言われなければ別にいいかなっていうシフトチェンジがもう出来ていたんでしょうね。だから不思議なんですけど後ろ向きな気持ちは全然ないですよ」


今自分ができること、伝えられること

 熊本に戻る理由はもう一つある。
 それはお世話になった熊本の人への恩返し。今年4月、香月は熊本地震の被災地支援をQVCマリンで涙ながらに訴えた。今の自分があるのは、熊本で社会人野球を続け、そこで成長させてもらったおかげ。今でもたくさんの友人がそこで過ごしている。その人たちのためにも、今の自分が何かできるなら、少しでも自分が育った『鮮ど市場ゴールデンラークス』のために自分がなるなら、その思いが、次の人生に背中を押した。

「それぞれに辞め時があると思うんですけど、みんな納得して終わりたいというのは一緒です。僕の場合は(プロ球団から)オファーがない時点で納得して辞められたんです」

 震災のあった熊本で、少しでも子供たちが野球の出来る環境を整えたいという思いがある。その旨は鮮ど市場ゴールデンラークスの田中にも伝え、すでに賛同してもらっている。

「僕、本当は努力って言葉が好きじゃないんですよ。努力を努力と思わないでいたいタイプなので。ただ、僕にはやればやっただけ成功するって社会人時代の実体験があるじゃないですか。だからやれば成功できるんだ、やらないと何も始まらないんだっていうのを、身をもって知っているわけです。だから自分は他人よりそれができたんだと思いますし、そういう意味では子どもたちもそうですし、たくさんの人にそれを伝えたいと思っています。

今回の取材を受けたのも本当の理由はそれです。これを読んでいる大半の人がそうだと思うんですけど、何かのプロジェクトに成功したり、誰かに認められたら人ってやる気が出るわけじゃないですか。その前にやらなきゃ何も始まらないと伝えたい。野球の世界は面白くて、下手なやつほど練習しないし、上手いやつほど練習するところでしたけど、それじゃ逆転なんてできるわけない。でも、僕は子どものころからベンチにも入れないくらい下手くそで、そこから練習して今、ここまで来た成功体験を持っている。それを伝えたいんです。(ロッテでやっているときも)今日、自分が練習をしたことでまた周りと一歩差を縮めることができたと実感するときが何度もあった。それは思い込みかもしれないけど、自分で自分を洗脳していかないとモチベーションだって上がるわけがないじゃないですか。僕はそうやって8年間を過ごしてきた」

 この取材の約束時間に彼は昼を選んだ。そこにも彼なりの理由があった。

「仮に夜会って、その日ゆっくりしてしまうとします。すると次の日の予定が狂うじゃないですか。固い人間と言われたらそうかもしれないです。『あいつ、もうプロじゃないのに何やっているんだ』って思う人もいるかもしれない。実際、僕も走りながら『何をやっているんだろ』と思うこともあります。だけど、今後アマチュアで野球を続ける意思がある以上、中途半端にやるのは嫌なんです。今までやって来たプロの生活より自分の練習のレベルを下げてまで、続けるなら僕は野球をするべきじゃないと思います。毎年、年はとるんですけど、1日、1日、自分のレベルを上げていかないと野球を続ける意味もない。その考えでないならアマチュアで続けるのも失礼だなって感じるんです」

 取材の終盤に昨年の怪我について、もう一度訊いた。すると彼はこう答えた。

「たしかにあれ(昨年秋の怪我)がなかったら、とは今でも思います。だけど、起きてしまったことは仕方ないし、時間はもう戻らないので……。今考えるとこれも最初から自分の運命として決まっていたことなのかなって考えるようにしています」

 香月良仁のプロ野球人生は一旦これで幕を閉じたのかもしれない。しかし野球人としての生活はまだまだこれからである。彼の人生の新たな幕が今、開こうとしている。

(ベースボールチャンネル)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 拾い読み★2016-328 | トップ | 拾い読み★2016-329 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

マリーンズ2016」カテゴリの最新記事