goo blog サービス終了のお知らせ 

無教会全国集会2013

2013年度 無教会全国集会ブログ

第一分科会 「自民党改憲案の問題点」

2014-01-05 13:17:43 | 分科会

司会 阿部 光成
                                               記録 野々瀬 協子

 初めに参加者名簿の順番に沿って名簿に記されている内容以外のことだけ(時間節約のため)補足するとの申し合わせで自己紹介をした。
次に内坂晃先生が発題講演を補足して語られた。

 以前の自民党には,安倍などの右派の言動にブレーキをかけることが出来る戦争の悲惨の経験者が居たが、今はいない。独走態勢の安倍を日本の財界が後ろから支配していて、原子力発電や武器輸出などを企み、その資本の論理の上に政・官が乗っている。その背後にアメリカ資本の圧力がある。そのアメリカは1%の富裕層が富を握り、99%が貧しいという強力なシステムが出来上がっているからこの構造を崩すのは困難である。たとえば堤未果の著書(註1)に見るように、アメリカのアグリビジネスの巨大な力には他国の小さい農業を潰してゆく論理がある。TPPが結ばれたら大変なことになる。これに対抗するには各地で地産地消を行い地域経済を豊かにすることである。中央が権力を握っているシステムではなく別のシステムを構築しなければならない。グローバルな視点で日本の改憲の問題を考えなければならない。この構造の中では現在の憲法が邪魔になるので変えようとしている。
 
・現在の憲法9条を全面的に廃棄して国防軍を作る。これはアメリカ軍と一体化することでありその先には軍需産業をさかんにすることで、現在の憲法は邪魔である。憲法を変えるための段階として秘密保護法を作ろうとしている。国民が反対するであろう都合の悪いことは国民には何も知らせず、アメリカとは情報を通じ合う。

・国民の不満を抑えつけ、内部の矛盾を上からの強い力で消して一体化を強調する国家主義にもってゆくのに都合がいいのは天皇制を利用すること、天皇を元首であると強調する。・このような枠組みの中で自民党の憲法改正案を一つ一つ見てゆけば背景があるということが理解できる。

