宮城幹夫
今日は、無教会の全国集会で沖縄のことをお話しさせて頂く機会を与えて下さり大変光栄に思っております。日本の教会の歴史の中で無教会は、国と対峙することをも恐れず、一貫して平和主義的な神学を堅持してきました。このような皆様の歩みを、一人のクリスチャンとして大変誇りに思っています。さて、これから、「沖縄のハンセン病対策に於けるキリスト者の応答」と題して話を進めてまいりますが、最初に、「話の目的」を二つ、申し上げます。
第一の目的は、沖縄がアメリカの統治下にあった1945年から、沖縄の日本復帰の1972年までの、27年間における、沖縄に関係したキリスト者がハンセン病患者にどのように応答していったのかを、社会正義の視点で、検証することです。
第二の目的は、ハンセン病問題で確認したことを、キリスト教の社会正義の中心課題である平和、人権問題、人間の尊厳に照らして、沖縄問題を確認することです。
では、最初の目的である、ハンセン病患者にキリスト者がどのように応答してきたかをお話しさせて頂きます。1915年(大正4年)、熊本に在る英国聖公会宣教師のハンナ・リデル女史によって熊本県に設立されたハンセン病療養所の回春病院から米原聲児(まいばら・せいじ)祭司が沖縄に短期間派遣されたのが、沖縄のハンセン病患者に対する宣教の初めです。21927年(昭和2年)、回春病院からハンセン病患者である信徒宣教者の青木恵哉氏が、沖縄に永住者として派遣され、本格的に聖公会の宣教が開始されました。31941年から終戦にかけて日本基督教団が宣教支援を行っていましたが、戦後の1951年、日本聖公会の依頼を受けて、二人の米国聖公会宣教師である、ゴッドフリー司祭とヘフナー司祭が沖縄に派遣された後は、沖縄が日本に復帰する1972年まで、米国聖公会に所属する沖縄聖公会がハンセン病患者に対する宣教を担ってきました。4
ハンセン病患者は、アメリカの沖縄統治下時代、法律によって、琉球政府の療養施設である「愛楽園」に隔離されていました。5医療活動は「愛楽園」に勤務していた、医者、看護婦などの施設職員によってなされていました。愛楽園には、聖公会の教会である「祈りの家教会」があり、その教会のリーダーである徳田祐弼(とくだゆうすけ)さんは、愛
楽園の自治会長でもありました。6クリスチャンの犀川一夫(さいかわかずお)医師と、知念芳子看護婦は献身的にハンセン病患者の医療活動に携わりました。1957年に、沖縄教職員組合から招待を受けて、沖縄を訪問した、当時東京大学総長の矢内原忠雄先生は、個人的に愛楽園を訪問し講演をしています。矢内原先生の愛楽園に於ける話は後ほど、詳しくお話しさせて頂きます。
では、ハンセン病患者の、一般健常者との関係は、どのような、神学的内容をもっているのでしょうか。犀川一夫医師は、昭和19年、岡山県の愛生園に赴任した時、療養所の浴室で持たれていた、ハンセン病患者の礼拝に出席しました。犀川先生は、礼拝で、彼らが、終末に於いて身体が完全に癒されることを確信していること、又、療養所の職員の為に祈りを捧げていることを聞いて感動し、生涯ハンセン病医療に携わる決心を強くしました。7愛楽園のハンセン病患者の児童の世話をしていた上原歌子さんは、愛楽園が社会に支えられていることを感謝し、愛楽園の子供たちが、社会に羽ばたく時、神と人に愛される器になるようにと祈りました。
当時、社会で最も弱い立場にあったハンセン病患者は、感謝しつつ終末に癒されることを信仰によって確信しています。その彼らが、療養所の医師に、医師としてハンセン病医療に携わる使命感を与えたのです。このことは、信仰によって社会的弱者と強者の関係が逆転することを意味しています。又、ハンセン病患者の身体が終末に於いて完全に癒されることは、神が想像された人間の身体に帰る、信仰を表しています。つまり、終末に希望を持つ信仰は、神の創造の業と結びつけられ、終末の未来と、創造の過去の時間が、一つになることです。しかも、その未来と過去が一体となる信仰が、現在に生きている信仰者に生きる使命を与えているのです。最終的には、未来、過去、そして現在が一体化する信仰は、永遠の神の時間に存在するキリスト者の証しであることが分かります。
