寒河江にある慈恩寺は天平18年(746)、聖武天皇の勅命によってバラモン僧正が開いたと伝わる
古い歴史をもつ一山寺院です。往復50KMのコースをクラブの人たちと走ってきました。
オイラの今年は走行距離が短く練習もしていないので皆に付いていけるか不安でしたが
なんとか皆に付いて帰ってこれました。カナリ不真面目なクラブ員なのですヨ!!
三重塔は慶長13年(1608)に建立され、高さ28メートル、山形地方の盆地では唯一の塔です。
門燈の脇にはこの様な花が咲いていました。
寒河江にある慈恩寺は天平18年(746)、聖武天皇の勅命によってバラモン僧正が開いたと伝わる
古い歴史をもつ一山寺院です。往復50KMのコースをクラブの人たちと走ってきました。
オイラの今年は走行距離が短く練習もしていないので皆に付いていけるか不安でしたが
なんとか皆に付いて帰ってこれました。カナリ不真面目なクラブ員なのですヨ!!
三重塔は慶長13年(1608)に建立され、高さ28メートル、山形地方の盆地では唯一の塔です。
門燈の脇にはこの様な花が咲いていました。
山形は暖かな季節になってもスキーが出来るところがあります。
でも、今どきの季節はマニアでないと行かないカモ!!
オイラも若いときに行って以来ご無沙汰なのですが 数十年ぶりで夏スキーをしてきました。
雪質も重くなってオイラのような筋力のない人間は結構キツイ状況なのです。
観てください白い雪、青い空、そして、下の方は新緑の若葉がまぶしい
こんな環境でスキーで遊べるって! キブンさいこ~~!!
向こうに朝日連峰の山々が連なり景色を見ただけでも感動デス!
帰りに月山湖で ハイ ポーズ です。
若者2名とオヤジ2名天気に恵まれて楽しい一日でした。
帰宅したあとは皆でお酒を飲みに夜の街に流れていきました。
トルコ旅行で親しくなった方の家に遊びに行ってきました。鎌倉に住んでいる方です。
横浜までは電車で行き後は チャリで桜木町経由で関内にあるカレーやJIROで
昼食を食べ磯子に居る親戚を訪ね チョコットお邪魔して それから横須賀に向かいました。
横須賀からチャリを走らせ夕方には間に合い
鎌倉のお宅にお邪魔して夜遅くまで奥さんの美味しい料理とお酒を飲みながら
旅行の反省会と称して楽しくすごしました。
翌日は鎌倉観光となり 報国寺、明月院、杉本寺などを観て回り一つ一つが歴史を感じ
幻想的は気分にもしてくれました。
お昼は予約していた稲村ヶ崎の海辺のレストランで食事となりました。
友人の車 ジャガーの大型車(高級車)なのです。後ろにレストランが写っています。
一期一会の人なのに歓迎してくれてお泊まりもさせてもらって鎌倉の観光案内も
してくれて 海外旅行の延長戦を楽しくすごして山形に帰ってきました。
ありがとうございました。
kazuma氏のチャリンコ デビューに同行してきました。オイラガ勧めたチャリンコなので
無理をしないで走るように監視役です。自転車ロードを走って山寺、面白山といってきました。
面白山は桜が満開なのです。 まだ、桜が咲いている~~~~!!
五月半ばなのに花見気分です。
新緑がきれいで渓流の水の音も聞こえて気持ちが洗われる気分です。
天気予報は雨なのに現実は晴天の自転車日和!!!
kazuma氏チャリンコを続けて昔のようなスリムな体型になってもらいたいです。
大学で版画のアトリエに籍を置いていたオイラは池田満寿夫の版画に感銘を受け
銅版画やリトグラフ、など技法的な影響をうけた作品を制作していました。
池田満寿夫の芸l術、コラージュでのエロティズムは重要なテーマですし、
ルーレット、ビュラン、メゾチントの技法は驚いたものでした。
オイラはデザイナーと なり 版画のことも遠い記憶の中から呼び起こすのですが
この様な展覧会が開催されると 版画をやっていた学生時代(青春)に気持ちが
一時的にタイムスリップします。
旅人の心を躍らせエキゾチックな魔力のあるイスタンブール
ヨーロッパの果て、そしてアジアの終着点でもある 東と西の交差するシルクロードの要衝だった。
ローマ時代に重要な貿易の中心地として栄え華やかな文明を築いた。
古代遺跡を巡り遥かなる歴史に想いをはせる。
紀元前の建築物が今に残っている石の文化に感銘を受けました。
太古の記憶を宿す、奇岩群 カッパドキア!
天空から眺める奇岩の絶景 熱気球で天空を飛び目の前には果てしなく広がる
カッパドキアの眺望 みんなで感動を共有したのでしたが、気球一つに30人くらいの搭乗
「こんなに人が乗っかって空を飛ぶのかヨ!」 と 思いながら 不安な気持ちで
空に舞上がったのでした。
ホテルの周辺を散策!
全てが石の建造物 古くて趣がありゆっくりと歩いてみたいのですが ツアーで時間が決められて
意のままの行動が出来ないのですが、団体の枠から離れて行動するオイラは
添乗員さんから「放浪者!」などとニックネームを付けられて要注意人物のレッテル貼られていました。