思いつくまま

思いついたことを書いています。

愛・地球博記念公園にて

2009年07月25日 23時59分59秒 | 万博
7月25日(土)にTHE ICEを見るために、愛・地球博記念公園に行った。
愛・地球博(愛知万博)の時に行って以来4年ぶりに足を運んだが、リニモの駅を降りて思ったのは、観覧車 以外に全くあの4年前の万博の時のモノを思い出させるモノが無いということだった。

時間が限られていたので、とても全部は足を運べないし、モリコロパーク内の愛知児童年記念館(ちょうど「崖の上のポニョ展」をやっていたが、)にでも足を運べば何かあったかもしれないが、とにかくどこにあのトヨタ館やヨーロッパの人気パビリオンがあったのか、全くわからなかった。
とにかく草だらけの昔の東部丘陵が目の前に広がっていた。  (これはあくまでも自分のイメージ、まともにつっこまれてもネェ、よく整備されておりました。
4年の月日が経ってしまったことを改めて思い知らされた。
もう、あれだけ多くの人の心を惹きつけたモノは無くなってしまい、自分の心の中だけのモノになってしまった感じだった。
形あるものはいつかは無くなってしまう、はかない、寂しい、何か非常に感傷的な気分になって愛・地球博記念公園駅を後にした。














元気を出すために、名駅の王将で、ナマ中にギョウザや焼き飯(ここはチャーハンとは言わない)を食べて元気を取り戻してきた。
オシマイ。

日立館からピンバッジ届く

2005年09月26日 23時09分32秒 | 万博
昨日、万博が惜しまれながら閉幕した。

本日、帰宅したら日立グループ館からの封筒が、もしかしてーーー
ヤッター、ピンバッジ、ご来館感謝プレゼントに応募したのが当選したものだった。応募者全員に当たるものではないらしい。

万博閉幕と同時に届くなんて、なんてタイミングがいいことか。
これも大切にします。

愛・地球博閉幕

2005年09月26日 01時04分26秒 | 万博
愛・地球博が185日の会期を終え閉幕した。
閉会式をTVで見たが、皇太子殿下、小泉首相、愛知県知事、トヨタ会長などのお歴々に加え、竹下景子さん、松浦あややなどが参加し、NHKカキヌマンの司会で、淡々とセレモニーを終えた感じだった。小泉首相や中川国交相が音楽に合わせて、一緒に右手の親指、人差し指、小指を立てて手を振っているのは、ちょっと滑稽だった。

3月25日の開会式は、平日で雪もちらつき、サッカーWカップ最終予選アウエイのイラン戦もあったりして、全く見なかった。

あーあ、もう終わってしまった。でも4回も行って、4回目は2番目に多い25万人の入場者も経験できたし、何よりもいろいろな国のパビリオンを回れたのが良かったなあ。海外旅行なんて、そうできるわけではないので、向こうからやってきてくれて、あれこれ見たり、聞いたり、話したり、食べたり、飲んだり、満足・満足。

FM LOVEARTHも26日午前1時03分に、7ヶ月の放送を終了した。
最後の最後に中村事務局長兼放送局長(放送局長だったんだ。)も生で挨拶され、FM局の感想を述べていた。本当にご苦労様でした。

万博・燃え尽き症候群の人が出て来そう。でも、夢は一番良いところで終わるのがいいかも。
自分もなんだか、ポッカリ穴が空いた感じになりそう。しばらくは、もらった資料の整理や、いろんな万博関連のブログを見て、余韻を楽しみたい。