次に、愛楽園を訪問した矢内原先生を通して、ハンセン病問題について考えてみたいと思います。1957年、矢内原先生は沖縄教職員会、琉球大学に招かれて沖縄で講演を行いました。その際、矢内原先生の個人的な願いで、愛楽園を訪問し講演を行っています。愛楽園での講演において、次のように話しています。
病気とか病気でないとかと、言うことを超えて、療養所にいる方だから気の毒だというようなセンチメンタルな同情心などを超えまして、本当に人としての敬意を払い、愛し愛される友だちを、私は何人も療養所(りょうようじょ)の中に得ました。8
矢内原先生は、ハンセン病患者との関係を、社会的に、弱い立場にある人との上下的な関係ではなく、全く対等な関係であると理解していることが分かります。矢内原先生は、ハンセン病患者の玉木愛子さんを例にだして次のように語っています。
玉木愛子さんは、非常に感謝し、神の恵みを信じて、希望に輝いた日々を送っておられるのです。世の中に五体自由で活動している人にも、この玉木愛子さんのもつ喜びと輝きにみちた姿を見いだすことは稀だと思います。もしも人を愛し、愛によって人につくし、感謝と希望をもって生涯を送るとしたら、それが、たとえ狭い療養所の生活であっても、その人はほんとうに満足な、立派な、生涯を送っているのです。9
当時のハンセン病患者の生涯は、社会との関係を絶たれた孤独なものであったことは事実です。矢内原先生は、その現実を知っていたにもかかわらず、感謝と希望をもって生きることができると玉木愛子さんのことを通して話しています。私は、矢内原先生が、愛楽園の方々に対して話しているだけでなく、私たち健常者に向かっても同じことを話しているのだと理解しています。何故ならば、矢内原先生は、
「人というものは喜んで生き、望みをもって死んでいくことのできる尊さを皆もっている」10と、講演で話しているからです。
矢内原先生は、人間の人生を、この世で生きることだけに限定せず、死の先に希望をおく信仰をもって、今の現実を生きることに大きな意味を見いだしています。矢内原先生の、ハンセン病患者との関係に於ける信仰理解は、犀川先生の信仰理解と同じです。終末に希望をもつことで、現在生きていることに感謝しているのです。
では、ハンセン病患者と健常者キリスト者との関係は、どのように沖縄問題と類似しているのでしょうか。沖縄問題の中心課題である平和と人権に焦点を当てて考察します。
最初に、ハンセン病患者への宣教に中心的役割を担ってきた、沖縄聖公会の働きを通して、平和、人権の神学的な意味を確認します。聖公会の神学は「聖公会の祈祷書」に全てが凝縮して表現されています。祈祷書には、世界平和、社会正義、国家などについても具体的に祈る内容が定められています。社会正義と世界平和については次にように定めています。
社会正義
全能の神よ、あなたは、みかたち、に似せて人を造られました。どうか私達にまことの自由、を尊ぶ心と、悪と戦う力を与え、すべての国民のうちに、正義と公平が行われるように導いてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン11
世界平和
真理と平和の源である全能の神よ、すべての人の心に、平和を愛する、まことの愛を燃やし、国々の交わりに携わる人々に、平和を作り出す知恵を与え、主の愛を知る知識を、この世に満たしてください。アーメン12
