その①の続き このタバコ・ボイコット運動は、シーア派の聖地であるイラクのサーマッラー在住のマルジャア・アッ=タクリード(模擬の源泉の意)の聖職者が、利権が解除されるまでの喫煙は禁忌であるとするファトワー(宗教命令)を発したとの噂がテヘランに届いたことで、一挙に盛り上がる。「マルジャア・アッ=タクリード」とは、スンナ派と異なり独自の位階制を持つシーア派の最高権威であり、大アーヤトッラーの高位ウラマー . . . 本文を読む
記事名から嫌煙運動を訴えた内容と思われた方もいるかもしれない。しかし、これは19世紀後半のイランでの出来事なのだ。タバコ・ボイコット運動(1891-92年)を強烈に呼びかけたのはウラマー(法学者)たちだが、某国のタバコパッケージに印刷されているように、「健康のため、吸い過ぎに注意しましょう」と禁煙を奨励したのではない。欧米列強への反帝国主義運動の先駆けだった。 原則としてアルコールをたしなまぬム . . . 本文を読む
イスラム圏、殊にアラブ世界ではイスラエルべったりでムスリムには厳しい欧米の姿勢をダブル・スタンダートと非難する。もちろんアラブ側の非難は正しい。だが、欧米の二重基準を糾弾する中東世界もまたその縁故主義、身びいきは凄まじい。血縁重視主義は日本の比ではなく、むしろ儒教圏に近いものがある。アラブに限らず、イラン、トルコも人間関係の基本は血縁なのだ。「水は血にならない」というアラブの諺がある。血縁関係の . . . 本文を読む
トルコ初代大統領ムスタファ・ケマルは、現代でも欧米諸国知識人、殊にイギリスでは「独裁者」「少数民族の虐殺者」などの見方が主流である。日本にもクルド問題を挙げ、ケマルを少数民族の虐殺者と非難するブログ記事もある。これらの見方は概ね正しく、ケマルがクルド人反乱を弾圧、少なからぬ犠牲者を出している。しかし全く同じ1925年頃、イギリスがイラク北部のクルド人地区での暴動を徹底鎮圧していたことは案外知られ . . . 本文を読む
その①、その②の続き イランの国教である十二イマーム派はその名称どおり、12代目イマームは9世紀に姿を消すという「お隠れ」状態となり、生きながら天国に迎えられ、やがてマフディー(救世主)として終末の前に再臨、地上に正義を実現するという教義である。だが、シーア派にとり不可欠の教義である「救世主の復活」など、スンニ派の大半は認めない。コーランには全く書かれていないからだ。終末に救世主が再臨するのは、明 . . . 本文を読む
その①の続き 656年、アリーは第4代カリフに就任するも、シリア総督ムアーウィヤがこの人事に反発、「臣従の誓い」を拒む。ムアーウィヤは後にウマイヤ朝を開くことになるが、彼の父は長くムハンマドに敵対していた人物だった。この父子は630年にムハンマドがメッカを征服した際改宗したので、信仰心に疑問が持たれる面がある。カリフ就任後もアリーとムアーウィヤは対立、2度に亘る戦いに至る。このようにイスラムの初期 . . . 本文を読む
21世紀になっても一般にイスラムになじみが薄い日本では、殊にイスラム少数派であるシーア派に関して知られていない。それなりにイスラムを知っている方でも、イラン・イスラム革命やその指導者ホメイニのために、政教一体のテロも辞さない過激な一派の印象がある。日本ではあまり語られなかったシーア派の歴史や内情をコンパクトにまとめたのが、『シーア派-台頭するイスラーム少数派』(中公新書、桜井啓子著)。多数派のス . . . 本文を読む
その①の続き イギリスが態度を変えたのは、クルディスタン南部に位置するモスル州のキルクークに大量の石油が埋蔵されていることが判明したからである。イギリスはこの地域を独立したクルド人国
家に委ねず、自らの直接的な支配下にあるイラクへと併合するためだった。かくして1926年6月5日、モスル州は正式にイラクに併合される。パレスチナ同
様クルド問題もまた、イギリス帝国主義により種が撒かれていたのだ。2 . . . 本文を読む
先月のNHKのシルクロード特集はトルコが取り上げられており、今喧しいクルド問
題を中心とした内容だった。中東自体が未だに日本でなじみが薄く、殊にクルドの専門家がいないかもしれない。私の手元にある本に軽く目を通しただけで、国
を持てず、絶えず周辺諸国に加え、近代以降は英米露の大国に翻弄され続けた民族の悲劇が浮かび上がってくる。その複雑化の最大の要因は石油なのだ。 クルド人は人種的にはイラン人と . . . 本文を読む
その①、その②の続き『カーブースの書』からは11世紀イランの風俗も浮かび上がってくる。11章名はずばり「飲酒の作法について」、それに関連する12章「客の接待及び客になることについて」で宴会の作法に触れている。この2章を見ただけで、当時のイランでは禁酒法時代のアメリカより公然と酒が飲まれていたのかが判る。11章での著者の忠告は面白い。「私は飲めとは言わぬが、飲むなと言えない。若い者は他人の言葉で自分 . . . 本文を読む