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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文896

2024-08-09 13:11:46 | 純文学
『美しい星』(三島由紀夫 新潮文庫)

 知人に勧められて手にした。
 SF的な衣装を纏っていながら、時代性を鋭く反映した思想小説。
 驚くべきは、自決の10年前に、これを既に書き終えていたということだ。
 自らを宇宙人であると自覚し、それぞれの使命を果たそうとする4人家族。その滑稽さと、裏腹な真摯さは、まさに楯の会を彷彿とさせる。
 やはり、よくいうように、市ヶ谷での決起は文学的に演じられた三島由紀夫の檜舞台だったのだろうと、この作品が証しているように思える。
 敵対する自称宇宙人との論争は、あまりにも演説調過ぎ、それまでの作品世界が台無しになった感は否めないが・・・
 当作品を書いたとき、もはや何かを見通していたとしか思えない。その冷徹さに驚かされる読書となった。

読書感想文888

2024-06-01 19:28:33 | 純文学
『美しい距離』(山崎ナオコーラ 文春文庫)

 出張先で、短い余暇時間の散策中に、ふと入った『BOOK・OFF』で手にした。
 末期がんの妻を夫視点で描く。表紙裏には「がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説」とある。
 私は山崎ナオコーラ、末期がん、というキーワードで、本書は読むべきものと判断した。最近、身内に同様の病気が見つかり、何か考えるよすがが欲しかった。

 デビュー作に溢れ出ていた山崎ナオコーラらしさは、いまも纏っている。
 それは本人が、「誰にでもわかる言葉で、私にしか書けないことを」と語ったところの文体なのだろう。
 細やかな心理描写も、平易な文体でさらさらと紡がれる。しかし、かつてのような、危うい美しさは感じない。年齢なりに熟成したということもできそうだが、“らしさ”に呪縛されているのではないかと、余計な想像をしてしまった。
 安定しているのだが、そのぶん作り物めいた完成度を見てしまう。出版サイドの描く物語に応じなければならない、そういう呪縛もあるのかもしれない。
 予定調和的や結末も、同様の印象を強めてしまった。それは『美しい』終わり方ではあったけれど、若くして死ぬ妻の不在を、そんなにすんなり『美しい距離』と捉えて落ち着けるのだろうか。
 そういえば、作中、小川洋子『完璧な病室』の模倣かなと思える描写もあった。模倣というのは酷だけど、既視感を感じたのは確かだ。
 病院小説なんていうジャンルがあるのかは知らないが、ディテールで既視感が出てくるのは仕方ないのかもしれない。狭い病室の、静的な場面が多いのだから。
 と、書きながら、私が珍しく山崎ナオコーラ作品に微かながらも不満を覚えた一因に思い至った。他に美しすぎる病院小説があったからだ。原民喜の。

読書感想文879

2024-03-30 18:03:26 | 純文学
『人のセックスを笑うな』(山崎ナオコーラ 河出文庫)

 友人が、クラスメートだった女性と30年ぶりに会ったという。双方、既婚者だ。
 女性は、東京から300kmくらいの地方都市に住んでいる。しかも、金曜の夕方しか時間が取れない。友人は休みを取って車で出かけた。
 気楽に思いつきで出来ることではない。私は興味を引かれてたずねた。
「もしかして好きだった人?」
「そうだよ」
 友人は当たり前だろという口調で答えた。私はさらにいろいろ聞いてみたくなった。30年とは短くない月日である。
「どうだった? がっかりした?」
「まさか。なんていうか、嬉しかったよ。憧れてた人が、変わってなくて、むしろ前より綺麗になってて」
 しかし友人は嬉しそうというより、沈んだ口調なのである。訳を聞くとこうだ。
「お酒を飲んで、楽しい会話をして、『じゃあまた会おう』と駅で別れた。素敵な時間だった。行って良かった。けれど、翌日、運転して帰るときの気持ちは、妙なことに、失恋そのものだった。・・・何も失ってはいないはずなのにね」
 彼は若いときからナイーブなところのあるやつだった。まだ本質はそのままのようだ。
「深いな。大人の恋愛のひとつの形かもね。何を言った言われたわけでもなく、自ら身を引いた、ということかい?」
「・・・わからない。わからないな。でもこのことには気づいた。30年前も、そして今も、俺はこの人に必要とはされていない、とね」
「思い込みかもしれないぜ」
 冗談っぽく私は返した。
「そうだ、俺は昔から思い込みが激しいもんな」
 初めて友人は笑いながら言った。