愛・地球博(その4)4

2005年09月10日 23時47分58秒 | 万博
16時15分に予約の韓国館、アニメが素晴らしいとのことだが、それより1日3回の民族舞踊の公演を見るため、この時間に予約してもらった。展示は青磁とか想定どおりのものが多かった。民族舞踊は、サムルノリ、アリラン合唱、太鼓の演奏などで非常に良かった。韓国旅行で見て以来、久しぶりに生でいろいろ見ることができた。
中国館、ここも弦楽器のショーをやっていたが、タイミングが合わず終わるまで30分くらい待たされ入館。いきなり、素晴らしい作りのアルバムのような記念品を配られる。 中国4千年の歴史をあれこれ見た。2010年には上海で万博開催ということで、展示スペースがものすごく広く、力が入っていた。北京オリンピックもあり、末恐ろしい。アジア最後は、バングラデッシュ館、めのうの卵型石が800円で非常に安く売られていた。ほとんど売店化していた。広場でモンゴルの伝統音楽の演奏・歌謡も見ることができた。弦楽器のような音の声を出していた。
日が暮れてきて、アジアを後にして、また、北中南米へもどり、カナダ館、30分くらい待って入館、アテンダントは皆カナダ人で、英語、日本語、フランス語の順に説明していた。映像を2種類見せられたが、解説もなく自分でいろいろと想像して欲しいとのことだった。オイオイ「夢見る山」と同じかよ。ハガキやカードを何枚ももらい、インターネットでカナダの旅行先の写真を撮ったもののアドレスを自分のメールに送ることができた。時間があったらもっとやりたかった。
中米共同館、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラ、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、ホンジュラスだった。マヤ文明やパナマ運河が印象に残った。各国の砂を触ることができたが、白砂、黒砂、細かかったり、貝殻が割れたようだったり、それぞれに特徴があった。
エキスポギャラリーにも入ってみたが、スタンプを押しただけだった。
外に出るとアメリカ館の行列がすごいところまで延びていた。1回目に行けてラッキーだった。あと、なぜか国際赤十字館が大人気で、最後尾は3時間待ち、21時半でないと入れない 状態だった。もう1つくらいと思い、2回目の時、入らなかった中部千年共生村まで歩く。いきなりローカルに引き戻された感じだった。
夕食は、前回入ったビア・ハーレ。20分くらい並んだが、テラス席に座ることができ、ジャーマンソーセージソースのチキンセットを食べ、黒ビールを飲んだ
帰りのリニモに乗るにも40分待ったし、また、割り込みもひどかった。満員電車状態から脱しても、地下鉄で藤が丘から名古屋まで全く座れず、2万歩も歩いて足が棒だった。
それでも、8割くらいのパビリオンに入ることができ、いろいろ見聞を広げることができたので、今回の万博には非常に満足できた。


愛・地球博(その4)3

2005年09月10日 23時34分29秒 | 万博
グローバル・コモン2、北中南米まで歩いて戻った。
国際熱帯木材機関館でスタンプを押した。メキシコ館、ここも非常に良かった。まずは代表のサボテンをたくさん見た。それから民族衣装、いくつかの民族によって微妙な違いがあった。そのほかの展示も魅力的だった。ドミニカ館、鬼というか獅子のような顔の彫り物(カーニバル用お面)に出迎えられる。マンゴーソフトクリームを食べ、男女のメレンゲダンスを見る。外は雨がぱらついていた。涼しくて良かった。アルゼンチン館に入るため並んだが、1時間以上後のタンゴショーまで待ってもらうということで、パンフレットやCDだけもらって、あきらめる。エクアドル、ペルー、ベネズエラ、ボリビアのアンデス・アマゾン館、カムカムジュース(アセロラのような感じ、ビタミンCがたっぷり)を飲み、アンデス音楽を見聞きしたが、「アンデスの声」を聴いているような感じだった。
時間の関係で、グローバル・コモン1、アジアまで歩く。韓国館の予約時間が来るまでに、見られるだけ見る。スリランカ館、TVでもやっていたが、大津波の傷跡が痛ましく、パビリオンも当初の計画とは変更になった。募金がいっぱいしてあった。ここは、セイロン紅茶と宝石もすごい。宝石は、強盗対策は大丈夫かと心配になるくらい、全部合わせたらすごい金額になる。石を削る実演も見た。モンゴル館、朝青龍でかなり有名になったが、その民族衣装や遊牧民の家(ゲル)の展示を見た。ゴビ砂漠で見つかった恐竜の骨の展示もあった。ブータン王国館、お釈迦様と山々だった。パキスタン館、軍事国家のイメージはなく、カーペットが印象に残った。

愛・地球博(その4)2

2005年09月10日 23時27分05秒 | 万博
午後は、ヨルダン館、ここも20分は並んだ。エレベーターで上へ上がり、死海の塩分高濃度のプールに人が浮かんでいるのを覗く。塩もなめさせてもらった。万博終了後は、岡崎城西高校へ行くそうだ。それよりも良かったのは、ガラス瓶の中にいろいろな色の砂を詰め込んで絵を作っている職人だった。記念にこの砂の絵画の瓶詰め(サンドアート:SARHAN)を買った。次は、ボスニア・ヘルツェゴビナ館、唯一待ち時間なしもパネル展示のみで、資料をたくさんもらって終わり。トルコ館もすごく並んだ。30分は待った。この列は何館の列か聞いてくる人もいるくらいだった。タイルや壷などの展示が綺麗で良かった。魔よけのブレスレットを買ったが、種類がありすぎて選ぶのに苦労したくらいだった。本当は、ブルガリア館、クロアチア館、モロッコ館にも行きたかったが、時間の関係であきらめた。しかし、グローバルコモン3と5を結ぶ木の橋にあんなにいっぱい人がいるなんて初めてだ。