聖公会の社会正義に関する神学は、このように明確に定義されています。では、アメリカの沖縄統治時代に、聖公会は、彼らの神学を踏えて、沖縄問題に対してどのように応答していったのでしょうか。当時、沖縄聖公会は米国聖公会に所属していましたが、1968年に教区に格上げされ初代の主教に、エドモンド・ブラウニング司祭が選出されました。彼は、その後に米国聖公会全体を指導する首座主教になられた方です。13皆様もご存じだと思いますが、日米の合意に基づいて、沖縄の日本復帰は、1968年の時点で決定していました。最初に行われた、教区会議において、沖縄聖公会は、平和と人権に関する、決議案を採択しました。決議案は、沖縄県民の人権の回復と、施政権返還が世界の平和に貢献することを願う内容ものでした。14ブラウニング主教は、主教告示で次のように語っています。
この決議案の中に詳細に伸べられております事柄は、今日、私達の社会が直面している、大変重要な事柄でありまして、教会はもはや、これについて口を閉じていることは許されず、共同体として祈りをもって、これを考え、またこれについての所信を表すべきである。15
決議案の内容は次のとおりです。
決議案16
一. 沖縄の祖国復帰に先立ち、沖縄県民が直面する経済的問題と社会福祉問題を善処する計画を立案し、これを発表すること。
二. 沖縄の祖国復帰が、人類の将来、特にアジアの、平和と繁栄に、貢献する形でなされること。
沖縄聖公会は、また、決議の要請事項を、書面をもって、米国大統領、日本の首相に発信することを、米国聖公会の総会に要請しました。個人でなく、教会としての社会正義に対する決議案を採択したのは、沖縄で聖公会が初めてでした。
次に、戦後、沖縄のキリスト者が平和と人権を求めてきた歴史的事実を確認します。沖縄キリスト教団の議長を務めた比嘉善雄先生は、1945年、米軍に捕らわれた後、米軍によって設置された捕虜収容所の村長に任命されました。比嘉先生は従軍牧師のジェームズ・マシューズ牧師との話し合いを通して、捕虜収容所で初めて礼拝を持ちました。マシューズ牧師は説教で次のように話しています。
全人類は、みな兄弟である。戦争ほど父なる神を悲しませることはない。神の本当の願いは兄弟仲良くして、平和な世界をつくることです。アメリカも日本も、この神の願いに背きました。罪を犯したのです。結果的には弱い日本をいじめ、皆さんが、こういう悲惨な状況に置かれました。アメリカ合衆国の国民の一人として、本当に申し訳なく思っています。皆さん、許して下さい。皆さんが健全に立ち上がるために、アメリカはあらゆる努力を払うでしょう。17
礼拝には、当時収容所に収容されていた琉球民政府の初代知事になった志喜屋孝信さん、また、琉球政府初代行政主席になった比嘉秀平さんも出席していましたので、マシューズ牧師の日米両国が犯した戦争による罪の告白は、沖縄に居たキリスト者の、神と人とに向けた公の場でなされた悔恨の告白でした。日米のキリスト者による最初の戦争責任告白がこの礼拝を通して、終戦の8月15日の前に、沖縄でなされたことは大きな意味のあることだと思っています。1954年4月18日に行われた、米国の著名な従軍記者のアニー・パイルの米国軍主催による追悼の式に、比嘉善雄先生は沖縄キリスト教団を代表して開会の祈祷を次のように捧げました。
戦争の為に、偉大な記者アニー・パイルが一命を失ったということはまことに残念です。しかし、こういう偉大な生命が失われたことで、アメリカも日本も戦争をしたことを反省するのであれば、この犠牲は神の御旨に従うことになります。神の御旨は人間同士、殺し合いを、させることではないのですから、彼の死も、また、私たちが、戦争をしたことを反省させることに役立っているのですから、無駄ではないのです。神よ、彼をあなたの御手(みて)に抱き取って下さい。18
米軍主催の追悼式ですから、比嘉先生の祈祷はアメリカ軍当局に対するメッセージです。