参加者からいろいろな話題が出されて活発な論議がかわされた。
・日本だけ見ていては分からない。アメリカの下に組み込まれていることがよくわかる。
・日米安全保障条約は10年毎に改訂されることになっているが、2012年は改訂の年だったが、問題点は改良されなかった。 
・アメリカでは9.11の後テロリストを探し出すために制定された愛国法によって国民 の思想調査、統制が行われているようだ。ある本によると図書館の15%(30%の説もある)は図書館利用者の読書履歴の情報を調査官庁に報告することが義務付られている。しかもその図書館の名は厳重に秘密とされ、漏らしたらその図書館員は罰せられるとか。日本の図書館がこのようになってほしくない。
・日本でも民間での思想調査は始まっていると思う。アマゾンで本を買ったら、それ以後同じ傾向の本のコマーシャルの情報が次々に押し寄せて来るようになった。将来アマゾンやグーグルに自分の思想内容の情報が捕捉されアメリカの情報機関に集められたら・・・と思うと不安である。
・インターネットはアメリカの国防システム・アーパネットから始まっていて、便利な手段だと皆は喜んで使っているが、最初から危険を持っている。この危険を避けるために外部とは連絡に用いない大学(前橋技術大学、情報技術大学など)もある。情報革命によって日本の情報はアメリカに全部掴まれて、情報操作されている。日本にはこのような事態になる事を防ごうとした先の見える政治家がいないのが残念である。
・オリンピック招致の時に安倍首相は原子力発電所の汚染問題は解決したと発言したが、とんでもない大嘘つきである。多くの人々を困難と悲嘆に陥れても無かったことにしようとしている。国民を踏みにじる姿勢,予算の使い方のいい加減さといい、これらと憲法改悪は通底している。
・原子力発電はコストが安いと言いはやされて虚構と欺瞞の上で作られた。電力不足の際には各電力会社間で送電し合うシステムを作ろうと発案した役人は辞めさせられ、代替エネルギー推進策も潰された。東京電力と役人と政治家が利権と不透明な巨額な金で結びついている。あのような大事故の後でも反省もせずなおも原子力発電を続けよう、外国にも売りつけようとしている。被害を受けた福島県民への謝罪も責任も充分にとろうとしていない。ドイツと日本は全く対極的にちがう姿勢をとっている。福島の原発事故の報に接するとドイツのメルケル首相はは20年来考えてきた原子力発電についての決断=子孫にこのような危険なものを遺してはならない=をくだして将来的には廃止することにした。 この道義的な精神は先の大戦の加害責任を周辺の国々に謝罪し、ナチスの仕業を現在でも追求し続けている姿勢にも現れている。それに比べて日本は戦争の加害責任を頬かぶりして周辺の国々に対して充分な謝罪をしてないと非難を浴びる原因となる言葉を歴代の総理大臣の多くを初めとする自民党の政治家は吐き続けて円満な外交関係をもてていない。その総仕上げが憲法改悪である。
・安倍首相はアベノミクスという三本の矢を推し進めているが、国民の人権を無視した
大企業中心の政策である。第四の矢は憲法9条を廃止しようとする憲法改悪である。これは大きな死の矢である。我々は黙っていてはいけない。身近なところから平和をつくってゆく思いと行動をしなければならない。
・自民党の改革案と現行の憲法がどのようにちがうのか素人にははっきりと分からない。
改正案は国家デザインとリンクしていると伊藤真氏の講演会で知ったが、具体的に専門家に解説して欲しい。
・自民党が発行した「日本国憲法改正草案」(現行憲法対照)を読むといい。これは千葉真さんの講演会(註2)の時に使われたテキストですが、併記されている項目を一つ一つ対照しながら読んでゆくとよく分かります。
・若者の無関心、政治意識の低さが問題である。8月15日が何の日か知らない若者が多い。戰争のことをいうよりはこれまで60余年を平和であったことを話した方が良いと語る若者がいるが、これは戦争のことは知らなくてもいいという無関心につながる。こういう人達は煽動されやすく何かあるとワーッと群がって雪崩のように崩れてゆく危険がある。たとえば、憲法改定賛成、ヘイトスピーチなど背後に右翼や政府の力が働いているのであろう。配付資料の熊野勝之氏の発言(註3)は大変良い事が述べられている。これをよく読んで他の人達に個々に語りかけ、説得してゆかなければならない。

以上列挙したほかにも
・日本と中国との関係について対立と考えずに中国が悩んでいる問題(たとえば大気汚染など)に日本の進んだ技術を提供して解消に協力するなど友好的な援助を推し進めなければならない。
・自民党独走を阻むために野党勢力の統合を図ること、
・教育に問題がある
・住民運動に対して一般の人達の反応が鈍く,意識が低い
・沖縄の辺野古問題で市長選挙の立候補者の党派対立その他の問題、 など多くの発言がありましたが割愛させていただきました。

註1;堤未果の著書『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』海鳴社 2006
             『ルポ貧困大国アメリカ』  岩波新書 2008
                    『ルポ貧困大国アメリカⅡ』  岩波新書 2010   その他多数、共著も
註2;キリスト教伝道会主催平和講演会   
    鎌田利治:亡国の第一歩
      千葉 真:憲法改正と尖閣諸島       9月23日  於 在日韓国YMCA会館
註3;熊野勝之:『政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こさせない体験的憲法解釈』
           ① ② ③
           週刊 法律新聞  2013年7月5日、12日、19日 掲載


第二分科会 「老化も病気もプラスに活かす」

2014-01-05 13:16:58 | 分科会

発題者 永田 千種
司会者 大西 宏
書 記 八尾 徹

参加者
 参加者は22名(男性13, 女性9)で、年齢は60才から88才、平均75才位。お弁当を戴いた後、まず最初に参加者全員の自己紹介を1分以内でして頂き、その後、下記の補足説明・討議と続きました。途中 飯田・中尾さんが回って来られ、集合写真を撮って下さいました。

