政治家「又市征治」という男

元政治記者の私が最も興味を持った政治家、それが又市征治だった。その知られざる人物像に迫る。

又市征治と加藤紘一

2007年06月29日 | Weblog
 平成8年、自民党公認だった知事を無所属にしようと、自民党本部に乗り込んだ又市征治あてに数日後、電話が入った。

 「又市さん、申し訳ない。」

 声の主は、当時の自民党幹事長、加藤紘一だった。
 加藤は加藤なりに又市の話を飲み込み、自民党県連に中沖知事の公認を外したいという意向を伝えていた。しかし自民党富山県連は、加藤の言うことに耳を貸さなかったのである。
 自民党内での幹事長の権限は絶大である。その幹事長の言うことを門前払いするというのは、通常ありえない話である。

 当時、自民党富山県連は綿貫民輔(現・国民新党代表)が会長を務めていた。綿貫は年齢面でも党幹事長としての経歴でも加藤の先輩だった。「知事の自民党公認を外すなど言語道断」と、「格上」の綿貫の言葉に、さすがの加藤もそれ以上何も言えなかったのだ。

 「又市さん、本当にすまない。」

 わざわざ直接電話をくれ、何度も謝る加藤に又市はかえって恐縮した。結果には悔しいが、加藤の真摯な姿勢には清々しいものがあった。
 又市は礼を述べた。

 「いや加藤さん、残念ですが仕方ありません。本当にいろいろとありがとうございました。」

 結局、中沖は自民党公認のまま県知事を続けることになった。
 しかし、又市の話には中沖自身も心を動かしていたようだ。中沖も、より多くの県民に支持されたかったし、県議会の第二勢力を維持してきた社会党・社民党、そして何より、又市征治という男を敵に回し続けることは避けたいと思ったに違いない。
 この話以後、中沖は連合富山の福祉政策の要求に耳を傾けるようになっていた。それでも、又市は納得も満足もしていなかった。

 4年後の平成12年、又市は再び自民党本部に乗り込むことになる。やはり又市は、あきらめていなかったのである。
(敬称略)

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