マシューズ牧師の祈りはアメリカ人を代表し沖縄の人々に対する戦争責任の告白でした。マシューズ牧師、比嘉善雄先生の両氏は、国を超えて、同じ戦争責任を明確に告白しました。アメリカ軍は1941年の4月1日に、沖縄本島に上陸したことによって沖縄戦が本格的に開始されました。同年の6月23日は、日本軍の最高責任者であった、牛島満中将が自決し、日本軍の組織的戦闘が終結しましたので、沖縄ではその終戦の日を条例で「慰霊の日」19と定めています。沖縄では、その日に、様々な行事が行われますが、終戦から6年後の1951年の「慰霊の日」6月23日に、世界平和促進運動大会が開催され、与那城勇牧師は、次のように祈りを捧げました。
我らはみ旨を弁えず、御主の掟に叛き、我ら自らの罪の惹き起せる戦火のために、我らが愛する郷土は殺戮の修羅場と化し、我らの父や子、更に母や妻ら、幾千の霊を空しく戦場に散らしめ、また先祖伝承の文化をも灰燼に帰すの愚を敢えてせり。20
ジェームズ牧師、比嘉善雄先生、与那城勇牧師は共通して、戦争責任を人間の罪によって齎されたものであるとの認識をもって、公の場で悔恨の思いを告白しています。1970年、当時日本キリスト教団の首里教会の金城重明牧師は、沖縄の地元紙の琉球新報に「渡嘉敷島の集団自決と戦争責任の意味するもの」21と題する寄稿で所感を述べています。彼は、集団自決で母親と兄弟を殺害したことを告白し、自身が、日本帝国を擁護したことを悔い、戦争責任を担う者であるが故に、キリストに罪の許しを願っています。金城牧師は「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」22の御言葉をもって、自分は「尊い人間の命のために仕える者」23であることを述べて寄稿を閉じています。
金城牧師の肉親を始め、戦争で犠牲になった尊い人間の命は戻ってきません。戦争を生き抜いた沖縄のキリスト者は、犠牲となって失われたものが戻ることはない現実を見た上で、なお、神が創造した人間の永遠の命に希望を持つのです。これらの信仰理解は、キリスト者のハンセン病患者が終末に身体が完全に癒されることに希望を持つ信仰と同じものです。金城牧師は神に創造された人間の命を尊ぶことを願い、その神によって創造された命を奪う戦争を否定し、平和を求め大切さを訴え続ける使命に生きるキリスト者です。
神によって創造された命は、人間の尊厳を意味します。米兵によって強姦された沖縄の女性が、キリスト者の女性活動家の、高里鈴代さんに、
「私は強姦された時から人間でなくなった」24と告白しました。命が奪われるという意味は、肉体の生命が奪われることだけではありません。生きていても、その人の尊厳が奪われるとき、神によって創造された人間を自分自身で否定することが分かります。
高里さんは、1995年に沖縄強姦救援センターを設立して25、米兵による強姦犠牲者を支援する施設を設けて活動しています。高里さんは、強姦されたことで、女性の人間としての尊厳を奪われ、人間として生きる希望を失った犠牲者のために、心の拠り所としての場を提供しているのです。人間の尊厳が奪われたことの苦痛を乗り越える力は、どこにも存在しません。しかし、終末において、破壊された尊厳が、神によって回復される希望をもって生きることが出来ることを伝えていくのが、沖縄のキリスト者の使命でると確信しています。高里さんは、「戦争が終わった、その時から女性の戦いは始まる」26と認識しています。沖縄は、終戦後、アメリカ兵による強姦事件が絶えることがありません。この沖縄の現実に、キリスト者は逃げることなく、女性の尊厳を、守り、また、神によって犠牲者の尊厳が回復される希望をもって、犠牲者に寄り添う働きをしているのです。
戦争犠牲者、強姦犠牲者、政治的理由で人権が蹂躙され不条理のもとにいる、犠牲者の方々に対して、終末に於いて、ライの病が完全に癒されことを確信している信仰に感動した、医師の犀川先生、看護婦の知念さん、矢内原先生、ブラウニング主教、高里鈴代さん、金城牧師、彼らは、極限を超えて、人間の力ではどうすることもできない犠牲者に、心を寄せる、キリスト者の先輩がたです。
現在に生きる、私たちの使命は、このような先輩のキリスト者にならって、現在の日本で、沖縄、福島をはじめ、苦しい立場に在る方々に、心を寄せることであると信じています。