補足説明(永田千種姉-5分、田中清兄-10分)
 司会者の勧めにより、永田姉から昨日の発題(内容別紙)の補足説明をして頂きました。
2005年2度目の手術後ICUで目覚めた時、看護婦さんから77才誕生日祝いとしてカーネーションを見せられ「新しい人生を戴いた!」ことに感動したこと、そしてその後「神様への感謝」の毎日の中で、次々と前向きの活動ができていることをお話し下さいました。
 次に、田中兄から高齢者の信仰についてのお話がありました。(ご本人からのお申し出あり)1996年エルサレム訪問の際、聖フンボ教会の礼拝堂に架かっていたイエスの十字架像を見て感動、それ以来「十字架の神学」を深く学ぶようになったこと(関根・青野先生他から)、 そして、パウロの十字架のキリストは現在進行形(今なお生きておられる)であることを示され、このことが孤独の中で生きる高齢者に大きな支えになることを強調されました。このお話しを受けて最高齢の塩澤潤兄が、さらに「再臨」信仰が高齢者の心の支えになると話されました。 以上いずれも実体験に基づくお話で、参加者の心に届いたことでしょう。

以下、討議・意見など

宮村武夫兄 神は成長させる力を持っておられる。
 胎児・幼児が成長して行くように、高齢者も人生の最後でも成長して行くように神様は助けてくださる。それによって周りに喜びを与える・伝えることができる。

雑賀光宏兄 高齢になっても仕事を続けよう。 
 高齢になっても仕事を続けることによって、新しいことを学ぶ、若者に教えられる。「9条の会」「国道バイパス反対運動」「法隆寺観光ガイド」などを続けている。

大西 宏兄  高齢なっても、必要とされたら何でも引き受けよう。
高橋 昭兄  老人ホームでも仲間を増やせる。
 老人ホームに入って4年半、周りには孤独の人が多い。できるだけ話しかけている。体は弱っても、話し相手があることが良い。
吉村 薫姉   加齢に伴い、クリスチャンとしての葬儀のあり方を考えている。
平野恵子姉  市川聖書集会に属し、恵まれている。
籠屋幸子姉  母(内村集会)-自分(高橋集会)-子供・孫(今井館)と続き、感謝している。

井上博夫兄  以前石原集会、現在日永集会。
 登戸学寮の近くで親近感を持っている。

伊東裕二郎兄 社会福祉に関心をもっている。
 社会福祉の仕事40年、退職後も関心を持っている。3年前に脳梗塞で倒れ療養中。

宮城航一兄  老齢期は、死と人生の意義について深く考えるチャンス。
 現役医師として、老化と病-特に精神的病に関心がある。加齢をプラスと受け止め、若い時代とは異なる考えができる(以下)。 これらは恩恵である。
①人生の意義を深く考える。
②証しする。③神との新たな出会いを求める。

田牧 仁兄  神様のお招きを待つ気持ち。
 81才まで働いた。やめて間もなく病気(心筋梗塞)になった。神様からいつお呼びがかかるかを考えるようになった。

土屋めぐみ姉  退職後をどうするか。がん告知の受け止め方。
 看護師(産婦人科系)の現役で、あと数年後の退職後をどうするか考えている。がんが増えている状況の中、患者のがん告知後の心の変化、受け入れ方に注目している。

佐藤洋子姉  身近な人への伝道をどうするか。
 自分自身は信仰歴は長いが(30年)、 弟妹・その家族への伝道に関心がある。

溝口春江姉   高齢になったが、まだまだ続けられる。
 信仰歴60年で、今でも音楽療法・平和行進・集会冊子編集などを続けている。90才を
越した友人の一人はお茶の先生、もう一人は聖書暗誦を続けている。名古屋の92才の友人は自分の告別式の式次第を作ってあり、日時を入れれば良いようにしてあるとのこと。私は毎日美容にも気をつけ、成長させて下さいと祈っている。(集会冊子「みぎわ」配布)

宮村武夫兄  聖霊が助けてくださる。
 高齢になると、特にヨハネ福音書14-16章が思い起こされる。聖霊を下して助けて下さ
るとの言葉は忘れられない。体はリハビリを受ける身であっても、主があとで必要な時
には用いて下さると信じることができる。

大塚壽雄兄  失明後も聖書講義・伝道を続けている。
 自分は白血病、心不全を患ったあと、ついに失明してしまった。しかし、信仰によって見えることによらず立ち上がれた。主からの召命があり、2004年から10年間月1回の聖書講義を家内の助けを借り続けてきている。生きがいである。

