政治家「又市征治」という男

元政治記者の私が最も興味を持った政治家、それが又市征治だった。その知られざる人物像に迫る。

弾圧と悔し涙

2007年06月17日 | Weblog
 昭和41年10月21日、全国の自治体でストライキの嵐が起こる。人事院勧告を値切る政府への抗議の行動だった。
 公務員の団体行動権は制限されているが、その権利制約の代わりに人事院勧告がある。しかしその勧告すら守られないのなら自分たちが抗議しなければならない。富山県職員労働組合は1時間のストライキを決意した。
 その当時22歳の又市征治は、組合の支部青年部副部長だった。
 
 当日の早朝、又市はある人物に出会う。
 彼の名は改井秀雄。組合の大先輩であり当時、社会党の県議会議員だった。
 組合の中心的メンバーが揃う場で改井は、当時の吉田実知事がこのストライキを潰すために機動隊を出動させるという情報を告げた。そして悲痛な声でこう続けた。

 「警察権力の下に君たちを送ることは忍び難いが、労働組合が一度くぐらないといけない道だ。」
 「将来、あの闘いがあったからこそ今の組合があるのだと言われる日が来る。そして君たちの行動が正しかったと言われるときが必ず来る。」

 その日、富山県職員3千8百名がこのストに参加した。
 機動隊による弾圧を食い止め、1時間のストを成功させるために組合側はピケを張り、又市は県庁の東門を守る百名余りを指揮した。
 そこへ突入する機動隊。又市はその最前列で機動隊と激しくぶつかり合った。

 しかし“鉢巻きと腕章”の労働組合と“警棒と楯”の機動隊とでは、力の差は歴然たるものがある。

 又市は、それこそボロボロになるまで殴打されながら、機動隊を投入し職員を殴らせ、弾圧を加えた吉田知事はじめ県の上層部に激しい怒りをおぼえていた。また、その怒りとともに込み上げてきたのは涙だった。

 写真は、悔し涙を流す若き日の又市征治をとらえた、奇跡的とも言うべき一枚である。

 ちなみに、又市が機動隊と激突していたとき、別のピケ隊の最前列では改井秀雄が自ら先頭に立って機動隊とぶつかり合っていた。
 又市が今でも尊敬する人物の一人として挙げる改井は、文字通り闘いの先頭に立つ男だった。改井は後に富山市長となり、保守王国・富山で十年以上にわたって革新市政を実現する人物である。
(敬称略)

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