以上で、私の話とさせて頂きます。ご清聴、ありがとうございました。

脚注
1. 当証言は国際基督教大学(12月5日2013年)に提出した博士論文(英文)“"The Protestant Theologies of Social Justice with an Eschatological Perspective: Christians in Okinawa during the U.S. Administration (1945-1972)” 和訳:「終末信仰を内在する社会正義神学 ― 米国統治下に於ける沖縄のプロテスタント基督者(1945-1972年)の第7章The Hansen’s Disease Issue(ハンセン病問題)をベースにしている。
2. 新城喬編『聖公会 沖縄宣教小史』(沖縄:日本聖公会 沖縄教区、1989).33.
3. 同上、35.
4. 同上、45-51.
5. 月刊沖縄社『アメリカの沖縄統治関係法規総覧 IV』(沖縄:池宮商会、1983)、93.
6. 祈りの家編集『主の用なり 故司祭バルナバ徳田祐弼 遺稿・追悼文』、(沖縄:北部高速印刷、1985).
7. 犀川一夫『門は開かれて らい医の悲願-四十年の道、(東京:みみず書房、1988).116-117.
8. 矢内原忠雄、主張と随想 世界と日本と沖縄について、(東京:東京大学出版会、1957)、311.
9. 矢内原忠雄『主張と随想 世界と日本と沖縄について』、316.
10. 同上、313.
11. 日本聖公会『日本聖公会祈祷書』(東京:日本聖公会管区事務所、1991)、122.
12. 同上、121.
13. 新城喬『開拓者たちのおもかげ=沖縄聖公会の宣教者=』(沖縄:日本聖公会 沖縄教区)2005年、14-15.
14. 聖公会沖縄伝道教区、聖公会 沖縄伝道教区時報 1969年7・8月号、Concerned with the restoration of full citizenship…THE FIRST SPECIAL DIOCESAN CONVOCATION, (沖縄:聖公会沖縄伝道教区)、1969.7.
15. 新城喬『開拓者たちのおもかげ=沖縄聖公会の宣教者』、18.
16. 同上、19.
17. 比嘉善雄『私の戦後秘話:迷羊よいずこへ』(沖縄:琉球文教図書、1978).128.
18. 同上、395.
19. 条例第43号「慰霊の日」9月4日
http://www.pref.okinawa.lg.jp/reiki/40390101001500000000/40390101001500000000/40390101001500000000_blk0.html
第1条 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。
20. 日本基督教団宣教研究所資料編纂室『日本基督教団史資料集』(東京:日本基督教団宣教研究所資料編纂室)
21. 金城重明、「渡嘉敷島の集団自決と戦争責任の意味するもの」琉球新報、1970年4月15日。
22. マタイタイによる福音書/ 16章 26節 (全文:人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。)
23. 金城重明、「渡嘉敷島の集団自決と戦争責任の意味するもの」琉球新報。
24. 高里鈴『沖縄の女たち 女性の人権と基地・軍隊』(東京:明石書店、1996)、43.(原文は“高里さん、私は二十一歳で人間でなくなったけど、私は人間だからね、私は人間よ・・・・)。
25. 同上、233.
26. 同上、64.(原文:振り返れば、沖縄戦の終わりは女性にとっては新たな戦争の始まりでもあった。)
27. 宮里政玄編集『戦後沖縄の政治と法-1945-72年』(東京:東京大学出版会、1975)、353.