大塚正子姉  主人と共に歩んでいる。
 信仰の友が大切。二人で歩んでいる。イスラエルへも行った。信仰の友が大切とつくづく思う。

丸山耕平兄  下町での集会を続けている。
 関根正夫先生の意を体して、東京「下町に無教会を」との思いで、長年神田でエクレシアを続けているが、次第に人が減ってきている(145人)。それでも交代で講読している。
今の関心事は、病人の健康、老人の健康、そして市川市の共同墓地のことである。

塩澤 潤兄  大病後に、復活-再臨 の信仰を強められた。
 3年前に小脳出血で倒れ、一週間意識なし、自分はまもなく死ぬと思った。しかし奇跡的に助かった。そのあと聖書から復活信仰を与えられた。我々は、キリストにならって復活でき、新しい霊の体が与えられ神に似たものにされる。更に、キリストが必ず来られる、「再臨」されるとの信仰を与えられ、最後まで信じ続けて御国へと願っている。

永田千種姉  死ぬことは恐ろしくない。
 残りの人生を楽しく暮らして行こう。

以上、分科会のテーマ通りの前向きなご意見が多く、明るい話し合いでした。

 


第三分科会 「青年と職業」

2014-01-05 13:16:13 | 分科会

発題 早川 嗣
司会 荒井 克浩
記録 小舘 知子

 一般社会の中でクリスチャンとして生きるとはどういうことなのかというテーマで話し合った。ひとつには、自分の信仰を貫くという課題がある。まず、クリスチャンであることを職場の人たちに公言できるかどうか。言い出しにくいかもしれないが、是非言わなくてはいけない。それから、飲酒と喫煙。酒、タバコをやらないと神の前に決めたのならどんなに勧められても、バカにされても貫く。初めはからかわれるが、いつしか皆理解してくれるようになる。日曜礼拝のために休日出勤できない場合にも、礼拝は休まないと決めているのなら貫けばよい。日頃からしっかり仕事をしていれば必ず受け入れてもらえる。職場が合わないからといってすぐに辞めてはいけない。石の上にも3年、否10年は頑張らなければ何もわからないままで終わってしまう。職場の常識とずれるとしても信仰を貫き、軋轢が辛くても忍耐して仕事には誠実に取り組んでいればいつか理解される日が来る。以上が大多数の意見で夫々の体験に基づく確信に満ちたものだった。

 転職については少数だが違う意見もあった。合わない職場で頑張り通すこともなく、もう一度自分を見つめなおす良い機会であり、もっと自分に合う仕事を探すのも大事なこと。なすべき仕事を見つけるのは大変なことで、一度や二度の失敗はあるものなので転職を恐れることは無いという意見。さらには、もし会社が営利だけを追求して全体の目的が大きく間違っているときにはサッサと辞めた方がいいという意見もあった。

 さて、もうひとつの問題は職場に愛の関係を生み出せるかどうかということ。職場は実力主義、能力主義で満ち満ちている。できない部下に上司が罵声を浴びせるのは日常茶飯事。愛について考える人など皆無のように思われる。この殺伐とした社会で、クリスチャンは日曜日に聖書礼拝に出席し、そこで清められ、励まされて次の一週間を乗り切るという生き方しかないのか。信仰とこの世は相容れないのか。この世に希望は無いのか。愛真高校や登戸学寮には人と人との間に愛の関係があった。同じことを職場に臨むのは無理なのか。この世には愛は無いと諦めなくてはならないのか。同じ人間同士の集まりなのだから通じるはずではないか。自分の信仰を守るだけでなくどうしたら愛のある関係を作り出せるかということこそが重要なのだ、というようなことが話し合われた。

 そして、次のような希望へと繋がっていった。職場を愛のある場とするためには、仲間を作ることから始めるのがよい、必ず誰かフィーリングの合う人がいるはずだからそういう人と始めるとそこから広がってゆく。まずは、二人の間に信頼関係、愛のある関係を築こう。友だちを作るときにはクリスチャンであることを公言した方がよいだろう。何か悩みがあるときにクリスチャンだからということで相談に来てくれることがある。クリスチャンはこの世の価値観と違うものを持っていると思われているようなので、クリスチャンだと言った方が価値観の合う人に出会いやすくなるだろう。

