政治家「又市征治」という男

元政治記者の私が最も興味を持った政治家、それが又市征治だった。その知られざる人物像に迫る。

又市征治の素顔

2007年07月09日 | Weblog
 又市征治と言えば、厳しい顔のイメージが強い。特に、テレビの国会中継や討論番組で、政府与党を追及する姿は本当に厳しいものがある。
 だが、本当の又市を知ったとき、その厳しさの本当の理由を知ることができるだろう。

 又市征治が国会議員になったのは平成13年の夏だった。その秋、又市の妻の養父、つまり義父が急に入院することになった。義父は風邪気味だったが、肺炎を併発していたという。80代半ばの人間にとって肺炎は致命的である。義父は鼻腔に酸素吸入のチューブを差し込まれ、点滴を数箇所に差し込まれた状態で、富山の日本赤十字病院のベッドに横たえられていたという。

 幸い命は取りとめたものの、意識は朦朧としたままだ。義父は眠っていないときは、苦しみのあまり呻き声をあげ、チューブや点滴の管を引きちぎろうとした。24時間体制の付き添いが必要だった。
 昼間は、又市の妻と義母が交代で付き添ったが、問題は夜だった。又市はすすんで義父の付き添いをした。折りしも臨時国会は終わり国会は閉会中だったが、だからといって決して暇なわけではない。国政報告会や講演など朝から晩までスケジュールはびっしりと詰まっていた。それでも、又市は日程を終えるとすぐに病院に駆けつけ、幾晩も泊り込んで義父の看病をした。もちろん、ほとんど寝る時間はなかった。

 医師は当初、義父の命について「最善を尽くしますが、もしものときは・・・」と覚悟を促したが、又市やその家族の献身的な看護の甲斐あってか、義父は一命を取りとめたばかりか、数ヵ月後には退院し、今は元気に過ごしているという。
  
 このように情に厚い又市の一面を、私は生で見たことがある。それは平成17年の夏の出来事だった。
 ある暑い日、国会議事堂をデモ隊が取り囲んでいた。しかしその光景は見なれたデモの姿ではなかった。いわゆる「障害者自立支援法案」に反対する障がい者とその家族の列だったのである。

 又市はその日、彼らを激励するために参議院側の議員面会所に立っていた。横には、同じ社民党の近藤正道や、他の野党の議員が並んでいた。デモ参加者はこう懇願していた。

 「お願いです。私たちの生活を守ってください。こんな法律、やめさせてください。お願いします。」

 又市はハンドマイクで彼らを激励していた。が、与党に対してよどみなく追及をぶつける、いつもの又市の姿は、そこにはなかった。又市は話し終えるとすぐに後ろを向き、眼鏡を上げてハンカチで何度も顔を拭っていた。汗を拭いていたのでないことはすぐに分かった。

 あの又市征治が泣いていたのだ。

 暑さの中、全国から何千人もの人々が車椅子に乗り、あるいはその車椅子を押し、国会の周りをまわっている。ここまで来るまでも大変だっただろう。
 又市の父親も、又市が生まれる直前に事故で脚を失っている。そのために苦しい生活を経験してきたし、又市にはその家族の気持ちは痛いほど分かるのだろう。そのことが辛かったのか、それとも政府与党が、このような非道な法案を押し通そうとしていることへの怒りだったのか、私には分からない。

 一つ言えることは、又市が国民の痛みに心の底から涙を流す政治家だということである。だからこそ福祉財源に充てるために懸命だったのだ。
 このような政治家が何人いるだろうか。

 もしもっと多くいれば、あのような法案は成立しなかっただろうし、今のような社会になっていなかっただろう。
(敬称略)

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
公示が近づいて参りました (sdpj_2007)
2007-07-10 21:38:57
連載、本当にご苦労様です。
又市幹事長が必ずや当選されるようお祈りするとともに、当選後新たな実績を地道に積み上げていかれることを楽しみにしております。
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