気ままなピークハンターズの山旅

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碓氷峠(うすいとうげ)昔の面影が残る旧中山道

2022-07-17 14:20:27 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は
ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所 
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回は昔の面影が残る旧中山道 碓氷峠(うすいとうげ)を
掲載してみたいと思います

熊野神社(旧碓氷峠)

現在の旧碓氷峠景観
軽井沢駅~三笠通り~旧軽井沢銀座を車で通り抜けると
昔の面影が残る旧中山道 旧碓氷峠に至ります
碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町坂本と
長野県北佐久郡軽井沢町との境にある日本の峠である
標高は956メートル
信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺である
峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れる

旧中山道 旧碓氷峠から石段を登ると熊野神社(旧碓氷峠)、
熊野皇大神社(旧碓氷峠) 、日本武尊(ヤマトタケル)吾嬬者耶(あづまはや)詠嘆の地
があります(日本書紀より)

熊野神社、熊野皇大神社2社の門
県境にあるため一つの境内ですが二つの神社があります

左側が長野県側に熊野皇大神社、右側群馬県側に熊野神社
社殿は群馬県安中市と長野県北佐久郡軽井沢町にまたがっており、
参道と本宮の中央を県境が通る
長野県側は神社庁により特別神社に指定され、
熊野皇大神社(くまのこうたいじんじゃ)と称する
主な社宮は3つであり、本宮は伊邪那美命、日本武尊(ヤマトタケル)、
長野県側の那智宮は事解男命を祀る
群馬県側の新宮は速玉男命を祀る
和歌山県の熊野三山、山形県の熊野神社 (南陽市) と並び「日本三大熊野」と称される





日本武尊(ヤマトタケル)吾嬬者耶(あづまはや)詠嘆の地(日本書紀より)

県境の昔の面影が残る旧中山道 旧碓氷峠頂上

旧碓氷峠展望台
県境峠の展望台 左側群馬県側、右側長野県側
昔の面影が残る旧中山道(碓氷越え)は鎌倉時代からあった主要街道で、
碓氷峠は中山道最大の難所として知られていました
江戸時代には道が整備されて、関所や坂本宿、軽井沢宿等が設けられました
しかしながら険しい急坂がつづく難路であった為、
明治19年に中山道は南方に開削された新道(旧18号)に移り、新峠が作られました
昭和46年には碓氷バイパスが開通され、上信越高速道は平成5年に、開通されました
現在では昔の面影を残したハイキングルートとして活用され、
街道跡を横川駅から辿ることが出来ます
道中の各案内板から察して、当時は旅人で賑やかっていた様子が伺えます
峠の先に由緒ある熊野神社があり、かつては旅人が道中の安全を祈願したといわれます
近くには見晴台があり、上毛三山や浅間山などが見渡せる眺望の名所となっています

旧碓氷峠展望台から眺める群馬県側山並 奇岩の妙義山が見える

旧碓氷峠展望台は戦国時代 狼煙台であったと言われる

旧碓氷峠展望台から眺める浅間山

群馬県側から見る現碓氷峠

長野県側から見る現碓氷峠

碓氷峠を群馬県横川駅方面に下って行くと
旧信越線廃線の遺構めがね橋があります

旧信越線廃線の遺構めがね橋上部




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