 今回の、まるで失恋みたいな、いうにいわれぬ気持ちを表すなら? という私の問いに、数日後、彼は「強いていうなら山崎ナオコーラの小説のような胸の痛み」とメールで答えた。
 あいつらしい喩えだと思った。

 それで、私は本作を自宅の本棚から引っ張り出したという次第である。前回読んでから、もう10年も経っていた。印象は良かったが、内容はあんまり覚えていない。
 読み終えて、朧気に、友人のいう「痛み」を確認できた気がした。
 最後の、語り手の感慨が余韻を引く。
『オレはユリの顔を思い浮かべた。オレには彼女がおばあちゃんになったときの顔は、わからないんだな。でも、最後に会ったときのユリの笑顔は、残っていくんだな。』
 語り手は、寂しさを何かで埋め合わせるのでなく、『じっと抱きかかえて過ごしていこう』と思い至る。
 欠落を抱えていくことを悟ったと、言い換えることもできる。
 友人の、帰路のドライブにおける感慨は、それに似たものだったろうか。

読書感想文853

2023-08-06 17:56:50 | 純文学
『土の中の子供』(中村文則 新潮文庫)

 中村文則作品は、幾つかを、予備知識なく書店で手にして読んだ。
 通常、そうしていくうちにデビュー作を読みたくなって探したりするものだが、本作も、古書店でたまたま手にしたものだ。
 以前、芥川賞作を全て読んでみようと思って取り組んだ時期があり(すっかり頓挫していたが)、表題作がそれであるのを知って、私はレジに向かった。
(芥川賞作なら、少なくとも駄作はないと考えている)

 読み進めていくうち、私は作品よりも作者に興味を抱いてしまった。
 これは体験に基づいているのか。
 体験ではなく、創作または誰かの日記等を参考にしたものなのか。
 前者であるなら、どうやって体験を乗り越え、作品化するまで消化できたのか。そもそも、人間として立ち直れたのか。
 後者だとしたら、これほどまでのものを創作できる源泉は何なのか。どんな問題意識、切迫感がこれを書かせたのか。
 
 読んで数ヶ月経つと、違う感想も湧いてきた。
 トラウマには需要がある、という醒めた現実だ。これは純文学/エンタメ問わず、求められ消費される材なのである。
 とすると、職業作家を目指す者は、取り入れ、作ってみせねばならないのかもしれぬ。
 恋愛が、死が、病苦が、宗教が、経済が、旅が、酒が、狂気が、材となり求められているように。

 中村文則に対する興味が尽きないのは、変わらないが。

読書感想文852

2023-06-11 17:00:37 | 純文学
『金閣寺』(三島由紀夫 新潮文庫)

 web上に溢れる無神経な日本語によって、目が曇っていくような疲弊感がある。
 心を洗いに深山へ踏み入るように、良い文章に接するため、7年ぶりで本書を手にした。
 こんなものだったか? とガッカリさせられることはない。近代日本文学の極致といっていい本書は、あたかも金閣寺がいつでも京都鹿苑寺に鎮座しているごとくに、輝き続けている。
 語り手は吃音によって、少年期から「自分はひそかに選ばれた者」だと感じている。引け目の裏返しの誇りが、彼の中に悪への志向を育むわけだが、これは『仮面の告白』の別バージョンといっていいのかもしれない。
 或いは金閣とは、三島由紀夫にとっての天皇や国体を仮託したものだったか。
 まるで文学作品のような人生を辿ってみせた三島由紀夫は、金閣寺に火を放った学僧のように、市ヶ谷で決起を図り、自裁し果てた。
 全てを、結果論的に見てしまわざるを得ない後年の読者は、そのことを踏まえて『金閣寺』を読んでしまう。作中人物と、書き手の生き様とを、割り切って読むのは難しい。
 しかし、この作品のクライマックスで、金閣を焼いた学僧は「生きよう」と思うに至る。7年前に読んだとき、私は『金閣寺』の緻密な構成が、最後の一節にストンと落ちるために組み立てられたものと感じた。
 一見、彼は前を向き、巣立ちのときを迎えたかに見えた。煙草を吸って、一仕事終えた人のように・・・彼は、ようやく日常へとたどり着いたのだ、と。
 この部分だけ、今回の読後感は異なった。成長譚ではないのだ。あたかも、親を殺めて初めて生き始めた人のように、彼の放火は、自裁に等しいものだったのであろう。
 理解できない事件を、「狂気」とか、「心の闇」などという他称により単純化して安心している阿呆面に、平手打ちをいただくような読書となった。