虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

一流の人

2008年04月24日 | Weblog
本当は悟った人というべきなのかもしれないと思うけれど、
厳かな人から受ける印象はそんな感じではなかった。
Oさんに連れられて行ってからのち、二度ばかり行ったけれど、ビルの上に住むお年寄りをわざわざ呼んでもらう理由はなにもなく、店内だけ見て帰った。
あの頃、あそこには仙道を習いに矢野関係の若い人達もよく来ていたから、
ややこしいのには逢いたくないというのもあった。
仙女様は本格的自動書記でその名を頂いた日本最後の方だけど、頂いたからと言って、
あの若い人達のように自分を特別のようには言うことはない。
比ぶべきもない、どこまでも自然体。
実践なき言葉は絶対に認めない厳しさもまた良い。

たくさんの本に埋もれ、新聞も切り抜いておられたので、
「本は出版されないんですか?」と話の最中にお聞きすると、
「どうして私が書く必要があるんです。私の知ってる事はすでにこうしてどこにでも書かれています」と言われた。
ビジネス教祖みたいな人達の本が毎年ごまんと出されることや、誰にでも書けそうなエッセイに辟易している私は、それを聞いて大満足だった。
私だとてこういう世界にいれば、本を出したい人の気持ちは分からぬではないが、
書物にうるさい私にしてみれば、資源の無駄使い甚だしい世の中だ。

流石の言葉に大満足していたら、
Oも私も体がぽかぽかぽかぽかして来て顔を見合わせた。
備長炭水を飲んだからではなく、
ビルが基礎段階で半永久備長炭を敷き詰めて建てられているからとのことだった。

惜しげもなく会社をやめ、せっせと働いて貯めたお金で、本当の自然農に取り組む方を支援し、膨大な土地を買って自然農をしたい人に開放し、自分でも一人で実践をされる方。

Oさんと行った日、話の途中で、丸のままの直径10センチ、長さ20センチの備長炭が、つくっている人から、まずは使ってみて下さいと届けられてきた。その人の支援もされていたようで、枯れていた花が生き返ってもう一ヶ月もたつのにこんなに咲いていると、
小さな花瓶をあちらこちら指差された。

私は備長炭を買って帰り水に入れた。
しおれた野菜を浸けたらぴんぴんと生き返った。






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