 また、人の意見に謙虚に耳を傾けること。そういう姿勢が信頼関係を作る。
仲間とは、仕事において高い夢や理想を持つことが大切。たとえ部下と上司であっても夢を語り合っているときには上下の隔てはなくなっているもの。同じ夢を抱き、一つの目標を共有する人間関係は幸せな関係であり、この夢や理想が職場の雰囲気を変えていく。

 以上、当分科会は、闇とも思える職場にも愛のある関係を生み出す希望があるという一筋の光を見出して閉会した。


第四分科会 「伝道と家庭集会」

2014-01-05 13:14:57 | 分科会

発題者 宮田 咲子
司会者 西澤 正文
書記 鶴田 淑子

 出席者13名。開会の祈りの後、自己紹介(各1分)。当日配布資料の参加者名簿に簡単な自己紹介が載っているので、それを参照しながらコメントを付け足す形で行った。
13名中、8名の方が集会の主宰者、または先達の始めた集会を引き継ぐ形で責任者となっている方、出版物配布などによって自ら伝道を続けておられる方などで、伝道に携わっておられる方々であった。
その他2名の方は夫の主宰する集会をサポートしておられる方、1名の方は牧師志望の方であった。

 始めに司会者から、発題者宮田咲子さんへの質問や感想があればそれを言っていただいて、その後この分科会を選んだ理由や、日頃考えている事などを自由に発言していただきたいというお話があった。
話し合いを進めていくうちに①宮田咲子さんへの質問と感想②集会のあり方(今後どんな形で集会を持っていったらいいのか?)③伝道とはどういうものか?の3点に議論が集約されていった。

発言要旨
宮田さんへの質問、感想
○今朝の話の中で宮田さんは、月曜はイザヤ書、水曜はテープ(徳島から送っていただいたもの)、金曜は聖書の通読という形で始めたとおっしゃったが、聖書をどのようにして読んでおられるのでしょうか?注解書を頼りに読み始めたのですか?
○宮田さんは、生活の全てを家庭集会にかけている「家庭をささげている」と言われたが「家庭をささげる」ということは実は大変なことで、家族の理解と協力なしにはとても出来ないと思われる。ご主人の理解と協力はどのようにして得られたのでしょうか?

 それに対して宮田さんの答は◇
◇基本的には聖書をくり返し読む。分からないことやもっと深く知りたいことは、注解書や聖書講解などを用いて学ぶ。集会の一人一人が、自分で聖書を読めるようになるのが目標。
◇主人は、はじめはクリスチャンではなかったけれど、吉村さんから送っていただいた冊子を読んだりしているうちに、いつの間にかクリスチャンになり、喜んで協力してくれる。一番大変なのは子供たちの方で、狭いマンションなのにLDKを占領されてしまうので、工夫して子供たちの日曜学校を先にして、その後で大人の集会をしている。子供たちは別室でおとなしくしていてくれた。今はもう大きくなったので、出て行ったりするが、よく協力してくれていると思う。
○マンションの集会で問題はなかったのですか?私の経験したことですが、マンションの持ち主が変 わると、ここで集会はしないでくれと言われ、やむなく断念したことがある。
◇玄関に御言葉が貼られたりしているので、何かやっているな、という感じは持っているだろうけれど、特に注意されたことはない。)

