政治家「又市征治」という男

元政治記者の私が最も興味を持った政治家、それが又市征治だった。その知られざる人物像に迫る。

福祉への執念

2007年06月28日 | Weblog
 平成8年当時、まだ地方の一労組の役員に過ぎない又市征治が、ときの自民党幹事長である加藤紘一に直談判に及んだ目的は、富山県知事・中沖豊の自民党公認を外させることにあった。
 又市は加藤に正論をぶつけた。

 「今どき自民党公認の知事など、全国でも2名だけだ。自民党のためだけでなく、幅広い県民のために働くという姿勢を訴えるため無所属となり、幅広い支持を集めるべきではないか。」

 加藤は「なるほど、それは確かにそうだ。それであなたはどうしたいのか。」

 又市は腹を割った。「連合富山として中沖氏の推薦を検討したい。」

 その言葉に驚く加藤に、又市はこう続けた。「ただし中沖氏には、我々と政策協定を結んでもらう。」

 これまで自民党公認知事の下で、県に対する福祉拡充の要求は跳ね返され続けてきた。
 又市はその県民福祉の向上のために、知事を無所属にし、自分たちも推薦しながら、政策協定を結び、こちら側の政策を知事にのませようとしたのだ。
 しかし自民党本部に乗り込むほどという、又市の福祉へのこだわりは並大抵のことではない。やはり戦時中、軍のトラックにはねられ、脚を失いながら、まともな補償すらなかった父・久治のことがあったのではないだろうか。

 久治は生前、自民党の党員だった。久治は、自分と同じように戦争中の負傷がもとで障がいを負った人々と互いに励ましあいながら、補償や支援策の拡充を求めて動いていた。そこで久治は、権力を持つ自民党に入り、そこで献身的に尽くしながら権力者に訴えていくことで、障がい者支援、国民に対する補償など福祉の拡充を求めようとした。しかしその方法は間違いだった。久治たちの訴えに自民党は極めて冷淡だった。自民党はもともと財界の利益や利権の代弁者に過ぎない。久治たちの力は弱すぎた。金も力もない久治らの訴えに、権力者たちは耳を貸すはずもなかった。

 又市は父のやり方とは違っていた。連合富山は当時約8万人、力もそれなりにある。自民党本部に乗り込んでくるほどの又市には、「これを蹴るようであれば、対立候補を出すことも辞さない」という気迫がみなぎっていた。保守王国である富山で選挙には自民が勝つだろうが、大義名分は「福祉拡充」を目ざす又市らの側にある。

 加藤は考えた末、「分かった。(自民党の)富山県連に話してみよう。」と又市に答えた。
(敬称略)

人気Blogランキングへ
日記@BlogRanking
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(議員)へ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。