謄々任天真

[とうとうてんしんにまかす]
日々感じたことなどを思いつくまま書きます。

“平常心”

2007-05-21 | 剣道
平常心



平常心とは、平常の心、すなわち人間本来の心の状態をいうのである。
人は事に臨んで心が動ずるもので、平素の心でこれに処することは、困難なことである。
剣道は対人動作で自己の働きだけのものでなく、
相手の動きによって自己の動きが決定されるのであるから、
技術的には極めて複雑なものである。
剣道では平常の心を保つことができるよう、
平素の鍛錬等を通じて心がけることが肝要である。



人間は、平穏無事にいれば心が平静に保たれるが、
何か変事が起こり奇異なものに会えば、
よほど修養を積み胆力のすわっている人でない限り、
たいていの人は心が動揺する。
剣道は、極めて微妙な心の働きを要するものであるから、
何事かによって心に動揺を起こし、
心が乱れては、日頃の練習で会得した技を少しも発揮することが出来ないまま敗れることになる。
したがって、何事にも心を奪われず、気を張らず、弛めず、止めず、散漫にならず、
曲がらず、折れず、正しく直にして、伸び伸びとした心をどんな火急の変事が突発しても
失わないように、平素からあらゆる修養、鍛錬を積まねばならない。
「稽古をば試合と思い、試合を稽古と思い」ながら日頃の稽古を行うことが大切で、
常に変わらない平静な心を持っていれば、相手の動作をことごとく見破り、
しかも心が落ち着いているから、普通に真直ぐに打突する技が適確に成功するようになる。
いかなる相手に対しても、動作にもすべて平常心を失わなければ、
自分の技は自在にほどこされ、堂々と対峙できるものである。

事に臨んだときに心が動ずることなく、常に安定した心の状態のことを平常心という。
剣道は、相手の動き方によって自己の動きが決定されることが多いので、
平常の心と変わらない落ち着いた心で対峙することが最も大切である。
そのためにも、平素からあらゆる修養、鍛錬を積むように心がけ、
「稽古をば試合と思い、試合を稽古と思い」ながら日頃の稽古を行うことが大切である。
ただ漫然と稽古を続けていれば、比較的低レベルの平常心が養われるだろうし、
普段から緊迫した試合の状況や相手のことなどを頭に浮かべて稽古をすることにより
高いレベルの平常心が養われることになる。
大きな大会で、十分とはいわないまでも高レベルの平常心を保つためには、
普段から高レベルの平常心を養っておかなければならない。


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