今年の年末で、国連のコフィ・アナン事務総長の任期が切れるため、現在、後任の事務総長選びが急ピッチで進められています。
国連の事務総長というのは、世間では、国連で一番偉い人だと思われているようですが、実はちょっと違います。アナン氏は、国連の六つある主要機関のうちの一つである「事務局」の中で一番偉い人ですが、国連機構全体で一番偉い人ではありません。
国連(国連サイト/解説)というのは、その形体から言うと、文字通り、加盟国192カ国の結合体(United Nations)です。また、国連というのは、その目的から言うと、世界各国の政府が、平和の維持、貧困の解決など、国際社会の共通利益を図るために、その有志が設立した政府間の協議体のようなものです。ですから、今も昔も国連のオーナーは加盟国であり、加盟国が国連の活動内容を決定しています。それでは、事務総長は何をやっているのでしょうか?
事務総長は、192カ国の加盟国が国連を通して実行したいと思っている外交課題の調整業務、いわば加盟国の国益の総合調整のような仕事を、自分のオフィスである事務局(ここに勤務している人が国連職員です)を統率して行っています。具体的には、平和維持と紛争解決、貧困の解消、人権の国際的保障、地球環境保護といったそれぞれの政策分野において、各加盟国が国連を通して何をしたいかという要望を正確に把握し、その要望をどうしたら最も効率的・効果的に実現できるか、そのアイディアに賛成・反対する国はどの程度いるのか等々を見極めながら、できるだけ多くの加盟国が同意でき、なおかつ国連憲章や関係決議の趣旨に合致する政策を加盟国間で形成させるための具体的な提案や調整を行っています。そういう意味で、事務総長というのは、リーダー(指導者)ではなく、コーディネーター(調整者)だと言えます。
しかし、この仕事は、なかなか大変です。なぜなら、192人の個人の利害調整でさえ、すごく大変だと思いますが、相手は192の主権国家の代表であり、それぞれの代表は自国の数十万から億単位の国民の利害を背負っているわけで、ただの192人の個人の利害調整とはワケが違うからです。国連事務総長というのは、そういう極めて複雑で重層的な利害調整を、大した権限もなく進めなければならない大変難しい仕事であるとも言えます。あちら立てれば、こちら立たずということが、毎日起きます。常に不満や文句を言われるし、たとえ褒められたとしても、それは事務総長を言いくるめるための方便だったりします。ですから、これは関係者に聞いた話ですが、国連の中でナンバー2、3くらいまで出世した人の中には、事務総長職の強烈な職務上のプレッシャーをよく知っているから、周囲に事務総長になるよう強く推されても、うまく逃げてしまう人もいるそうです。それだけ、大変な仕事だということです。
しかしそれでも、国連事務総長というのは、世界のほとんどの国が参加している国連という場で、国連憲章の趣旨と精神に従って、かなり自由に自分の意見を述べることが許されており、また、問題の性質によっては、かなり広い裁量を与えられて、政策上のイニシアティブを握ることも許されることがあります。またそれだけでなく、国連の外部でも、国家元首クラスの人々が参加する多くの国際会議に招かれ、自由に意見を言う機会を設けられています。ですから、職掌上の権限というのは大きくないのですが、国際社会全体に対する潜在的な影響力というのは、かなり大きいものがあります。だから、国連事務総長になりたいという人も出てくるのです。
そういうわけで、いまのところ、以下の6人の人が名乗りを上げています(おおよそ立候補順、カッコ内は国籍)。
スラキアット・サティアンタイ前副首相(タイ)
潘基文(パン・ギムン)外交通商相(韓国)
シャシ・タルール国連事務次長・広報担当(インド)
ザイド・アル・フセイン王子・国連ヨルダン代表部大使(ヨルダン)
ワイラ・ビケフレイベルガ大統領(ラトビア)
アシュラフ・ガニ元財務相(アフガニスタン)
誰が適任かということについては、それぞれの人の適性もさることながら、これまでの歴代の事務総長の出身地が、欧州→欧州→アジア→欧州→南米→中東(アフリカ)→アフリカという順番で選出されてきたから、今度はアジア地域から選出すべきだということが、加盟国の間でささやかれています。アジア出身の候補者が多いのは、そういう理由によります。また、世界中の様々な立場の国の利害調整をやることから、大国の出身者はあえて避ける傾向があり、そのため中小国の出身者が比較的多くなっています。ちなみに、ジャヤンタ・ダナパラ元国連事務次長・軍縮担当(スリランカ)という人も名乗りを上げていたのですが、昨日になって立候補を取り下げたという報道がありました。
事務総長の選出方法というのは、国連安全保障理事会(5常任理事国+10非常任理事国)の勧告に基づいて、国連総会(全加盟国の192カ国)が任命することになっています。しかし、ここにはまた、有名な国連安保理の「拒否権」というものが作用します。つまり、安保理常任理事国であるアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国は、自国の気に入らない候補を、最初の段階で拒否できるのです。ですから、国連憲章上の規則によれば、事務総長に選出されるためには、総会を構成する192の全加盟国の三分の二以上の支持と、安保理常任理事国の5カ国すべてと、非常任理事国の4カ国以上の国に支持を受けている必要があるということです。これは、かなり大変な条件です。
この条件から見ると、インドや韓国の人は、微妙な関係にある中国が支持してくれるかどうかが鍵になってきます。ラトビアの人は、親分格のロシアがどう出るかが問題ですし、もう欧州出身者は当分いいというクレームがつく可能性もあります。ヨルダンやアフガニスタンというのは、アジアというより中東に近く、アナン氏の前任のブトロス=ガリ氏が中東出身だったことから、似たような地域から続けて出るのはどうかというクレームがつく可能性があります。また、タイの人は、かねてより有望視されていましたが、先ごろクーデターで崩壊したタクシン内閣の閣僚だったことから、自国政府の支持基盤そのものが薄くなったとも言われています。
安保理では、これまで三回ほど予備投票が行われており、いずれも韓国の潘基文氏が一位につけています。しかし、これまでも過去の事務総長選挙では、直前に予想外の波乱が起きたこともあり、いまだ予断を許さない状況だと言っていいと思います。現時点の動向としては、明日2日に行われる四回目の予備投票で、もし全ての常任理事国が潘氏を支持する意向を示すようであれば、潘氏の当確の流れが固まると言われていますが、もし常任理事国の一国でも潘氏を拒否する姿勢を打ち出すことがあれば、全てが振り出しに戻るとも言われています。
最後に、冒頭の問題提起に戻って、国連で一番偉い人は誰かということを考えたいと思います。それは、上に挙げた国連の実情からして、名実ともに、192カ国の加盟国の国家元首だということになるのではないかと思います。またそこで、あえて一人選べとなれば、やはり経済力と軍事力で突出しているアメリカの国家元首であるブッシュ大統領だということになるのかもしれません。ちょっとがっかりかもしれませんが、これが国際政治の現実です。
しかしそれでも、国連の中では、様々な政治的な駆け引きが繰り広げられており、アメリカが好き放題できないようになっているのは面白いところです。次の事務総長には、常任理事国5カ国に支持されると同時に、必要があれば彼らを手玉に取って、国際社会全体の共通利益を推進するような強力な外交手腕を持った人になってほしいと思います。その意味では、アナンさんというのは、なかなかの「したたか者」だったように思います。