愛・地球博(その4)1

2005年09月10日 23時22分26秒 | 万博
またまた行って来ました4回目の万博。9月の土曜日ということで、覚悟はしていたけど、すごい人・人・人で25万人、今季最高の人出、どこへ行くにも待ち時間発生。
家を7時前に出た。藤ヶ丘からリニモに乗るのにも入場制限、8時45分にようやくリニモに乗り、満員電車状態で9時に万博駅に到着、そこからまた隊列を作らされた。曇っていて少し涼しかったのがせめてもの救いだった。結局入場できたのは午前10時だった。
一目散でグローバルコモン3まで歩く。ポカリスエットを買う。今までアクエリアスしかおいてなかったと思ったが、初めて目にした。
これまで入ってないところを狙う。ドイツ館は5時間待ちも超えて既に入場制限状態、10分待ちと出ていたフランス館に並び、結局40分待ちで入る。なんで貴乃花が名誉館長なのか?最後にシアターで環境、ごみ、エネルギーに関する15分くらいの映像を見る。いろいろ考えさせられるものがあったが、何で英語と日本語なのか。フランス語は???終わってからスタンプを押しながら、いっしょにおいてあるドイツ館のパンフレット類ももらう。次はもう11時30分予約のNEDOパビリオンへ、ここは、これまでも、並んでいる人数が少ないのに待ち時間が長いなあと思っていたが、入ってみて1回の入場者がものすごく少ないことがわかった。予約なしの人は1回に10人くらいしか入れなかった。ロボット関係の説明があり、3Dメガネで場内を見る。他の人のかけているメガネを見ると、メガネ自体が立体に見えるようになっていた。ロボットの腹から次のステージに入り、また、別の3Dメガネをかけて映像を見た。なるほどなるほど。
もうお昼。ブルガリア館のレストラン、イタリアレストランを覗くが、1時間くらい待たされそうなので、あきらめて、フランスのピザバジェットの店でピザバジェットとアップルパイを買い、簡易ベンチで食べる。ここの店のバジェットは1個1000円もするんだけど、それでも3つの窓口とも行列がすごーーーーい。店員のフランス人女性も、もっとすいてたら、愛嬌があって笑顔で応対してくれただろうに、もうウンザリといった感じで、客をひたすらさばいていた。

万博予約

2005年08月11日 00時09分15秒 | 万博
9月にもう1回行くことにした。今度は終盤の土曜日ということで、ものすごい人出になるだろう。
でも、どうしてももう1回行きたかった。NEDOパビリオンと韓国館を予約できた。
まだ、行ってないところがかなりある。韓国・中国・モンゴル・ブータン・スリランカ・パキスタン・バングラデシュ・カナダ・メキシコ・アルゼンチン・中米共同館・アンデス共同館・赤十字・シンガポール(無理)・フランス・ドイツ(無理)・ブルガリア・トルコ・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・ヨルダン・中部千年共生村・ブルーホール・瀬戸日本館、サツキとメイ(無理)など。

2年前に、家族が2回は行くようにと前売り券を半強制的に買わされたときには、「こんなの全部金券ショップ行きだよ」と言っていた上司の1人は、通し券まで買って「サツキとメイ」以外は全部行ったそうだ。