集会のあり方について(無教会は今後、どんな形で集会を持っていったらいいのか?)
○一緒に聖書を読みたいという人がいれば2人で始めるというのがいいんじゃないか。とにかく聖書を読むことから始める。注解書を読むのではなく…。黒崎先生の注解書のはじめには「自分で聖書を読みなさい。自分で読んで感激しないと人と分かち合うことはできない」という意味の事が書いてある。「やむを得ない時だけ注解書を読みなさい」とハッキリ書いてある。
○伝道にはエネルギーが要る。注解書の伝道では伝わらないことが多い。調べたことを研究発表するのでは伝わらない。伝わるという確信を持って伝えなくては…。伝えようとする気持ちが大切。
○はじめは学生に聖書を説く式にやっていたが、5、6年前にそれをやめ、一緒に聖書から「聴く」という方法でやっている。聖書から何を学ぶか?分からなかったら置いておけばいい。そのうち分かるようになる。昔の人は、聖書を暗記するように全部覚えていた。聖書の言葉がすらすら出てきた。まず聖書を読む。それが基本。
○聖書から受けた喜びを相手に伝える時、相手の立場とか相手のcontentsをしっかりとらえて伝えていく事が必要だと思う。publicとpersonal公と個人の両方に語りかける。相手を無視して一方的にしゃべるというのはよくない。
○伝道集会をする、講演をする、というのと日常の礼拝をするというのとでは違うと思う。日常の集会では、聖書に基づいてというのが大切。それと講演会とは違う。
○伝道の行為は同じだが、伝道の場は違う。大人数と小グループの集会との違いもある。
○聖書を講義するのではなくて、聖書から聞いたこと、心にひびいたことを話すというのはいい。
○1人で礼拝している時、どうしても一緒に礼拝する人がほしいと思ったのが家庭集会の原点だという話。はじめから家庭集会をしようと思って始めた訳ではないという宮田さんの話が心に残った。
○今の無教会で一番足りないのは宮田さんのような家庭集会なのだと思う。建物の中で行われている集会では、1対1で話すなんて事はとても出来ない。公の場では、時間が来ると追い出されるし、会場を予約しようとしても取れなかったり、場所を確保するだけでも大変。場所と人が必要だ。
 (家庭と宮田さんのような人─心の中に燃えるものを持っている人、それがあふれ出てくる人)

伝道とはどういうものか?
○私自身の経験から、福音が私の心の中に入ってきたのは1対1の話し合いの場の体験からなので、宮田さんのような集会は羨ましい。伝道集会ということを考えなくても、自然に伝道が出来てしまう。聖書を中心に話すのもいいのだけれど、お互いにその箇所をどう思うか真剣に話す中で生まれてくるものがあると思う。
○聖書から何かを「聴く」時、同時にテープを聞いたり、CDを聞いたりするが、よく心にしみて分かる場合と違和感がある場合とがある。教える人によって伝わり方が違う。伝道にも、やっぱり、教える人との相性はあるんじゃないか?
○それと家庭集会の成果というか?影響についてですが、家庭集会で子供たちに教えても、必ずしも   全員がキリストに来る訳じゃない。聖霊の働きかけがなくては…。主に招かれるのを待つという姿  勢で種を播かなければならない。
○お子さんが亡くなる前にクリスチャンになったという話をしてくださった方があり、希望を持った。
○集会をするには、聖書をきちんと読んで理解している人がいなくてはならないと思うが、無教会は1人1人がそうなのだから羨ましい。(教会の方)
○いや、今はそれは逆で、司会をやる人も不足しているような状態。集会に出てくるまで聖書を開か ない人が多いような気がして情けない思いをしている。
○集会に来るだけでいいんじゃないか?来なくなったらおしまいだけれど…。来て、神様と向き合う機会を持つという事が出来ている間は希望があるのではないか?
○雰囲気がいいから来るというのだってあると思う。
○集会に毎回出席できるのは1人。その他1人お出でになればいい方で、後は月に1回とか多くても5人くらいという集会なので、毎週テープを送ったり「○○便り」というものを出したりしている。吉村さんは「はこ舟」(注:今は「いのちの水」)宮田さんは「福音」を出して伝道しておられる。
○たった2、3行でも伝えようとすれば伝わる。それを神様が用いられることがある。
○伝道する仕事をしようと思ったが、しようと思ってできるものではなく、神様の働きなのだと思った。(牧師志望の青年)
○1人で勉強して神様に祈り、祈りの中で御言葉を受けて語る。誰かの書いたものを参照して並べるのではなく、信じている事を語る。そして足を運ぶ。それが伝道だと思う。


 


第五分科会 「農業-自然と人を結ぶ」

2014-01-05 13:14:10 | 分科会

司会 多田 義国
                           記録 浅井 慎也

 第5分科会は、参加者14名により行われました。
讃美と司会者のお祈りの後、各人が2分程度、石澤重吉さん、渡邊荘吉さんの発題に関する、感想、質問を述べ合う時間が持たれました。

