まだ私が学生だった1980年代初頭、『ソ連は笑う』という本が書店に置かれていた。ソ連邦での風刺漫画を集めた本であり、まだ冷戦時代当時の謎めいた共産主義国家の市井の人々の暮しが浮かび上がってくるのは興味深かった。漫画に見えるソ連邦の庶民も、人間の情は西側と変わりない。
『ソ連は笑う』で西側の風刺漫画と決定的に違ったのは、政治家や政党のお偉方への風刺が一切ないことだ。さすが言論の自由がない共産圏に相応しい。現代で も中国は国内の政治家への風刺画など認められないだろう。この漫画集でも槍玉に挙げられていたのは、下っ端の国営店の店員だった。恐ろしく太った国営の売 り子(オバサン)が、秤の目盛りに不満げな客に、「文句があるのか」と凄む。その脇には「サービス月間中。客には親切に」のポスターが貼られているのだ。 共産圏の国営店のサービスの悪さは定評があったが、風刺画にもそれが描かれている。
他の国営店ネタはサービス月間中に売り子が不足する というもの。この期間は特別な手当てもあるのか、いつもは殿様商売丸出しの売り子が愛想がよくなる。そのため若い売り子には嫁の貰い手が殺到し、国営店か ら花婿、花嫁が続出するという漫画だった。現代のロシアはこのようなことはないだろう。
「今の若者は…」はいつの時代も語られる話題。 『ソ連は笑う』でも現代若者気質が揶揄気味に描かれており、これが一番面白かった。ソ連でも西側ファッションが憧れの的だったのが知れる。'70年代は長 髪にひげのヒッピースタイルが流行ったが、長髪とひげ、Tシャツにいくつも穴の開いたジーンズでキメた若者と老女の漫画があった。ホームレスと勘違いした 老女は「可哀想に…これ、おじいちゃんのお古だけど、よかったらおはき」とズボンを差し出している。若いカップルの後姿を描き、「どちらが男か女か、分か りますか?」というものもある。
冷戦時代のソ連は女も労働が義務付けられていたので、ロシア人は子供は一人だけなのが結構多かったそう だ。ソ連の漫画では親の過保護でダメになった子供がよくテーマとされたという。『ソ連は笑う』にもその内容が何点もあった。「ママ、イワンがごはん食べた いって言うけど、どうすればいいの?」と、母親に電話する新婚の娘、都市の住宅事情の悪さもあり、結婚後も妻の親元で同居し、ソファに寝そべりながら舅に 靴を磨かせている婿殿の絵もあった。ロシア民話の「大きな蕪」のパロディもある。蕪を抜くのを手伝ってほしい、という母に対し、めかし込んだ娘が言い返 す。「側にネズミがいるじゃない」。もちろん誇張だが、親に甘やかされて我ままになった子供は日本にもゴロゴロいるではないか。
ソ連もアメリカと並んで離婚が多かったらしい。離婚後の慰謝料未払いのため子供の影に脅える男や、安月給のため浮気も離婚も出来ない男が出てくる。ロシアといえば、世界に観たるアル中大国。深刻な依存症は離婚の大きな原因となっていた。
若い女同士の会話では、西も東もシビアな夫選びが分かる。「彼を愛しているんでしょう」の友人からの問いに、「ええ、でも彼ったら、まだ給料が幾らなのか、教えてくれないの」と答える娘。女はいつの世も現金なのだ。
既に'80年代初め、ソ連ではノーメンクラツーラと 呼ばれる共産党の特権階級だけがいい思いをして、一般労働者は平等に貧しいと西側で見られるようになっていた。しかし、この見方は私はあまりにもステレオ タイプだと感じる。搾取する者、される者という二階層のみが社会を構成することはありえない。この二極分化的視点こそ、マルクス史観ではないか。ソ連の特 権階級対貧しき労働者の世界観は、西側の悪意あるプロパガンダもあったはずだ。西側労働者は常に搾取され貧しい、とソ連国内で宣伝され続けられていたのと 同じく。『ソ連は笑う』の風刺画の世界は、“平等に”貧しき庶民からかけ離れている。
この風刺画は当局公認の作品であり、都合の悪い画は全て封鎖した可能性はある。だが、画家たちは当局に全面的に従ってばかりいたとは思えない。面従腹背は どの国もある。何年も前、NHKだったと思うが、共産圏の映画関係者へのインタビューがあった。冷戦時代は当然検閲があったが、それでも製作者は決して諦 めず、いかに自分の主張や表現を盛り込むかに腐心したと語っていた。冷戦後、表現の自由が認められるようになり、逆に戸惑いを覚えて混乱したそうだが、簡 単に役人の言い成りにならないのが芸術家なのだ。
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『ソ連は笑う』で西側の風刺漫画と決定的に違ったのは、政治家や政党のお偉方への風刺が一切ないことだ。さすが言論の自由がない共産圏に相応しい。現代で も中国は国内の政治家への風刺画など認められないだろう。この漫画集でも槍玉に挙げられていたのは、下っ端の国営店の店員だった。恐ろしく太った国営の売 り子(オバサン)が、秤の目盛りに不満げな客に、「文句があるのか」と凄む。その脇には「サービス月間中。客には親切に」のポスターが貼られているのだ。 共産圏の国営店のサービスの悪さは定評があったが、風刺画にもそれが描かれている。
他の国営店ネタはサービス月間中に売り子が不足する というもの。この期間は特別な手当てもあるのか、いつもは殿様商売丸出しの売り子が愛想がよくなる。そのため若い売り子には嫁の貰い手が殺到し、国営店か ら花婿、花嫁が続出するという漫画だった。現代のロシアはこのようなことはないだろう。
