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拾い読み★2016-222≪コラム記事≫

2016年08月10日 00時23分44秒 | マリーンズ2016


【千葉魂】 スタンリッジ一家の絆 まもなく特別な一日「8・12」

 スタンリッジ家にとって、特別な日が近づいている。8月12日。それは次女のハーロウちゃんの誕生日であると同時に日本で長女のケインちゃんを養子に迎え、一緒に暮らし始めた日。敬愛なクリスチャンとして知られるスタンリッジは、まもなく訪れる神様が用意してくれた特別な一日に思いを巡らせている。

 「ボクにとって、とてもスペシャルな日だよ。2013年にケインが我が家に初めて訪れた日。そして去年はこの日にハーロウが生まれた。2人の子供と巡り合った日が、同じ日なんて奇跡のように感じた。家族の一員となった運命の日。神がボクたち家族を引き合わせてくれたのだと思う」

 タイガース時代の12年に神戸市内の養護施設を自ら訪れ、関係者に養子を受け入れる気持ちがあることを強い熱意で伝えた。すでに当時3歳の長男のキャッシュくんがいたが、「もともと、養子を迎え入れたいという気持ちがあった。妻とは結婚をする前からそういう話をしていた」と夫婦は自分たちの心から湧き上がる思いに対して素直に行動し、神様が背中を押してくれているという強い信念から積極的に活動を続けた。簡単な活動ではない。国籍という大きな違いがある中で自分たちの手で養子受け入れの書類手続きなどを行い、連絡を待った。結局、その年は話がまとまらず、連絡が来たのは翌年の7月。「2週間前に生まれたばかりの女の子がいます。昨年、養子を欲しいとおっしゃっていましたが今も気持ちは変わりませんか?」。待ちに待った連絡に「もちろんです!」と即答。7月30日に面会をする機会をもらい、8月12日から一緒に暮らすことができた。

   □    ■    □

 「すべて神のおぼしめしだと思っている。人間という大きな家族があって、その次に今の家族がある。だから人種が違うとかそういうのはまったく関係ない。この子が大人になるのを手助けして、家族として愛して過ごすのは神様がボクたち夫婦に用意してくれたこと。そして日本に来て日本の子供を養子として迎え入れることができたのは神様が導いてくれたこと。自分にとってこの子を育てるのは、とても意味のあることだと思っているんだ」

 この頃、4歳になっていた長男のキャッシュくんにも父としてこの決断の意味をしっかりと説明した。するとワクワクしたような表情の笑顔を見せた。小さいながら理解をしてくれたことがうれしかった。

 「神様がみんなを愛しているように、私もみんなを愛している。人種が違うことで外見が違うとかそういうのは確かにあるけど、私から見たら3人の子供はみんな同じだ。息子も妹のことを聞かれると『日本人じゃないよ。アメリカ人だよ』とキッパリと言うはずだ」

 スタンリッジ家では、寝る前に家族で聖書を読んだり、聖書に書かれている言葉の意味について語り合ったりする時間を作っている。毎日の日常では色々な事が起こる。自分の思うように行かないこともある。そういう時に人として、どういう行動をとるべきかを語り合う。日常から話し合い、接する時間を大切にすることで人としての生きる道を伝え、愛をはぐくんでいる。

 「とにかく家族は愛することが大事だ。ただ、それはわざわざ口に出して言うことはないし、子供たちもボクに『パパ、愛している?』と質問はしない。なぜならば日々の生活の中で愛を伝えているし、愛して接している。だから、そういうのはない」

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 今、スタンリッジ夫妻と3人の子供は千葉で、幸せな生活を送っている。そして、いつか養子として迎え入れたケインちゃんがすくすくと育ち、いろいろなことが理解できる年齢になるのを心待ちにしている。その日が来るのが楽しみで仕方がないという。

 「家族の中で、なぜ自分だけ日本人の容姿をしているのかと疑問に思う日は必ず来る。でも自分はそれを説明するのが楽しみなんだ。『パパは日本に野球をしにいったんじゃない。君を迎えに日本に行ったのだよ』と説明をするのがね。神様がボクたち家族5人をこの素晴らしい国で出会わせてくれた。それを説明する特別な瞬間がいつか訪れる。その時は自分の気持ちをしっかりと伝えたいと思っているんだ。日本は異国ではない。ケインだけではなく、ぼくたち家族全員にとって、故郷だよ」

 まもなく8月12日を迎える。そして8月17日は長男の誕生日とメモリアルな日が続く。そんな記念日に子供たちをどのように楽しませてあげようかとスタンリッジは今からいろいろと企画している。愛する家族とファンのために投げ、神に感謝をする。背番号「55」はこれからもマウンドから愛の力を伝え続けていく。

 (千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

(千葉日報)


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ロッテ・井口が代表監督の隠れ候補! 2020年東京五輪「野球・ソフト復活」
 
 国際オリンピック委員会は、リオデジャネイロで開いた総会(日本時間4日早朝)で、2020年東京五輪の追加種目として、大会組織委員会が提案した5競技、18種目を満場一致で一括承認。野球はソフトボールと統合した『1競技』として、08年北京五輪以来3大会ぶりの復帰が決まった。

 球界は祝賀ムード。ごく単純に「復活ありき」で盛り上がる一方、現場には冷静な“深イイ”意見もあった。09年、第2回WBCで日本代表コーチとして国際舞台を経験したロッテ・伊東勤監督(53)だ。

 「大きなニュースですが、東京での『限定復活』に終わらないことを望みますね。ロッテでいえば、平沢(ドラフト1位、仙台育英高)あたりが日の丸の中心選手として活躍してほしい。育てる側のわれわれも責任重大と感じます」

 この見解に呼応したのは、同じロッテのベテラン、井口資仁内野手(41)=1996年、アトランタ五輪の銀メダリスト=だった。いつにも増してランランと目が輝いていた。

 「若い人たちに大きな目標ができた。自分も五輪に出たことが、後にメジャー(米大リーグ・ホワイトソックスほか)へ挑戦する意欲につながった。東京ではプロ中心という考え方だけではなく、アマにも優れた人材がいるなら、選ぶ側にも考えてほしい。その上で、日本の強さを世界に発信できたら最高だと思います」

 アトランタ五輪は、アマだけの日本代表チーム。井口は当時在学していた青学大からの選出だった。次大会、00年のシドニー五輪からプロの出場が解禁となり、00年はプロアマ混成、04年以降はプロ中心となった経緯がある。

 20年だけではなく、20年を含めた“球界の将来”を考える。そんな視野の広い人間がいることに、少なからず安心感を得た。どこの世界でも同様だが、上に立つべきは、こういう「バランス(平衡)感覚」にたけた人間だ。

 「きっと、4年後は引退してるでしょうから、(関係各方面から)ご要望があれば何でも協力しますよ」。20年、野球の日本代表監督に前向き!? 客観的にみても、世界を知る井口が適任者(候補)の1人であることに疑いはない。

(ロッテ担当・西村浩一)

(サンスポ)
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