以下は、その中の主な発言です。

・渡邊さんから大地を大切に守る重要性を教えられた。石澤さんから信仰を持って真実に生きる事の大切さを教えられた。そこからしか、安全と汚染の問題の解決の道はないという事を思った。
・地震が起きた時、山形に軽油やガソリンが全く入って来なかった。若い世代はトラクターでなければ農業ができないと言っていたが、石澤さんと同じ年代の義理の父は、昔ながらの農法をやってきた世代なので、動じていなかった。若い世代はひ弱であり、石澤さんの同年代の方からもっと多くを学ばなければならないと考えた。
同じ農業をするものとして、日曜の礼拝を守るという石澤さんの真実な姿勢に大変感銘を受け、遠くからやってきてよかったと思った。
・去年、日本の愛農会の方と韓国から聖農会の方が会を持たれ、創設者の小谷純一先生の思い、韓国での正農会の方の働きが心を一つにし、この問題に取り組んでいる姿に麗しく感謝で、これからの道が開かれる事を心からお祈りしました。
・自分で食べるだけの農作物は作っているが、お金にはしていない。化学肥料は全く使っていない。そのようにして作った作物はとてもおいしい。買ったものは、味も匂いもない。書物などにより農業を研究している。お金に替えている人は、化学肥料をたくさん使っている。商品にする過程は、とても、大変であるのを見ている。農業は聖書に適った、神様の道、おいしい作物ができたら感謝。神様の道を経験できている。
・母の介護をはじめてから、農業に関わる。父や兄が、他とは違う、立派な野菜を作っていた。自分自身は、EM菌を使い、全て肥料は有機のコメ、糠、魚骨、糞などをブレンドし発酵させるという方法で、自作している。とてもよいものなので、他の人にもあげたくなる。
・息子は、独立学園。大学の時、愛農の大学講座に行った。千葉の方で最初は無農薬でやっている農家に研修生として入る。それから独立したいと福島に行った。不思議な縁で、二本松で農業を始め、これから独立できるかなという時に大震災にあった。色々あったが、結局は二本松にまた戻った。農業をする事がどうしてもできなくなり、農協の臨時職員となった。
・真実に生きると、この世的によいことはないことが多いというお話が心に残った。
・アレルギーの子供が年々増えている。農薬との関連があるのではないか。
・実家が専業農家、子供の頃、休みの日も農業の手伝い。農業は嫌だと、上京し、就職したが、あわなく半年で実家に戻り、また、農業を手伝う。27までは農業をした。現金収入は少ないので、夏場は別荘の管理などで現金収入を得る。農業をしている兄の子供3人は農業の道を進まず、工業、建築などの道を選ぶ。妹は農業を継いでいるが現金収入は、農協に勤めて得ている。
・義姉の妹の夫が、有機農業、養鶏をやっている。玄米を送ってくる。子供にはよいものを食べさせられていない。有機作物は高く、安い他の品物に、どうしても目がいってしまう。
・家計は1000年をたどれる農家。子供の頃は、田植えの時期は学校が休みになり、手伝うように言われた。農薬、汚染物質という問題以上に、アメリカの資本、日本の農政などの体制などに、深く関係していると思った。TPPなど、先祖が作り上げたものを台無しにするような事を日本人がやろうとしている事を、おそれている。
田んぼは一回壊すと100年戻らない。自然と共生する生き方へ変換する事、内村鑑三のデンマルク国の話などの世界に日本も戻るべきではないか。
・中学時代まで北海道で林業、農業を手伝う。その後、農業とは関係しない。学生時代からリュウマチになり、左の方に弱みがあり、農作業ができない。重症心身障害児・者の施設で働いている。寝たきりで食べられない。誤嚥性肺炎を繰り返すと、チューブを通して栄養を取る。チューブの利用によって、今まで、生きる事ができなかった人が生きられるようになったが、その生き方は味のない生き方である。口で食べられることがとても有難いことを思う。施設の人を通して、食べ物、農業はとても大事であると感じる。
日本人のエビの消費が、タイの水産業が大きな影響を与える。マグロに関しても、日本人の食が世界に影響を与える。日本の食生活はよくなく、特に油はよくない油を使っている。アレルギーのもとになっている。人間の命と関わる食べ物という視点から、感銘深く今日のお話を聞いた。
・エネルギーの観点から考えても、日本で食べるものを外国で作って持ってくるのは、悪い。一方、都会で働く若い世代は、農業では生活をできないと思っているので農業をする人は、増えないのでは。本当に農業で暮らせるかを知りたい。
・福島から5万人の人が県外に避難した。県内県外含めて、約15万の人が故郷を追われて避難している。それで、原発近くの人たちが我々の中通り郡山とか会津の方に避難している。逆に、郡山の市街地に住んでいる人達が、子供達が心配で、自主避難している。避難命令ではなく自主避難で県外に移住している人が多い。5万人位いる。現在は、放射線の数字的に言ったら、避難しなくて、帰ってもよい数字。やはり、心配だと言ってる人にこれくらいなら大丈夫だという説得は効かない。子供の将来の事を心配すれば、際限がない。別の見方をすれば、避難する事により家族が離れ離れになり、経済に負担がかかり、この事の方が健康に悪いと主張する人もいるが、説得しても帰ってくる状態ではない。
・事故直後は20マイクロシーベルトあったが、今は、0.2~0.3マイクロシーベルトに下がっている。川内村は原発村があったところだが、そこは割合近いが、郡山よりも放射線が低い。村長が、戻っても良いという宣言をしたが、戻った人は、人口は2800人くらいだった内、200人くらい。戻ったのは、役場の人、学校の先生たち。若い人たちは川内村の良いところであった自然に、触れられないので帰らない。街では、病院などが近くにあり、便利であり、川内村には帰りたくないと考える。原発は、人間相互の不信感などいろいろな問題を起こしている。
・被爆の問題は、結婚などに問題がでてくる。
・広島の原爆でも問題が起きた。私の従兄弟も奇形、がんができている。証明のしようがない。データはアメリカのABCCがアメリカへ持って帰っているので。
・遺伝子の問題を考えると、原発の問題を簡単に集結宣言とはいかないのでは。
・世界の食料の1/3が捨てられている。問題になっているのは、食料が捨てられること。
・我々が意識をしないところで大企業がどんどん、自分の利益の為に開発して使っている。エビが東南アジアで原因不明の病気で不足している。我々の食が輸入されているものであり、向こうの農民、漁民を結果的に痛めているという事をおっしゃる方が多い。日本が日本食を文化遺産とするならば、食材を日本で生産するべき。プランテーションなどで食物を大量生産してお金に変える事は現地の人を潰すことになる。各国での長い歴史、文化がある。大企業のやり方ではなく、根本に立ち、各国、各地域の食文化を改めて考えるべき。

