世界は自分の解釈を映し出す鏡〜投影を知る
世界は、自分の解釈を映し出す鏡です。
本当の私たちー真我には主体と客体が無いため比較対象がありません。
世界には何もないのに、自我が意味を与えることで私たちの世界が成り立ちます。
言葉にはどうしても限界があるため、恐れベースの自我は言葉だけを切り取って、
「自分の思いが世界を作っている」などと勘違いしたり、
あるいは「何も無いのか、何だかつまらないな」などと思われるかもしれません。
それもやはり、ただの解釈になってしまいます。
「世界は自己解釈の投影である」という言葉から私たちができること、
それは苦しみを生み出す自己解釈の境界線を見極めることです。
あなたが怒っているとき、それはあなたがあなたの解釈に怒っています。
あなたが悲しいとき、それはあなたがあなたの解釈に悲しんでいます。
それ自体、別に悪い事ではありませんが、
あなたが解釈を捨てた時、苦しみを終わらせることも、和らげることもできるのです。
どこにも意味が付かない絶対値の中で、
意味付けしているのは個人の私たちだからです。
そういう意味で、私たちは最初から自由なのです。
さて、私は子供の頃から動物が大好きで人生のほとんどをペットと過ごしています。
初めて室内犬を飼った時のことですが、
私は愛犬を狭い場所に入れておくのが何だかかわいそうに思い、
外出時に、ゲージの扉を開けて部屋を自由に出入りできるようにして出かけていました。
ところが彼は、本棚の本をかじり、色鉛筆をガジガジにかじり暴れん坊になっていました。
実は、彼は狭くて暗いところが好きだったのです。
ブリーダーさんが言うには、たいていの犬にとっては狭い方が心地よく、
広い空間に1人の方が不安になるそうなんですね。
私は「犬小屋を使う事」=「犬を閉じ込めること」=「自由ではない、幽閉された人生」だと
勝手に解釈していました。
犬に確認もせず、調べもせず、広い場所に解放する事が善だと信じていたのです。
でも、私がしていたことは彼にとって逆に不安を与えていたわけですね。
どうして私は、そのように勝手に解釈し、行動したのでしょうか?
実は、出来事の解釈をどんどん掘り下げていくと、
幽閉されているのは実は自分のことだという隠れた思いに必ず辿りつきます。
意識上では分かりにくですが、潜在意識のレベルで
自分が幽閉された人生を送っていると信じているとき、
たくさんのものがそのように見えてくるんですね。
世界に自分の思いを投影しはじめるのです。
例えば、犯罪を犯して捕まることが極端に恐かったり、
病気になったり、寝たきりになることを極端に恐れたりします。
リードにつながれた犬を見ては胸が騒ぎ、
体の不自由な人を見て気の毒に思うでしょう。
必ずしも自分の見解が、相手にとって当てはまるとは限りません。
それでも、私たちは個人の解釈でしか物事を見られず、
そして勝手に自分を罰したり、勝手に苦しみだします。
私たちの見解はたいてい、そういう時もあるし、そうではない時もあるくらいの曖昧なものです。
あるいは条件が変わればいとも簡単に変わってしまう、適当なものです。
さて、
あなたが小学生の頃、高校生のお姉さんお兄さん達はどんな風に見えましたか?
もちろん人それぞれですが、なんだか大人びて、自由で、かっこいい…などでしょう。
「高校生はかっこいい」という解釈フレームができあがります。
そしてあなたが大学生、30歳、40歳と年を重ねたとき、高校生をどう見ていましたか?
なんだか子供っぽいし、危なっかしいなーなどと解釈は変わってきたかもしれません。
「高校生は子供っぽい」という解釈フレームができあがります。
大人っぽいから子供っぽいへ、果たして高校生が変化したのでしょうか?
