国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

潘基文氏の初仕事で

2007-01-08 | 国際社会

潘基文・国連事務総長が新たに着任し、公務を着々と進めています。その中でも、最も切迫していて、すぐに手を打たなければならなかった案件の一つが、イラクでの旧政権関係者二名に対する死刑執行への対応でした。

年末にはサダム・フセイン元大統領への死刑が執行され、残る二人の死刑執行は、前回のブログで触れたとおり、当初1月4日の予定だったのが、まず7日に順延され、さらに再び順延されている様子です。この間、潘・事務総長は、これらの死刑執行に対し、当初は「それは主権国家の決める自由」として、国連として干渉しない主旨のコメントをして、イラクの主権国家としての意思決定を尊重する立場を取っていました。しかし、この発言内容が、その少し前にルイズ・アルブール国連人権高等弁務官が発出した、国連として今回の死刑執行に反対するという主旨の公式談話と齟齬を来たしていることに気付くと、すぐに立場を翻し、今回の死刑には国連として反対するという主旨の発言を行ない、発言内容の軌道修正を行ないました(関連記事)。そして、さらに念押しをするように、残る二名に対する死刑執行を見合わせるように強く要請する公式談話を改めて発出して、かなりはっきりした方向転換を行いました(関連記事)。

この一連の出来事をとらえて、潘氏の仕事ぶりを批判したり、揶揄することが今回の投稿の目的ではありません。そうではなくて、この一連の潘氏の発言内容の修正経緯は、まさに国連が持つ二面性、ひいては国連事務総長職という公職が持つ二面性を如実に示していると思ったことが、この問題を取り上げようと思った理由です。

 

国連という組織は、以前の投稿でも触れましたが、その創設の経緯からして、基本的には主権国家の集合体としての政府間機関であり、主権国家を支配するような超国家的な世界政府ではありません。だからこそ、事務総長は、国連加盟国の調整役(コーディネーター)であって、指導者(リーダー)ではなく、加盟国の上に立って統率・指導するのではなく、加盟国の横に立って利害調整をするのが本分とされています。それでは、なぜ今回、事務総長は加盟国の意思決定に逆らうような公式見解を表明したのでしょうか。

それは、事務総長は確かに加盟国の調整役であっても、その調整は192の加盟国の相対的な利害調整ではなく、ある特定の基準に従った192の加盟国の絶対的な調整だからです。つまり、事務総長は、ただ192の加盟国の利害調整をブローカーしているのではなく、ある絶対的基準に従って利害調整を行っているということです。ですから、もし加盟国がその基準から外れた行動を取れば、その行動を修正するように強く促す義務を負っているということにもなるわけです。それでは、その利害調整のための「絶対基準」とは何でしょうか。

 

それは、国連憲章です。事務総長は、この国連憲章を基準にして、加盟国の利害調整を行っています。それでは、加盟国は、その意思に反して、この国連憲章に従うよう強制されているのでしょうか。そうではないですね・・・。そもそも、国連憲章というのは、国連の原加盟国である51カ国が国連の設立条約として自ら合意・採択したものであり、その後のすべての加盟国も、国連憲章に合意することによって国連に加盟していますから、国連憲章というのは、すべての国連加盟国の総意の表明でもあるということになります。ですから、これは一種の契約関係であり、すべての国連加盟国は、国連憲章に法的に拘束されることに、最初から自ら合意しているということで、事務総長が、それを基準にして加盟国の利害調整を行ったところで何の問題もないということになるわけです。

ただし、事務総長は、国連憲章だけを基準にして加盟国の利害調整をしているのではなく、国連憲章を中心にした国際法の規範体系(法体系)のすべてを動員して利害調整を行っています(言うまでもなく、個別の加盟国が合意していない国際法規を、それぞれの加盟国に守るように促すようなことはしません)。この規範体系の中には、国連総会などが採択した決議や、決議から発展した条約などの国際法規すべてが含まれます。そして、その中でも国連憲章に次いで最も重視されているのが、総会決議をルーツに持つ法的拘束力のある多数国間条約や、同様に拘束力を持つ安保理決議ではないかと思われます。そして、法的拘束力を持たないまでも、全会一致のコンセンサス、もしくは圧倒的大多数で採択された総会決議も、大方の加盟国の総意の表明として、事務総長の調整基準となっています。

 

さて、この話が、イラクにおける二名の死刑執行問題とどう関係してくるかということですが、上記に挙げた国連総会決議に由来する多数国間条約の中には、国際人権規約、女子差別禁止条約、児童権利条約、ジェノサイド条約、難民条約など、人権分野のものがかなり多く、事務総長、ならびにアルブール人権高等弁務官も、こうした人権条約のうちの一つを基準にして、今回の死刑執行に反対している側面があるのです。

これらの人権条約のうち、今回の国連側の判断基準となったのは、国連総会の一つである世界人権宣言から派生した人権規約で、イラク政府がこの人権規約に締約していることを踏まえ、今回の死刑判決の確定方法、ならびに執行に関する手続の中に、この人権規約に違反していると思われる点が存在していることを指摘した上で、死刑の即時執行に反対しているということなのです(事務総長の談話人権高等弁務官の談話)。

 

最初の段階で、潘・事務総長は、今回の問題を「主権国家の自由」と捉え、干渉しようとしませんでした。これは、もし潘氏が韓国の外相のような国連加盟国の政府関係者であれば、まことに適切な対応でした。また、もし人権規約のような法的拘束力を持つ条約がなかったり、あったとしても、イラクがそれに締約していなければ、国連事務総長としても適切な対応だったでしょう。しかし、事実はそうではありませんでした。

人権規約の中には、死刑に関する極めて厳格な要件が規定されており(B規約6条)、イラク政府はこれに締約していて、なおかつ今回の手続がその規定内容に違反している可能性が濃厚でした。そして、人権規約は世界人権宣言という国連総会決議から派生しており、総会決議は国連憲章から派生しています。したがって、国連の事務総長は職責上、今回の死刑執行にははっきり反対する以外に、選択肢がなかったということです。どちらでも良いということは、最初から言えなかったということです。

今回の齟齬は、着任直後ということもあり、事務総長の官房スタッフが適切に補佐すべきであったような気もしますが、今後の良い教訓になったのではないかと思います。国連は、主権国家の集合体としての政府間機関ですから、事務総長が、加盟国の主権を侵害するような発言や行動をすることは、絶対に許されないことです。しかし一方で、国連は国連憲章とその法規範を遵守することを目標とした一つの国際法上の法人ですから、そのルールに逸脱する加盟国が出れば、事務総長はその行動を指摘し、軌道修正するよう要求する職責を負っています。今回の事務総長の発言のシフトは、その国連と国連事務総長職の二面性が、鮮やかに透けて見えた一例でした。

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