・最近の説教から、
地球上における食料供給力は行き詰まっているのでしょうか、ひょっとしたらまだ
神によって定められている、私たちの生活手段はまだまだたくさんあるのではないでしょうか。
必要な物資が足りないということよりも、わたしたちの精神の卑しさ、低俗さ、乏しさにあるのではないでしょうか。
神が地のものの為に備えてくださっている賜物を、正しく配分する事を妨げている私たちの所有欲、物欲こそ問題ではないでしょうか。私達は手に入れる財産の量が多ければ多いほど豊かになるという強迫観念にあります。
しかし聖霊は私達を、そのような強迫観年から自由にして下さり、受ける事より与える事に幸福がある事を教えてくださるのではないでしょうか。
使徒言行録20:35「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」をひいて語ってくださった。

・昔はあって、今はない、色々な食べ物がたくさんあるように思う。昔から食べていたものを食べたら、アレルギーが少なくなるのではないだろうか。
・昔は、山に芝刈りにいき、それで、食事、風呂をしていた。それがガスにかわった。昔は、山は綺麗だったが、今は入れない。ジャングル状態。
ガスを使用し、時間を短縮して、その分、働き、お金に変えるというスタイルになっている。山で暮らすことは不便であるが豊かな生活であると思う。田舎で生活できることを発信していただけたら、有難いと個人的に思う。

書記所感
 食の安全性の問題の根源も私の心にある貪欲、むさぼりという罪である事を知った。所有欲、物欲も際限がなく、それが様々な問題となり、我々を含む全生命体を苦しめ、その子孫に渡っても苦しめ続ける事になる。受けるより、与える方が幸いと、我々を導いて下さる神様に委ね導いて頂く事に問題の解決があるように思わされた。