「今の若者は…」はいつの時代も語られる話題。 『ソ連は笑う』でも現代若者気質が揶揄気味に描かれており、これが一番面白かった。ソ連でも西側ファッションが憧れの的だったのが知れる。'70年代は長 髪にひげのヒッピースタイルが流行ったが、長髪とひげ、Tシャツにいくつも穴の開いたジーンズでキメた若者と老女の漫画があった。ホームレスと勘違いした 老女は「可哀想に…これ、おじいちゃんのお古だけど、よかったらおはき」とズボンを差し出している。若いカップルの後姿を描き、「どちらが男か女か、分か りますか?」というものもある。
冷戦時代のソ連は女も労働が義務付けられていたので、ロシア人は子供は一人だけなのが結構多かったそう だ。ソ連の漫画では親の過保護でダメになった子供がよくテーマとされたという。『ソ連は笑う』にもその内容が何点もあった。「ママ、イワンがごはん食べた いって言うけど、どうすればいいの?」と、母親に電話する新婚の娘、都市の住宅事情の悪さもあり、結婚後も妻の親元で同居し、ソファに寝そべりながら舅に 靴を磨かせている婿殿の絵もあった。ロシア民話の「大きな蕪」のパロディもある。蕪を抜くのを手伝ってほしい、という母に対し、めかし込んだ娘が言い返 す。「側にネズミがいるじゃない」。もちろん誇張だが、親に甘やかされて我ままになった子供は日本にもゴロゴロいるではないか。
ソ連もアメリカと並んで離婚が多かったらしい。離婚後の慰謝料未払いのため子供の影に脅える男や、安月給のため浮気も離婚も出来ない男が出てくる。ロシアといえば、世界に観たるアル中大国。深刻な依存症は離婚の大きな原因となっていた。
若い女同士の会話では、西も東もシビアな夫選びが分かる。「彼を愛しているんでしょう」の友人からの問いに、「ええ、でも彼ったら、まだ給料が幾らなのか、教えてくれないの」と答える娘。女はいつの世も現金なのだ。
既に'80年代初め、ソ連ではノーメンクラツーラと 呼ばれる共産党の特権階級だけがいい思いをして、一般労働者は平等に貧しいと西側で見られるようになっていた。しかし、この見方は私はあまりにもステレオ タイプだと感じる。搾取する者、される者という二階層のみが社会を構成することはありえない。この二極分化的視点こそ、マルクス史観ではないか。ソ連の特 権階級対貧しき労働者の世界観は、西側の悪意あるプロパガンダもあったはずだ。西側労働者は常に搾取され貧しい、とソ連国内で宣伝され続けられていたのと 同じく。『ソ連は笑う』の風刺画の世界は、“平等に”貧しき庶民からかけ離れている。
この風刺画は当局公認の作品であり、都合の悪い画は全て封鎖した可能性はある。だが、画家たちは当局に全面的に従ってばかりいたとは思えない。面従腹背は どの国もある。何年も前、NHKだったと思うが、共産圏の映画関係者へのインタビューがあった。冷戦時代は当然検閲があったが、それでも製作者は決して諦 めず、いかに自分の主張や表現を盛り込むかに腐心したと語っていた。冷戦後、表現の自由が認められるようになり、逆に戸惑いを覚えて混乱したそうだが、簡 単に役人の言い成りにならないのが芸術家なのだ。
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ロシアでもこのようなジョークが成り立つのに、シナでは何故か見かけませんね。共産主義よりも、儒教文化圏では政治家ジョーク自体が難しいのかも。
以前「スターリン・ジョーク」と言う本が発売されていまして、辛辣さとおかしみが両立していた記憶があります。
ttp://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AF-%E5%B9%B3%E4%BA%95-%E5%90%89%E5%A4%AB/dp/4309471927/
現在最大の共産主義国家はシナなのですが、「チャイニーズ・ジョーク」って見た記憶がないですねえ。
世界で百%言論の自由が認められている国などないし、どこの国でもタブーがあります。
何かと他国の言論状況に口ばしを入れたがるアメリカも、マスコミを牛耳っているのがユダヤ系なので、疑問視も出来ない有様。
世間知らずの現役高校生なら、搾取する者、される者との二階級世界を信じるのも無理ありませんが、人間社会は実に複雑で、単純な二極分化など成立しない。にも係らず、短絡的な二階級世界観を信じているのは、実社会体験のない者。これには世の中知らずの大学教授も含まれますね。
欧米の掲げる人権など、外交の手段と権益の表面的口実なのです。「世界は腹黒い」の著者・高山正之氏のサイトはお勧めです。
http://zeroplus.sakura.ne.jp/u/
また、いくら平和や人権、平等を謳っても、その差が阻害者に閉口するようであれば、ダブルスタンダードの謗りを受けるでしょうね。
世界はドス黒いとは、まさしく、その通りでしょうね。
ソ連や中共の言論統制の酷さは、言うまでもないのですが、民主主義、自由主義の世界でも少ないようですね。我が国においては在日の問題がそうですし、欧米でもナチスやユダヤの歴史を、事実として研究する事も、疑問も口を出す事さらゆるされませんね。自称平和、人権、自然保護運動家もそうですね。人は何かと、他人に干渉し、束縛したい生き物なのでしょうか?
共産主義体制下でも、確かに二階級だけではないでしょう。貴族・特権階級に近づき、その階級以上に国民を苦しめ、私腹を肥やす者も少ないでしょうね。