面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

同性婚、夫婦別姓に反対する

2021-03-20 23:04:22 | 政治
同性婚は憲法24条違反だと書いてきた。札幌地裁は違反ではないと解釈し、同性婚を認めていないのは違憲と判決を出したが。

同性婚は憲法24条違反 - 面白く、そして下らない

元文部科学省事務次官の前川喜平が次のようなことを書いているのでいくつか反論したい。



前川喜平は自分の論理を絶対視し、違う論理を認めない独裁者のごとき論理を展開しているが、前川喜平の考えに反対する自由さえ認められないのだろうか。

またそれで幸福になり誰も不幸になる人がいないという論理なら、女子高生の援助交際(未成年売春)も正当化されよう。一時期援助交際(未成年売春)が社会問題になった際、援助交際(未成年売春)をする女子高生が

「私達はお金を貰えて気持ち良くなれて誰も困る人はいない。それがなんで悪いの?」

という趣旨の発言をしていたが、前川喜平元文部科学省事務次官は援助交際(未成年売春)を正当化するのだろうか。

もっとも未成年はまだ未熟だから好き放題させるわけにはいかないという論理も成り立つが。一応日本は成人でも売春を禁じているが、警察の取り締まりはザルで半ば黙認している。成人売春なら良いのだろうか。前川喜平は売春をしていたようだが(セックスはしていない)。

イスラム教では「重婚」も認められている。男性は1人4人まで伴侶を持てるのだ。溢れる男性が出るだろうが、これも前川喜平の「それで幸せになる人がいて、不幸になる人はいない」制度と云える。裁判所も前川喜平も「重婚」を認めるのか。イスラム教では認めている。日本国憲法にも重婚を禁じる規定はない。

またアラブ圏ではいとこ(漢字は使わない)婚が歓迎される風潮にある。日本でもいとこ婚は法的に認められている。菅直人元首相夫妻はいとこ婚だ。支那、韓国では法的にはどうだったかわからないが、いとこ婚は忌避されている。それどころか姓が同じ人との結婚も忌避されるようだ。

それならばきょうだい(これも漢字は使わない)婚はどうなのだ。前川喜平の論理「それで幸せになる人がいて、不幸になる人はいない」は成り立つ。私は妹がいるが、7年前嫁にいったが、妹と結婚したいと思ったことはない。

しかしきょうだいで結婚したい人が裁判所に訴えたらどうなるのだ。憲法にもきょうだい婚を禁じる規定はない。同性婚を認めるならば認めるしかないのではないか。

ギリシャの古典悲劇の傑作『オイディプス王』は王である実の父親を殺し、産みの母親と交わって子を儲けるという内容だが、親子で結婚しても良いのか。前川喜平の「それで幸せになる人がいて、不幸になる人はいない」という論理は親子婚にも成り立とう。

私は母を愛しているが、結婚したいとは思わない。小さい女の子が「大きくなったらパパのお嫁さんになる」というのは世の父親なら一度は言われてみたい台詞かもしれない。

ただこの考えは日本の倫理観にドップリ浸かってきたからそう思うだけで、親子婚が認められる社会もあるかもしれない(現代の地球にはないと思うが、たまに祖母と孫が結婚したなんてニュースを聞くことがある)。

前川喜平の「それで幸せになる人がいて、不幸になる人はいない」論理ならば親子婚も認めなくてはなるまい。それで良いのだろうか。

憲法24条に同性婚は禁止されているのだから同性婚を認めるには憲法改正しかあるまい。同性婚賛成派が多数派になっても憲法は改正という手続きを踏まずして破ることは民主主義に反する。もっとも大日本帝国憲法から日本国憲法への改正は占領中に強制されたものであるから無効だとも思うのだが。

夫婦別姓も明治以前は日本も夫婦別姓だった。源頼朝の妻「北条」政子のように。源頼朝も北条政子も平安時代、鎌倉時代の人だが。

支那、韓国、北朝鮮では夫婦「同姓」を認めていない。嫁は他人だからだ。あるいは「姓」は遺伝子、DNAを表すため、結婚しても変わらないのだ。

日本は明治維新で夫婦同性に変えた。欧米崇拝があったかもしれないし、不平等条約を変えるためだったかもしれない。何れにしろ「個人の自由」で姓を選択できるものではないのだ。社会の成り立ちを示すからだ。その議論を経ずに「便利だから」、「個人の自由だから」という理由で選択的夫婦別姓を認めるわけにはいかないのだ。

私はリバタリアン、リバタリアニズムには反対だ。前川喜平のこの「それで幸せになる人がいて、不幸になる人はいない」論理に頷けないからだ。


追記
選択的夫婦別姓が日本の戸籍制度を破壊する可能性があることについては書き忘れた。また新しく記事を書くかはわからない。
明治以前は庶民には「姓」も「苗字」もなかった。だから夫婦別姓が伝統とは必ずしも言えない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 口が渇く | トップ | 年貢の納め時 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事