何がそこまで掻きたてるのか、行った人でないとわからない。

愛・地球博(その3)4

2005年08月03日 23時48分57秒 | 万博
アフリカ共同館で目に付いたものとして、ホモ・ハビリスと言われるガイコツ、3か国くらいでがい骨を見た。それから、タムタム、Ghana.B.C.とかのアフリカ局を聞いていると毎正時前に流れてくるやつ、初めて現物を見た。太鼓もいっぱい触って叩いてみた。ヘビ皮が張ってあるものもあった。あとは、アンモナイトのような置物、ラクダの骨で作った飾り物、くじゃく石という緑色の石で作った置物、これは1つ記念にさいの置物を買った。パビリオンのアテンダントは日本語ができない感じの人が多く、英語かフランス語、値段交渉を英語でやったが、中東・南アジアのように値切ることはできなかった。中東のパビリオンで買う気もないのに値段聞いたら5千円とふっかけられ、高いと言い続けたら2千円まで値下げしてきたが、アフリカは5千円はfive thousand yenの一点張りだった。あとは、蜂蜜をなめたり、ドライフルーツを試食したり、ここぞとばかりにアフリカ文化に触れた。このあと再びエジプト館へ、今回はすぐに入れた。展示は前回しっかり見たので、目的は土産、スフィンクの顔の置物を買った。
次にイタリア館、待ち時間なしで入れた。シチリアの「踊るサテュロス」を見た。誰かのブログにチン○ちいせー、とあったのが頭の片隅にあり、そこばかりに目が行った。ホント小さい、しかも法経学部。
またアフリカのリビア館、ここはR.Jamahiriyaにレポートしたときに写真や冊子などをたくさんもらったことがあるので親近感?があった。やっぱりジャマヒリヤッチー・アラビヤッチーだった。
ギリシャ館、オリンピック関連のパネルが多い。
時間があれば他のヨーロッパ館にも行きたかったが、ドイツ館は130分待ち、フランス館でも20分待ちであきらめた。
この時点で18時30分、日立の予約が19時、ここから北口付近まで歩くのはもう無理。 初めてグローバル・トラム500円に乗る。途中、西ゲートで止まり20分かけて長久手会場を半周した。3回目ということで、アテンダントの説明も非常によくわかった。
いよいよ万博で2番人気の日立グループ館、最初に顔写真を撮り、名前を聞かれる。これが映像で使われる。4人乗りライドに乗り、右手にセンサーを付け、両手で重い立体スコープを持ち、映像を見る。ゴリラにバナナをやったり、ウミガメを左右に振ったりできた。時々立体スコープをはずして見たら、よけい映像の仕組みがよくわかって感心させられた。日立館を出たらいつのまにか日が暮れていた。
ビア・ハーレというレストランで、ジャーマンソースのハンバーグと黒ビールを注文する。このハンバーグはソーセージ味のソースがかかっており、本当においしかった。
疲れが一気に出てクラクラしそうになった。本日もよく歩き(1万8千歩)、疲れました。



愛・地球博(その3)3

2005年08月03日 23時36分53秒 | 万博
14時30分、ここから、途中ミストを受け体を冷やしながら、暑い中必死こいて北口近くの15時予約のガスパビリオンまで歩いて戻る。行きは良い良い帰りは怖い、疲れたがなんとか間に合った。炎のマジックシアターということで、炎があれこれ綺麗に見えたりするのかと思っていたが、さにあらず。マジックは火を扱った手品、奇術という意味だった。JR東海やアメリカ館などと同じように、まず、劇場に入る前に前座があり(この映像が本編に関係してくる)、それから中に入る。主役の人は生身だが、津川雅彦ともう1人は映像だった。「フリント・ファイアー・フウ!」けっこう楽しめた。劇場の外では、氷(メタンハイドレート)を燃やすのを見たり、ガスで冷やして雪を降らしたのを触ったりできた。予約なしで80分待って入った人も満足できる内容だった。
このあと、予約なしで三菱未来館に並ぶ。40分待ちだった。ここも第1段階でロボットの説明を聞き中に入る。ここは2段階ではなく3段階になっていた。「もしも月がなかったら」、潮の満ち引きがなくなり、8時間自転で強風が吹き荒れ、今のような地球はなかったことがよくわかった。
ここから、足にムチを打ってまた歩き、先日入れなかったシンガポール館へ行くも、またもや50分待ちであきらめる。ベトナム館でショーをやっていて最後だけ見た。ここから、またも足にムチを打ってアフリカ方面を目指す。
南アフリカ館、アフリカ共同館を片っ端から見て、スタンプを押しまくる。押した順にジンバブエ、マダガスカル、ザンビア、サントメ・プリンシペ、ナイジェリア、タンザニア、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、ウガンダ、チャド、スーダン、アンゴラ、エリトリア、ケニア、カメルーン、ガーナ、エチオピア、コートジボアール、ベニン、ギニア、ブルキナファソ、マリ、モーリタニア、セネガル、ブルンジ、ルワンダ、ジプチ、まだ他にもあったはずだけどスタンプは以上。