違いますよね。
高校生が変わったのではなく、あなたの解釈が変わったのですね。
高校生も犬も現象は何も変わらないですが、
あなたが持つ条件、年齢、経験などによって、あなたの世界感は180度、いとも簡単に変わってしまいます。
高校生は大人びてる時もあるでしょうし、子供っぽい振る舞いをすることもあるでしょう。
いろいろな角度から見た時、そうである可能性、そうではない可能性も同時に同じだけでてくるものです。
ところが自分の解釈フレームだけで世界を見ている時、それは真実にしか見えません。
思考に重さと重要さとパワーを与えれば与える程、そうではない可能性に思いを寄せる事ができず、片よった世界しか見えてきません。
世界はあなたの解釈の投影なのです。
苦しみや怒りを感じる時、
例えば高校生に大人の振る舞いをさせようとしたり、
大人びた高校生の我が子を子供らしく強制するより、
あなたが何を信じているか見つめる方が、より答えに近づけるでしょう。
そして世界はあっという間に変わります。
苦しみを感じる時、自分が何を信じているのか見つめる事は
一番の解決方法であり、一番の優しさなんですね。
http://nonduality.jp/世界は自分の解釈を映し出す鏡ー投影を知る/
世界は、自分の解釈を映し出す鏡です。
本当の私たちー真我には主体と客体が無いため比較対象がありません。
世界には何もないのに、自我が意味を与えることで私たちの世界が成り立ちます。
言葉にはどうしても限界があるため、恐れベースの自我は言葉だけを切り取って、
「自分の思いが世界を作っている」などと勘違いしたり、
あるいは「何も無いのか、何だかつまらないな」などと思われるかもしれません。
それもやはり、ただの解釈になってしまいます。
「世界は自己解釈の投影である」という言葉から私たちができること、
それは苦しみを生み出す自己解釈の境界線を見極めることです。
あなたが怒っているとき、それはあなたがあなたの解釈に怒っています。
あなたが悲しいとき、それはあなたがあなたの解釈に悲しんでいます。
それ自体、別に悪い事ではありませんが、
あなたが解釈を捨てた時、苦しみを終わらせることも、和らげることもできるのです。
どこにも意味が付かない絶対値の中で、
意味付けしているのは個人の私たちだからです。
そういう意味で、私たちは最初から自由なのです。
さて、私は子供の頃から動物が大好きで人生のほとんどをペットと過ごしています。
初めて室内犬を飼った時のことですが、
私は愛犬を狭い場所に入れておくのが何だかかわいそうに思い、
外出時に、ゲージの扉を開けて部屋を自由に出入りできるようにして出かけていました。
ところが彼は、本棚の本をかじり、色鉛筆をガジガジにかじり暴れん坊になっていました。
実は、彼は狭くて暗いところが好きだったのです。
ブリーダーさんが言うには、たいていの犬にとっては狭い方が心地よく、
広い空間に1人の方が不安になるそうなんですね。
私は「犬小屋を使う事」=「犬を閉じ込めること」=「自由ではない、幽閉された人生」だと
勝手に解釈していました。
犬に確認もせず、調べもせず、広い場所に解放する事が善だと信じていたのです。
でも、私がしていたことは彼にとって逆に不安を与えていたわけですね。
どうして私は、そのように勝手に解釈し、行動したのでしょうか?
実は、出来事の解釈をどんどん掘り下げていくと、
幽閉されているのは実は自分のことだという隠れた思いに必ず辿りつきます。
意識上では分かりにくですが、潜在意識のレベルで
自分が幽閉された人生を送っていると信じているとき、
たくさんのものがそのように見えてくるんですね。
世界に自分の思いを投影しはじめるのです。
例えば、犯罪を犯して捕まることが極端に恐かったり、
病気になったり、寝たきりになることを極端に恐れたりします。
リードにつながれた犬を見ては胸が騒ぎ、
体の不自由な人を見て気の毒に思うでしょう。
必ずしも自分の見解が、相手にとって当てはまるとは限りません。
それでも、私たちは個人の解釈でしか物事を見られず、
そして勝手に自分を罰したり、勝手に苦しみだします。
私たちの見解はたいてい、そういう時もあるし、そうではない時もあるくらいの曖昧なものです。
あるいは条件が変わればいとも簡単に変わってしまう、適当なものです。
さて、
あなたが小学生の頃、高校生のお姉さんお兄さん達はどんな風に見えましたか?
もちろん人それぞれですが、なんだか大人びて、自由で、かっこいい…などでしょう。
「高校生はかっこいい」という解釈フレームができあがります。
そしてあなたが大学生、30歳、40歳と年を重ねたとき、高校生をどう見ていましたか?
なんだか子供っぽいし、危なっかしいなーなどと解釈は変わってきたかもしれません。
「高校生は子供っぽい」という解釈フレームができあがります。
大人っぽいから子供っぽいへ、果たして高校生が変化したのでしょうか?
違いますよね。
高校生が変わったのではなく、あなたの解釈が変わったのですね。
高校生も犬も現象は何も変わらないですが、
あなたが持つ条件、年齢、経験などによって、あなたの世界感は180度、いとも簡単に変わってしまいます。
高校生は大人びてる時もあるでしょうし、子供っぽい振る舞いをすることもあるでしょう。
いろいろな角度から見た時、そうである可能性、そうではない可能性も同時に同じだけでてくるものです。
ところが自分の解釈フレームだけで世界を見ている時、それは真実にしか見えません。
思考に重さと重要さとパワーを与えれば与える程、そうではない可能性に思いを寄せる事ができず、片よった世界しか見えてきません。
世界はあなたの解釈の投影なのです。
苦しみや怒りを感じる時、
例えば高校生に大人の振る舞いをさせようとしたり、
大人びた高校生の我が子を子供らしく強制するより、
あなたが何を信じているか見つめる方が、より答えに近づけるでしょう。
そして世界はあっという間に変わります。
苦しみを感じる時、自分が何を信じているのか見つめる事は
一番の解決方法であり、一番の優しさなんですね。
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